8.よし、乗り込むぞ!

 藍色の夜になる。反乱軍が領主屋敷の中央に陣取り、兵士たちがぐるりとルフトの屋敷を包囲していた。

 俺たち四人はその背後から、こっそりと横手の方に回る。

 レジェルが現れた入口……見た目は高い壁にしか見えないが、その場所の前に来た。まじまじと見上げる。


「ここです」


 エンカに背負われたレジェルが指差した。


「幅は狭いですが、隙間があります」

「わかった。……ホムラ、エンカ、準備はいいか」

「おう」

「いいぞ」


 ホムラが指をポキポキ鳴らした。


「ガッツリ寝たからね」


 エンカは武器の多節棍の具合をチェックしている。


 まず俺達が侵入し、ルフトをすばやく拘束する。反乱軍はあくまで牽制だ。

 もし俺達の動きがバレて兵士たちが動こうとしたときには引き留めてくれ、と言ってある。


「俺とホムラは闇を追ってルフトのところに向かう。エンカはレジェルに誘導してもらってベラとミジェルを探してくれ」

「わかった」


 エンカが力強く頷いた。


「俺たちは急ぐからある程度は強行突破するつもりだが……そっちは闘いになったら厄介だ。なるべく敵に遭遇しないように行けよ。多分、ルフトの手下が二人を傷つけることはな……」


 そこまで言ったところで、正面の方から大きな音が聞こえてきた。


「なんだ!」


 慌てて見ると、反乱軍とルフトの兵士が交戦している。

 予定では動きがあるまで待機しているはずなのに……!


「何でだ!?」

「わからん! 先走った奴がいるんじゃねぇか?」

「――仕方ない、とにかく行くぞ!」


 俺は壁を見据えると、真っ直ぐに飛び込んだ。

 変な感触が身体を捉えたが、気にせず突っ走る。難なく通り抜けられたようだ。

 たくさんの木に囲まれたその奥に、屋敷が見える。

 大きな窓を探す。鍵がかかっていたので、そのまま突っ込んで窓に飛び込んだ。


 急がないと、ルフトが母娘に何かしでかすかもしれない!


 窓が割れる激しい音が辺りに響いたが、とりあえず近くに人はいないようだ。

 俺は辺りの気配を探って闇の根源を探した。どうやら、一階の奥のようだ。


「エンカさん! ミジェルは地下です。あっち!」


 レジェルが左の方を指差した。


「じゃ、後でな! レジェル、なるべく闇を避けろよ!」


 俺はエンカとレジェルにそう言うと、闇の気配を辿るために走り出した。


「エンカ、嬢ちゃんに傷一つ付けんじゃねぇぞ!」


 ホムラが叫ぶと、エンカは「わかってるって!」と大声で返事して左の方に走って行った。


 飛び込んだ部屋から廊下に出ると、怪我をして足を引きずっている兵士に出会った。


「うわあぁ!」


 なのにその兵士はものともせず俺に切りかかってくる。

 俺は軽くいなすと、峰打ちで兵士を薙ぎ払った。兵士は壁にぶつかって崩れかかったが、なおも体勢を立て直し、俺たちに向かってくる。


「キリがない! 逃げるぞ!」

「おう!」


 ホムラがもう一人いた隻腕の兵士を投げ飛ばした。

 闇の力のせいで、まるでゾンビみたいだ。全部に構っている訳にはいかない。


 途中で何人もの兵士が攻撃してきたが、その都度蹴散らしたり、投げ飛ばしたりしながら俺達は真っ直ぐ闇の根源に向かってひた走った。



「……ん? 移動しているな」


 一階の奥に向かっていたが、ふと気配が分かりづらくなる。


「地下か?」


 飛びかかって来た兵士を後ろ手に縛りあげながらホムラが聞く。

 闇の力で強化された兵士はなかなか気絶しないので、動けないように縛るしかない。


「……こっちだ!」


 俺は廊下を曲がると、一つの部屋に辿り着いた。幸い鍵はかかっていない。

 扉を開けて部屋に入り、中から鍵を閉める。

 これで、後から来る兵士を少しは足止めできるはずだ。領主の屋敷だから、扉を壊すということもないだろう。

 しかし闇の根源と化しているルフトがベラに接触すると危険だ。とにかく急がないと……!


 辺りを見回す。出口がないのに、ルフトはどこにも見当たらない。

 窓はあるが、他の部屋につながる扉はない。窓に近づいてみたが、埃がついたままだった。ここから外に出た形跡はない。


 部屋の中を見回すと、どうやら寝室のようだった。大きいベッドと、タンス、本棚、枕元には小さなチェストがある。

 ベッドの布団が乱れている。触れてみると、少し暖かい。休んでいたが、反乱軍が攻めてきたことが分かってどこかに逃げたらしい。

 多分、ここはルフトの寝室なのだろう。

 だけど、この部屋から外に出たはずはないのに……。


「くそっ! どこに行ったんだ……!」


 思わず壁を叩く。

 もう時間がないのに……!


