第49話 余興の報酬



「き、貴様ぁ、ここをどんな場所だと……ぐごぇ!」


「だから、言ってるだろ。平然と破られている掟に、なんで俺が律儀に従わなくちゃならないんだ?」


 言いながら自然と、天狗の首を掴む腕に力がこもる。畳から僅かに浮いた天狗の足が、バタバタと踠きながら、俺の横腹を蹴り付けてくるが……召喚融合がない状態でも、シィルスティングの所有者にもたらされる常発能力だけで、十分に防ぎ切れる。


 うん。大したことないなこいつ。シィルスティング換算で、四つ星レベルってところか。


 スルリ……と、俺の袖口から、白蛇状態の蛇貴妃が頭を出す。クワッと開けた口が、今にも天狗の顔を飲み込まんばかりに、巨大化して大きく広がった。


「食べテいいのカ?」


「ひ、ひぃぃ!?」


 冷酷な蛇貴妃の声を聞いた天狗が、どうにか逃れようと暴れまくる。だがどれだけ蹴ろうが踠こうが、俺の身体は同じ体勢を維持したまま、ビクともしなかった。


 さて……どうしてくれようか。さすがにこの場で蛇貴妃に喰わせるのは、まずかろうが……。と、


「だ、ダメだよシュウ君! ここでは喧嘩しちゃいけないんだよ!?」


 遥華が泣きそうな顔で、俺の服の裾をギュッと掴んだ。


 いやー。だって先にルールを破ったのはこいつだもん。そこだけは絶対に譲らねぇ。


 ガヤガヤと宴が騒がしくなる。


「今度の創造主殿は、中々に血の気が多いようだ」


「まこと。これは素戔嗚尊様とも、気が合うかも知れませんなぁ」


「いやいや、見たところあの乙女を助けるため、見せた漢気でしょう。むしろ、好ましくある」


 神々からの俺に対する、勝手な批評が飛び交った。


「召喚術を使えるとありましたが、見たところ使用してはおらぬようですな」


「ふむ。やはり異世界の創造主の例に違わず、戦う力は相当のようだ」


「あれはどこの天狗殿ですかな? 少々、嘆かわし過ぎはしませぬか?」


「いやいや、赤胴殿は剛の者ですぞ。要は理道殿が、それだけ格上ということでしょう」


 あくまで自分達は蚊帳の外という認識だからか、口々に好き勝手なことを言っている。


 と、そのうちの一柱が、不意に気になることを言った。


「しかし赤胴殿は、当たりを引きましたなぁ。これで理道殿と、懇意にできる理由ができた」


 ん? いやいや……するわけないだろ、こんなスケベ親父と。気に入らない奴とは、とことん距離を置くよ、俺わ。


 思っていたら、さらに続けて、


「出演料はどれだけ貰うのでしょうな。口から泡を吹いて、失神しかけているではありませぬか」


 ……うん。出演料とな?


 ええーっと……どゆこと?


