第20話【LOVERS ONLY番外編Ⅺ】



スペイン絵画紀行へようこそ!後編2



翼に似た先史人類の遺した骨の破片。

それは発見された洞窟絵画より古い。

追った先で彼らが辿り着いたのは。


スペイン北西部カンタブリア地方。


湾に近い山間部の開けた場所にある、全長300mの三角錐状に隆起した大地。


山頂部にあたる付近には、壁画洞窟をや遺跡層を含有する。高さにより、異なる地層の洞窟の開口部が存在した。


アルタミラ洞窟発見以降。様々な壁画洞窟がスペイン北部にて発見された。


それらは現在、カスティージョ、ラパシュカ、ラス・モネーダス等の名称で呼ばれている。


カンタブリア巨大壁画洞窟群。

その年代は約14500年前とされる。


洞窟のギャラリーに足を踏み入れる。


それはアルタミラよりもさらに長く。洞窟の内部の形状もより複雑になる。

参道のように狭く何処までも続く。 


山岳地帯の頂き付近の気温は低い。

無論洞窟内部も地表より格段に低い。


足元の地面には、明らかに現代人のものではない太古のヒトの足跡。


散在する動物の骨。

骨器の埋まる地層。 

何れも希少な遺跡。


うかつに踏んではならない。

慎重に慎重を重ねて歩く。


失われた時は戻せない。


入口で出迎えるのはバッファロー。

アルタミラで馴染みのある姿。

そして猫科の動物と原牛。

猫科の動物は種別は不明。


「この絵描き!潜水艦の中でしこたまカンナビスでもキメ過ぎたか!?」


それは、地表に残された僅かな足跡、骨の欠片どころではなかった。


そこには確かにヒトがいた。

その存在の証明が目に飛び込む。


洞窟の天井に描かれたのは夜空の星?洞窟内に枝を繁らせた大樹の葉?