「ソータ、落ち着け。本当にこの部屋なのか?」

「ああ、間違いない。ホムラ、この部屋のどこかに地下に潜る秘密の扉があるはずだ」

「そうなのか?」

「闇の気配からいって間違いない。本棚とかベッドとか、とにかく大きい物の影を探してくれ」

「わかった」


 隠蔽カバーされている可能性も考えて、俺は壁をすべて触ってみた。しかしどの方向も本物の壁だった。秘密の出入り口みたいなものはない。

 だとすると……床か。


「ソータ、ベッドの下とか本棚の下には何もなかったぞ」


 ホムラが荒い息をついていた。


「じゃあ、床だな」


 俺とホムラは床に這いつくばって、奇妙な場所はないか探した。


 すると……中央の絨毯が引いてあるすぐ脇に、違和感がある。

 見た目は何ともないが、触ってみると、変な感触がした。目には見えないが、取っ手がついているようだ。


「――ここだ」


 俺は取っ手を引っ張った。床が四角く持ち上がり、地下に続く階段が見える。

 そして、闇が……蠢いている。


「うわー……これはかなりひどいぞ。ホムラ、大丈夫か?」

「ん?」


 ホムラも覗きこんだが不思議そうに首を捻った。


「何がだ? 何も感じねぇぞ」

「……なら大丈夫だな。行くぞ!」


 俺は階段から地下に潜った。


   * * *


 地下は、想像していたよりずっと広い空間だった。少し長めの廊下にいくつかの扉が並んでいる。

 闇の気配はその一番奥から漂っていた。


「あれっ、ソータ!」


 並んでいる扉の一つからエンカが姿を現した。エンカの後ろから、ぐずるミジェルを抱いてレジェルも現れる。


「お前達、どこから来たんだ?」

「あっちのずっと奥の階段。さっき分かれたところから左の奥に行ったところに階段があって、そこから降りたんだ」

「ミジェルは、いつもいる部屋ではなくて、遠くの闇が殆どない部屋に隠れていました。母さまが移動させたんだと思います。それでちょっと時間がかかってしまって……」


 レジェルが荒い息をついている。


「レジェル、大丈夫か?」

「闇が……強くて……浄化しながら……だから……」


 もともと、フェルティガエは闇に弱い。特にミュービュリの血を引くフェルティガエは闇に狙われやすいのだ。

 浄化が使える以上、レジェルはミュービュリの血を引いているはず。その経緯はわからないが……。

 ジャスラの涙の助けがあるとはいえ、体力のないレジェルにはかなり辛かったのかもしれない。


「この闇の濃さでは、母さまが心配です。闇の力が強すぎて母さまの気配もわからない」

「ルフトがこの先にいる。エンカ、ミジェルを抱えてくれ。レジェルは俺が背負うよ。そうすれば浄化しなくても大丈夫だから」

「……はい……」

「エンカは大丈夫か?」

「何か変な息苦しさはあるけど、どうにか」

「よし」


 俺はレジェルを背負った。小さくて軽いので、俺でも問題ない。

 小走りに廊下を急ぐ。


「ベラはルフトと一緒にいるのかもしれないな……」

「そんな!」


 俺の背中でレジェルが叫んだ。


「今の母さまでは、闇が……!」

「わかってる」


 俺はホムラの方を向いた。


「ルフトを見つけたら、ホムラがすぐに拘束してくれ。その間に俺が準備して、浄維矢せいやを打ち込む」

「おう」


 走って行く間にも、闇はどんどん濃くなる。

 エンカの顔が、少し苦しそうに歪んだ。ホムラも汗をかいているらしく、頻繁に額を拭っている。

 俺の背中のレジェルは、かなりぐったりとしていた。前の旅での水那を思い出す。

 闇を浄化することはできても、レジェルは自分の周りに寄ってくる闇を祓うことはできない。どうしても負荷を感じるのだろう。


「……ここだ」


 一番奥の扉だった。俺は躊躇せず、すぐに扉を開けた。

 すぐさま、


「ベラ! お前が裏切ったのか! ああ!?」


と喚く、男の怒声が飛び込んできた。


 中年の男が女性に掴みかかっている。どす黒い闇が男に纏わりついている。

 女性は眉間に皺を寄せ、大量の汗を流していた。纏わりつく闇に浸食されないように、歯を食いしばっている。

 その腕も足も傷だらけで……体力は限界に近いようだった。

 中年の男性がルフトで、女性がベラなのだろう。


「何だ、貴様ら……!」


 ルフトはこちらをギラリと睨んだが、ホムラが突進してルフトを羽交い絞めにした。

 ルフトから解放され……俺達に気づいたベラが、少し微笑むのが見えた。


「よし、レジェル、降りて……うわっ!」


 レジェルは俺の背中を蹴るようにして押しのけ、強引に飛び降りた。どこにそんな力が残っていたのかと思うほどだった。