 天狗の顔を睨みつけながらも首を傾げていると、俺の左右からスッと伸びてきた、関野さんとタツネさんの手が、天狗を掴み上げた俺の腕に、そっと添えられた。


「理道殿。この辺で」


「ごめんなさいね秀一君。これも、新人のしきたりというものなのよ」申し訳なさそうに、目を細めて微笑する。


 あー……うん。なるほど。そういうことですか。


 ようやく事態が飲み込めて、パッと指を広げた。ドサっと畳の上に落ちた天狗が、ゲホゲホと激しく咳き込む。


「がはっ…すっかり酔いが覚めてしもうたわ。何という馬鹿力よ」胡座をかいて喉をさすりながら、涙目でこちらを見上げる。


 玄徳がアタフタとした足取りで、俺と天狗の間に立つと、チラリと俺を見て軽く頭を下げたあと、両手を広げて居並ぶ神々の方を振り向いた。


「今宵の余興は、ここまでに御座います。皆様どうぞ、拍手にてお称えください!」


 その挨拶を皮切りに、神々の間からドッと笑い声が上がり、パチパチと惜しみない拍手が広がっていった。


「悪趣味な……」


 蟹の脚をぽきんと折って、中身をちゅうちゅうと吸っていたウィラルヴァが、ポツリとつぶやく。


 そうですね。わたくしもそう思います。


「どういうことですか、玄様?」


 未だ状況が飲み込めないといった感じで、遥華が呆然とした顔を玄徳に向ける。


 おや。遥華には知らされていなかったってことか。まぁ、それはそれで、確実なリアリティを出せるやり方ではあるだろうが。


 あんまり感心はしないけど。


 玄徳は先ほどまでの悪代官だか越後屋だかの雰囲気とは違い、人が変わったように、ニコリと人好きされそうな印象の笑顔を浮かべた。


 ああ、なるほど。確かにこの笑顔ならすごく好感が持てる。マジに丸っ切り演技だったってことね。


「ごめんよハル。宴を初めて手伝ってくれた君は知らないだろうけど、今日みたいに新しく、注目される神が加わったときには、それがどんな神なのか知ってもらうため、余興が催されるのがしきたりなんだ。

 理道殿にも……まずは謝罪させていただきます。ハルの身体を神々に好きにさせようなど、わたくしどもは一切、考えておりませぬ。平に、ご容赦を。

 しかし……そちらのウィラルヴァ殿には、何もかもを見透かされていたご様子ですが」と、懐から取り出した手拭いで、額の汗を拭った。


 なにをーっ!?


 ホジホジと蟹の手の中に、爪楊枝を突っ込むウィラルヴァを睨む。


「気づいてたのなら教えろよ!? お前ってちょいちょい、そういうふしあるよな。自分だけ知ってればいいみたいな?」


「ふん。お前の目が飾り物なだけだ。タツネなど演技し損ねて、顔を背けてクスクス笑っておったわ」


「あら、バレていましたか」と、タツネさんが悪戯っぽく、ペロッと舌を出した。


「私の演技は完璧でしたでしょう」ドヤ顔の関野さん。


 玄徳がハハハと苦笑して頭を掻きながら、


「無茶振りされて、焦りましたぞ。本気で関係を切られてしまいそうだと。

 どうにも私は、演技に疎い。途中何度か、発言するべきタイミングがありましたが、何も言えずに無言で流してしまいましたわい」


 和気藹々と会話をする。


「私ハ引っ込んデ良さそうダな」


 蛇貴妃がスルスルと、俺の袖の中に引っ込んでいった。その途中でチラリと、おそらくは上座に当たるのであろう、天照大御神らのいる席の方へと視線を向ける。


 ああ、そっか。あの暗いカーテンの席は、蛇貴妃の名付け親でもある、月読尊って神様がいるんだっけ。あとで挨拶の一つでも許されればいいけど。


 なんて思っていたとき、


「理道殿。拙者は赤胴と申す天狗神じゃ。ちなみに聞いておきたいのじゃが……あのまま続けていれば、拙者はどうなりましたかな?」


 ようやく復活したらしいスケベ天狗が、近づいて握手を求めてきた。


 どうって……いや、なんも考えてなかったけど。少なくとも蛇貴妃に喰わせることだけは、なかったと思うが。


「あの程度の怒り具合では精々、首を千切られる程度で済んでおっただろう。本気で怒ったシュウイチを一度だけ見たことがあるが……思い出すだけで寒気がするわ」腕を抱いてわざとらしくブルブルと身震いをしてみせる。


 またそんな、人聞きの悪いことを。まぁ確かに、身に覚えがないってわけじゃないけども。


「く、首を千切られる程度って、十分に死んでしまう気が……ご、ごほん。とにかく、理道殿。ここではできる話が限られてしまいます故、正式なご挨拶は後日、改めてということで。