石壁に天井に赤色の顔料で描かれた。それは流星群のようにも見えた。


夥しい数の手。 


ヒトの手の陰画。

人類最古の壁画。

その原点は手形。


時が可視の中で退行する。 


描かれた絵は単純なものであるはず。

そんな結論に舫綱を結びたくなる。


人の知能の進化とはそうあるべき。

そんな学者の目論見を笑うのは。

太古の時より洞窟に吹く風。


誘われて進めば壁に書き殴られた✗。 

それが何を意味するのかわからない。


音素文字もなければ表音文字もない。ラテン語ギリシア語もアルファベッドも生まれてはいない。文字無き時代。


ドットのように小さな正方形や長方形。あらゆる幾何の集合と配列によって描かれた図画は集積回廊のよう。


それは幾何を集めた壁画曼荼羅だ。


古代文明の文化や芸術発達の萌芽。

EURO圏の遺跡が始まりとされる。


少なくとも永くそう考えられて来た。

この洞窟の発見以降それは覆された。

この時代から既に存在していたのだ。


ヒトには知性や豊かな感性があった。


誰も想像していなかったことだ。

しかしそれは間違いと証明された。


スペインの洞窟壁画を見て。  

こんな説を唱える学者もいる。


この時代に生きたヒト。


彼らにとって洞窟。そこにより集う、目的や理由は多種多様であった。


洞窟内の壁や天井に絵を描くこと、

それは必ずしも重要なことではなく、まして、それが目的ではなかった。


ヒトの集団の中に画家がいた。

ただそれだけだ。 


最初に発見されたアルタミラ。

このカンタブリアのカスティージョ。


そこに描かれた壁画のモチーフ。

そこに差異はないように見える。


彼らが狩猟の際に追いかけた。

その時に目にしていた動物たち。


しかし遺された洞窟壁画は皆一様に同じではない。年代により、技術の進歩があるとかないとか。それ以前に。


このように画風がまったく違うのだ。


この洞窟に描かれた壁画群。アルタミラのそれと比較すれば実に前衛的だ。


サイケで、シュールリアリスムで、抽象的。牧歌的でも素朴でもない。


寧ろモダンアートのように先鋭的。

現代人の目から見れば尚の事。

そんな思いが頭を過る。


スペインにほど近いフランスで、キュビズムから派生した抽象画やシュールリアリスム。その新しい絵画の波が起きたのは20世紀になってからだ。 


これらの時代の異なる洞窟壁画。


それは集団によって描かれたのではない。1人の人間によって描かれた。


ダ・ヴィンチやベラスケスのような、時代を牽引した天才的な画家たち。 彼らのような才能ある画家たち。

この年代には既に生まれていた。


そうでもなければ、これらの洞窟の壁画は、やはり古代人に描けたとは、到底思えない。描けるはずがない。

現代では学説の一つとして。

そのように考えられている。  


現在スペインで発見されている中で、最も年代が若い。ニオー壁画洞窟。


洞窟壁画が描かれた年代は13000年前。

アルタミラ壁画が描かれた年代より、300年後のヒトが描いた壁画が遺る。


フランスとスペインの国境線とピレネー山脈。その狭間にある。丘陵地帯の一画に、その洞窟の開口部はある。


人が1人漸く通れる狭い洞窟。 

地上から約900m。何もない。 

ただひたすら暗闇が続く。 


その洞窟の形状は楽器に似ている。

ただ無音の調を奏でる。


その洞窟は巨大な天然石の楽器だ。

天井から滴り落ちる水の音。

声を発せば残響が響く。 


無音と静寂の中で聞こえる。 


息遣い。


心音さえ聞こえそうな漆黒。

その中を進む。


きつい勾配が続く。 


上に向うのか?それとも下か? 

下りばかりなら生死も危うい。

その感覚も痺れて失われた頃。 

突然目の前に空間が広がる。


明かりを翳さなければ見えない。 

永久に広がる暗闇の中だ。

茫漠とした空間。


【黒の間】 


後の人にそう名付けられた。  


明かりを灯せば見晴らしのいい暗闇。地面から天井までの高さは約30m。


そこまで来て、ようやく人は自分たちが、丘陵の頂きを目指して登っていた事に気がつく。天井より上は天空。

 

そこは古代の人々の大聖堂。儀礼や治療に使用していたと思われる区域だ。


そこで見られる壁画はパイソン。


スペインの洞窟壁画では既にお馴染みのモチーフだ。しかしその壁画は、近年発見されたフランスのショーべ洞窟の線刻画のタッチが継承されている。


ショーべ洞窟に壁画が描かれた時代。それは約32000年前とされている。

ニオー洞窟の壁画は13000年前。


そしてそのパイソンの線刻画には、32000年前に描かれてから300年毎に、特に角や目の部位に新たに描き加えがされた形跡が遺されている。


後の異なる画家の手が加えられ。

少しづつ手が加えられ完成した。


「どうやら・・この画家さんは古典主義へ原点回帰したらしいぜ!」  


田崎彗ならそう言ったかもしれない。

人は何度違う時代に生まれても。

度々同じ場所へ立返りたがる。

ヒトの歴史もまた然りだ。  


パイソンの腹のあたりにある、まるで子供のいたずら描きのように描き加えられた線画。ヒトの下半身だ。


これは何を意味しているのか。


「カーネルサンダースのネクタイて、よく見ると手足に見えて来ないか?」

 

田崎彗ならきっとそう言うだろう。


スペインと国境を隔てた隣国のフランスでも、近年数多くの壁画洞窟が発見されている。壁画洞窟の明確な違い。


スペインの壁画洞窟の石種は石灰岩。フランスの壁画洞窟も同様に、石質は石灰岩だが、その多くは鍾乳洞だ。 


手法や顔料は似ても、そこに描いた自然のカンバスの形状が違っていた。 


そこにある鍾乳石は日本語では「つらら石」や「筍石」とも呼ばれる。  


厳密には、つらら石と鍾乳石は区別が違うと言われるが、素人にその差異はわからない。滴下する水で洞窟内に形成される体積層。つららのように天井から垂れ下がった大小様々な石。