 そしてたどたどしい足取りでベラに駆け寄ろうとする。


「……母さま……!」


 ルフトから漏れ出た闇がベラに襲いかかろうとしている。

 このままだとレジェルも闇の餌食になってしまう。ベラと違ってレジェルは隙だらけだ。闇を跳ね除けることはできない。

 それに、今のレジェルにはこの闇を浄化する力は残っていないだろう。人にとり憑いた闇は、何倍も凶悪だからだ。


「エンカ、レジェルを止めろ!」


 俺は咄嗟に叫んだ。エンカがハッとしたように駆け出してレジェルを抱き止め、俺の背後まで下がらせる。


「離して、母さまが!」

「レジェルは近付くな!」


 俺はそう叫ぶと、深呼吸した。鳩尾を押さえ……胸の中の勾玉の力に集中する。


「レジェル……絶対に来ては……駄目よ」


 消え入りそうなベラの声が遠くで聞こえたのが、最後。

 俺の周りは、不思議な空間に包まれた。


『――ヒコヤイノミコトの名において命じる。汝の聖なる珠を我に。我の此処なる覚悟を汝に。闇を討つ浄維矢せいやを賜らん……!』


 勾玉の宣詞を唱え、右腕を掲げる。すると光が放たれ……手に浄維矢が現れた。

 8年ぶりの感覚……スローモーションのように、自分の一挙一動がゆっくりに感じられる。俺の目に映るのは……ルフトの胸の奥の蠢く闇だけだ。


 感覚が研ぎ澄まされるのが解る。俺は弓を引き絞り……浄維矢を放った。蠢く闇を切り裂き、ルフトの左胸に命中する。

 その瞬間、ルフトが空を仰ぎ、苦しそうに何事かを叫んでいた。その目は血走り、口からは涎を垂らし……もう、正気を保ててはいない。


 辺りが光に包まれ、闇が絡め捕られ、丸い珠に凝縮される。

 浄維矢の軌道を戻り……弓を伝い、俺の腕を辿って胸の奥に納められた。


「……!」


 久し振りの胸の奥がしめつけられる感覚に、思わず膝をついた。顔から背中から、大量に汗が噴き出る。

 ――ルフトが抱えていた闇は、恐ろしく歪んでいた。



「母さま! いやあー!」


 レジェルの悲痛な声で我に返る。

 顔を上げると、辺りの景色はもとの空間に戻っていた。


 ホムラが泡を吹いて気を失ったルフトを縛り上げている。

 そのすぐ近くの床に、ベラが横たわっていた。

 レジェルはエンカの腕を振り払うと、ベラに縋りついた。


「母さま!」

「よかった……ヒコヤさま……」


 ベラの碧がかった瞳は宙を彷徨っていた。焦点が合っていない。

 もう、起き上がる体力もないようだった。

 闇に浸食された訳ではない。多分……自分の持てる最大限の力を使って闇の侵入を阻み続け、限界が来たんだと思う。


「レジェル……ミジェル……どうか……幸せに……闇の……ない……世界を……」

「――母さま!」

「……」


 ベラは……微笑んだまま、息を引き取った。


 レジェルに珠を渡した時点で、ベラが闇に耐えられる時間は残り少なかった。恐らく、レジェルを逃がした時点で……覚悟していたんだと思う。


「レジェ……」


 近付いて声をかけようとすると、レジェルが涙で真っ赤になった目で俺を睨みつけた。


「ソータさん! どうして!」

「……」

「どうして……私を止めたんですか! 母さまに向かっていた闇を浄化すれば……母さまは助かったかもしれないのに!」


 どう言っていいかわからず……俺は首を横に振った。


「……無理だ」

「どうして!」


 レジェルが俺に掴みかかる。しかしその力は……ひどく弱々しい。

 とてもじゃないが、闇に耐えられるだけの体力はないと思った。


「やってみなければわかりません!」


 レジェルの罵倒から逃げる訳にはいかない。俺はレジェルを真正面から見つめた。


「レジェルが闇を浄化する前に、闇に浸食される。多分、あっという間に」

「……!」

「そうなれば、ベラが命をかけてレジェルを逃がした意味がなくなる」


 ゆっくりと、一言一言を噛みしめるように言う。

 レジェルは一瞬息を呑んだが、ボロボロと涙をこぼした。

 両腕で俺の胸を殴る。


「だとしても……私は、母さまのために何かしたかった!」


 そう叫ぶと、レジェルはずっと俺の胸を叩いていた。


「……ごめん」


 俺はレジェルを抱きしめたが……レジェルは泣きながら「離して」と叫ぶばかりで、一向に収まらなかった。


「力になれなくて……ごめん」


 そしてそのままレジェルが泣き疲れるまで……俺はレジェルを抱きしめていた。

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