第28話 最後の推理

「やあさくら、約束通り会いに来たよ」と俺は言った。


 さくらは目を大きくし、口元に手を押さえていた。絵に書いたような驚き方だった。

 今まで接してきた“今井洋子”の格好をしていたが、俺に指摘されて、自信のない雰囲気や仕草が現れ出していた。さくらであるということは一目瞭然だった。


「先輩、どうしてここに……」とさくらは言った。

「約束したじゃないか、お昼に会おうって。もっとも、メールで約束した待ち合わせ場所ではないけどな。まあ、会えたんだからいいじゃないか」

「はい……」

「とりあえずどうだろう。君の部屋に上がらないか? 今井さんに説明する必要がなくなったんだからさ」

 さくらは、ゆっくりと頷いた。動揺しているようだった。

「じゃ、じゃあ部屋に」

「ああ。そうしよう」


 俺たちは家の中に入っていった。玄関で靴を脱いでいると、さくらがスリッパを出してくれた。俺はありがとうと言った。


 さくらの部屋に入っていく。机の上にはお決まりになったパソコンとスピーカー、そしてヘッドセットが置かれていた。

 座ってくださいと言われ、俺は定位置となっているテーブルの前に座った。さくらは、向かい合うかたちで座った。いつもとは違い、距離は近かった。変装が見破られた今、離れる意味がないからだ。


 俺は言った。「カツラやメガネは取ってしまったらどうだ?」

「そ、そうですね。そうします」とさくらは言った。

 さくらは両手で髪の毛を掴むと、カチューシャごとそれを外した。黒髪の短い髪が顔を出し、がらりと雰囲気が変わった。茶髪のカツラは、その使命が終わりぐったりしているように見えた。

 赤いメガネも外すと、折りたたみ机の上においた。


「これでさくらが出てきたな」と俺は言った。

「なんだか恥ずかしいなあ……」

「その姿で、今井洋子の声をしていると、おかしな感覚がするよ。もっとも、それがさくらの声なんだがな」

「すいません……」とさくらは申し訳なさそうに言った。

「どうして謝るんだ」

「だって先輩を騙していたわけですから」

「気にすることではないな。俺も楽しませてもらったよ。まさか変装していたとはね」

「お、怒ってないんですか?」

「怒る? どうして。俺に騙された気持ちはない。いい仕掛けをしてくれたと喜んでいるくらいだ」

 俺が笑いかけると、さくらも少し笑った。安心したのか、顔から緊張は消えた。


「そう言ってくださって、良かったです。怒られんじゃないかと……」


 俺は笑みを忘れず、首を左右に振った。「気にしすぎだ」

「ああ、良かったぁ……良かったぁ……」とさくらは胸に手を当て言った。泣き出しそうな勢いだった。そしてちょこんと頭を下げると、「ありがとうございます」


 俺は自分の頭をとんとんと人差し指で叩きながら、

「ところで、ヘッドセットはつけなくていいのか?」

 さくらは楽しそうに笑った。「この声に慣れてもらわなくちゃならないので」と冗談ぽく言った。もう緊張はなくなったようだった。

「でも、いつから変装しているって解ったんですか?」とさくらは不思議そうに言った。「まさか初めからではないですよね」

「もちろん」と俺は言った。「証拠もなかったし、そもそも絶対に変装しているという確証もなかった。だが、おやっと思うことが幾つかあったんだ。それらの情報をかんがみてみると、変装しているかも知らないと思い至った」

「どんなところが、おやっと思ったんですか?」


「初めから説明していこう。

 まずは、さくらがヘッドセットをしていたことだ。声が小さいからと言っていたが、別に喧騒の中で喋っているわけではないんだ。それに、まったく君に近づかせてもらえなかった。初めは恥ずかしいからだと思っていたが、親しくなってきても一向に距離を取られたままだ。近付こうとすると、必死になって止められた。恥ずかしいというだけではなく、なにか理由があるんだと俺は考えた。ヘッドセットをしている理由と、関係があるのだろうか? と。

