§1-09 オッズ

やせて頬のこけた小柄な目立たない男が、商業ギルドの扉をくぐった。


今日は北武会の2日目。会場でも大々的にオッズが張り出されているが、最初に更新されるのは、ここ商業ギルドのホールだ。

小柄な男は、素早く辺りを見回すと、受付にほど近い、目立たない位置にポジションをとった。


男の名前はハリー。

ブックメーカー最前線の情報を依頼主に届け、賭けを代行する役割「チェッカー」を生業にしている男で、一流の評価を得ていた。

今回の北武会は奇妙なサンボアの出場で、あちこちから注目されたらしく、やたらと同業の類だと思われる奴らがうろついている。

ハリーはオッズ表を見上げながら、考えていた。


(しかし、サンボアの最初の試合が、昨日始めて知られた無名のタルカスじゃな。昨日の1回戦は、オルトマン相手に善戦したらしいが、万年1回戦のオルトマンに善戦程度じゃ勝負にもならんだろう。サンボアに賭けたところで、ほとんど元返しじゃ……ああん?)


サンボア:タルカス=1:12


「はっ? なんだこれ? 逆じゃないのか?」

「ばかだな。第4試合に張るやつなんかいねぇよ。100%サンボアの勝利なんだ、賭けたところでほとんど元返しは確実だろ。銅貨を1枚得るのに、銀貨や金貨が必要な賭けに大金をかける奴はいないっての」

「そりゃそうだが、オッズが」

「だから、ありゃ、はした金を遊びでタルカスに賭けた連中しかいないって証明なんだよ」

「ああ、なるほどね」


ふたりの男がそんな話をしている。


(まあ、間違っちゃいないな。この組み合わせでこんなオッズじゃ、誰かが金貨の1枚もサンボアに賭けたとたんに逆転するだろう。時間的にサンボアのオッズの更新はあと7回ってところか。さて、どうなるかな)


そのとき、ギルドの扉を開けて、ごてごてした身なりをした太った男が入ってきた。

後には、重そうな袋を抱えた男が二人付き添っている。太った男が受付の窓口に足早に向かうと、二人もそれに付いて行こうとして、ひとりが躓いた。


「あっ!」


金属の散らばる音がして、まわりの連中が振り返る。床にはまばゆい金貨が100枚近くこぼれていた。重そうに抱えている袋の中身が全部金貨だとしたら何千枚も入っていそうだ。


それを見て、顔を真っ赤にした太った男が、戻ってきて転んだ男をステッキで打ち据えた。


「なにをやっとる、この愚図が! さっさと拾え!」


(いや、普通そんな大金はギルドの口座を利用しろよ。表に出せない金でもあるまいし)


ハリーがそんな事を考えている間に、太った男はその袋を受付に積み上げると、受付に顔を突っ込むようにして、何かを指示している。


「サンボア……4千枚だ」


それを聞いたまわりの連中から、ざわめきが広がった。


(あーあ、いるんだよな、ああいう奴。1:12だから4千枚を賭ければ、5万2千枚をゲットだってか? ばーか、お前のおかげで、次の更新時には、999:1とかになってるよ)


そう思っていたハリーは、次のオッズ更新で自分の目を疑うことになる。ハリーが、というより、さっきのやりとりをチェックしていた、まわりの同業者連中は全員が瞠目した。


サンボア:タルカス=1:18


さっき4千枚をサンボアにかけた奴がいたってことは、この時点でタルカスには最低でも7万2千枚以上の金貨が賭けられていると言うことだ。

どう見ても賭けにならない組み合わせで、遊びオッズにしか見えないのに、一体何が起こっている?!


この異常な状況に、その場にいたチェッカー全員の目がぎらついた。


現場にチェッカーを送ってない奴らには絶対にわからない何かが静かに進行していて、それがサンボア出場の理由なのかもしれない。

何人かのチェッカーがこの時点での情報を雇い主に伝えるために表に出て行った。

ぱらぱらと一般人が小金をかけ始めるが、ハリーは今すぐ動くのは悪手だと考えた。もっとよく見極めて、最後のオッズが更新されてからが本番なのだ。


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


「ちょ、サングインさん、本気で殴ったでしょ」


テニーが腕をまくって見せながら、サングインに文句を言う。


わりぃな。そうでなきゃリアリティが出ないだろ?」

「見て下さいよ、アザになっちゃってるじゃないですか」

「文句はライナス様に言ってくれ。俺だって、こんな……どこのバカ貴族だよ」


付けひげを千切りながら、布を腹にぐるぐると巻いて太った体と、ごてごてと飾られた服装を指さしながら嘆いた。


「大変よく似合っていますよ」

「ライナス様!」

「ボン、そりゃないですよ……って、あれでよかったんですかい?」

「上出来です。賭けられたのが、まさか小銀貨4千枚だとは誰も思わないでしょう」

「『ザンボア』戦のタルカスに『4千枚』、は良かったですね」


「商業ギルドの中に目があった場合は?」

「みんながみんな、そんなことができるなら、誰も苦労はしませんし、そんな力がある方は情報を外に漏らしたりしませんよ」

「そういうもんで」


「さて、見せ金も終わりましたし、あとのオッズの調整はこちらでやっておきますから、3人は着替えてノミ屋の方をよろしくお願いします」

「「「了解」」」


 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


あれからも、何度か大きな袋を抱えた連中が受付を訪れたが、タルカスのオッズは緩やかに下がって行くとは言え、異常な状態を維持していた。

そして今、目の前で最終オッズ更新が行われる。


サンボア:タルカス=2:7


これは、いくらなんでもおかしすぎる。ハリーはそう思った。

もしや、サンボアを目印に、何かの組織がマネロンがわりに使ってる組み合わせなのでは? リベルトーン×サンボアでは、ノイズが多すぎて難しいだろうが、相手は無名の、しかも予選上がりにやっと勝つような奴だ。

サンボアが勝つのは確実で、誰も賭けの対象にしないような、そんな試合なのだ。


こんな対戦でこんなオッズ、ちょっと慣れた奴なら誰だって、誰も賭けていないと思うはずだ。賭けた瞬間に元返しになる事がわかっている以上、どんなにオッズが開いてもサンボアに大金をかけるなんてありえなかった。

しかし、それを逆手にとって、誰かがサンボアに賭けた分だけタルカスに賭けているとしたら?

もしも両方に賭けるのが同じ者なら、どちらが勝ったとしても2割の手数料で表に出せない大金を洗える……だから、ギルド口座じゃなく現金の客が……


(間違いねぇ!)


ハリーはその場を離れて、通信の魔道具を起動した。

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