第14話 共同経営を持ちかけられました


「それはまた生々しい夢だねぇ」


 バイト終わりに、傾いてゆく陽光を西の空から浴びながら、休憩所のベンチに腰掛け、店長と雑談する。


 昨夜見た夢の話だ。なんとなく切り出した話題だったけれど、朝からずっと、誰にも言えずに頭の中に引っかかっていた事柄ではあった。


 というか、こんなことを話せる相手が、今の俺には店長くらいしかいない。


 この世界に帰って来てからこちら、昨夜にも、昔ながらの友達から電話が来たりしているのだが、そういうときには例外なく、隣でウィラルヴァが、思いっ切り耳ダンボにして聞き耳を立てていた。


 そんな状態で、昔の彼女のことなんか、話題にできるわけがない。それでなくとも、広く浅い付き合いの多かった俺には、俺にとって久し振りの連絡があった友達にも、どう接して良いのか距離感を思い出せなかったのだから。


 従って、こっちに帰って来てから、未だに一人の友達とも顔を合わせていなかった。


「ずーっと、顔を思い出すこともなかった相手ですよ」


 苦笑すると、店長は妙に年上のお兄さんぽい顔つきで、ニコリと微笑んだ。


「夢っていうのは、人の深層心理だからね。今まで思い出しもしなかった相手が、夢に出て来たってことは、それを気にするほどの大きな変化が、理道君に訪れた、ってことになるかな」


 突然の夢診断だが、店長ならそれくらいの知識があって不思議じゃない。


「大きな変化、ですか。初体験の記憶を思い出すって、どんな変化があったって言……」


 言いながら、ふと気づいた。


 初体験…ね。そういうことか。と、妙に納得できた気分になる。


 もしかしたら俺は、自分で思っている以上に、ウィラルヴァとそういう関係になるってことを、意識しているのかも知れない。


 とはいえ、その延長線上にあるものを考えると、無責任にその一歩を踏み出すことも、憚られることでもあるのだが。


 そもそもが、人間である俺と、竜神であるウィラルヴァの間に、子供ができるかというのも、定かではない。それでも俺とウィラルヴァにとっては、あの世界に生きる神族や人間達、生きとし生ける全ての生命が、我が子も同然の存在であり、ただ一人の、特別な子供ができることが、果たして正しいことなのかどうか……これは、俺とウィラルヴァにとっては、すごく繊細な問題なのだ。


 俺の顔を見て察するものがあったのか、店長はそれ以上、その話題に触れてくることはなかった。手にした缶コーヒーをグイッと飲み干し、コトンとゴミ箱に入れると、


「そうそう、昨夜、僕の分の報酬を貰ったでしょ? あれで、車のタイヤを新しくしたんだ。もうだいぶ擦り切れてたからさ。あとカーナビも注文した。これで、更に貢献できるようになるよ」自分の車の止めてある、店の裏手の方に顔を向けながら言った。


 店長には今後も、運転手兼アドバイザーという形で、仕事を手伝ってもらうことになった。


 昨夜シズカと虎男も交えて、五人でご飯を食べに行ったときに、話し合ったことだ。その席では、意外なことに店長と虎男が、ひどく馬が合い、居酒屋の一席で仲良く肩を組んで盛り上がっていた。


 そのときに、当面のガソリン代も込みでということで、まとめて十万を渡したのだが、タイヤ交換にカーナビって……下手したらそれだけで、軽く十万以上かかっちゃうと思うんですが。


「思い切ったことしましたね。結構な出費だったでしょ」


「まぁね。でも実際、仕事に役立ちそうだからっていう理由だけじゃなく、欲しかったものでもあるから、後悔はしてないよ」あっけらかんとして笑う。

「今回の報酬って、百万だったんでしょ? これから先は、どれくらいのものになりそうなの?」


「実際に受けてみないと、分からないってのはあります。ただ、こないだ受けた仕事は、成功報酬で十万ほどだったみたいですよ」


 その仕事というのは、シズカとセブラスと出会った、あのトンネルの悪霊を退治するというものだ。


 仕事の内容的には、それほど難しい部類には入らないのだと思う。おそらく最低限でも、あのくらいのランクの仕事が回ってくることになるだろう。


 俺達の担当になった神崎さんが言っていたが、その割合は、S級の場合、月に二、三回くらいになるらしい。要望があればもっと増やすことも可能らしいが、断罪者の仕事は、何も本部から割り振られるものが全てではない。


