12:笑い声

 委員長がカメラからゆっくりと顔を離すと僕を見ました。

 オジョーさんが窓の外を見てます。

 先程も言いましたが、F神社の山には木がたくさん生い茂っています。なのに、確かに蝉の声は全然聞かなかった。辺りはしん、としていたのです。

 店長さんは僕らの顔を見廻して続けます。

「それに、ここらはあの山とかに住んでる野良猫が凄く多かったんです。夏ともなれば、日陰で寝ている猫が去年まではいっぱいいて、それを撮りに来るマニアがこの店に結構来たんですよ。それが今年は一匹もいない」

 オジョーさんがスマホで喫茶店の名前と猫、写真と検索をかけると、ヒット。写真がずらっと出てきました。

「確かに、ネコマニアの人のブログでも、名所が消えた、と紹介されてますね」

 委員長がうんうんと頷きました。

「そりゃ、あれじゃないですか? 有名になっちゃったから、保健所が来た、みたいな?」

 店長さんはいやあ、と首を捻りました。

「さっきのパートの――Uさんが、そういう事があれば言ってくれると思うなあ。あの人、情報が早いんだよねえ。それに神社の神主さんの猫まで消えたって話だし……」

「……あの、動物の死体、とかは見つかりました? こう、干からびてたり――」

「え? ……いや、そういうのが見つかったなら、Uさんが開店時間中ずっと喋ると思うなあ……」

 委員長が手を小さく挙げました。

「Uさんにお話を聞きたいんですけど、後でよろしいですか?」

 店長さんは、苦笑いをしました。

「いや、あの人の方から君達を捕まえに来ると思うよ……ところで、その」


 店長さんは言い難そうに、もじもじとしています。

 オジョーさんが優しく微笑みました。

「店長さんの体験談ですね? 何でも仰ってください。私達は何でも伺いますから」

「……実はその、ここらはスケート場がつぶれた頃から住人が減っててね、今じゃ昼間なんて、私らくらいしか居ないんだけど、この前の火曜日の朝……六時くらいかな? お昼に出すシチューの仕込みを一人でしてたんだけど、その……笑い声が聞こえたんだ」

 オジョーさんが、影女と呟くと僕の顔を見ました。

「店長さん、誰か――いや、何か見ましたか?」

 店長さんはぶるっと顔を震わしました。

「い、いやいや、何も見てないですよ! 笑い声だけ!」

 笑い声だけ、と委員長が片眉を上げました。

「ええ、とても大きな――女の人の笑い声です」

 それってUさんってオチですか、と委員長。

 店長さんがへぶっと妙な咳き込み方をした後、ちょっと表情を柔らかくしました。


「いやいや、確かにあの人は笑い声が大きいですが、あの人が笑うと何故か赤ちゃんが笑いだしたりしてね、うちにとっては福の神みたいな人で……その、僕が聞いた笑い声は、窓がビリビリ震えるような、こう――悪い感じの声で」

 は? と僕と委員長。

 オジョーさんが、それはつまり、と窓の外を指差しました。

「外から聞こえてきた、ということでしょうか?」

 店長さんはゆっくりと頷きました。

「十秒か二十秒か、ともかく長く続きました。

 僕は吃驚した。

 そのうちガタガタと小さい音が聞こえてきた。見れば窓が細かく震えているんです。地震か、と焦ったんですが、足元は揺れてない。恐る恐る窓に近づくと笑い声が大きくなる。

 え? 外? と思って試しに少し開けたら声が大きく聞こえて、そこで怖くなって、すぐに閉めて窓から離れたら、やがて聞こえなくなって……夢だったんじゃないかって今でも思ってるんだけど……」

 委員長はさっとカメラを構えたまま移動すると、窓を開け、スケート場にカメラを向けました。

 実はその、とオジョーさんは『笑う影女』の噂を店長さんに説明しました。


「ぼ、僕はその影女は見なかったなあ……でも、あれがその女のだとしたら、そいつ、相当でかいですよ」


 店長さんが厨房らしき所に引っ込むと委員長は席に戻りました。

「やれやれ……良いのか悪いのか判断がつかないなあ」

 オジョーさんは、新しい情報なのに、嬉しくないのですか? と目をぱちくり。

 僕は声を潜めました。

「店長さん、僕らの番組を観ているようじゃないですか? 『笑う影女』はこの前の高速高架下取材の失敗をアップしたばっかりです。知らない振りをして便乗している可能性も捨てきれない。でしょ?」

 委員長は深く頷きました。

「勿論、情報としてはちゃんと受け取る。

 でも、そういうガセにも注意しなきゃならない段階に進んでしまった。これは悪い部分が多いかもしれない。行き逢い神の情報が入ってくる可能性が高くなったから、個人的には嬉しいけどね」

 オジョーさんは腕を組んでううんと唸りました。

「なるほどなあ……しかし、店長さんの笑い声ですが、何と言いますか、非常に暴力的な怖さがある気が――」

「ね、ね、それ、何の話?」 

 いつの間にやら、僕達の席の横にUさんが立っていました。

 うひゃあ、とオジョーさんが声を上げ、委員長がさっとカメラを向けます。

 すかさずモンローポーズって言うんですか、あれを決めるUさん。

 僕は吹き出しました。


「店長に聞いたわよ~。ここらの噂を調査してるんでしょう?」

 僕はペンを取り出すとマイク代わりにUさんに向けました。

「ここら辺の情報に詳しいとお聞きしました。何か妙な事が起きたりしてませんか? お化けとかじゃなくて、ちょっと変だな、って程度でいいんですよ」

 そうねえ、とUさん。

「うーん、お化けが出た、なんて話は聞かないしねえ。ここらはお祭りの時だけ賑やかになるけど、普段は人があんまり居ないのよねえ。山の傍で、家を建てるのもアレだし、建ってるビルは入ってた会社がつぶれちゃって空きビルだし、一本向こうの道が広くて業務用スーパーがあるから、みんなそっちに行くしねえ。

 あ、でも、ヨシトミのお婆ちゃんが、下水が臭いって言ってたわね。近くのアパートの二階に住んでるんだけど、最近、流しとかトイレから生臭い臭いがするって。で、気になって家の前のマンホールの臭いを嗅いだら、凄く臭い。で、そこら中のマンホールを嗅ぎ回ったらしいのね」

「そ、そこら中のマンホールを、ですか?」

 僕の問いにUさんは大笑いした。

「ヨシトミのおばあちゃん、クレーマーだから、なんでも文句付けなくちゃ気が済まないのよ! でね、ここらのマンホールが凄く臭いんだって! だから、あんたら何か流したろうって! 下水に何か詰まってるのかしらね? あ、勿論、あたし達じゃないわよ」


 僕達は顔を見合わせました。

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