文責の転移者【異世界から帰ったら、創造神が(美女になって)ついてきてしまいました】
TAMODAN
第1話 異世界から帰ったら
「最後にひとつだけ、わがままを聞いてくれますか?」
死の間際。全てを悟ったように、静かな面持ちで床に臥せった少女は、微かに震える指先で、ゆっくりと俺の頰に触れた。
そっと少女の手を握り、純真な茶褐色の瞳を見下ろす。
出会った当初に比べれば、随分と大人びた顔つきになったと思う。それでも、聖域の住民としての加護を受け、成人してすぐに成長の止まった少女は、昔のようなあどけない幼さを、大人びた仕草の裏に潜ませながら、静かに微笑み、見つめる瞳の奥に少しばかりの寂しさを浮かばせた。
「誰かのためではなく、自分のために、生きてください。破壊神も既に無く、世界の基盤も据えられたこの世界で、創造主である貴方にも、少しくらいのわがままが許されても、いいと思うのです」
「ずっと、好き勝手にしかやって来なかったと思うけどな」
苦笑してみせると、少女は少しだけ柔らかく笑いながら、かぶりを振り、
「いつでも貴方は、みんなのために生きてきました。この世界の諍いの原因であった、破壊神を倒すため。そして、この世界の崩壊を止めるために。
それが、この世界の創造主としての、責任感からのものだったとしても……私利私欲のために行った行動は、一度足りとてありませんでした」一言一言を噛み締めるように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「もうこの世界は……私達は、大丈夫です。そろそろ、自分のために生きてください。自分の生を、全うしてください。……貴方が面倒を見ていた子供達も、もう私が、最後の一人となったのだから」
そう言って、俺の頰に手を添えた少女の身体が、変化を起こした。
寿命の最後を迎え、止まっていた時間が、一気に動き始める。みるみるうちに老化が進み、しわがれた老人の顔へと変貌してゆく。
「時間が……来てしまったようです」
覚悟を決めたように、瞳を伏せる。
その頭に手を伸ばし、白髪になってしまった髪を、そっと撫でた。
子供の頃に、よくそうしてやったように、優しく。
今はもう老婆となってしまった少女の瞳から、一筋の涙が流れ落ちてゆく。
「また、会えるよ。輪廻の何処かで、必ず」
「はい……信じています」
最後に穏やかな笑顔を浮かべたその額に、静かに口づけをする。
やがて、少女であったその身体から、内に秘められた神力の残痕である、細かな光のオーブが昇り立っていった。抜け出た不可視の魂が、緩やかに、大地を流れる竜脈の中へと沈み落ちてゆく。
「これで……思い残すことは、なくなったというわけか」
部屋の入口から、透き通った、そしてどこか高圧的な女性の声が響いた。
幼さの残る少女の出立ちをした創造神ウィラルヴァが、長い金髪の、フワリとした前髪の奥から、黄金色の瞳を煌めかせ、たった今旅立っていった少女の亡骸を見つめていた。
「本当に……元の世界へ帰ると言うのだな? 今の生を手放すことになるのだぞ」
この世界での俺は、歳を取ることも、死ぬこともない。しかし元の世界に戻れば、また当然のように、普通の人間として、止まっていた時間が動き始めることになるのだろう。
創造神ウィラルヴァに、この世界に転移されて、数十年。
……正直言うと、ずっと、この世界で生きてゆくのも、悪くない選択だとは思っていた。
強力な魔獣や神獣を召喚したり、融合して戦うことのできる、シィルスティングと呼ばれる特殊な力も、元の世界では使うことができないし、こっちで稼いだお金も、英雄として得た地位や名誉も、元の世界に戻ってしまえば、ただの夢物語となってしまうからだ。
日本での俺は、ただの一般人。理道秀一という名前の、稼ぎもろくすっぽ無いフリーターで、彼女もいなければ夢もない。ただただ毎日を、なんとなく遊んで生きているだけの、どこにでもいる普通の人間だ。
この世界での俺は、歳を取ることもなく、死ぬこともなく、今では世界最強の英雄という立場にいる。
だけど、その不老不死という夢のような能力が、ネックになっていた。
周りのみんなが、どんどん年老いて、順番に死んでゆく。恋人も、友達も、実の子のようにして可愛がっていた、難民の子供達も。最後の一人を看取ってしまった今では、自分だけ、ただ自分だけが、取り残されたような気持ちを感じていた。
元の世界に帰って、普通の人間として真っ当な人生を送ったあとは、再び俺は英雄として、この世界に転生することになっているらしい。
それが、二つの世界の理なのだとか。
……まぁ、難しいことは、俺には良く分からない。
今はただ、母や姉、そして友達のいる、懐かしい世界を、十分に堪能して生きる。
ただそれだけでいいんだ。そういう幸せも、あるのだと信じてみたかった。
「……あの世界に帰るよ。送ってくれるか?」
虚空に浮き立つ、神力の残痕の最後の一つが、音もなく消え去ってゆく。それを見届けてから、ゆっくりと立ち上がると、ウィラルヴァの方を振り向いた。
「分かった……。どうしてもというならば、仕方あるまい」
微かに微笑む俺の顔を見て、ウィラルヴァはふうっと長くため息をつくと、スッと片手を前に出し、転移魔法の術式を発動させた。
──そんなふうな、夢を見ながら、俺はベッドの中で目を開けた。
見慣れた天井の木目模様と、照明の真っ白い蛍光灯。外から聞こえてくる車の走る音に、アパートの隣にある公園で遊ぶ、子供達の声。
最後に洗濯したのは、いつだったか覚えてもいない、灰色の毛布。
いつもの風景のはずだが、もの凄く、懐かしく感じるいつもの日常の、朝の一コマ。
うーんと……あれ? 何が、どうなったんだっけ? 天井をボンヤリと見上げた姿勢のまま、寝起きの思考を巡らせる。
今までのことは……夢? え? 夢オチなの、これ?
