2.キエラ要塞へ

 エルトラ王宮の中庭に戻ると、理央だけでなくサンを連れた夜斗もいた。


「よう」

「夜斗、久し振り」


 私は夜斗に手を振った。暁が不思議そうな顔をして二人を見回している。


「暁、大きくなったな」

「抱っこしてみる?」

「怖がるんじゃねぇかな」


 夜斗はそう言いながら暁を受け取ると、抱え上げた。

 夜斗は背が大きいので、暁の視点もだいぶん変わる。そのせいか、何だか楽しそうに「きゃっきゃっ」と声を上げていた。


「大丈夫みたいだな」

「ユウには怯えてたのに……」

「そうなの? 多分、寝てたからじゃない?」


 理央が私の肩をポンと叩いた。


「直接触れられないものね。こういうのって、気持ちとか体温が伝わって安心するって聞くわよ」

「ん……そうかな」


 確かに暁に見せたユウの写真は笑顔のものばかりだったから、目を閉じて眠り続けるユウが違う人に見えたのかもしれない。


「……で? キエラ要塞に行きたいって?」


 夜斗は暁を私に返すと、サンの身体を撫でながら言った。隣にいた理央が「えっ」と、少し驚いたような声を上げた。


「うん。夜斗……あの、カンゼルの部屋憶えてる? 本がいっぱいあったところ」

「……ああ。あのとき二人と会話した場所だよな」

「あそこに行きたいの。カンゼルが何を研究していたのかを知りたいから」

「――何で?」


 夜斗がギョッとしたような顔をする。


「誰かが悪用する前に私が管理できるようになりたいの。将来的には、だけど」

「今、ジュケンとやらで忙しいんじゃなかったのか?」

「忙しい。だけど、今度いつテスラに来れるかわからないし……。受験が終わったらさわりだけでも知っておきたい、と思って」

「ふうん……」


 夜斗はあんまりピンとこないらしく、曖昧な返事をした。

 やや渋い顔をしている。キエラ要塞に行くことに気が進まないのだろうか。


「いいんじゃないかしら? 多分、フィラから強奪された本もあると思うわ」


 ずっと黙っていた理央が腕組みをしながら言った。


「あのチェルヴィケンの古文書みたいに、ファルヴィケンや私達ピュルヴィケンの古文書もあるかもしれない。ヤト、探してみてよ」

「……そうだな」


 どうやら納得したらしい夜斗がヒラリとサンの上に乗った。


「じゃ、行くか」

「うん! ……サンも、久し振り。よろしくね!」

「キュウ!」


 夜斗に続けて私も乗ると、サンは元気に一声鳴いた。

 そして力強く庭から飛び出し――空高く舞い上がる。

 気持ちのいい風を感じながら、私は辺りをゆっくりと見回した。


 エルトラ王宮の完全防御クイヴェリュンはもう消えているから、遠くからでも王宮の姿がはっきりと見える。

 王宮の周りには、飛龍の里や大小さまざまな村が広がっている。

 前の戦で荒れてしまった村もあったけど、復興が進んで今ではすっかり平和になっているようだ。


 エミール川を越えると、旧キエラ領土。岩と砂ばかりだった大地は土に変わり……ところどころ緑色の雑草が生えている。

 ――でも、特に集落が作られているということはないようだ。まだ全然開墾が進んでいない。


「ねぇ、夜斗。キエラの土地ってまだあんまり人が住んでいないみたいだけど……」

「エルトラとフィラの復興を優先してるからな。それに……」


 夜斗がふと眉間に皺を寄せた。


「何だか落ち着かないって言って、キエラの土地に近付きたがらない人間が多いんだ。南の施設の人間も、あのあとすぐにエルトラ領土に移したしな」

「そうなの?」

「なかなか快方に向かわなくて、場所が悪いんじゃないかってことになってな。そしたらやっぱり、移動したあとの方が良くなって……」


 気持ちの問題も大きいのかな。やっぱり、嫌な思い出のある場所じゃ療養なんてできないよね。


「じゃあ、フィラにも人が戻ってきてるの?」

「元気な人間はな。あと、エルトラから派遣した職人とか、兵士とかも常駐している。リオもフィラにいることが多いな」

「そうなんだ……」


 そんな話をしているうちに、川を越えてキエラ要塞の真上に来た。

 サンがピタリと止まって、下降しようとしない。


「あ、そっか。サンもキエラの土地は踏もうとしないんだよな。でもちょっと高すぎるから、もう少し下降してくれよ」


 夜斗が言うと、サンは「キュウゥゥ……」と少し唸りながらゆっくりと下降した。

 ある程度の高さ――多分ビルの三階ぐらい――まで来ると、夜斗がふいに私を抱え上げた。


「きゃっ……何?」

