第8話 小林、女の闇を見る

 薄暗い倉庫の中では分かりづらかったが、倉庫に保管されていた古いデスクの表面は、指を滑らせると埃の道ができるほどに汚れていた。まぁ、当たり前か。


「主任! シャツが黒いっすよ!」


 尾形に言われ、二人でデスクの前後ろを持って会社まで運んで来た私のスーツは、汚れのタイヤ跡みたいなのがあちこちに付いてしまっていた。これは妻に怒られる。

 机も椅子もあちこちがベタベタしており、これは中に入れる前に掃除しなければならない。


 結局、デスクと椅子を三台づつ、会社の敷地内の駐車場に運び込み、私と尾形で掃除をする事にした。椅子も錆でギコギコと音がしている。これは早いところ、新しいデスクと椅子を申請しなければ。


「そう言えば、朝宮ちゃんの事っすけど」


 雑巾掛けをしていると、突然、尾形が話を振ってきた。物凄い大回りをして、最初の話題に戻ってきた。


「そう言えば、彼女、一人きりでずっと居させちゃってるな。部屋に運んで掃除したほうがいいか?」


 多分、何にもない倉庫だから掃除機を一周させれば掃除も完了してしまうから、もう暇を持て余している時分かもしれない。


「でも、あっこ、窓拭きしてますよ」


 尾形が会社の三階の窓を指差した。異動したばかりだから、私はどこが自分らの部屋か分からないが、確かに朝宮さんらしき女性が窓を掃除している姿が見えた。


「あんな小さいのよく見えたな」

「俺、ゴールキーパーしてましたから、目は両方いいんす」


 そう言えば、こいつもサッカーやってたんだっけか。前に結構強かったとか聞いた事がある。

 ふと先週のタクヤの事が頭によぎった。


「なぁ、尾形。お前らの部活って、イジメとかあったか?」

「なんすか、急に?」

「いや、別に。なんとなく」


 何がなんとなくなのか自分でも分からない。何かあるのが見え見えだ。


「俺らの時代は、まだ先輩が怖かったっすから、同級生をイジメてる暇なんてないっすよ」

「そう、なのか?」

「俺ら、全国目指してましたから、イジメなんて弱いトコが暇潰しにやるもんじゃないっすか?」


 なんか、尾形にしては、まともな意見な気がする。

 確かにタクヤも朝早くから夜遅くまで練習している。しかも、大学でもサッカーを続けたいからと、ちゃんと家に帰って来てから勉強もしているらしい。

 イジメなんてしてる暇もされてる暇もなさそうだ。下手したら私よりも忙しいかもしれない。


 やはり、私の思い過ごしだろうか。


「なんすか、主任の息子さん、イジメられてるんっすか?」

「えっ?」


 なんで、尾形がこんなに鋭いんだ?


「ずっと手止まってますよ、イジメの話してから。なんか、嫌なこと考える時、主任、そう言うとこありますよね?」

「そうなのか?」

「俺、キーパーっすから、人の癖とか見抜くの上手いんす」

「それ、キーパー関係あるのか?」

「ありますよ。PKとかで蹴る方向とか、試合でどこに撃ってくるとか、頭に入れとかないと!」


 コイツにそんな高度な事ができたとか、とても信じられんが。


「で、朝宮ちゃん、なんですけど」


 また、尾形が話を戻して来た。

 朝宮さんの話になると、話が逸れるな。


 こう見ると一人でサボらずに掃除もちゃんとしているし、勤務態度に問題がありそうでもないが……いい面を見れば見るほど、裏に潜んでいる闇が巨大に見えて、なんか怖い気もする。

 彼女はなんで、この部署に異動されられたんだ?


「経理課の子に聞きましたけど、仕事はめっちゃ出来るらしいっすよ、彼女。S女子大だし。簿記も一級持ってるらしいっす。公認会計士も勉強してるって」


 すご。経理部からしたら即戦力じゃないか。いよいよ、なんでうちに異動させられたのか分からない。


「あの子、なんかめっちゃ遅刻魔らしいんですよ。しかも、仕事中に良く居眠りもするとか」

「居眠り? それなら俺もやるぞ。漫喫とかで」

「そう言うのじゃなくて、パソコン弄ってて、寝ちゃって画面に頭突き系っす。あと、残業もあまりやらないし、あんな性格なんで付き合いも悪いみたいで、それで結構、経理で浮いてたっぽいっすよ」


 素行不良なのか。

 きっちりしてそうだけど、人は見かけによらないのか。


「居眠りや遅刻って、そんなズボラな性格には見えないけどなぁ」


 ちゃんと窓も拭いてるし。

 今気付いたが、朝宮さん、さっきから同じ窓しか拭いていないような気がするが……そんなに汚れてるのか、あの窓?