 玄徳殿、これだけ身体を張ったのだ。報酬の方、期待しておりますぞ」


「それはもう、キッチリと」


 玄徳が深々と頭を下げたのを見て、スケベ天狗は満足そうに頷き、自分の席へと戻っていった。


「さて、それではどうぞみなさま、各々が席へ」玄徳が促し、関野さんらとそれぞれの席へと戻る。


「あの……玄様、私はどうすれば」と、遥華が自分の行き場を失って、オロオロした顔で玄徳の袖を掴んだ。


「ああ、そうだったね。とりあえず、隣に座ってもらえるかな」俺の禅の前で、畳の上に直に座った玄徳が、ニコリと微笑み、自分の隣をポンポンと叩いた。


 遥華が俺と、特にウィラルヴァの機嫌を伺うような顔つきを見せながら、おずおずと玄徳の隣に正座する。


 それを見て玄徳は、やおら真面目な顔つきで、こちらに向き直り、


「理道殿。わたくしどもとしましては、今回の余興に付き合っていただいたお礼を、理道殿にも渡さねばならないのですが……」


 そんな玄徳の言葉を遮るようにしてウィラルヴァが、サザエの中身を取り出すのに四苦八苦しながら、


「金でいい。金にしろ。余計なものは受け取らぬ」


 シュポンと綺麗にサザエの中身を取り出せて、ぱぁぁと輝いた笑顔を浮かべる。


 ……苦いぞそれ。ちゃんと食べれるんだろうな?


 玄徳はそんなウィラルヴァに、アハハと苦笑いを返し、再び俺に向けて、至極真面目な顔つきで向き直り、


「理道殿。もし宜しければ、今回のお礼代わりに……こちらのハルを、引き取ってはもらえないかと考えているのですよ」


「「へ?」」遥華と同時に、素っ頓狂な声を上げる。


 引き取る? え、何? 賞品なの遥華?


 いやいやいやいや、人間が賞品とか、そんな滅茶苦茶な話があるかい!


「げ、玄様? いきなり何を言っているのですか!?」


「おや、嫌なのかい、ハル?」


 問われた遥華の頬が、ボッと赤く染まった。


「い、嫌かどうかと聞かれれば、嫌ではありませんけど。

 で、でも、シュウ君の方の事情もありますし……」怖々とウィラルヴァを見やる。


「貰っておいたらいいじゃない。色々と情報を得られるわ。なんなら私の家で預かりましょうか?」気を利かせたのか、シズカがそう提案してくれた。


 いやー、シズカの家が結構なお金持ちで、部屋も余っているだろうことは分かるけども。


 一番の問題は、さっきから無言のまま、隣に座っていらっしゃるお方のことで……。


 チラリと横を見ると、ウィラルヴァは苦虫を噛み潰したような、怒ったような苦しいような顔で、ジッと手元のサザエの殻を凝視して……


 ああ、サザエ食べたのね。苦いでしょソレ。そりゃそんな顔にもなるわな。


「わ、わひゃふぃわふふぇいひぇ……!」


 ええい! 口に物を入れたまましゃべるなぃ!


 ほら、もう我慢せず出しちゃいな、全く……。


 お椀の蓋を口元に持っていくと、ズビョっと、咀嚼されたグログロのサザエが、ウィラルヴァの口から飛び出した。


 うわ〜。きっちゃないなぁもう……。


 軽い頭痛を感じながら、お椀の蓋をそっとお膳の下に隠して、爪楊枝で刺した黒豆をウィラルヴァの口に突っ込んでやる。


「相変わらず優しいのね、シュウ君」遥華が着物の袖で口元を隠しながら、クスクスと笑った。


 そりゃどうも……。おかげさまでお子ちゃまの扱いだけは、すっかり手馴れちゃいましたよ。


 ウィラルヴァが口をモゴモゴさせながら、キッと遥華を睨んだ。


「私は受け入れぬぞ。そんなのが近くにおれば、こっちの情報が全て、筒抜けになってしまうわ」


 うん? 筒抜け? そりゃまたどういう意味だ?


