第21話 砕氷

 砂塵が舞い上がり、不毛の大地の悲鳴がこだまする。塹壕と、死体の山と、無数の薬莢だけが世界の全てだった。その世界を踏みしめて、シオンはメリッサたちと共にいた。

 決戦の火蓋は落とされていた。朝から鳴り止まぬ爆音と、轟く怒号。減って行く人。機械油が染み付いた服で顔を洗って、シオンはミヤビを待っていた。

 もうお昼を過ぎているのに、ミヤビは帰ってきていなかった。死神の手紙もない今、シオンに出来ることは、太陽が出るのを待つだけだ。

「行くぞメリッサ。次は俺たちの番だ。銃を持て」

 少年兵たちは、みな手紙を懐に入れていた。争いを嫌う気持ちも、全て空に押し込めて。

 シオンは銃を握れない。だから、他のみんなが戦った。死神を嫌う大人たちも、大勢前線に向かっていた。

 爆弾を積んだ車に乗る前に、メリッサはもう一度腕を上げた。すぐにシオンが腕を組んだ。他のメンバーとも、何度もハグをした。

 そうして彼らは行ってしまった。

 シオンは決めていた。見届けるなら、最後のその時までと。だから彼は、自分の荷物を持って、ジャングルへ足を向けた。

「行くんですか?死神どの」

 人の気配が消えていた基地に、最後までいたのはハルバレインだった。

「俺は死神だ。想いの行く末を見る義務がある。ハルバレインは行かないのか?」

「私も用事を済ませたら行きます。ですが、私は君のような子供が死ぬのを見たくない。どうしても行きますか?」

「ミヤビが来る。そしたら終わる。だから、俺はミヤビが来るのを、一番近いところで待つよ」

「そうですか。その覚悟は、わたしには崩せないものだ。では、お元気で、死神どの」

 手を振って、シオンは森を走った。メリッサたちが前線に着く前に、シオンは森を抜けていた。

 荒れ果てた大地に、無数の銃弾が飛び交っていた。

 メリッサたちは、銃を撃ちながら前進した。死神と出会い、死神に救われた少年兵は、空の向こうの想いを知った。

 息が切れ、喉が渇いていた。メリッサは引き金を引いた。無茶苦茶に自由を振り回した。まだ死ねないと。約束した右手を空に掲げながら。

 誰よりも最前線を、メリッサは走っていた。真横を敵味方問わずの死が飛び、背後では少年たちが吠えるのが聞こえた。

 前から同じ少年兵が、全力でかけてきていた。銃を構え、引き金に手を当てる。瞬間、相手の銃口が少し上を向いた気がした。

 ほぼ同時に、彼らは空を撃った。瞬間の静寂が、戦場に緊張の線を引く。

「俺は争いを好まない。俺を殺せ」

「お前を殺すことを、俺は望まない。俺の望みは、空へ想いを届けることだ。これで叶った。殺せ」

 二人の少年兵は、互いに何度も空を撃つ。

 シオンは、そこへ向かって走っていた。国際法で保護されている死神が飛び出せば、互いに手を出せない。死神反対派に撃たれるのは癪だが、メリッサたちを死なせるよりはマシな気がした。

