死の谷より深い何か

 令和、それが今の元号らしい。

 日本での最後の記憶は平成十三年で、西暦だと2001年だった。


 そーなると…… 十九年の時が流れたことになる。


「ごめんなさいね、昔仲が良かった人に似ていたから」

 加奈子ちゃんは店のカウンター奥に座って、苦笑いしながら在庫表とカタログを俺に見せてくれた。


 展示スペースがあまりない個人商店だから、カタログで選んでくれれば在庫から出してくれると言う。


 俺は都合カウンター前の客席に座った。

 店内は昔のまま、時が止まったかのように変わらない。


 二十坪ほどの狭い店内には中学や高校の制服が並び、残り半分に紳士物のスーツやシャツが並んでいる。


 変わったのは、そのスーツのデザインや制服を着たポスターのアイドルぐらいだろうか。


 カタログの写真よりもその年号や記事に驚いていると、加奈子ちゃんは少し楽しそうに今の日本を説明してくれる。


 十九年…… そう考えると、あの世界にそのぐらいいたような気がしてならない。師匠のしごきは十年以上続いたことになるが、出来の悪い俺が何かを成すにはその程度の時間が必要だったのだろう。


 俺が二十歳ぐらいにしか見えないのは、不老不死と呼ばれる龍王の血を浴び過ぎたせいか、師匠のしごきや魔族軍との戦いで回復魔法を受け続けたせいか……


 心当たりがありすぎて、もう、何とも言えない。


 そう言えば、回復するたびにどこか容姿が変わる気がしたから、師匠に聞くと、

「回復術はその者の内面を反映するからな。心が美しく精神が強ければ、それが体となって現れる」


 そんなことを話してくれたっけ。


 て、ことは…… 俺の心がまだガキってことだろう。

 三十四歳のガキって、ある意味痛い存在だな。


 加奈子ちゃんは不思議そうに俺の顔を眺めることはあったが、特に質問はしてこなかった。だから俺から話題を振ると、


「その仲良かった人って、今はどうしてるのですか」

「もう失踪届が成立してるから、書類上は死亡してることになってると思う」

 ロングふわりとした髪をかき上げ、少し悲しそうに微笑む。


 そのしぐさが妙に色っぽくって、思わずたじろいでしまったが……


「――その人の家族は?」

「皆元気よ、むしろ彼がいなくなってホッとしたみたいで」


 喜ぶべきか悲しむべきか微妙なラインだが、家族が辛い思いをしていないなら素直に喜ぼう。


 突然訪ねなくって本当に良かった。


 しかしこの後の身の振りがいよいよ問題になる。

 そーかー、もう戸籍も無いのか。


 俺と同い年の加奈子ちゃんは三十四歳のはずだが、肌もピチピチで若々しく、二十四歳だと言われても信じたかもしれない。


 大きな瞳には強い意志が感じられ、どこか人目を惹く魔力のような物を感じる。魅了チャームを使う魔女やサキュバスも同じような瞳を持っていたが……


 加奈子ちゃんの瞳の奥には、聖女と同じ慈悲の灯火が揺れている。

 小・中学時代ずっとクラスのマドンナだった加奈子ちゃんの変わらぬ笑みは、俺の胸を締め付けた。


「じゃあ念のため肩回りのサイズを測ってもいいかしら」

 加奈子ちゃんが小さなメジャーをもって俺に近付いてきた。


「スラックスはそのままでも目立たないと思いますから、それに合うシャツとジャケットを選びましょう」


 そう言いながらメジャーを俺の首や腕に当てる。

 時折チラチラと俺の顔を見ては、ため息をついたり小さく首を振ったりした。


 年齢が違い過ぎるし顔も多少変わってるから、俺だってことはバレないだろう。

 旦那さんもいて可愛い娘もいて、幸せに暮らしてるのなら、やはり退散しよう。


 今更死んだ人間が現れたら、加奈子ちゃんだってきっと迷惑だ。

 それに体勢を変えるたびに揺れる二つの膨らみは凶悪過ぎる。


 ピッタリとしたニットから自己主張の強すぎる大きな胸の形が良く解ったし、短いタイト・スカートから延びるストッキング越しの太ももは、俺の脳天を揺さぶった。


 胸元から覗く深すぎる谷間は、前の世界で師匠に叩き落された「死の谷」より深そうだ。


「じゃあこの服とこれを倉庫から取ってくるから、少し待ってね」


 一緒に選んだシャツとジャケットのメモをもって加奈子ちゃんが席を立つと、遠くから俺をチラ見していた例の少女が恐々と近付いてくる。その足取りは恐れと餌欲しさに葛藤する子猫のようだった。