 次に、今井洋子から送られたメールがグーグルメールだったことだな。パソコンで送られてきたのなら疑いはしなかったが、スマートフォンである。今はアプリでもメールができるというのに。

 今井洋子と会うことになり、伊達メガネであることに気づいた。フレームから見える景色にまったく歪みがなかったからだ。伊達メガネであるということは解ったが、これはファッションのためであろうと納得はできた。しかしながら、胸には残っていた。

 三度目の訪問のあとだったかな? リビングで君の母親に今井洋子のことを話してみると、なぜだかあまり話が噛み合わなかった。さくらが学校を休んでること知っていたっけと言っていたし、さくらと仲が良いはずなのに、情報がぜんぜん出てこなかった。これも一つだな。

 今井洋子と一緒に捜査することになり、その時に彼女は殺された猫の貼り紙に気づいたが、見たこともない猫のことをあんな一瞬で解るとも思えなかった。確信したように言っていたし、まるで見たことがあるふうだった。

 見たところ、今井洋子は女子大生だ。だが、門限は八時だと言っていた。家庭によってルールは違うものであるが、俺は珍しいなと思った。高校生ならまだ納得はできるがね。

 それらの情報をもとに考えてみると、変装をしてるのではと思い至った。他にも幾つか仮説があったが、変装と考えたほうが蓋然性があった。今井洋子は岸田さくらであり、岸田さくらは今井洋子ではないかと。確信はなかったが、そう考えると説明もできるのだ」


 さくらは興味深そうに頷いていた。俺は続けて言った。


「では、ヘッドセットをしていたのも、声が小さいからではなく、声を変えるためなのかも知れない。いくら上手く変装できたとしても、声で勘づかれてしまうからね。それなら、俺と距離を取っていたわけも解る。地声が聞こえてしまうからだ。だから近寄らさせず、スピーカーを俺の近くに置いた。机の上にはパソコンも置いてあったからな。

 グーグルメールで送ってきたのも、俺がさくらのメールアドレスを知っていたからだ。今井洋子と名乗っているのに、さくらのメールアドレスでは可笑しい。だから、グーグルメールだった。

 では、伊達メガネだったのは、ファッションのためでなく変装の一つだったのかも知れない。あの茶髪もカツラで、カチューシャをつけていたのは“落ちないように固定していた”からか。

 なるほど、従姉に化けてしまえば多少顔が似ていても、なんらおかしなことではない。よく考えたものだ。

 それに、俺は今井洋子の声をどこかで聞いたことがある気がしていた。気のせいかと思ったが、いま思い返してみれば、さくらたちが大学生に絡まれていた時にその声を聞いたんだな。

 そして、君のお母さんと今井洋子の話で噛み合わなかったことだが、『今井洋子』のことは通じたのだ。つまり架空の人物ではないということだろう。本当に今井洋子といういとこがいるのだろうね。話が噛み合わなかったのは、実在の今井洋子とはそこまで接点がないということだろう。さくらとも連絡を取り合うほどの仲ではないのかも知れない。

 貼り紙のことも変装していたと考えると説明がつく。単純なことだ、さくらだからすぐに解ったのだ。

 門限が八時だというのも、女子大生ではなく、高校生だからだ。高校生でも八時というのは早い気はするが、一人娘であるし、君のお父さんは過保護なほうだ。門限を八時に設定してもおかしくない。

 というわけだ。下手な説明だったが、これで解ったかな?」


「はい、もちろんです!」とさくらは嬉しそうに言った。「ほんと、凄いなぁ……変装だって気づくんだもん……」

「確証があったわけではない。自信もあったわけでもないんだ。こじつけみたいなものだからな。だから現場を押さえるために家の前にいたんだよ。もし間違っていたら、俺は今頃遅刻だ。待たせていたことになる」

