第一章:二人のスイーパー/05

 そうして玲奈と二人で走り出して……どれぐらい経った頃だろうか。新宿にある瑛士のマンションからだと、意外に距離がある私立・白鷺学園の校門前へと、玲奈を乗せたNSX‐Rが滑り込んだのは。

 サッと校門前にNSX‐Rを横付けし、瑛士は車から降りると小さく伸びをする。そうしている横では、玲奈が自分からドアを開けて助手席から降りていた。勿論、重そうなスクールバッグを肩に担いだ格好で、だ。

「……それじゃあマスター、行ってきます」

「おう、気を付けてな。帰りはいつもの時間で良いか?」

 NSX‐Rの黒く塗装された屋根に肘を掛けながら、瑛士が白いボディ越しに問いかけると、玲奈はコクリと頷き返して肯定の意を示す。どうやら下校時間に迎えに来るのも、いつもと同じ頃合いで構わないらしい。

「りょーかい。また何かあったら連絡してくれ。今日は丸一日オフだからな、多少は融通も効くってモンよ」

「分かった。じゃあマスター、行ってきます」

「ほいほい、気を付けるんだぜ」

 名残惜しそうに視線を流しつつ、くるりと背を向けた玲奈がとてとてと小さな歩幅で校門の向こうへと歩き出し。そして、ただでさえ小さな背中が段々と遠く、小さくなっていく。

 それを瑛士は、助手席側のドアに寄りかかりながら、玲奈の姿が見えなくなるまでその場に佇み、見送っていた。

 やがて玲奈の姿が完全に学園の敷地内へと消えていくと、瑛士はふぅ、と小さく息をつく。

「にしても、本当に良いのかねえ。何か噂されてるって話だけどよ……」

 そうして息をつきながら、瑛士は何気なくひとりごちていた。

 ――――実を言うと玲奈、学園内で瑛士のことを彼氏だとか何だとかと噂されているらしい。

 まあ……こうして毎日毎日、飽きもせずに車で送り迎えをしてやっていれば、さもありなんという奴だ。瑛士としてはせめて兄妹ぐらいに捉えておいてくれと思うのだが、流石にヒトの噂まではコントロール出来ない。

 とはいえ、玲奈自身はその辺りの噂だとかをまるで気にしていない様子だ。瑛士的にはそれで本当に良いのかと首を傾げたくなる気持ちもあるにはあるのだが、まあ当事者たる玲奈が良いと言っているのなら……自分が気にすることではないのかも知れない。

「ま、俺としちゃあどーでも良いことだけどよ……」

 そんな独り言を呟いていると、遠くでチャイムが鳴り響いていた。

 今のはきっと、始業五分前を告げる予鈴のチャイムだろう。この後に本鈴が鳴って朝のホームルームが始まり、その後でもう一回チャイムが鳴り響けば、そこからが一限目のスタートだ。

 とにもかくにも、瑛士が抱えていた早朝の任務、玲奈を無事に学園まで送り届けるという任務は無事終了したのだ。この場に長居する必要もない……そう思い、瑛士はさっさとNSX‐Rに乗り込もうとしたのだが。

「……ん?」

 しかし、そうした矢先に彼の懐でスマートフォンが着信音とともにプルプルと震え始めた。

 どうやら誰かから電話が掛かってきたようだ。誰かと思いつつ瑛士はスマートフォンを引っ張り出し、左耳に当てて電話に出てみる。

『――――やあ瑛士、元気そうだね?』

「何だよ、やっぱマリアだったか」

 着信相手が誰かも見ずに電話に出た瑛士。そんな彼の左耳にスピーカー越しに響くのは、何処か飄々とした調子の、独特なトーンで話す女の声だった。

 ――――成宮なるみやマリア。

 それが、着信相手の名前だ。

 裏通りで知らぬ者は居ないとまで云われた伝説のスイーパーであり、一線を退いた今は弟子のスイーパーたちの元締め役をする傍ら、秋葉原の街で『カフェ・にゃるみや』というメイド喫茶を趣味で営んでいる、雑なポニーテールの金髪と年中羽織る白衣がトレードマークの女だ。同時に、昨晩の仕事の依頼主でもある。

