第21話 自立していく子供


 チェックアウトを済ませると、サムに促されてラウンジへ向かう。

 アーサー様は、先日一緒に乗んだ席で気軽く手を上げてくれた。向かい側の席に腰を下ろし、隣りに相変わらず仏頂面なヒカルを座らせる。

「お早う、昨夜は大変だったな。その・・・迷惑をかけてすまなかった。」

 昨夜端末の画面で見たひっかき傷が、麗しい侯爵様の顔から消えていた。どんな魔法を使ったのか知らないが、跡形もないとは驚きだ。

「アーサー様も昨夜は大変だったそうで。」

 けして皮肉ではなくそう答えると、侯爵様はなんとも言えない複雑な表情をして見せる。

 奥方の姿は見当たらない。朝一番に出立されてしまったのだろうか。忙しい方なのは知っているが、顔を見て挨拶くらいしておきたかった。

「どうやら、アンジェは俺がここに来るつもりだったって知ってたらしくてな。俺は上手い事出し抜いたつもりで、逆に騙されていたようだよ。」

「さすがは奥方様だわ。悪いことは出来ませんね?アーサー様。」

 オーダーを取りに来たウェイターに、ミルクティーを二つ注文する。機嫌の悪いヒカルに話しかけるのも面倒で、勝手に決めてしまった。

「・・・それで、ミスズの件なんだが。」

「そう、それをお聞きしたかったのですわ。」

「その、ミスズがうちの会社で働きたいと、そう言ってて」

「はっきり言っていいですよ叔父さん。ミスズは、叔父さんの傍で働きたいって言ってるんです。」

 ずっと黙ったままだったヒカルが、初めて口を開いた。

 思わずヒカルの顔に見入る。

 少し困ったような顔で苦笑するアーサー様が、そのまま続きを促すように視線を彼に向けた。

「ママには言ったことなかったんだけど、ミスズは叔父さんの護衛をしていた人と知り合いになってずっとその人に護身術を習ってたんだ。サッカーをやめてからはもうずっと通っててね、ゆくゆくはその人みたいに叔父さんを守るボディガードになりたいんだって。」

「ミスズが!?だって、スポーツトレーナーになるんじゃなかったの?」

「それは表向き、っていうかママ用の言い訳。護身術を習ってるなんて言ったら、ママが反対するだろうって思ってたから。」

「習うことそのものは反対しないわよ。」

「それが叔父さんの知り合いでも?」

 そこを突かれると、愛子は答えられなくなる。

 双子の父親はできるだけ侯爵家とは関わらないようにと望んでいた。だから、いい顔が出来るかと言われれば出来なかっただろう。

 近い身内だし何かがあれば何かと助けてくれる侯爵家ではあるが、その一方で今回のように危険に巻き込まれる可能性もある。だから双子には余り関わって欲しくなかったと言うのが本音だ。

 けれど、アーサー様にとっては可愛い甥と姪であるし、彼は双子に好意的だ。

 そしてヒカルの言う通りミスズはアーサー様が大好きらしいのだ。亡くなった父親に似ていて、大金持ちの貴族である彼は陽気で人好きのする方だから、ミスズが好むのも無理はない。

 アーサー様本人と関わることは避けられない。彼は養母などよりよほど血の近い親戚だ。

 ただ、侯爵家そのものと関わることは避けて欲しかった。

 ヒカルやミスズが、侯爵家の歯車となって利用されることを恐れていた。

「アイザックは、叔父さんの護衛だった人の孫なんだよ。だからずっとミスズにくっついて歩いてる。彼女を守る意味も含めて、いつもどうやって危険から身を遠ざけるのかを教えているらしい。」

「・・・ずっとミスズは私に黙って、その人について、あんな危ない事が出来るようになってたって」

「ママも助けてもらったでしょ?ミスズはもう十分ボディガードが出来るレベルなんだ。だから叔父さんの護衛に付きたいって希望しているんだよ。」

 旧市街で別れる時も、頬にキスしてくれたミスズ。

 昨夜も、お休みのメールを送ってくれた。

 私の、可愛い娘。

 誕生日には現金がいいなんていう子で、普段は家の事なんか何もしてくれないのに、自分がいないときはなんだって手伝ってくれる。

 そして、危ない時には身を呈して守ってくれる。

 明るくて元気で、愛子にいつも心配かけないようにと、暗い話題は絶対持ち込まないような子だ。

 あの子は大丈夫だって思い込んでいた。しっかりしているし、丈夫だし、へこたれない子だし、いつも母の事を思ってくれる。

「俺としては希望を叶えてやってもいいかと思ってる。いきなり他の要人のSPをさせるのは不安だし、姪だから傍に置いておいても問題ない。アンジェの護衛も出来るだろうし、一緒にアイクを付けてるから、いざという時は守ってくれるだろう。悪くない話だと思うんだ。」

 ヒカルの話に侯爵様が続けた。

 つまりは、もうアーサー様と双子の間では話がついているのだ。

 後は保護者である愛子の許可を取るだけ。事後承諾、という奴だった。

 ミスズがまだ未熟ものだと主張できないように、昨夜、ミスズの力を見せつけて。

 一昨日の夜、一緒にこのラウンジで飲んでいた時。最後にアーサー様がミスズの話を持ち出したわけが、ようやくわかる。

 そう考えるなら、今回のこのスコットランド観光さえ、仕組まれていたことになるではないか。

 ヒカルが愛子を旅行に連れ出したのは。そしてその先に侯爵様がいたのは。

 ミスズが侯爵家に行くことを愛子に納得させるためだったのだろうか。



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