4.岩穴でのオレ

 夜になって、理央姉ちゃんの旦那さんのジルバさんが帰って来た。理央姉ちゃんより年下で、エルトラで生まれたフィラの人らしい。

 戦争の時は、エルトラ王宮の近くの村で護衛をしていたフェルティガエなんだって。


 すごく優しそうな人。理央姉ちゃんがてきぱき指示してて、ジルバさんは

「いいよ」「わかったよ」「これやっておこうか」

って感じでくるくる動き回っている。

 理央姉ちゃんに

「フィラの三家の人なの?」

って聞いたら、三家の人同士は結婚できないから違うよ、と教えてくれた。ユウと朝日はそういう意味でもだいぶん特殊らしい。



「暁の力って、模倣だったわよね?」


 食事が終わってお茶を飲んでいたとき、理央姉ちゃんがオレにそう言った。

 マオちゃんはジルバさんが寝かしつけに行っていた。

 朝日はリビングからは少し離れたソファで、本を夢中になって読んでいる。理央姉ちゃんの家にあった本で、何でもユウの家――ファルなんとかの古文書だって。


「うん。でも……やったことない」

「そうなの?」

「今は修業が大事だから、駄目だって」

「まぁ、そうねぇ……」


 そしてちょっと考え込むと

「じゃあ、さっきは無意識だったのね……」

と言った。


 オレはちょっとびくっとした。

 さっきって……あの女の人達のこと?