『昨日の夜、君らに頼んでいた例の一件だけれど、無事に片付いたからその報告をと思ってね。緊急の依頼で悪かったね、瑛士。引き受けてくれて凄く助かったよ』

「構わねえさ、それぐらいお安い御用だ。アンタには借りが沢山あるからな」

『借りなんて、そんな大袈裟な』

「あるさ、玲奈の件とか色々な。……というかマリア、わざわざババアを通さなくたって、俺に直接依頼を寄越してくれたって構わなかったんだぜ?」

『あははは、僕もそれは一瞬思ったけれどね。でも、やっぱり響子の顔も立ててあげなくっちゃあいけないだろう?』

 薄く笑うマリアに、瑛士は「かもな」と同じく薄い笑みで返して。その後で電話の向こうの彼女に対し、ふと何気なくこんな問いを投げ掛けてみた。

「つーかマリアよ、神経ガス兵器なんざ……アンタら、今回はまた一体どんな連中を相手にしてんだ?」

『ん? ああ、今となっては大したことのない有象無象だよ。全部が終わった今となっては、単なる残党程度に過ぎないさ。それよりも、今はもっと――――』

 と、マリアははぐらかすようなことを言った後で、一段低い声のトーンで呟いて。しかしその先の言葉を紡ぐことなく、ただ濁した。

 瑛士はそんな彼女の意味深な言い草に首を傾げていたが、しかしマリアがすぐさま『……まあいいさ』と話を切り替えてきたから、敢えて言葉の続きを問うことはしなかった。

『そういえば、玲奈ちゃんは元気かい?』

「ご存知の通り。たった今学園に送り届けたトコさ」

『そうかい、それは結構。元気なのは良いことだからね』

「それより……マリア。この間は折角呼んで貰ったのに、手を貸してやれなくて悪かったな。タイミング悪く、俺も玲奈もカサブランカでの仕事があってよ、どーしても行けなかったんだ」

 瑛士の言うこの間というのは、遡ること数ヶ月前のことだ。

 その時、マリアは彼女にしては珍しいことに、かなり深刻な様子で瑛士たちに協力を仰いできたのだ。

 だが今まさに彼が口走ったように、丁度タイミング悪く海外での……具体的にはモロッコはカサブランカでの仕事があって、どうしてもマリアの助太刀が出来なかった。瑛士はそのことを今ふと思い出し、改めて彼女に詫びていたのだ。

「他にも色々と面子を集めてたんだろ? 海兵上がりのレジー・ギブソンとか、リディアの姉ちゃんとかさ。かなり厄介なコトに巻き込まれてたんじゃないか?」

『ああ……その件なら大丈夫だよ。もう全部……何もかも、終わったから』

 瑛士にそう返してくるマリアの語気は、どことなく切なげにも聞こえたが。しかしマリアのその語気が、深くを問うてくれるなと暗に告げているような気がしてしまい、瑛士はただ「……そうか」と返すだけで、深くを掘り返そうとは思えなかった。

『――――とにかく、昨日はご苦労だったね。報酬はちゃんと振り込んでおいたよ。気が向いたら確認しておいてくれ』

「了解だ。また何かあったら、いつでも声掛けてくれよ」

『それはお互い様だ。困ったことがあったら、いつでも僕を頼るといい。店にもたまには来てくれると嬉しいけれどね』

「蒼真の野郎に言っとくぜ。アイツはああいう店が好きだからな」

『ははは、違いない。じゃあ今度は玲奈ちゃんにメイド服を着て貰おうかな。クリスに玲奈ちゃんのサイズを用意しておくように伝えておくよ』

「謹んで辞退申し上げるぜ。……じゃあマリア、またな」

『ああ。じゃあ瑛士、また何かあれば』

 最後にそんな冗談を交わし合ってから、瑛士はマリアとの長話を終えた。

 通話を切ったスマートフォンを懐に収め、瑛士はやれやれと肩を竦めた後でうんと大きく伸びをする。

 そうしていれば、まだチャイムの音色が遠くから聞こえてきた。マリアと話している最中にも聞こえてきたから、これはきっと一限目の開始を告げるチャイムだろう。今頃、玲奈は教室で席について、うとうとと眠そうにしているのだろうか。

「……俺もそろそろ、行くとすっか」

 そんなことを何気なく思いつつ、無意識の内に表情を綻ばせ。瑛士は独り言を呟いてから、NSX‐Rのコクピットへと戻っていく。

 切っていたエンジンをもう一度始動させ、サイドブレーキを下ろしギアを入れ、そして発進。官能的なVTECサウンドを朝もや・・・の中に反響させつつ、純白のマシーンとともに走り去っていく。

 後に残るのは、遠ざかるエンジンの音色とテールライトの真っ赤な軌跡。それが次第に消えていけば、そこにはただ朝の静寂だけが満ちていた。

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