概ねそのようなイメージを抱く。 


フランス領に足を踏み入れ、もしも、それらの壁画洞窟を目の当たりにすることが可能であれば。


例えばレ・トロワ・フレールの洞窟。

手を叩き声を出して反響のよい場所。

大勢の人がより集える空間。  


そこで鍾乳石のひとつに触れてみる。許されるなら手や石で一叩きすれば。

その音は洞窟内に反響して響き渡る。


そのような場所の壁を注意して見る。

そこにはやはり壁画が描かれている。

但しそれは人でも動物でもない。 


上半身は人で下半身は鹿の体の異形。半獣半神の姿が描かれている。 


猛々しい牡鹿の角の表現に比べて表情がない顔。それは鹿の仮面をつけているからだろうか。身に纏った衣から、祭祀や儀礼の際の姿を描いたものか。


別のエリアの半獣半神はパイソンだ。

こちらは弓状の鼻笛を手にしている。


つまりはこの音の反響に優れた空間では音楽が演奏されていた。その可能性は否定出来ない。世界で発見された、最も年代の古いとされる楽器。


それは40000年前ハゲワシやマンモスの牙を用いて作られた。


骨のフルート。


それらの楽器で鍾乳石を叩いてみる。

ガムランやタンドラムのような音。

深く優しい音色が響くはずだ。 


文字を持たないヒトが、声を上げて合わせれば、チベット密教の唱名や、ケチャや、ブルガリアンボイス。やがて教会の聖堂で歌われたゴスペルへ。 ヒトの進化の旅とともにあった。

そんな音たちと重なるはずだ。


人は幾度も生まれて死ぬ。


また生まれ変わるように生まれ。

似たような歴史を繰り返す。


絵画のギャラリーと音楽の融合。


それは時を経た19世紀末ウィーンで、オーケストラと共に華々しく催された。歓喜の歌。ベートーベンのサレ。

クリムトが自らの歴史に遺した。




それはシロエリハゲワシの翼の骨で作られた。さらにはマンモスの骨で作られた楽器。古代のフルート。


共にドイツ南部ホートフェルス洞窟にて発見された。フルートには5つの指穴が開けられ、送風口にはV字の切り込みが入り、楽器としてほぼ完全な形をしていた。直径はちょうど8ミリ。本来の長さは34センチであったとされる。


かつてヨーロッパに定住したとされる初期の現生人類。ホモサピエンスは、我々人類の遠い祖先だ。


その時代の世界各地には、ホモサピエンスの他にも、ホモエレクトスやホモパピリスという原生人類の種は多数存在した。同じホモなんとか・・霊長目の猿人である。


特にヨーロッパ大陸に於いては、ホモサピエンスの他にネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルター)が定住分布し、常に生存競争を繰り広げていた。