 意味が分からず首を傾げていたら、訝しげに眉間にしわを寄せた玄徳が、


「何か勘違いをされておりませんか、ウィラルヴァ殿? このハルは、正真正銘に、ただの人間。どこの神の加護下にある者では御座いませんし、どこと内通している者でも御座いません」


「そんなことは分かっておる。なんの力もない、か弱き人間でしかないということはな。……それが、なおさら腹が立つ」言って、ツーンとそっぽを向く。


 うーん。めっちゃ不機嫌だね。どうしたものかなぁこれは。


 遥華を見ると、お淑やかに正座をしたまま、どこか落ち込んだように、両手の添えられた膝元を見つめてうつむいていた。


 うーむ。……そういえば遥華、夢の中で、玄徳のところを出るわけにはいかないとか何とか、言ってたような気がするが……それもどういう意味なのだろうか。


 何はともあれ、その辺りのことも、例の湖畔の街で起こったことも、なぜ俺の記憶を封印しなければならなかったのかということも、遥華がいれば全部、知ることができるのは間違いない。


 さすがにこの場で聞くわけにもいかないものなぁ。壁に耳あり障子に目ありなんてレベルじゃない。


「……なぁウィラルヴァ。遥華が気に入らないってのは分かるけど、シズカの言うとおり、新しい情報が得られるってのは間違いないだろ? シズカに面倒を見てもらえば、そんなにしょっちゅう、俺と顔を合わせるってわけでもないし……」


「ほう? 私の目が届かぬのをいいことに、陰でこそこそ動き回って、知らないうちに新しい女が聖域に紛れ込んでいるなど、今まで一度たりとてなかったものなぁ? ティアルスとかルーテとか、ナンナとかベルメーナとかライラとか、あとは……」


 ええい、矢継ぎ早に女の名前を連呼するんじゃありません! 盗み聞きしてる神様達が失笑してるから! 全部、味方になってくれて一緒に戦ってくれた、仲間でしょうが! 関係を持ったことなんて一度もないぞ!?


「あー、やっぱりそういうタイプなのね。ありがちだわ」とシズカ。


 そりゃどういう意味だよオイ?


 クワァーっと片目を見開き、ヤンキー顔でシズカにガンを飛ばしていると、関野さんが、


「まぁまぁ、落ち着いて。

 なんでしたら、うちで面倒を見ても構いませんよ。うちだったら会社の寮もありますし、仕事だっていくらでもあります。

 玄徳殿のところにお世話になっていたということは、どこぞの神だか何だか、厄介な輩に目をつけられてしまい、玄徳殿に庇護してもらっていたというところでしょう。

 ですが今回の件での、お礼として譲り渡されたという扱いであれば、彼女を狙う何者かがいたとしても、簡単に手を出すことはできなくなってしまいます。相手が我々だ、というのも一つ、大きな理由ですがね。

 ……そういう狙いなのでしょう、玄徳殿?」


 玄徳が面食らったように愛想笑いを浮かべ、取り出した手拭いで頬に流れる汗を拭った。


「いや、参りました。関野殿には、なんでも見通されてしまいますな」


「この程度の洞察もできなければ、神と人間、二つの世界で成功するなどできませんよ」


 わざとらしく自慢げな口調で言ってみせて、関野さんが正座した膝先を、ウィラルヴァに向けて座り直した。


「どうでしょう、ウィラルヴァ殿。ここは一旦、彼女を引き取ることに致しませんか?

 貴女にも色々と、危惧することはおありでしょうが……この関野、人を見る目は持っているつもりで御座います」


 言って、意味ありげな目つきでウィラルヴァを見据える。


 ウィラルヴァは何かを確認するかのように、しばらく関野さんと視線を合わせていたが、ややあって、


「分かった。そこまでいうのならば、任せよう」仕方なさそうに、小さく息を吐いた。


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