 あのサイトに辿り着いた、何かしらの問題を抱えた人間から、直接依頼が届くこともあるのだ。そっちの料金は自由に設定して構わないと言っていたが……困っている人から、大金をふんだくるというのも気が引ける。


 まぁウィラルヴァなら、そんなの関係なく、搾り取れるだけ搾り取ってしまいそうだが。


「いずれは、このコンビニのバイトを続けるかどうかも、考えていかなきゃいけないだろうね。理道君はどう考えてるの?」と店長が、いかにも管理職らしい、現実的な質問をした。


「どう、と言われても……。まぁ確かに、バイトの空いた時間だけじゃ、間に合わなくなっていく可能性はありますけど」


 というか、店長がシフト調節をして、頻繁にシフトを代わってもらうのも、他のバイトのみんなに迷惑をかけ続けることになる。


 そうなると……断罪者としての仕事が軌道に乗って、食っていけるだけの稼ぎを確保できるようになれば、コンビニのバイトを辞めるという選択肢も、出て来ることになるだろう。


 それはそれで、ちょっと寂しいけどね。まぁ俺はともかく、ウィラルヴァからしたら万々歳だろうけれど。


「実はね、ちょっと考えてることがあるんだ」と店長が、ピンと人差し指を立てて、ニヤリと口の端を上げた。「もう随分前から考えてたんだけど……実は、起業しようと思っててね。これまでにも、休みの日に知り合いの土建屋でバイトしたりして、コツコツ資金を貯めてたんだよ」真面目な顔で腕組みし、人生設計を語り始めた。


「そうなんですか。一体いつから」


 店長とは五年ほどの付き合いになるが、完全に初耳の話だ。とはいえ、俺が向こうの世界に転移する前は、こんなふうに、親身に話をすることなんて、ほとんどなかったのだけれど。


「もう十年以上になる。理道君がうちで働くようになる、もっと前からだよ。今のところ、三百万くらいは貯まってる。

 それでね、自分の店を持ちたいんだよ。雇われのコンビニ店長ではなくて、オカルト系の品や、パワーストーンなどのスピリチュアルグッズとかを扱う、雑貨屋のような店をやろうと思ってて」


 開業には一千万ほどは必要な見込みでいたのだが、改装費用を抑えることができれば、もう一、二百万もあれば、十分に開業まで持っていけるんだそうだ。


 ネットのオカルト仲間には、そういうことに詳しい友達もいて、やろうと思えば百万も開業資金があれば、雑貨屋くらいなら開業できると言われたらしい。


 まぁ、やりたいのはオカルトやスピリチュアル系の店であり、どうしても仕入れのために資金が必要になるからと、これまで思い切って実行に移すことはできなかったという。


 そこにきて、降って湧いたかのような、絶好のタイミングが訪れた、というわけだ。


「理道君も、隠れ蓑としての仕事が必要でしょ? 赤の他人に対しては、神坂探偵事務所に所属する探偵だと言って通せるかも知れないけど、友達や家族には、いきなり探偵になったと言っても、訝しげにされるだけだよ。

 だから……一口乗らないかい? 共同経営で、店を開こう。自営業であれば、今よりもっと時間を自由に使えるだろう。もちろん表向きは、ただの店員さんってことにすればいい。あるいは商品の入荷係として、僕と一緒にあちこち飛び回る役割だ、とかね。