それらの原生人類たちの中にあって、人類の始祖であるホモサピエンスは、けして傑出した存在ではなかった。


知能や身体能力や俊敏性では、他のサビエンスより劣ってもいたとされる。


それは、発見された過去の化石の比較が、紛れも無い事実だと語っている。


それにも関わらず、人類はそれらの原生人類たちをこの地上から駆逐した。


生存競争に完全に勝利したのである。

そして後の文明を築き上げた。


現在までこの世界を支配するに至る。


「我々人類の祖先たちが他種よりも、嘘をつくことに長けた種族であった」


ある日人類の始祖に起きた。 

虚構を作り出す脳の進化。

弱者故の結束する習性。


『ヒトなる者。最初から、他者や敵を騙し、欺き、奪うことに長けていた。故に、この世界の先史人類となるための戦いに生き残ることが出来た』


まったく身も蓋もない学説である。


その説は有力なものとされている。猛々しい気質を持ち、他種族よりも、残虐であったのかもしれない。


一方で語られるのは洞窟に遺る音楽の痕跡である。ホモサピエンスはいち早く音楽を発見しその手段を獲得した。


ネアンデルタール人の文明遺跡から、楽器の類は未だ発見されていない。


かつては笛のような遺跡も出土した。

しかしそれは調査の結果「信憑性に乏しい紛い物」と判定された。


音楽は当時から「現代社会同様に、人にとって社会的結び付を深めるため、重要な道具だった」とする説がある。


2009年6月に発表された研究によると、4万年前のフルートこそが、その有力な証拠であるとされた。


ヨーロッパに分布し、生存の競争関係にあったネアンデルタール人。


彼らには音楽がなかった。

その差が明暗を分け。

絶滅した。


音楽は人の結束力を高め、鼓舞し、戦闘においても、遠方までの有効な連絡手段のツールとなったのではないか。


音を奏でることに長けていたホモサピエンス。彼らはネアンデルタール人に対して、戦略的により優位に立つことが可能となった。文化的脳の発達。


その音を聞いた人類を繁栄に導いた。

その一つが洞窟に遺る音楽の痕跡だ。

それもあくまでも一説に過ぎない。


「あまり真に受けないように」 


学者はそう注意喚起をするだろう。


ヒトと音楽との始まりの話。

それは数多ある洞窟の分岐。 

また別の回路に続く話だ。


時間を現代に戻せば。


今は、タップで過去の遺跡や絵画も、手元の操作で次々見ることが可能だ。


田崎彗は思うのである。 


「そもそも、なんでよりにもよって、そんなやたら狭っ苦しい洞窟を選んで、わざわざ絵なんて描いたのさ?」


なぜ人は洞窟に壁画を描いたのか。 なぜ人は壁画を描くの止めたのか。


仮説ならばいくつかある。 

ネットを検索すれば拾えた。  

情報は定額無料で浴び放題だ。 

そんな時代に彼は生きていた。


携帯端末やパソコンを利用しての世界の絵画を巡る旅を楽しむ。


彼ならずとも他の学生も皆そうだ。 田崎彗もそんな美大生の1人だった。


レポートの提出や講義の出席。

それは概ね相棒の榎本に任せきり。


課題の提出や、制作のとき以外。 

ほとんど大学には姿を見せない。


そんなずぼらな友人の様子を見かねた、榎本が自からかって出たことだ。


この二人の関係にしても密林の植物と生き物の共生関係のようで謎だった。


液晶画面の壁画を眺めて思う。

明確な解答などあろうはずがない。

様々な絵画に触れる度に思うことだ。


ネット検索しながら田崎彗は思った。


答えは死せる絵描きに聞くしかない。心にもやもやした気持ちが残る。


今すぐ荷物をまとめて旅に出れたら。それには財布の中身が心許ない。 

腰を据え絵を描く時間も必要だ。  


ならば答えは画家に聞けばいい。 

自分の内なる画家ってやつに。 


もしも絵描きが自分の心に住むなら。

絵を描いた絵描きの心と話が出来る。

彼は子供のようにそう信じていた。 


生きてる間に本物の絵描きが描いた、本物の絵画たちに出会いたい。 


絵に描かれた人の声を聞いてみたい。


「そしたら大いなる太古の壁画の謎だってきっと、すぐに解けるはずだ」


田崎彗の身分証明。通っている美大の学生証。高校を卒業する時に集団で取らされた運転免許。あとは保険証。


大学内ではその画才を認められ。

一目置かれる有名人だった。


しかしそれ以外は学生に過ぎない。

他の美大生と何ら変らない生活。


美大の授業料は医大に次いで高額だ。

殆どの美大生は課題の制作に追われ、画材の購入のためのバイトに明けては暮れる。自分の時間を費やしている。


元々裕福な家庭の生徒。

大半のそうでない学生。


着ている洋服を見ればすぐにわかる。美大生は特にそうだ 


それでも、都内近郊で見たい美術展があれば。電車を乗り継いで観に行く。


飛行機や新幹線を利用しなければ行けない場所。そこまではなかなか手が届かない。旅費も工面出来ない。

 