 狙撃手の銃口が、少年兵の頭を捉える。引き金が落とされる瞬間、それは戦場に現れた。

 回転する翼が音を裂き、赤と白の機体が人の目を奪う。

「…………やっと来たのか、ミヤビ」

 それはヘリだった。軍用でも、報道を伝える民間のヘリでもない。その機体のマークに、誰もが目を奪われる。それは国連のヘリだった。

 扉が開いて、シオンは直ぐに理解した。死神が、本当の鎌を持ってきたのだと。

 アカツキ・ミヤビは空にいた。そして彼女は、死神の名の通り、神のごとく声を上げた。

「空の向こうからの想いだ!受け取れぇっ!」

 ミヤビは段ボールを抱えて、ヘリから飛び降りた。パラシュートが開くと同時に、ダンボールの中身が宙を舞う。

 二万通を超える死神の手紙が、空に橋を作っていた。けれどそれは、生者が死者に送ったものじゃない。

 それは、切手の貼ってない、死者からの手紙だった。想いの手紙は、数え切れない文字となって、空で弾けた。雪の様に思いが降り注ぐ。

 たった一つ、どこの国かもわからない文字に触れた教官は、涙を流して武器を捨てた。戦車を操っていた人はハンドルから手を離し、斥候兵は火薬を地面に撒いた。

 メリッサも、その少年兵も、みなが黙って空を仰いでいた。

 ゆっくりと降りてきたミヤビに、シオンは駆け寄った。

「どうしたんだ、これ」

「死神の手紙は、生者から死者に送られる。だけどね、シオン。死神だけが、唯一死者から生者へ手紙を送れるんだ。送られた人の寿命を使ってね」

「じゃあこれは、全部が死者からの想いなのか?」

「あぁ。誰かの恋人、両親、親友など、想いは様々だが、然るべき人に届く。これしか方法が無かった。まぁ、仕方あるまい」

 その日、戦場は終わった。全てのものが武器を捨て、手紙を取った。死神を信じていなかった者でさえ、空を仰いでいた。




 死神の手紙は、遠く離れたハイルレインの基地にも届いていた。みなが空を向き、手を止めていた。

 ただ一人、ハイルレインだけが、銃を握っていた。

「甘いな死神どの。戦争を終わらせるにはまだ足りない。それは、指揮官の死だ。これを以って、全てを終わらせよう。もう私は、護りたいものは護れた…………」

 外では、次々と兵が帽子を投げ棄てていた。咎めるはずの上官が手紙を胸に仕舞い、空を見ている。

 いつのまにか、捕虜たちも兵士と共に空を仰いでいた。手を取ることも、争う事もなく。ただみんな、黙って想いを抱いていた。

 撃鉄を起こし、鉄の塊を眉間に突きつける。机に飾ってあった写真が、少し燻んだ気がした。

 穏やかに、ハイルレインは心を思い出していた。死への恐怖は無かった。こうする事で、少なくとも休戦状態にはなる。

 目を閉じた。最後に思い浮かんだのは、楽しげな兄妹が、花畑で走っている姿だった。

「ここに、平和の訪れを宣言する…………」

 指に力を込めた。その瞬間だった。

 背後のドアが蹴破られ、遅れて銃声が轟いた。破壊された拳銃が床に転がる。手から血が滴っていた。

 振り向こうとした瞬間、その誰かはハイルレインを殴り倒した。何度殴られたか忘れた頃、手は自然と止まった。顔は痛く無かった。

「……何をしている、ハルバレイン。貴様は今作戦の指揮官だろう?持ち場を離れるなど軍法会議だぞ」

「何してんのかは俺が聞きたいよ!あんたこそ、何勝手に死のうとしてんだよ!」

 胸倉を掴まれ、思い切り振り起こされる。それでもまだ、ハイルレインの目は氷だった。

「私の役目はこれで終わりだ。戦争の終わりには、指揮官の死が必要だ。怖れはない。何か問題があるか?」

「あるに決まってんだろ!バカ親父!」

「……なにゆえ、俺を親と呼ぶ」

「俺はまだ、あんたに何も返せてないからだ」

 ハルバレインのほおは、水でも被ったように濡れていた。大筋の涙が、ぼろぼろの胸ポケットに滴り落ちる。

 厚い万年氷に、ヒビがはいった。

「親父がいなくなれば、前線は崩壊する。そうなれば、俺たちの国はおしまいだ。国を、俺たち兄妹を、嫌われても疎まれても、ずっと護り続けてきた親父に、俺はまだ何も返せてない」