 本職はあくまでも断罪者だから、店が潰れる心配はしないでいいし、ネット販売の方にも手を伸ばせば、十分にやっていけると思う」


 なるほど。そもそも普通の雑貨屋だって、よほど立地条件の良い場所でなければ、訪れる客の数も知れているだろう。


 販売はあくまでネットが中心で、他では取り扱っていない、マジモンのオカルトやスピリチュアル系のグッズを取り揃えれば、一定の客は確保できる。というか、店長のネット仲間にも、固定客になってくれる者は何人もいそうだ。


 グッズにいたっては、俺も多少は貢献できる。ゴースト系の魔物を寄せ付けない結界型の魔導具……要は御守りくらいならば、簡単に作ることができるし、性質上、こっちの世界の悪霊なんかにも、間違いのない効果が期待できるだろう。


 さすがに武器型の魔導具を作って売ることはできないが……いや、相手が断罪者ならば、それもワンチャンありかも知れない。


 まぁそれは、どこぞの派閥から目を付けられる要因になるかも知れないため、控えた方が無難なのだろうが。


「どちらにせよ、すぐにってわけにはいかないけどね。具体的には……三ヶ月後くらいが、現実的なラインかな」


 その間に、コンビニ店長の後釜を見つけることをはじめ、店舗となる物件探し、改装のための見積もりなど、少しずつ準備してゆくという。


 うん。全く悪くない話だと思う。そうすれば名実ともに、しがないフリーターの身分からおさらばできるし、必要以上にウィラルヴァから白い目で見られることもなくなるだろう。……もしかしたら店長、そういうことまで考えてくれたのだろうか。


「じゃあ僕は、明日から開業のための準備を始めるよ。営業も含めて、店のことは基本的に、僕に任せてくれていいから。あくまで副業だからね」


 あっさりと話がまとまり、店長がスマホを取り出し、どこかに連絡を取り始めた。


 聞こえてくる内容からして、登記などについて詳しいオカルト仲間に、話を聞いているようだ。


「つまり、物によっては古物商の許可が必要になると……うんうん、それはどこに申請を……ああ、なるほど。いや、食品はないよ。うん……宝石類は置くことになると思う」


 俺には十年経ってもできそうにない内容の会話に、店長を味方に引き込むことができて本当に良かったと、改めて思う。


 だからといって、そういう能力のない自分を下卑て思うのは、どれだけナンセンスなことなのかは、この数十年で、嫌というほど実感してきた。


 人には、適材適所があるのだ。何もかも全てを、自分一人でやる必要は、これっぽっちもない。


 隣で相談相手と話を詰める店長の声を、耳の端に捉えつつ、ビルの隙間に傾いてゆく夕日を見やる。


 そういえば、あっちの方向には……彼女の住む、あの街がある。


 今でも彼女は、あの家に住んでいるのだろうか。美しい湖畔に沿った道沿いに、慎ましやかに発展した街並み。そこに一際大きく盛り上がった山の斜面に並ぶ、古ぼけた長屋の列。


 山頂まで続く、蛇行した長い階段に、大きな赤い鳥居。その山頂にある厳かな神社の境内で、二人で並んで歩き、山間に沈んでゆく夕日を、ただ静かに眺めていたこともあった。


 ……どうしても頭から離れない。


 夢というのが、深層心理による暗示なのだとしたら、夢の中で、最後に彼女が口にした言葉は、一体、何を意味しているのだろう。


 彼女との最後は、どんな終わり方だったのか。俺にとっては、数十年も昔の記憶。その遠い思い出の、追憶の彼方に、何かを置き忘れてきてしまった。……なんとなく、そんな思いを感じていた。


「……気になるなら、行ってみるかい?」


 不意に店長の声が聞こえ、我に返る。いつの間にか電話を終えた店長が、スマホの画面を切りながら、優しげな顔でこちらを見やっていた。


「家まで行って、彼女に会ってくれば良いよ。車で二十分くらいの街なんでしょ?」言ってスマホをポケットに突っ込み、代わりに取り出した車のキーを、チャラリと鳴らした。


「……………」


 行くのは構わないが、あとでウィラルヴァに、なんと説明すればいいだろうか。……上手い言い訳も、見つからなかった。

 

  

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