「それで経理でずっと噂になってたらしいですよ」

「朝宮さんが? 何の?」

「彼女、なんか副業やってるんじゃないかって?」

「副業?」


 確か、うちの会社は古い会社だから、時代の流れからは取り残され、今でも原則副業は禁止だったはず。

 まぁ、現場は比較的緩いので、仕事に支障が出ない範囲なら目を瞑ると言う許容くらいはあるのだけど。


 ただ、遅刻と居眠りが多いとなると、業務に支障が出まくりだけど……


「だから、あまりにも遅刻と居眠りが酷いから、ちょっと前に経理部の課長と女子社員のお局さんが彼女に聞いたらしいんですよ。『怒らないから、言ってごらん?』って」


 それ、子供に使う文句だろ。しかも、絶対怒るやつ。


「それでも彼女、口を割らなかったらしいですよ」

「そりゃ、そんな聞き方したら、誰でも言わないだろ」

「でも、絶対にやってるっしょ? あれだけ遅刻と居眠りしてたら。多分、それが原因で異動になったんじゃないっすか? 表に出ないうちに、他の部署に投げちゃおうって腹ですよ」

「表に出ないうちって、どう言う事だよ? 」

「しゅにぃ〜ん」


 そう言って、尾形が大きなため息を吐いた。


 え? 何そのリアクション?

 私、なんか変なこと言ったか?

 てか、コイツ、なんで上から目線なんだ?


「遅刻と居眠りして、会社に言えない副業なんて、一つに決まってるじゃないですか」

「何だよ」

「あの美人ですよ。それが人に言えない副業って言ったら……」

「……え? まじ?」


 私は後ろの窓を振りかって、念の為、朝宮さんの姿を再確認した。ちゃんと一生懸命、窓拭きしてる。なんで、同じ窓ばかり拭いてるのかは、別として。真面目な子だ。同じ窓しか拭かない理由は知らんが。


 よし! 確認完了。


「いや、彼女に限ってないだろぉ!!」

「主任、女って言うのは『自分の隠したい本当の姿の対極の自分を演じる生き物』なんですよ」

「なんで、お前に女の指導をされなきゃいけないんだよ」


 しかも、なんだその歴史の偉人の名言みたいな言葉は。

 とっとと結婚しろ。


「て言うか、何でお前、そんなに詳しいんだよ?」

「そりゃ、美人ですからね。営業部でもちょっと噂になってたし、後輩に情報を売るために知り合いを頼って、情報を仕入れてた時期があったんす」

「お前、そう言うところは営業に向いてるよな」


 基本、内向的な私にはない能力である。


「で、みんなが気になってたんで、この前、たまたま彼女が一人でいるところを見かけたんで。俺が彼女に聞いたんっすよ」

「何を?」

「だから『キャバ嬢やってんの?』って。流石にそこはソフトに聞きましたけど。そしたら顔真っ赤にして、逃げられちゃいましたよ」

「それじゃねぇか、お前が嫌われてる理由は!」

「何でですか? 気を使って、キャバ嬢で止めてるじゃないっすか!」

「それをソフトって呼んでるのお前だけだよ!」

「えええええ!」


 何が『思い当たる節がない』だ(しかも真顔で)。ど真ん中ストレートで嫌われに行ってるじゃないか。


「お前、さっき俺を『女心が分からない』って言ったのも取り消せよ」

「いや、それはお互い様って事で」


 冷静に切り替えしやがった。確かに私が分からないのは事実だ。


「とりあえず、後で朝宮さんに謝れ! ばか! 下手したらセクハラだぞ、それ」

「ええ! 今の時代って、そんなに厳しくなってるんっすか!」

「そこは、ずっと前からNGだ! 馬鹿!」


 机は綺麗になり、尾形が嫌われている理由は判明した。


 ……てか、朝宮さん、結局最後まで同じ窓ばっかずっと拭いてたぞ? あの窓に何があるんだ?








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る