一瞬、なんにも頭が回らなくなり、ブンブンと軽く頭を振った。少しずつ冷静さが戻って来て、ようやく思考が、正常に巡って来るようになる。
あの世界での俺は、創造主であり、理を司る神であり、死ぬこともない大英雄だった。
そこで経験した、長い長い物語。
……いやいや、夢だとしたら、どんだけ長くて濃厚な夢だったんだよ。一体、何日間を寝続けたら、あれだけ濃密な体験ができるというのだろう。
いや、やはり、夢にしては不自然すぎる。
こうして凄く現実的な感覚で、布団の中で目覚めてしまうと、あれが夢だったんじゃないかと、本気で疑ってしまうものの……どう考えても、時代を越えてまで、あの世界を旅した冒険の日々が、たった一晩の夢で見切れてしまうとは、考えられない。
とはいえ……こうも現実的な、朝の目覚めの風景を見せられてしまうと、どうしても判断に迷ってしまう。何か、あれが夢じゃなかったんだという、確証の一つでもあればいいんだけど。
例えば……そうだなぁ。シィルスティングという特殊な力、それを扱うために必要な、ロードリングという腕輪があるのだが……
それが左の手首に嵌められてでもいれば、間違いなく夢じゃなかったと、確信できるだろう。
だが、そもそもあれは、あっちの世界での創造物だ。こちらの世界には持ち込むことができないと、ウィラルヴァは言っていた。
左手首に嵌められた、白銀色のリングをスリスリと摩りながら、ぼんやりとそんなことを考える。
………………………おぅ!?
「え? なんでこの世界で……」
リングに軽く指先を触れる。その中に、リングに眠る魔獣達の存在を感じ取り、それが間違いなくロードリングであることを確信した。
このロードリングを作ったのは、あの世界の創造神である、神竜ウィラルヴァだ。
ウィラルヴァは間違いなく、こっちの世界に持ち込むことはできないと、明言していたはずなのだが……
と、
「ん……」
毛布の中でモゾモゾと、何かがうごめいた。
え、なに? 何かいる!?
ふと、向こうの世界で、マリカウルという猫竜が、よく俺のベッドに潜り込んでいたのを思い出す。
まさか……マリカか!? 何かしら理を操作して、一緒について来たとかいうんじゃ!? 思ったのも束の間、
バサっ……と、毛布がめくれ上がり、真っ白い裸体が、ムクリと起き上がった。
「は……?」
見覚えのない姿に、一瞬、思考が現実世界からログアウトする。
シミの一つもない、真っ白い肌。柔らかく、緩やかな曲線を描く、健やかな身体付き。金髪で長いストレートの髪を掻き分け、華奢な白い肩が覗いている。
ふわぁと小さく欠伸をして、パッチリとした金色の瞳が、真っ直ぐにこちらを見た。
整った顔立ち。どこか儚げながらも、勝ち気そうな視線の強さ。
その視線に、不意に、見覚えを感じる。
「お前……まさか、ウィラルヴァ…か?」
名前を呼ばれて、美女…創造神ウィラルヴァは、嬉しそうにニコリと微笑んだ。
「来ちゃった。てへ」
言って、悪戯っぽい目つきで、ペロリと舌を出す。
「来ちゃったじゃないよ! お前がいないと、あの世界がどうなるか、分かってるのか!? ぶりっ子ぶってお決まりのセリフを、恥ずかし気もなく宣ってる場合じゃないだろ! あの世界が崩壊したら、どう責任取るつもりだ!」
「心配いらぬ。我がなくとも、すでにあの世界は安定しておる。そんなことよりも、我は、お前のことが心配で心配でなぁ。せっかくなので、お前が死ぬまで見届けてやろうと決めたのだ」
そう言って、眠そうに目を擦りながら、もう一度ふわぁと欠伸をした。
「どうせ我が居らねば、うだつの上がらぬ適当人生を歩んで、一人で死んでゆくのみだろう。それに、お前が死んだのちは、再び我等の世界に、連れ帰らねばならぬ。英雄としてのお前を、待ち望む大衆のため、我は責任を果たさねばならんのだ」
「…………本音は?」
「お前が話しておった、ソフトクリームとかポテチが食べたい。