「彼女たち……姉妹なんだけど、心が読める人達なの。二人で会話していたつもりだったんでしょうけど、暁がうっかり真似しちゃったのね」

「え……」


 理央姉ちゃんはにこっと笑うと、オレの頭を撫でてくれた。


「何か、悪口でも聞こえちゃったの?」

「……うん」


 そうか、理央姉ちゃんは気づいてたのか。

 朝日にも夜斗兄ちゃんにも――誰にも言えないと思ってたから、ちょっとホッとする。


「夜斗兄ちゃんがフィラに帰ってこないのはオレ達のせいだって。邪魔だって」

「そんなこと……」


 理央姉ちゃんがちょっとムッとしたように腕組みをした。


「あの二人はね、かなりしつこかったんで、ヤトがこっぴどく振ったらしいの。だから、逆恨みしてるのよ。暁は気にしなくていいからね」

「……うん」


 夜斗兄ちゃん、カッコいいもんなぁ。きっとモテるんだろうなぁ。

 ……オレと朝日って、邪魔なのかな……。


「全然、邪魔とかじゃないから。むしろテスラの戦争を終わらせた、感謝すべき人たちなのに……全く……。これだから若い子たちは……」


 理央姉ちゃんが自分のことのように怒ってくれたのが、何だか嬉しい。

 理央姉ちゃんはしばらくブツブツ言っていたけど、やがてオレの方をじっと見ると、優しくにっこりと微笑んでくれた。


「ヤトはね、ユウと朝日のことをあれこれ心配して、ずっと見守ってたのよ。そうねぇ、お兄さんみたいな気持ちになったのかもね」

「……そうなの?」

「そう。何かね、放っとけないらしいの。私も……ちょっとだけわかるわ」


 理央姉ちゃんがソファの朝日をちらりと見る。

 そして再び視線をオレに戻すと、お茶を一口飲んだ。


「それでね。今……ユウは眠ってるじゃない」

「うん」

「多分、ユウが帰ってくるまで代わりに見守ろうと思ってるのよ」

「でも……夜斗兄ちゃん、自分のことは考えなくていいのかな? オレ達のことばっかりじゃなくてさ」

「いいんじゃない? そういう性分なんだから」


 理央姉ちゃんはずいぶんあっさりと言い切った。


「まぁ、仕事が忙しいのも本当だしね。遠慮しなくていいわよ」

「ちょっと、理央!」


 朝日が本を片手に、少し慌てたようにリビングに来た。


「これ……この『掘削ホール』ってフェル……こんなのあるの?」

「えー?」


 理央姉ちゃんが覗き込む。オレも見てみたけど、難しい字が多くてよくわからなかった。

 一応、こっちの文字もちょっと勉強してるんだけどさ。


「へぇ……。初めて知ったわ。使える人を見たことがないわ」

「どういうものなの?」


 何だか面白そうなので聞いてみる。朝日が少し興奮気味に説明し始めた。


「私がテスラに来る時は、ゲートを開くでしょう?」

「うん」

「そうではなくて、次元の穴を開ける力のことよ」

「穴とゲートはどう違うの?」

「ゲートは一部のフェルティガエしか通れないの。通る回数にも制限がある」


 それは、朝日や夜斗兄ちゃんが繰り返しオレに言っていた。

 朝日は特別で何回でも渡れるけど、オレはそうではない。だから、勝手にテスラに来たりしたら駄目だって。いつか……来れなくなってしまうから。


「でも、穴は誰でも通れる。しかも制限がない」

「えっ、便利じゃん」


 それが使えたら、オレだって全然気にせずテスラに来れるようになるのに。


「ただ、繋がる場所は全く選べないみたいだけど……この本によると」

「多分、使えた人が殆どいなくてあまり解ってない力なんじゃないかしら?」


 理央姉ちゃんは肩をすくめた。


「朝日にはどっちみち関係ないじゃない。ゲートが無制限なんだもの」

「まぁ、そうなんだけど……」

「でもそっか……古文書はやっぱりきちんと管理しないと駄目ね」


 理央姉ちゃんは朝日の手から本を奪うと、パタンと閉じた。


「子供たちが見て、勝手に力を使うようなことがあると困るわ。それに……一応、ミュービュリとの交流は禁忌な訳だし。村の住人が所持している書物も、一度確認した方がいいかもしれないわね」

「え、ちょっと理央、まだ読みたいんだけど……」

「朝日も駄目よ。勝手に使っちゃう可能性があるから」

「子供と同じ扱い……」


 朝日はガックリとうなだれた。その様子がちょっとおかしくて、オレは吹き出してしまった。理央姉ちゃんもめずらしく声を出して笑った。

 朝日は「何で笑うのよー!」と叫んで、顔を真っ赤にしていた。


   * * *


 理央姉ちゃんの家に一泊して、次の日。

 村のはずれにある墓地に、朝日と二人で行った。理央姉ちゃんはちょっと仕事があるみたいで、遅れて来るって言ってた。


 この墓地には、キエラとの長い戦で亡くなった人たちの慰霊碑がある。名前が記された石碑が建てられていて、フィラ侵攻で亡くなった人が圧倒的に多いけど……奥には、オレのおじいちゃんの名前が記された石碑もあった。