 さくらは笑いながら言った。「なるほど。わたしが変装していて良かったですね」

「まったくだよ。ありがたい限りだ」


 そう言うと、さくらはまた笑った。


「しかし、凄いな、メイクや髪型でだいぶ違ってしまうんだから」

「変装していたわたしは、どうでしたか?」さくらはおずおずと言った。

 俺は言った。「素敵だったよ、とても」


 さくらは照れたように笑い、体をもじもじさせた。「は、恥ずかしいなあ……、でも嬉しいなあ……」

「だが、なぜ変装をしていんだ? 外に出たいが為だとしても、俺まで欺く必要はなかったように思うが」

「そ、それは」さくらは目を泳がし、頬を掻いた。とても焦っているようだった。「その、先輩を驚かせようと思って」

「怒られるんじゃないかと怯えていたのにか?」

「え、ええと……それは……」

 さくらはますます焦りだし、耳まで赤くさせた。


「まあ、言いたくなければいいさ。言う必要なんてないんだから」

「あ、ありがとうございます」

 さくらは安堵のため息をついていた。いちいちさくらは面白い反応を見せてくれる。


 これならば、もっともっと友達もできるだろう。案ずることはない。

 ──俺もお役御免だ。


「きっと上手くいく」と俺は言った。さくらは、えっと不思議そうにしていた。

「君には変装してしまうような大胆さも勇気もあるんだ、学校でも上手くやれるよ」

「そ、そうですかね」

「恐れることはないさ。笹山ゆきだっている。またその素敵な笑顔を見せてやりなさい」

「す、素敵……えへへ」


 さくらは嬉しそうに口角を上げ笑った。


 そう、その笑顔だ。

 見るものを暖かい気持ちをしてくれる、素敵な笑顔だ。俺のものとは大違いの笑顔。自信を持っていいんだ。平気だ。

 彼女の両親も、我が家とは違い暖かな人たちだ。悩んでいたらきっときっと助けてくれる。この苦い経験だって、将来必ず役に立つだろう。笑える未来が、そこにはある。恐れることはないさ。

 暖かい人物には、暖かい人たちが集まる。


 その時、ふと我が家の汚いアパートの部屋が頭に浮かんだ。


 同時に親父の罵りと、その酒臭い息も甦った。そこには、一人、本を読みながら缶コーヒーを飲んでいる俺がいた。それに慣れている俺がいた。


 気がつけば、俺の表情から笑みが消えていた。ぴたりと心の高揚も消えた気がした。


 少しの沈黙が流れ、さくらは心配したように俺の顔を覗きながら言った。


「どうしたんですか?」

「いや」顔を上げ、笑みを作った。「なんでもないよ」

「そう、ですか」

 俺は話題を変えるように言った。「いずれは、本物の今井洋子さんに会ってみたいな」


 さくらはくすりと笑い、

「二児の母なんですよ」

「なるほど、そんな人に化けるとは。勇気がある」

「先輩が会うことはないと思って」

「だろうな。大胆だが、筋は通っている」

「それを見抜く先輩は、やっぱりすごいですよ。わたしのミスを見落とさなかったんですもの」


「そんなもの、役には立たないんだがな」と俺は言った。さくらもなにやら反論を言おうとしていたが、俺はそれを聞こうとはしなかった。「では、そろそろいくよ」

「えっ、もうですか?」

「ああ」

「ご飯を食べて帰ってくださいよ。お母さんも喜ぶはずですから」


「ありがたいが、遠慮しておくよ」

「そ、そうですか……」さくらはがっかりして言った。

「また学校でな」

「は、はい……」

「なにかあればまた相談室に来なさい」と俺は言った。「ではまた」


 俺は立ち上がると、歩き出した。すると、さくらに呼び止められた。俺が振り返ると、さくらは頭を下げた。


「先輩、ありがとうございました! 助けてもらいまして。必ずお礼をさせてもらいます!」


「……いいさ、そんなもの。言っただろ、学校に来てくれるようになればいいって。俺の出る幕はもうない──。じゃあな」


 俺は扉を開け部屋を出ると、さくらの顔を見ないように後ろ手で閉めた。見ることができなかったのだ。


 そのまま、数秒間じっとしていた。


 静寂の中だった。陽の光が上手いこと入らず、廊下は薄暗かった。

 俺はその中で、じっとしていた。

 なぜすぐに動き出さなかったのだろう?

 そうか。彼女に呼び止めてほしかったのか。我ながら勝手だ。

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