第9話 世界は変わった。あなたはどうだ?

(わしは、何をやっとるんじゃろう)


 場面は再び、氷都市の地下に広がる星霊石採掘場の片隅。オグマの家の質素なベッドで、裸のユッフィーが安らかな寝息を立てている。

 人肌の暖かさを感じながら、オグマは昨夜の交わりを思い返していた。


 とんだじゃじゃ馬娘だった。


 いきなり上から覆いかぶさってきて、暴れ馬にまたがるように豊かな膨らみを揺らして激しく上下した。やられっぱなしもしゃくだから、その後に獣の交尾みたいに思う存分やり返してやった。


 ドヴェルグは欲深い種族だ。あまりの強欲さに、呪われた黄金を独り占めして竜と化した者さえいると聞く。

 女などいるはずも無いが、ユッフィーの貪欲さはまさにドヴェルグそのものだった。熱い一夜を思い出していると、またも身体が反応してきてしまう。


 それから、夢を見た。

 勇者の落日が起きる前日、探索隊が出発する前。


 エルルとベルフラウ、レオニダスの三人がオグマの家を訪れている。


「ときどきぃ、わたしぃがお掃除して差し上げてるんですけどぉ」


 散らかっててごめんなさいですぅ、とエルルが家の中を案内する。


「彼が…アスガルティアの?」


 ベルフラウの視線の先には。明らかに空であろう、ひょうたんの水筒を逆さにして注ぎ口をのぞき込み。愚痴をこぼす白髪の少年の姿があった。果たして老人なのか、子供なのか。


「ここではエルルのつくった酒も飲めんし、不味い酒さえ高くてかなわんわい」


 ひょうたんに刻まれているのは、ルーン文字。もともと、アスガルティアにひょうたんは自生していない。飲み仲間のアリサが置いていったものだ。

 ひょうたんで作った水筒は保冷に優れるが、衛生面ではあまりよろしくない。それをオグマがルーン魔法を施して、独自に耐久性と衛生面を改良したのだ。

 バルハリアでは、大いなる冬の影響で微生物さえ活動が鈍る。冷蔵庫無しでも食べ物が腐らない反面、酒やチーズづくりにも適していなかった。唯一例外なのは、生きてる動物の体内ではたらく微生物ぐらいだ。


 バルハリアでは食料生産がほぼできないから、それらは必然的に高価となる。

 韓国に行くとキムチ臭い。外国人が日本に来ると醤油臭さを感じるなどと聞くが。氷都市は、その手の匂いが異様に希薄だった。


「お酒の妖精さぁんもぉ、元気がなくなっちゃいますからねぇ」


 エルルは、故郷ではビール作りを営む職人だった。

 北欧神話の戦乙女ヴァルキリーに、エルルーンという名がある。エールのルーンに通じた者という意味だ。エルルの名もそれにあやかっている。

 ちなみにエールは、酵母を常温で短期間発酵させて作るビールの一種で。果実のような香りと甘みが特徴。ファンタジー世界の酒場で出てくるのは、大抵エールだ。


「アスガルティアの勇者、オグマ殿よ。貴殿に頼みがある」


 レオニダスの、静かながら王者の威厳を備えた声が聞こえて。思わずオグマは振り返る。


「なんじゃい、おぬしは」

「余の名はレオニダス。かつてスパルタの王だった者だ」


 相手につられてか、普段はひねくれているオグマが。その時だけはかつての賢者としてのたたずまいを取り戻していた。


「星霊光臨祭も終わり、儀式の力で女神の神格も成長した。これより我らは、ローゼンブルク遺跡深部の…未踏査区域の探索へ向かおうと思う」

「ここでは、冬至祭ユールのことをそう呼ぶんじゃったな」


 地球での冬至は、おおよそ12月22日頃だ。クリスマスより少し早い。


「今回の探索には、紋章院やアウロラ神殿から精鋭の冒険者や巫女たちも派遣されていますが。未知のエリアだけに、何が起きるか分かりませんわ」


 紋章士ベルフラウが、オグマに淡々と状況を説明する。

 彼女がまとうのは、雪の結晶を象った氷都市の紋章と。天秤をシンボルとしたオティス商会の紋章が表面を四分割クォータリングして刺繍された外套だ。

 紋章院はオティス商会の出資で設立された市の機関だから、こんな形なのだろう。


「もし、我々が帰らないような事態が起きた時は。氷都市の冒険者たちの立て直しに力を貸してやってくれぬだろうか」

「良かろう。わしを頼るような、物好きがおればの話じゃがな」


 それが、オグマが二人を見た最後となった。


(まさか、本当にくるとはな。しかもこんな娘が…)