「ここから飛び降りるんだよ。じゃあ、サン。口笛吹いたら迎えに来てくれ」


 夜斗はそう言ってサンの背中から飛び降りた。地面に着く間際で防御ガードをし、衝撃を和らげる。


「もう、びっくりした」


 夜斗から下ろしてもらうと、私は思わず溜息をついた。

 しかし次の瞬間、何かが纏わりつくような感じがして、背筋に悪寒が走った。

 見ると、私の腕の中の暁も何だかむずがっている。


「暁、どうしたの? 怖いの?」

「うー……うー……」


 私の腕の中で暴れる。離してくれ、とでも言っているようだ。


「どうした? 何かやりたいんじゃないのか?」


 夜斗がそう言って私から暁を受け取ると、暁は「うー!」と一声上げてぎゅっと両手を握った。

 すると……纏わりついていた何かが、すっと消えた。


「……ん?」


 私は思わず辺りをキョロキョロ見回した。


「夜斗……今、何か感じた?」

「いや? 他の連中も言っているように、キエラ――特にこの要塞周辺は何だか落ち着かないんだよ。だから俺は、障壁シールドしてるんだ。……まぁ、気持ちの問題だと思うけど」


 つまり、夜斗はさっきの変な空気を最初からシャットアウトしていたってことか……。

 何だか落ち着かない、っていうのは、あの纏わりついてきたナニカを感じているからじゃないのかな。


「……ん? 暁も障壁シールドしてるな。いつ覚えたんだ?」

「ええっ!」


 私はびっくりして暁を見た。


「暁、ミュービュリでは全然フェルを使わなかったんだけど……」

「そうなのか? 朝日が吸収した訳じゃなくて?」

「うん。それとは関係なく……」


 やっぱりテスラの方が自由に力を使えるのかな……。環境のせいなのかな?


「まぁ、とにかく行こうか。長居しない方がよさそうだから……夜斗、瞬間移動ってできる?」

「お前が吸収さえしなければ」

「……多分、大丈夫だと……」


 まだ全部言い終わらないうちに、夜斗が私の腕を掴んだ。

 辺りの景色が熔けだし……次の瞬間には、薄暗い湿っぽい部屋に着いていた。


 不意をつかれると、私はフェルを吸収できないらしい。だから夜斗は私の気を逸らしている間に瞬間移動を使ったのだ。


「――ん? 何、この部屋!」


 前にカンゼルを追ってユウと暁と三人で来た時には感じなかった。

 いや、違う。そのときには無かった何か気味の悪い靄のようなモノが、部屋中に漂っている感じがする。

 さっき纏わりついてきたナニカをうんと濃くしたような感じで……何も見えないのに確かにある、というのが気持ち悪い。

 さっき感じた悪寒は気のせいではない、と思った。


 だけど障壁シールドのせいか夜斗には分からないようで、不思議そうにあたりをキョロキョロしている。


「何がだ? この部屋がどうかしたか?」

「とにかく、変なの!」

「わああー! ぎゃあーっ!」


 夜斗の腕の中で暁が泣き叫ぶ。暁の声と共に少し薄らいだ感じはするが……居心地の悪さは半端ない。

 何かが私に近づく気配がする。


 ――コレに捕まってはいけない。


 訳もなくそう思った。

 逃げなきゃ。早く、ここから。


「折角来たけど、早く出なきゃ駄目!」

「はあ?」


 私は目の前の古そうな本をいくつか掴むと

「夜斗! すぐ外に跳んで!」

と言って夜斗の腕にしがみついた。

 その間も、何かが私に纏わりつこうしている。私は必死に跳ね除けた。


 ――何も近寄らないで!


「来たばっかで、マジかよ!」


 夜斗が文句を言いつつも私と暁を抱え、すぐに瞬間移動した。

 景色が、キエラ要塞から外の風景に変わる。私が必死にすべてを拒絶していたせいか、夜斗のフェルを吸い込むことはなく、無事に跳べたみたいだ。


 思わず溜息が出る。

 ホッとして暁を見ると……泣き疲れたのかぐったりしていた。


「えっ、暁! 何? 気絶してるの!?」

「いや……眠ったみたいだ。特に心配することはなさそうだが……」


 私は夜斗から暁を受け取った。

 泣いた跡が頬に残っている。顔色は悪くないけど……。

 ごめんなさい、暁。無理させちゃったね。まさか要塞があんなことになってるとは思わなかったから……。


「……」


 キエラ要塞を振り返る。

 その佇まいは、一年前と何ら変わりなかった。


 だけど……どす黒い何かを腹に抱え込んでいる。迂闊に近寄っては危険なほどの、何かを。

 ――カンゼルはもう、居ないのに。

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