砂漠の地 (2)

 



 次の日クローサーが言っていたように砂丘の間にオアシスがあった。少々の緑が円形に囲む、ぽっかりと出来た湖だった。日も沈みかけた頃にやっと到着し、そこで二人して体を清めた。水に浸かるのに馴れると自然と身体は泳ぐのに適していた。


「泳ぎの得意な兎だな、服が乾くまでしばらく待ってろ」


 服の汚れを落とし、火の近くの木に服を干すクローサーの背中を小さな湖から眺めた。その背中には線のような傷跡が大小無数にあった。


 折檻されたことのある私にはわかる。あれは刀傷だけではない、ムチで打ったようなものも火傷のようなものまであるめちゃくちゃな傷跡だ。それが背中にだけ、集中的にやられている。


「クローサーも奴隷だったの?」


 彼は顔だけこちらに傾けると、また前を向いて服を干す作業に戻った。


「いや……これは自分でつけたものだ」


 これ以上は聞かない方がいいと悟った。むしろ聞かない方が良かった。彼はそれ以上なにも言わず、私も気まずさに湖面に潜った。


 そこまで昔のものでもないようだった。顔を出すのが怖かった。きっと私は彼の心の傷を呼び覚ましてしまったから。


 水の中は貝殻や水草も生えていて、息の続く限り私は顔を出せずにいた。なぜ彼は自分で自分を傷つけたのだろう。渾身の力を込めないとあそこまでの傷は残らないはずだ。何度も何度も引き裂かれ、新しい肉で赤みがかかって傷跡は膨らんでいた。


 水中のぼやけた視界に一瞬光るものを見つけてそろそろ息が限界を迎えていたが、潜ってその光を掴みに行った。それは貝殻から出る細い糸のようなもので、手繰ると糸だけがどこまでも伸びた。その光を掴んだまま私は水面に顔を出した。


「クローサー、これなに?」


 糸を持ったまま岸に向かって泳ぐと貝殻はついて来ず、糸はするすると伸びた。空気にさらすと光は失われ、持っていた糸を目で辿ると金色に輝く線は水中に繋がっていた。


「それは……」


 岸に上がり糸が私を引き止めるように重くなったので、グッと引っ張ると湖面が突如黄金色に発光した。何千本もの輝く糸が水中を揺らぎ、優しく照らしだした。まるで、地面に満月があるかのように。


「それはカイコガイの触手……こんなところに群生するのか」


「光ってる。ピグミ、びっくり」


「ああ驚いたな。希少性の高い生き物だ。貝子糸を加工すれば、とても高価な絹という布になる」


 地上の満月の光は見た目どうり高価なものになるようだ。


「美しいな……」


 ポツリとこぼしたクローサーはその光景に目を奪われているようだった。


 そうか、綺麗というものは彼にしか感じなかったが、彼と同様、私も目の前の光景に心動かされていた。同じものに共感するとは初めてだ。胸に込み上げるものがある。同じ場所同じ時間、言葉もなく同じ感情をもっている。


 それから私たちはクローサーのアイテムバックから出した小さなカヤックに乗り、枝でその金糸を採取した。カイコガイという貝は採取してしばらく時間をおくとまたヒョロヒョロとその輝く糸を放出する。私たちは金色に輝く水の上でキラースライムを食べながら、しばしばその光景に見惚れた。


「髪を梳かそう、汚れも落ちてだいぶ輝きが出た」


 背中を向かせられると彼が櫛を取り出して時間をかけ痛くないように髪の絡まりをとってくれた。口ずさむ彼の歌と水の音、髪を撫でる優しい手つきとお腹いっぱいの体、穏やかな時間。


 この時のクローサーの私への感情は同情に他ならなかったと思う。奴隷上がりの私、両親が面倒を見てくれていたのは物心つく前だ。人に情を持って接してもらったら、これ以上他に何を望むというのか。


 それほど深く、私の中で優しさというものの存在は大きかった。


「よし、可愛くなった」


 最後に前髪を整えてくれるとクローサーは目を細めた。月の上、風に揺れる前髪、目の前の私の世界。これ以上他になにを望むというのか。



 ***



 砂漠の岩山を登ると、遥か眼前に緑の世界が広がっていた。どこまでも続く、深い飲み込まれそうな木々の森。私の生まれた地と違い、大地の恵みが生きている。ここまで自然が生きている風景は初めてだ。


 遠く前方の岩肌の一部がオレンジ色に輝いて染まっていた。膨大な量の水が流れ落ちる滝だ。私達の背中に沈みゆく夕陽を反射して太陽の鏡になっている。


「あの滝はマテリヤの滝と言われ、旅人を癒すそうだ。下流には村がある」


「人の住むところ」


「そうだ、あそこはドワーフの集落だ。明日はそこに向かおう」


 振り返ると砂漠地帯に私たちの足跡がまだ薄っすらと残されていた。だいぶ遠くまで歩いてきたんだと思う。クローサーも一緒に振り返っていた。


 夕日が地平線に輝きながら消えると薄く夜がきた。夕日も同じ、一日の時間やサイクルも一緒。なのにあなたと見る夕日は違うもののように思えていたよ。足跡を眺めていたあなたが微笑んで私の頭を撫でてくれた。


 この頃のあなたが本当はずっと死にたがってたこと、あの子にはまだ教えていないんだ。



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