 つい、ユッフィーの寝顔を眺めてしまうオグマ。彼自身も気付かぬ間に、その頑なだった心は雪融けを迎えていた。


「おはようございますの、オグマ様」

「対価を受け取った以上は、仕事をせねばならん。それがドヴェルグの矜持よ」


 ユッフィーが目覚めてから、開口一番。

 オグマは彼女にそう告げていた。


「よろしくですわ、お師匠様!」


 まだ裸なままのユッフィーに抱き付かれ。オグマの浅黒い肌の頰が赤く染まった。


◇◆◇


「…馬鹿力だけはあるか。あとは身体の使い方を学ぶことじゃ」


 二人とも、着替えを済ませた後。

 弟子の力量を見るため、オグマがユッフィーにツルハシを持たせて星霊石の採掘をさせている。もう薄々分かってはいるが、念のためだ。

 オグマでさえ気付けないほど、ユッフィーを演じているイーノのアバターボディはドワーフの腕っ節を忠実に再現していた。


 イーノには、武道や格闘技の経験などない。

 あったとしても、地球での自分と体格がまるで違うユッフィーの身体では、余計に苦労するだけだろう。手足も背丈も縮んでるのだから。


 そういう意味では、ほとんど同じ体格の師を得た彼女は幸運だった。


「ユッフィーさぁ〜ん!ど〜こですかぁ?」


 そこへ、離れた場所からエルルの声が聞こえてくる。

 採掘場へ出かけたまま、帰って来ないユッフィーを心配したのだろう。


 エルルは、背中から蝶のような光の翼を発生させて。あたりをひらひらと飛び回りながらユッフィーを探している。蝶の羽から鱗粉がこぼれるように、緑の燐光が周囲に散った。


 エルルは光翼人ひかりびと。地球の北欧神話では、勇者の魂をヴァルハラへ導く戦乙女ヴァルキリーとして知られている。

 アスガルティアは、かつてのバイキングの末裔たちが地球より移り住んだ地。第二の故郷を失った彼らだが、脱出を果たした生存者たちも海賊魂で、きっとたくましく生き延びているだろう。


「エルル様!ここですわ」


 ユッフィーが手を振る。エルルの光翼を見るのが初めてなためか、その目は驚きに見開かれていた。


「お、オグマ様ぁ!?」


 エルルが、ユッフィーの隣に立つオグマに気付く。

 その姿は、もはやこれまでのひきこもりの飲んだくれではない。かつての偉大なる賢者の風格が、そこにはあった。


「オグマ様がぁ、ついにぃ!」


 やたらとハイテンションになったエルルが、飛んで火に入る夏の虫の如く。

 ユッフィーとオグマ、二人の間をとびっきりの笑顔でせわしなく飛び回る。


「エルル様!?」


 ただただ、エルルのテンションに圧倒されるユッフィー。


 氷都市へ落ち延びて以来、エルルはずっとオグマの身を案じてきた。

 巫女修行のかたわら、彼の家に通って面倒を見続けてきた。それがついに報われたのだ。

 よりにもよって、好意を抱くイーノがユッフィーを演じることで。

 二人の間に何があったかまでは、エルルは知らない。今となっては、それは彼女にとって些細なことだった。


「…もう後には退けんな。これよりユッフィー、おぬしを弟子として訓練する」

「はいですの!」


 祖国と氷都市の未来のため、愛しく想うエルルの笑顔のため。

 オグマにとっても、エルルはかけがえのない存在だ。

 師弟が顔を見合わせる。ここに、彼らは志をひとつにした。


 イーノは経験的に知っていた。何か新たな物事を始めるとき、一旗揚げる際には。何らかの無理無茶無謀を必要とする場合が多々あると。

 それをスムーズにできるのは、よほどの経験者か。天才か幸運な者ぐらいだろう。


 オグマの頑なな心を正攻法で解きほぐす術など、元より無かったのかもしれない。


 イーノは考え無しに突っ走り、いつもトラブルの種を撒くM Pミリタリー・パレード社のビッグ社長を酷く嫌悪していたが。

 人は、慎重であるよりはむしろ果敢であるほうがよい。

 マキャベリの「君主論」に書かれた言葉の意味を、イーノは改めて噛み締める。


 それは、桶狭間で大胆な行動に出た織田信長であったり、ロボットアニメの第1話で軍事機密の人型兵器に乗り込む一般人の少年であったり。あるいはイーノにとって最も身近な経営者の一人、ビッグ社長であったり。


 現在、暴君として知られるビッグ社長でさえも、会社員だった頃にもっとろくでもない経営者の裏切りにあって。自身の属する運営チームと、自分と同じ大学のOBが関わる開発会社でぐるになって反乱を起こし、独立せざるを得なかった。

 PBW業界で古株のイーノは、そういった事情にも詳しい。


 悪徳なくては政権を救うのが困難であるような場合には、悪徳の評判など構わず受けるがよい。

 これも、君主論の有名な言葉だが。

 信長公も無理をしたのは最初だけで、その後は戦う前に極力有利を確保する選択をしている。それまでの無理を穴埋めするように。


 ユッフィーにとっての無理とは、オグマと強引に関係を持つことだった。ここからは堅実にいく。


 このとき、ゲームの中だけの偽物の王女ユッフィーは。現実の世界で君主リーダーとしての道を歩み始めた。

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