第14話契約書(百合編)

 パーティーテーブルを幾つも通り抜けて入り口へと駆け出す。後ろでは目付け役の東郷さんが私を呼ぶ声がする。

 しかしそれを無視して私は一目散に出入り口の扉を開けた。小さな受付には誰もおらず、通路左手の扉奥から人の声らしきものが聞こえてくる。耳を澄まし、ダメだと思いつつ立ち聴きをする。


「本日は本当に光栄です。私どもと一緒に手を組んでいただけるのですから」


 父の声だ。その後すぐ、男の声がする。


「いえいえ、あなたがまさかお嬢様を差し出すとはね。こちらもそれには驚きましたが……。本日は正式に婚約発表でも行こうかな?」

「ハハハハッ! それはまだ百合と会ってからにしていただければと百合を気にいるかどうかは、これからでは?」


 えっ!? どう言う事? 何? この話。

 私はとんでも無い事を立ち聴きしたようで少し放心状態になった。立ち止まったまま扉の方へ耳を澄ませた。


「いえいえ、あの方は私のタイプですよ。清楚な感じで。それに私は彼女のファンでしてね。そんな彼女を取れるとあらば、容易い御用です」

「いやぁーあの子はあぁ見えて結構気の強いところがありますから」

「良いではありませんか。それでも結構! これは契約上の話ですから」


 その時だった。出入り口から東郷さんが追いかけ出て私に声をかける。

「お嬢様、いけません。すぐ戻りましょう」

「黙って今、大事なところ」

「ですから、大事な話をお父様はしていらっしゃいます」


 まるで、何もかも知ったような口ぶりで話す東郷さんを私は睨んだ。そして私の手を取り引き寄せる。


「待って!」


 押し問答すると後ろの扉がゆっくりと開く。メガネをかけた男性が目の前に現れて私を窘めた。


「いけませんね、まだ出会うのはあと5分早いですよ? 百合お嬢様」

「えっ?」

「百合! お前は立ち聴きをしていたのかぁ!?」


 父の叫ぶ声がする。その言葉を制すように、後ろにいる父に手をかざした。

 そして男性が私に向かって言う。その言葉はまるで私の感情など無視した言葉だった。


「君は私の妻になるんです。お父様も承諾してくれた。これはお父様を守るための行為ですよ?」

「ど、どう言う意味ですか?」

「あぁ、君は何も心配いらない。ただ私を愛せばいい、それだけのこと」


 何? この人。

 銀縁のメガネを左手で外し、ハンカチで拭き、そしてまたかけ直すこの男。

「初めましてかな? 高津です。百合さん」

「愛せばいいって、今初めてお会いしたんですが……」


 私は少し怪訝な態度を取り口を開いた。そして斜に構えて腕を組んで威嚇した態度をとった。


「ほほぉ、その強気な姿勢もいいじゃないですか。君は何か勘違いしているようだが、これはもう既に決められたことなんだよ。お父様のサインもここにある」

「えっ」


 そう言うとテーブルに一旦引き返し、私にその白い用紙を見せた。それは、共同出資の契約書だ。そこには私の名前と婚約制約書の文字が書き込まれていた。

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