 おじいちゃんも、戦争の被害者だから。


『ヒールヴェン=フィラ=チェルヴィケン』


 それは、奥のあまり人が来ない場所にひっそりとあった。


「……パパ。やっとフィラに来れたよ」


 朝日が石碑を手の平でなぞりながら呟いた。


「ママも元気。それでね、あのあと――暁が生まれたんだよ」


 そっと背中を押されたから、オレは石碑の前に一歩踏み出た。


「……こんにちは。おじいちゃん」


 ぺこりとお辞儀をする。


「えっと……上条暁です。おじいちゃん、見てますか?」


 テスラでは、死んだあと肉体は海に還って、魂は天に昇ると言われてるらしい。

 オレは、空を見上げた。……テスラの、白い空。


「なんか、オレはいっぱい修業してテスラを守る役割があるらしいです。オレも、ユウみたいにおじいちゃんに色々教わりたかったな……」


 あんまり詳しいことは聞いてないけど――すごく複雑な事情があったらしい――朝日はばめちゃんと日本で二人暮らしで、おじいちゃんがユウをテスラで育てたんだって。

 ユウがすごいフェルティガエになれたのも、朝日とオレを守れたのも、おじいちゃんが丁寧にフェルティガの使い方を教えたからだって言ってた。


「でも、エルトラの先生とか夜斗兄ちゃんとか……教えてくれる人はいっぱいいるから。いろいろ教わって一生懸命頑張ります」


 もう一度お辞儀をすると、朝日が後ろからぎゅっとオレを抱きしめた。

 オレは黙ったまま……石碑を見上げた。



「――アサヒさんですか?」


 ふいに、後ろから声をかけられる。

 びっくりして振り返ると、昨日会った姉妹だった。

 オレはちょっとぎょっとして後ずさった。


「はい。あ……昨日、すれ違いましたよね?」


 朝日が愛想よく返事する。……そりゃそうだよね。朝日は、あの二人の心の声を聞いていない訳だし。

 でも、オレはちゃんと聞いたからな……。

 少し睨んだけど、二人は全然怯まずににっこりと微笑んだ。


「私はメシャンです」

「私はハイトと言います」

「……こんにちは」


 一応、挨拶だけはする。


「フィラは初めてですよね?」

「はい」

「実は……私達の家系で守っている、とても神聖な場所があるんですけど、見てみませんか?」

「えっ、そうなんですか?」


 朝日がぐっと身を乗り出した。興味津々だ。

 オレは頑張って二人の心を読もうとしたけど、ガードでもしているのか全く読めなかった。

 仕方なく

「朝日、理央姉ちゃんがもう少しで来るって言ってなかったっけ?」

と口を挟んだ。

 理央姉ちゃんの名前を出せば、ちょっとはビビってくれるかもしれない。


「あ、そうだね」

「でも、このすぐ近くですよ?」

「遠くないです」


 だけど残念なことに、このお姉さんたちは全然後には引かなかった。

 ……ひょっとしたらオレの気にし過ぎで、何の悪意もなく言ってるのかな……。


「暁、ちょっとだけ行ってみようか。理央なら私達の気配がわかるから、そんなに遠くないなら姿が見えなくてもどこにいるかすぐわかるし」

「……わかった」


 ちょっと心配だったけど、オレは頷いた。

 朝日は1対1ならユウにも負けないって言ってた。

 仮にこのお姉さんたちが何か仕掛けてきても、どうにかできるに違いない。


 オレは深呼吸した。何かの拍子にこのお姉さんたちの心が読めるかもしれないし、他のフェルも真似できるかもしれない。いつでも受け入れられるようにしておかないと。


「こっちですよ」


 お姉さんたちが奥の丘の上を指差した。丘といっても、ほんの少し登るだけだ。

 お姉さんたちが歩き出したから、オレ達は黙って後について行った。

 小高い丘を少し登ると……岩穴があった。


「この奥ですよ」

「……」


 朝日は黙って辺りを見回した。そして岩穴の奥を見ると

「確かに、何かある場所……だね」

と呟いた。

 修業不足なのか、オレにはあまりわからなかった。

 来た道を振り返る。下に、さっきまでいたおじいちゃんの石碑が見える。

 ……確かに、遠くはないよね。


 お姉さんたちが

「どうぞ」

「すぐそこです」

と言って指差した。


「ねぇ、何があるの?」


 オレが聞くと、お姉さんたちは

「見てのお楽しみです」

と言って顔を見合わせ、うっすらと微笑んでいる。

 朝日が岩穴の奥をひょいと覗き込んだ。


「……ん?」


 そして身体を元に戻すと、首をひねっている。


「どうしたの? 何か見えた?」

「んー……何かあるのは、確かなんだけど……何も……」


 朝日はオレの手を引くと、中に入っていった。

 奥に着いたけど、オレには何も見えないし何も感じられない。


「暁は見える?」

「……何も。本当に何かある場所なの?」


 入口を振り返ると、お姉さんたちがくすくすと笑っている。何だか嫌な感じの笑い方だ。


「お姉さん。ここ、何があるの?」

「もうすぐですよ――ほら」


 お姉さんが指差した瞬間、背後から不思議な気配がした。

 振り返ると……真っ黒い穴。


「これって……!」


 朝日が驚いて声を上げる。


「ひょっとして……掘削ホール!?」

「えっ」


 それって……昨日言ってた、次元の穴?

 驚いてお姉さんたちを見ると、今度はお姉さんたちが不思議そうな顔をしていた。


掘削ホールとは何のことかわかりませんが……」

「ミュービュリとつながっているという噂がある穴です。稀に開くそうですよ。――誰も行って戻って来たことはありませんから、真実はわかりませんけど……」

「ミュービュリ……」

「アサヒさんは、ミュービュリからいらしたのでしょう?」

「えっ……」


 オレは驚いて朝日とお姉さんたちの顔を見比べた。

 朝日は、遠くの島から来ていることになっているから、ミュー……日本から来てることは、内緒だって言ってた。

 何でこのお姉さんたちは知ってるんだろう?


「この穴からならすぐに帰れますよ」

「お手伝いしましょうか?」


 お姉さんたちは相変わらずくすくす笑っている。


「何を……きゃっ!」


 朝日が足を滑らせて、後ろにひっくり返り――穴に吸い込まれそうになった。

 オレは咄嗟に手を伸ばして助けようとしたけど

「駄目!」

と朝日がオレの手を振り払った。反動で後ろによろけて、尻餅をついてしまう。


「朝日! 待っ……」


 慌ててガバッと起き上がったけど――朝日の姿は、もう見えなかった。

 黒い穴は徐々に小さくなり、やがてふっと消えてしまった。もとの、ただの岩の壁に戻る。


 どうしよう……――朝日が消えてしまった。本当にミュービュリに行ったんだろうか。

 もし全然違う……全く別の異世界とかだったら?

 オレは不安でたまらなくなり、胸がドキドキしてきた。

 何だか気持ちが高ぶる。

 ――背中に、冷たい汗が流れた。

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