2-10 原因

 アヤちゃんとリンさんのそれぞれが相手の胸ぐらを、顔を掴み、微動だにせず睨み合っている。二人の突然の衝突と剣幕に驚いた私は思わず右目を開いてしまった。落ち着いていたはず目の奥の痛みに再び襲われ、思わず声が出た。


「いった……!」


 私の声にはっとした二人は同時にこちらを向いた。二人の気が互いから逸れたタイミングでようやくケイさんが部屋に入ってきた。静寂の中掴み合う少女たちに近づいていく。


「頼むよお二人さん、急に熱くならないでよ」


 そう言って二人の肩をポンポンと叩いた。それで気が抜けたのか、アヤちゃんがへなへなと座り込む。リンさんもため息をつき、腰に両手を当てて下を向いてしまった。


「驚かせてごめんね。チーちゃんがなったのと同じ発作だよ。チーちゃんみたいな体調が悪くなることもあるけど、今みたいに我を忘れたり、自制が利かなくなったりして普段では考えられない行動をしてしまうこともあるんだ。アヤちゃんもリンも結構珍しいんだけどな……」

「そう、なんですか……」


 静かになった二人に安心したのか、ケイさんはため息をつきながら頭をくしゃくしゃとかいた。


「俺としては戦争中にこんなにピリピリしてた記憶はないけど、でもやっぱり名残なのかなぁ……嫌んなっちゃうよね」


 いろいろなことが一気に起こって、頭の整理が追いつかない。私が心の中で吐いたため息はマルさんには聞こえていたようで、


《……ため息》


 となぜか復唱されてしまった。


 落ち着きを取り戻した二人は黙り込んでしまい、しばらく沈黙が続いた。この状況にケイさんは再び短いため息をついて、私の元へ歩み寄ってきた。


「俺はリンと違って機械とか体のこととかさっぱりだからさ、あいつが話してくれないとどうしようもないんだけど……」


 そう言ってちらりとリンさんの方を見るが、相変わらずだんまりを決め込んでいるようだった。


「だよな。じゃあ、とりあえず今チーちゃんがどういう状況か聞いてもいい?」

「あ、えっと――」

「チホちゃんを……喋らせないで……」


 リンさんが下を向いたまま、絞り出すような声で言った。


「体力がもうないから……消耗させたらだめ……」

「なんだ、リン話せるんじゃん。ありがとうな。じゃあマルが教えてくれる?」


 別に、右目は確かにおかしいけれど、元気だし話せるのになぜ……


「別に話せるのに、って言ってる」

「違う違うマル、今の心境じゃなくて身体的な状況を教えて?」

「わかった」


 そう言ったマルさんは、もう一度私に目と足の状態の確認を声を出さずにした上で、ケイさんに伝えてくれた。


「右目は視界に亀裂が入ってて、景色もぼんやりして、歪んでるし、痛い。あと、脚が動かない」

「は……? 目だけじゃなくて、脚……? 動かない……?」


 ケイさんは私の脚をしばらく見つめて、眉間にしわを寄せた。


「俺がアレナイフを使ったときは体にダメージなんて一切なかったのに……」

「原因は、」


 先ほどよりも少ししっかりとした声のリンさんは、いつの間にか私の横に来ていた。私の前髪をかき分け、ナイフを刺した場所を再びなぞった。


「チホちゃんが、私たちよりも遥かに早い時期に《ハーフ》になったことだった……。気づけなくてごめん……チホちゃん……」

「え、どういう……」


 疑問を声に出しかけたが、リンさんが人差し指を私の唇に当てて制し、続けた。


「あのナイフがね、読み取れる容量以上に、チホちゃんの頭の中には長い長い戦争の記憶があったの。頭の中って言っても、正確に言うと機械化された脳の一部だけど……。つまりナイフはチホちゃんの記憶を読み取りきれないまま容量がいっぱいになった。それでナイフが、読み取ったはずの、そして読み取る予定だったはずの記憶をチホちゃんに逆流させたんだと思う……」

「それと身体とどう関係するんだよ」


 そう聞いたケイさんに突っ込んで――しかし今までで一番覇気のない声で――リンさんは答えた。


「あんたはもっと考えるってことをしなさいよ……。ナイフにも、チホちゃんにも記憶が戻らなかった代わりに、体だけが思い出しちゃったの。戦争時のことを……」







 つまり、リンさんの言うことには、私は今までに右目がよく見えなくなって、脚が動かなくなったことがある、ということになる。そんな覚えはないし、そんな記憶も思い出さなかったが……。


「チホちゃんのこの右目……、何かが当たって割れたのかな……。戦場に出てる時に銃弾にでも当たって目を負傷したことがあるとか……?」


 何も映らない私の右目を診るリンさんの言葉に、目に銃弾なんかが当たったらヒビどころじゃ済まないだろうと思わず眉をひそめた。私の思考を読み取ったかのようにリンさんが付け加える。


「《ハーフ》の目はガラスで覆われてるから、何かで負傷しても目は潰れるっていうより割れるんだよね」


 リンさんはありがとうと言って私の右目瞼を開けていた手を離した。右目を閉じて視界が安定すると、さっきまで床に座り込んでいたアヤちゃんがそばにいることに気づいた。私と目が合い、アヤちゃんは私に少し力のない微笑みを返した。


「目はともかく、脚は逆になんで直ってたのかが不思議なんだよね。私は《ハーフ》の修理ちりょうを全般に戦場にいたのに、これを直す方法を知らない……」


 そんなリンさんの言葉にひゅっと息をのんで返事をしたのはケイさん。


「おい、それってチーちゃんはもう……歩けないってことか……?」


 小さく漏れたアヤちゃんの声も聞こえたが、リンさんはすぐに訂正した。


「ううん。そうじゃなくて、すぐに直す方法を知らないだけ。時間をかければもちろん直せるよ、心配しないで」


 そう言ったリンさんは安心感を持たせる微笑みを私に向けていたが、すぐに顔を曇らせた。


「言い方がちょっと良くないんだけど……、戦時はここまで完全に歩けなくなった《ハーフ》は……処分されるのが普通だったから……」

「チーちゃんが処分されずに、今ここにいるのが不思議、ってことか……」


 ケイさんの言葉にリンさんは頷いたが、もう私は何が何だかわからなかった。とりあえず直るのならまあいいか、とさえ思えてくる自分に驚く。


「……とにかく、直し始めるには準備がいるし、きっとチホちゃんの体力も残ってない。今はとりあえず体力の回復をしないとどうしようもないかな。アヤちゃんもね」


 確かに目はまだ少し痛いけれど、元気ではあると私は思っていた。なにせ何年も歩き続けてきたのだから体力には自信があったのだ。私はリンさんに「大丈夫です」と答えようとした。しかし、声が出るよりも先に私の視界が真っ暗になった。


 どうして、と思う間もなく、私の意識はブツッと音を立てて途切れた。

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