3 蛙の面に水より涙(3)
空気が凍りつく。紅葉もすっと青ざめる。
そこからは、あやねや太白や白木路がなにを話しても、気まずい沈黙が続いた。出されたお茶もすっかり冷め、美味しそうな料理も乾いていく。
紅葉だけはしきりにお茶を飲んでいた。いくら入れ替えても
空気を和ませるか、べつの話題を出すかしなければ、とあやねは口を開いた。
「ええっと、そういえば、素晴らしいお庭ですよね。ずっと気になっていたんですけど。池も美しいですし、緑も素敵です。とても屋内とは思えないです」
「まあ、お褒めいただいて嬉しゅうございます」
白木路が場を盛り上げるためか、大仰な笑みで答える。
「草鞋亭の庭は江戸初期に設計されました池泉回遊式庭園でございますの。滝や山を模した〝見立て〟の景勝が、見どころでございましてよ」
「でしたら、散策するのもいいですね。こんな綺麗な庭ですから……って、あの、失礼しました。紅葉さまのお衣装では難しいですか」
「いいえ、参りましょう。ここでは使用人たちの目もあって、改まりすぎて気兼ねなく話せません」
思いがけず、紅葉が強い声でいった。
「黙って座り続けるのも辛いですもの。いかがですかしら、公孫樹さま」
「気が進まない」
頭巾の奥から低い声で公孫樹が答える。紅葉が
「では、わたくし独りで参れと? なんのための見合いの場です」
「まあ、まあまあ。わたしと太白さんもご一緒しますから、ね」
あやねは腰を浮かせてなだめつつ、太白に目配せする。
「そのとおりです、公孫樹さん。紅葉さんをおひとりで行かせるのはどうかと」
「高階家の面子までつぶすつもりはありませんでしょう、公孫樹さま」
紅葉は気丈な表情でいった。公孫樹は吐息混じりに答えた。
「……そうまでいうなら」
いかにも仕方がない、という公孫樹の様子に、紅葉は眉を吊り上げると荒々しいまでに勢いよく立ち上がり、ばさりと袖をひるがえした。
「では、早速参りましょう。おまえたちは待っていなさい」
付き添いにそう命じて紅葉は背を向ける。
はあ、とまた吐息して公孫樹も渋々腰を上げた。あわててあやねも立ち上がるが、慣れない着物で正座だったので、足がしびれていた。
「ひえっ」
情けない悲鳴を上げて、あやねは見事にすっ転ぶ。
なんとか手をついて身を起こしたものの立ち上がれない。太白にしっかりしているといわれたのが冗談みたいなドジぶりだ。
いますぐ床に穴が空いてほしい、そのまま落っこちて地の底で埋まりたい!
必死の願いも
「立てますか。僕につかまってゆっくり立ってください」
「も、申し訳ないです。本当に、重ね重ねご迷惑をおかけして」
あやねは取引先にいうみたいにいってしまう。実際、取引先なのだけれど。
なんとか太白の手のひらを握って立ち上がる。
さりげない接触に、中学生のように胸をどきどきさせてしまって、いえいえ、これは仕事だから、仕事ですから、とあやねは暗示をかけるようにいい聞かせる。
すると、白木路のおかしそうな声が聞こえた。
「そういえば、フロントロビーでも、草履を履かせてあげてらしたとか。いえいえ、仲がよろしいと申し上げたかっただけですのよ」
小一時間ほど前のことをもう聞き及んでいるなんて、かなりの地獄耳である。あやねは恥ずかしさで、耳まで熱くなった。
「いま、庭に敷き物をご用意いたします。少々、お待ちくださいませ」
「要りません」
付き添いの言葉を、紅葉はすぐにさえぎった。
「ですが、ご衣装が汚れてしまいます」
「かまいません。汚れようがどうしようが、無駄な代物ですもの」
つんとして紅葉は答え、重たげな着物の裾を引いて歩き出した。
「わかりました。行ってらっしゃいませ。お召し替えはご用意しておきます」
仕方なしに、白木路や紅葉の付き添いたちが手をついて頭を下げる。
彼女らに見送られて、あやねたちは
あやねは庭を見渡す。池の周囲を巡る園路から鑑賞する作りらしく、水面をよぎる道は飛び石で、紅葉の大仰な衣装では歩きにくそうだ。
そう思っていると、先を歩く紅葉に公孫樹がいった。
「そちらが好きにするなら、せめてこちらが散策の道を選ばせてくれ」
【次回更新は、2019年11月8日(金)予定!】
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