 最後に加奈子ちゃんの愛娘と話をするぐらいの褒美があっても良いかもしれない。


 俺が怖くないよと笑顔を向けると、猫のようにきょろきょろと左右を確認してから走り寄ってくる。


「ねえ、イケメンのお兄さん。ひょっとしてモデルとか声優とかですか?」


 この変な恰好から何かを想像したのだろう。

 確かに役者が何かのイベントの帰りに寄ったとすれば、つじつまが合いそうだ。


 しかしイケメンってなんだ?


「違うよ、ただ……」


 加奈子ちゃんの話だと素性を隠さなきゃいけなさそうだし、この容姿じゃあ本当のことを話しても年齢が合わなくて余計怪しまれる。


「日本じゃない場所に長くいただけだ」


 嘘はつきたくなかったし、肝心なことをぼかして何とか言い逃れようとすると、


「外国にいたんですか、じゃあ、母とはどんな関係?」

 グイグイ迫ってきた。


 もう可愛らしい大きな瞳がキラキラだ。

 高校時代の加奈子ちゃんを知らないけど、きっとこんな感じだったんだろう。


 ストレートの肩までの髪と、ひざ下まであるスカートは真面目な高校生を連想させたが…… ブレザーの胸を内側から押し上げる二つの膨らみは、どこか凶悪さを感じる。


 遺伝ってやつだろうか。


 くるくると変わる表情も愛らしく、この子もきっと加奈子ちゃんと同じようにクラスのマドンナと呼ばれている気がする。


「マドンナ?」

 俺がそんなことを考えてたら、まるで心を読んだかのようにそう呟いたが……


 聞き間違いだろうか?


 念のため目に魔力を込めてサーチ魔法を展開すると、

「身長166センチ、ヒップ76、ウエスト56、バスト90のEカップ」

 そんな魅惑のデータが表示される。


 相変わらず俺の魔法はキレキレだが、肝心なものが見つからない。

 やはりどこかで微調整が必要そうだ。


 気になることは、その瞳の奥で揺らいだものが加奈子ちゃんとは違う…… それも異世界で感じたことがある何かだったが。


 ――流石にそれは無いだろう、まだこの世界に慣れていないだけだ。


 俺は小さく首を横に振って、


「昔この辺りに住んでて、親父が常連でこの店を気に入ってて…… 連れてこられたときに、加奈子さんに相手をしてもらって……」


 事実を話しながら、できるだけ核心を避けるように話をはぐらかしていると、


麻也まや、お客さんが困ってるでしょ、その辺で止めときなさい」

 加奈子ちゃんが商品をもって帰ってきてくれた。


「全部で一万二千円だけど、今日は半額セールの日だから六千円で良いわ」

「嘘、うちでそんなセールしてない」


「良いの、今お母さんが決めたんだから」

「えー、イケメンだからってズルい。あたしのバイト代も倍にしてよ」


 笑いあう二人は仲が良さそうで、ついつい心からの笑みが漏れる。


 きっと知り合いの幸せを間近で感じれたのと、日本に帰ってきた実感がわいたからかもしれない。既に十九年経過していたことや自分の家族の状態はシビアだが、まあ魔法もなんとか使えそうだし、こっそり生きて行くことぐらい何とでもなるだろう。


 師匠が言っていた真の幸せを探すために、この世界に戻ったのだから。



「助かります。持ち合わせが少なくて、お言葉に甘えていいですか」

 このまま立ち去ろうと、この世界にいた頃の財布を取り出すと、


「もう…… まだその財布使ってたの?」


 加奈子ちゃんは大きな瞳に涙をため、渡した札を確認するように眺めた。

 慌てて財布をローブに隠し、


「何のことですか?」

 とぼけながら頬を掻くと、


「夏目漱石には久々にお会いしたけど、もうそれ以上よね。言い訳するときに頬を掻く癖も治ってない」

「えーっと……」


「逢いたかった」

 加奈子ちゃんは微笑みながら、涙をポロリと床に落とす。


 すると不意に足が止まってしまった。



 どうやら俺は、死の谷より深い何かに落ちてしまったようだ。

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