「画集でも充分だぜ」 


そんな風に言う先輩もいる。


それも集めると中々高額だ。  

いいものは次々欲しくなる。 

現在過去未来。 

 

名画はこの世に溢れている

 

神保町辺りの古書店を巡れば。 

比較的安く手に入る。


それでも、古書の匂いと、絵具やワニスの匂いはまるで違うものだ。


一瞬錯覚して満足しそうにもなるが。


印刷された絵画は凹凸がない。

陰影も感じることは出来ない。


それでも、ありがたいことに凸版印刷の頃の物と比較すれば、現在の印刷技術は飛躍的に進歩した。


それこそ、家で市販のプリンターがあれば、かなり精巧な偽札でも作れる。紙質を除けばそれも可能な時代だ。


色合い大切。ほぼ原画に忠実なものが見ることが出来る。それらの画集は、何れも新刊で。何れも高額だった。


彗の実家には、手に負えない息子を外国の牧場に預けるくらいの蓄えがあり。父には社会的な地位があって。 

母にはユーモアがあったのだろう。


「仕送りは受けてないな」


そんな言葉を級友の榎本に話していた。見た目のなりや髪色から「夜な夜なホストクラブで働いてる」「銀座を歩いてたらすごい金持ってそうな婆さんと高級寿司店から出て来た」


そんな噂も流れた。


それでも彗は他の学生から尊敬されていた。彼らの世界では実力に勝るものはない。それほど、彗の描く絵画は、全国から集まった猛者揃いの学生でも唸らせた。圧倒的であったからだ。