 息子と最後に家族らしい会話をしたのは、アーラレインと写真を撮った時だ。軍服を着たいとねだる彼女に、ハイルレインは服を貸した。

 娘には甘いな。誰にでもだ。そんな、他愛のないものだった。

 わずかなひととき、接する事もほとんとない。だが、家の窓から覗く一面の花畑で、二人が遊んでいるのを見るのが、唯一氷の溶ける時だった。

「何が怖れはないだ。だったら、これはなんだよ」

 内ポケットにしまっていたそれを、ハルバレインは取り出した。何度も読み返して、ぼろぼろになった妙な上質紙。

 ハイルレイン以外、ただ一人死神だけが知る、妻と娘との手紙。

「親父の不器用な愛と、不器用な育て方でも、これくらいわかるんだよ。アーラレインもわかってた。だから、あいつは俺の手紙に、親父とのやり取りのことは書かなかった」

「……そうか。初めから私は、隠せてなどいなかったのだな」

「軍に入って、仕事を共にしてから、少しづつわかってた。だから言え。俺は親父に、何を返したらいい?」

 想いは遠く、時に、近くで捻れることもある。

 押さえつけられていた腰を浮かして、ハイルレインは写真を手に取った。

「何もいらん。お前が生きている事が、私に取っての平和であり、護もるべきものだ。それで、私はどう償えばいい?娘の葬式にも出ず、お前の誕生日を祝ったこともない私には何ができる」

 親子は不器用だった。想いを口に出せない子と、自分の想いすらわからない父。けれど、今世界には想いの奇跡が舞っている。

 袖で目元を拭って、ハルバレインはポケットから手紙を取り出した。

「花を……。アーラレインと母さんに、花を持って行こう。高いディナーを奢って、美味いワインを呑んで、二人の話をしよう。俺たちの話をしよう」

 氷の男は、涙を流さなかった。だが男の目から、氷は消えていた。

 死神の起こした奇跡の空に、二人は敬礼をした。

茜色に染まる空を、一機のヘリが悠然と泳いでいた。

 窓際に肘をつくミヤビと、その隣で下を眺めるシオン。助手席には金髪の彫刻のような美人、操縦席には鎧を纏ったような体躯の老人がいた。

「戦争は終わったのかな、ミヤビ」

「わからない。ただ、あそこにいた人たちはやめるだろう。しばらく死者は出ないよ。よくやった。これは半分、君の成果だ、シオン」

 頭を撫でられて、シオンは下を向いた。瞳の奥には、武器を捨てた兵士達がいた。

「ミヤビ、俺さ。ミヤビになるのやめる」

 黒い髪が揺れる。いつもの変わらぬ黒いスーツ、優しい目で、彼女は「なぜ?」と聞いた。

「ミヤビは俺を救ってくれた。でも、俺がミヤビになっても同じことはできない」

「じゃあ君は、どんな人になりたい?シオン」

 残った死神の手紙を弄りながら、少しシオンは考えた。

「昼にみんなに輝く太陽より、夜を照らす月になりたい」

 たくさん本を読んだ。勉強もした。ミヤビと違うことをして、少年は死神になった。

 シオンの答えに、ミヤビは優しく微笑んだ。そして、彼女はシオンを強く抱きしめた。心地よいインクの香りを、シオンは脳裏に焼き付けた。

「だからさ、ミヤビ。一つだけお願い。俺が最初にしなくちゃいけないことだ」

 待っていたかのように、死神は切手とペンを差し出した。

 返事が来たのは、三日経った後だった。

『父さん、母さん、俺は家族の顔を知らない。けど、想いの形は知っているよ。初めて俺に、『愛』を教えてくれてありがとう。俺に、俺だけの愛の形を作ってくれてありがとう。

 今俺は、シオンという名で死神を目指しています。いつか空の向こうへ、俺の名前が届いたら、その時は顔が見たいです』

『シオン。私たちはあなたに『ハピル』太陽に想う人、という名を付けたけれど、そっちもいい名前ね。

 私たちの村が戦争で焼かれて、私たちが死んだ後、あなたはきっととても辛い思いをした。私たちは、ずっとあなたに恨まれていると思っていた。けれど、こうして手紙を送ってくれて、ありがとう。

 これからもずっと、あなたがどこに行こうと、何になろうと、この想いは変わらない。元気で、風邪をひかないように。愛してる』

 死神の想いは空を超える。空と人とを繋ぐ、たった一通の手紙を、シオンは届けたいと願った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る