それに、お前に近づく不届きな女がおれば、片っ端から叩き潰さねばならぬ! お前の永遠の伴侶は、我と決まっておるのだ。あの世界での、お前の恋人が死んだとき、そう約束したではないか」
「してません! あの時点だと、お前は俺の娘として生を受けていたじゃないか! 何が悲しくて、自分の娘と、そんな約束せにゃならないんだ!」
「血の繋がった親子というわけでは、なかったであろう。お前の作った竜人形の中に、こっそり転生しただけだ」
と、そこまで言い争ったとき、部屋のドアの向こうから、「シュウイチ! 朝っぱらから大声出すんじゃないの! またイヤホン付けて、くだらないゲームでもしてるんでしょう!」と、母の怒鳴り声が響いた。
…おお! なんと懐かしい。転移前は、あれだけウザくて堪らなかった母の怒鳴り声が、こんなに有り難く感じるとは……。
……て、感動してる場合じゃないから!
「ちょ、おま…服着ろ、服!」
「あ、どこを触っておる。そういうことは、明るいうちからは……」
「めんどくさいこと言うんじゃありません! いいから早く!」
「シュウイチ! いい加減に…」
ガチャ…! と、部屋のドアノブが回り、
……ガチャ……ガチャ……! と、何度も同じ音が響いた。
ドアは開かなかった。
よ……良かった! ちゃんと鍵はかかっていたみたいだ。
ホッと胸を撫で下ろす。
「とにかく、近所から何度も苦情が来ているんですからね。夜中のゲームは控えなさいよ!」
言い残し、台所へと戻ってゆくスリッパの音が遠退いていった。
「今のが、シュウイチの母上殿か。どれ、一言挨拶を……」
「待てい!」
裸のままベッドから降りたウィラルヴァの腕を、ガシッと引っつかむ。
後ろにつんのめったウィラルヴァが、仰向けに俺の膝に倒れ込んで来た。
膝枕するような形で、ウィラルヴァの黄金色の瞳が、瞬きをしながら俺を見上げる。
「シュウイチ……」
「なんだよ……」
努めて、ウィラルヴァのおでこの辺りを見つめながら答える。
ウィラルヴァはそのまま、しばらく俺の目を見つめたのち、不意に、
「………少しは興奮しておるか?」
「ぶっ…!?」
慌てて膝を立て、ウィラルヴァを前に転がすと、手元の毛布を、頭からバサリと被せ掛けた。
「仕方のないことだ。我の身体や容姿は、お前が最も好む形に、変化するようになっておる。むしろ、それが正常な反応なのだ」
毛布の隙間からニヤニヤしながらこちらを見やる、端麗なウィラルヴァの顔を見て、これから前途多難な生活が待ち受けていることを、覚悟せずにはいられなかった。
こいつの常識は、こっちの世界では通用しない。いや、向こうの世界でも、創造神として最強の存在であったこいつは、非常識の塊だったのだから。
「とにかく。お前の存在がバレるのは、非常にマズい。頼むから大人しくしててくれよ」
「ふむ。向こうの世界で、お前が大人しくしていたことなど、ただの一度も無かったと思うが?」
「それはそれ。これはこれだ。こっちの世界は、魔法も魔導も存在しないし、死んだ人間が生き返ることもできない。間違っても、人に向けて、魔法をぶっ放したりするんじゃないぞ?」
「バカにするな。我等、神族にも、他所の世界にお邪魔した際の、作法やルールというものがある。その範囲内であれば、何をやるのも許されておるのだ」
「へぇー。そいつは初耳だ。まぁとにかく、今日の俺は、朝からバイトが入ってたはずだ。帰って来るまで、静かに待ってるんだぞ。間違っても、母さんに見つかったりするんじゃないぞ」
ウィラルヴァの鼻の頭に、ビシッと人差し指を押しつけ、そう念を押すと、ウィラルヴァはその指先をジッと見つめたあと、やおらニッコリと微笑んだ。
「母上と、女子会してちゃダメ?」ニコニコと小首を傾げる。
「ダメに決まってるだろ! とにかく、俺は出掛けるから。いいな、絶対に、誰にも見つかるんじゃないぞ!」
言い残し、俺はバイトに向かうため、ウィラルヴァを残して部屋を出た。
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