帰国子女で、大学に入る前には、親に送り込まれたオートラリアの牧場で、羊飼いをさせられていた青年。


口笛は得意中の得意だと嘯く。


嘘か真か妄想か。そんなことを平気で吹聴する。信用ならない男。


ただ、彗には羊飼いや群れからはみだした黒羊よりも、狼の風情があった。


誰にも媚びて阿ることはなく。 

傍若無人なその言動振る舞い。

それは自然と人目を惹いた。


彗の描く絵は同様に人を惹きつけた。魅了する力と生命が宿っていた。

そんな田崎に変化が起きた。


他人から常に耳目を集める存在であるが故。彼の変容には日頃言葉も交わさぬ周囲の人間でもすぐに気がついた。


作品や課題を提出すれば、常に注目、称賛、論議の的となる。


口を開けば、たとえ教授であろうが、誰であろうと、暴言とも取れる言葉を口にして、周囲を慌てさせる。


田崎彗はそんな男だったはずだ。


「田崎が出席している講義は面白い」

「卒論か一つ書けるぐらい興味深い」


もはや都市伝説めいた噂だった。  


実際に、その講義を聴講した学生に訊ねてみると「その通りだったよ!」と言う返答が返って来る。


それは、通常の大学のカリキュラムにはないものばかりだった。外部から招待されあ教授や画家たちの特別講義。


ジャンルも一貫性がなくランダム。

急に決まって知らぬ間に去っていた。

そんな印象を学生たちに与えた。


そこに田崎彗はよく顔を出していた。


ただ単に、面白そうなものばかりを見つけたり、嗅ぎ分けることに長けたセンスがあると言えば、それまでだ。

それもやっかみの対象となり得る。 


他愛ない噂が学生たちの間で流れた。噂とは常に他愛ないものだが。 


とうの噂の主はどこ吹く風だった。 


季節はもう秋の気配。

10月をとうに過ぎていた。


課題の提出学祭の準備に追われる。

美術大学のキャンパス。


近年では、クリスマス以上に美大生の心を芯から熱く燃やす。10月31日。


ハロウィンの日が間近に迫っていた。


ロータリーの隅にあるイチイの木。

その毒葉を首尾よくせしめた。

マクベスの3人の魔女。


カルドンの大鍋を抱えた娘たち。

楽しげに目の前を通り過ぎる。


それを横目に眺めながら立ち話をする。ボスの快楽の園の住人。


鳥の嘴、頭に鉄鍋の王冠を戴冠した、通称・・悪魔の王子。


阿修羅のように頭に顔を貼り付けた、ノルデの生者の仮面の男。


肩に担いだ橋台から飛び出したのは、ベツレヘムの嬰児虐殺君だろうか。


その中でルドンのキュクプロクスは、一番小柄で華奢な体をしていた。


「この間のあの講義さあ・・面白かったけど、うちの大学にしては、ちょっと攻め過ぎてやしないか?」


「それよ!それ!俺も思った・・普通あれは、やらないよな・・うん!美大の講義ではないな!ないわ!」


「学長に岩倉教授の肝いりがあって、呼んだとか・・呼ばないとか・・」


「岩倉教授が!?あんな現代アートの画家とか否定しまくってたじゃん!」


「俺、廊下でその画家のことを話してる田崎彗と教授見かけたんだけどね!」


「そう言えば最近の特別講義みたいなのって・・あいつ出席率高いよな!」


「まさかの、おねだりとか?」


「えーそんなの通るのかよ!?」


「まあなんせお気に入りだからな!」


「いままでのツンを翻したか!」


「翻しての見返りはなんだ?」  


「やっぱ・・けつ?」  


「やっぱ尻って・・気持ち悪!」  


「おねだり通す代わりに尻を・・」 

「やめろって!身震いするわ!」


「お稚児さんだからなあ」  


「じいさん教授といい仲かよ!」 

「おい・・笑かすなって!」 

「神童君のメッキ剥がれたな!」


『誰があ』


『へ?誰がって・・決まって・・』


思わず声のした方に振り向いた。


「誰が!じーさんばっかの!いーなかもんだべ!!!」


下品な噂話。声を上げて笑う学生の1人。その肩を掴んだのは榎本だった。

 

獅子舞みたいなメンチきる。


「あ?厚木なめんなよ!くら!?」


「げ・・榎本!」


普段からヤンキーのコスプレをしている男。西洋絵画学科の榎本だった。 いや・・このバカは本職だ。 


ハロウィン真近な美大のキャンパス。


絵画の世界から飛び出した。

怪異の姿をした者たち。

彼らは思わず身を竦め。

怯えて互いに身を寄せ。

榎本の顔を恐恐見た。


憤怒に燃える顔がそこにあった。 


「竹馬の友と書いて幼なじみ・・知己の友と書いて・・唯一無二の親友!親友と書いて・・ダチと読むべ!」


『つ・・つまりなんだってんだよ?』


「俺のダチを悪く言うやつは」 


枯葉を踏む微かな音が聞こえた。



「殺す」



スペイン絵画気候3最終話に続きます





【次回予告】


「憤怒の仮面ここにありだべ!」


「次回!待望の榎本主役回!不肖この榎本薫!次回に向けて!ただいま絶賛アイドリング中!ガルルル・・あれ?相棒?田崎君の姿が見えないべ!おおい田崎!?ヤッホー!!!」


