ジェネリック虐殺ハーモニー

多架橋衛

第1話 いい時代

 いい時代だ。

 駅前の音楽ショップが、注目の若手バンド特集をしていた。


 ひと時は下火だった日本のバンド音楽が、最近になって盛り返してきた気がする。ガチもんの音楽好きに聞かれれば、たまたまお前の趣味に合うバンドや曲が相次いで出てきただけだ、と怒られそうだけど。で、たぶんそれが真実だ。


 両親の影響で、八十年代後半の曲を聴きながら育った。

 同年代と比べれば二十年は古い。

 古いと自覚しながらもわたしは当時の荒削りで、素人臭くてたどたどしい、だけど、だからこそ突き刺してくるような名曲たちから卒業できない。


 九十年代後半からゼロ年代はじめの化け物級に売れまくったJポップだって嫌いじゃないけど、一時間もすれば物足りなさを覚えていつものプレイリストに戻ってくるのだった。それだってガチもんの音楽好きに聞かれれば、ただの思い出補正だ、と怒られるだろうし、それが真実だ。


 被害妄想もなんのその。

 音楽ショップに並んだいろんなミュージシャンのポスターを横目に、いつものプレイリストをランダム再生する。アンプ直結のギラギラしたギターサウンドを背景に、男性ボーカルが世界の終わりについてハスキーボイスで歌っていた。

 八十年代後半のバンドが好きだと言いながら、わたしが好きなバンドのなかでは唯一九十年代で親の影響も受けていない、男性バンドの曲だった。

 まぁ、これにしたって、大学時代の友人に影響されたのだけれど。


 男性バンドの次は、女性ボーカルがダミ声で叫び始める。ギラついたギターサウンドといい、さっきの男性バンドと似た曲調なのがわかる。

 ただ聞こえてくる声は何を言ってるのかはっきりとしない。声としか言いようの声が、乱暴に何かを奏でている。

 そもそも歌詞がないのだ。この女性ボーカルの曲には。


 激しい曲調と存在しない歌詞、それがこの女性ボーカルの音楽的な特徴だった。


 わたしは視線を上げた。

 案の定、音楽ショップのポスターの列にお目当てはあった。

 いま聞いている女性ボーカルのポスター。

 モッズスーツの曲線から女性だというのはわかるけれど、仮面舞踏会に出てきそうなマスクをつけている。


 わたしと同じ、二十七歳。

 女性のシンガーソングライターなんて十代でミリオンを連発しないと生き残れない、という音楽業界において、二十代後半でのデビューなんて異色も異色だ。顔を隠しているのはそういう出自もあるのかもしれなかった。


 この女性ボーカルに興味を持ったのは、その前に聞いていた男性バンドとよく似ているからだ。つまり、その男性バンドを教えてくれた友人がいなければスルーしていたかもしれない、ということになる。

 この偶然に気付いた時点で、わたしはもっといろいろなことを勘ぐるべきだったんだろうけれど、それは結果論というものなんだろう。


 スキャットともハミングともファルセットともシャウトともつかない、けれども不思議と心地いいボーカルに身をゆだねていると、つんつん、と肩をつつかれた。


 イヤホンをはずし振り返れば、いい匂いがした。

 ゆるくウェーブのかかった長い茶髪に丸い印象のある体つき、顔だち。ベージュのニットワンピースは、秋、という感じがした。ビジネス的なキャラづけも含まれているんだろう。

 モッズスーツで体も細身なわたしとは正反対だった。


 ビアン風俗でこんなにかわいい、わたしとまったく接点のなさそうな子をデリバリーできるなんて。ろくでもない労働生活のなか数少ない清涼剤だ。


 ほんと、いい時代だ。


「何聞いてたんです?」

「エレップ・ハント」


 数えるのも面倒なくらい彼女を指名しているのにいまだ声が浮つて、苦笑しそうになった。


「変な名前だよね」


 と、すぐさまごまかす。


 実際、エレップElepハントHantとは苦笑ものだ。

 芸名なんて自由なんだろうけど、自身の信仰を隠そうともしない。

 そんな黒歴史をねじ伏せるくらい売れていることも、また事実だった。


「わたしも聞いてますよ、エレップ・ハント」

「そうなの? ヒカリさん、こういうの聞かないかと勝手に思ってた」


 彼女の源氏名を呼びながら、オーバーに驚いて見せる。

 ヒカリさんは丸い雰囲気にそぐわない天然めいたしぐさで首をかしげつつ、


「確かに、激しいのはあんまり聞かないですけど、この業界でも流行ってるんですよ。っていうか、この業界から流行ったっていうか?」

「そっか。エレップ・ハントって、同性愛公言してるもんね」

「だからちょっと応援してみようかな、って。ほら、テレビでオカマキャラの特集になると、メインゲストと知り合いのドラァグがたくさん共演したりするじゃないですか。あんな感じで。聞いてみたら案外しっくりきたんですよね。クラリスさんは違うんですか?」


 わたしのあだ名を、嬉しそうに呼んでくれる。

 当然これもビジネスの一環なんだろうけれど、さりげなく頷くのは大変だ。

 これが本名だったらもっと恥ずかしかったかもしれない。

 例の大学時代の友人がつけてくれた名前に感謝する。


「わたし、もともと激しい系をよく聞いてたから」

「へぇ、やっぱりそうなんですね」


 どちらからともなく歩きはじめ、お互い好きなミュージシャンについて話す。

 流れで音楽ショップもちらっと覗き、最近CD買わないね、と懐かしみながら何も買わなかった。


 予約していたイタリアンで早めの夕食と軽くワインも飲んでホテルに落ち着くと、


「クラリスさん、ごめんなさい。テレビ見てもいいですか?」

「いいよ。仕事のこと気にしなくていいから」


 風俗の常識からすれば、客をほっぽってテレビなんて言語道断なんだろうけれど、いまさら接客態度でどうこう言うほど、煤けた関係性でもないはずだ。


「何見るの?」


 ジャケットをハンガーにかけて、ヒカリさんの隣に腰掛ける。


「エレップ・ハントがテレビに出るんですよ」

「そんなに好きだったの?」

「へへへ、まぁ」


 秘密がばれてしまったときの恥ずかしそうな、いじらしいはにかみをヒカリさんは浮かべた。

 よほどエレップ・ハントが好きなんだろう。

 わざわざ夕食を早めたのも、エレップ・ハントを拝むためかもしれない。


 ふとこの表情が、記憶に引っかかる。

 わたしもよくこんな表情をしていた。

 自分の表情なんて見えないし、仮に見えたとしてもヒカリさんほどかわいくはないけれど、同じ類の表情ではあるはずだった。


 大学時代。

 あの男性バンドを教えてくれた友人に向けて。

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