『やっほ』


「あれれ?木霊は返れど・・姿が見えねえべ!?そもそも大学のキャンパスで木霊が返るってどういうことだべ!?」


『榎本君・・こっちだよ!』


「あ!田崎!?なんでキャンパスのイチイの木にコスプレしてるべ!?そもそもこの大学にイチイの木なんてねえべ!葉っぱには毒があるべ!」


『実の種にも毒があるんだよ』 


『はっ!?わかったべ!前前話からの後書きギリシア神話路線だべ!?さてはまた森の木霊エコーの話だべか?』


「ぶぶー!今回の僕は、学芸会の木みたいなものさ!」


「学芸会って・・劇の書割みたいな?」


「そうそうそう!頭いいね〜今回の僕は最後は本編に登場しないだろ?」 


「確かに俺と悪者だけだべ!」


『悪者って・・』


「だから、そこにいないはずの僕が、後書きにノコノコ現れて、君と予告なんてしたら、なんか変じゃね?」


「確かに!次回のネタバレにもなりかねえべ!」


「次話は大事な大事なスペイン編の最終話!恐らく君が締める主役回だ!」


「光栄だべ!感謝の極み!恐悦至極!粛々と務めさせて頂くべ!」


「だから・・僕はいちモブの木として、親友の一世一代の晴れ舞台を、こうして密かに見守っていたのさ!」


「田崎ィ・・お前という男は・・もう!これ以上は言葉にならねえ!!!(男泣)」


『きゃあ!?田崎君だ!なにしてるの!?』


「えっと・・木とか」


『ハロウィンのコスプレ?超かわいいじゃん!?この枝ぶりとか素敵!みんなー来て!こっちに彗君がいるよ!』


『先輩!サインして下さい!』  『ハグして下さい!』 

『あなたの木陰で一時だけでも休ませて下さい!』


「いいよ・・僕の禁断の果実食べてみる?」


『きゃああああ!!!』


「なんだべ!?あいつモブとか言いながら!めっちゃ目立ってモテモテだべ!」


『ヒソヒソヒソ』


「俺もいっそ!この噂好きのやつらの仲間に加わって・・はっ!それはいけないべ!次回の主役がそんなことでは!ぺし!ぺし!ぺし!自分にケジメ!ペし!ケジメの往復ビンタだぺし!これでもくらうだべ!自分」


『はっはっは!ベイビーたちは知ってる?アダムとイブが食べたっていう、あの楽園の果実はね・・本当はリンゴじゃないんだよねえ』


「あの野郎!?それは!現在休止中のステップガールのネタバレだべ!止めろ!それ以上しゃべるなあ!!!」


『いいじゃん!どうせ連載してないんだしさ!これがナローとかなら『この作品は一ヶ月以上更新されておりません。今後も更新されない可能性があります』・・とかなんとか貼り紙っちゃうかもしれないよ!失礼な話だよね!皆さん書く気まんまんだつーの!』


「この作者の作品は現在ナロー様でも絶賛連載・・」  


「されてない!」

「なら悪口だべ!」


『さて!次回はスペイン編の最終話です』


「ねえねえ田崎っち!今年のハロウィンはコスプレはなにがいいべか?」


「幽白の桑原」


「まさかのヤンキー!しかも古っ!?」 


「男塾のモブ」 


「なんでヤンキーにヤンキーの上書きするべ!しかも・・モブって!?」


『だって今時ヤンキー漫画とかないし〜厚木にしかいない絶滅種だし〜』


「キサマ・・材木の分際で!!!」 


『では!また次回!』 


「乞う御期待下さいたべ!」 


『ちっちっちっ!榎本君・・乞う御期待の「乞う」ってさ!「食べ物を乞う」とか「神の教えを乞う」って言う意味なのよ!』


「あ・・そうけ?」


『つまり「乞う」って言った時点で、実は土下座級にへりくだった、とても丁寧な言い方なわけよ!だから「乞う」の後に「御期待!」はいいけど・・下さいはむしろ余計なのよね〜』


「そうだったべか・・これは勉強になったべ!では「乞う御期待!」・・ちょっとやっぱ生意気に聞こえるべ!」


『じゃ無理せず普通で!』

「だべ!」


『次回も読んで下さーい(ºдº)!!』 

「期待して下さーい( º дº)!!!」


お読み頂きありがとうございます(◡ ω ◡)🍀六葉翼 ⚡キエェェ( º дº( º дº)キェェエ⚡⬅荒ぶる先祖返り


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