第49話 葛西水龍①
東京湾の埋め立て地はいくつもの島に分かれていて、それぞれの島を渡る橋がいくつも通っている。細長い水路なので川を渡っているように見えるが、実際は海だ。有明から葛西に向かう際には海沿いの道をまっ進めばよい。2つほど橋を渡ったところで荒川に行きつく。ここは新木場の東端で、荒川の向こう側は江戸川区だ。
海沿いに塀があるので川やその向こう岸は見えないが、ここまで近づくと葛西臨海公園の上空にいる邪龍と葛西水龍もよく見える。今は戦っているというよりは、距離を取りながらお互いに相手の様子をうかがっているようだ。
「あれが葛西水龍・・・、そして邪龍か」
江戸川区郷土資料室で見せてもらった邪龍の爪と鱗の破片を思い出す。あれはほんのかけらだったが、本当にあの邪龍の一部なのだということが実物を見てよくわかる。とても大きな龍の体は、あの破片と同じように黒く光っている。
「どうやって向こう側に行くのかな」
「あの橋を渡るんだ」
海野の指す方を見ると、荒川のこちら側、つまり江東区側から江戸川区側へ高架がいくつかかけられている。高架は荒川の先までずっと続いているようだ。
「これって、京葉線じゃないの?あと首都高だよね。自転車じゃ通れないんじゃない?」
「ああそうだ。でも実は京葉線、首都高速湾岸線と並行して、国道357号線もあるんだ」
「国道?」
「こっちの道は高速道路じゃないから自転車でも通ることができる。歩道があるから徒歩でも荒川を渡ることができるぜ」
いつもは電車を使っているし、その電車も東京メトロの東西線なので海沿いのことはあまり詳しくない。そんな道路があることは知らなかったが、今はそこを行くしかない。
「急ごう」
荒川ほどの太い川を自転車で渡るというのはあまりない経験だ。橋の上に行くと、江戸川区から避難しようとする車が江東区方面に向かって渋滞していた。江戸川区に向かう車はさすがにほとんど無い。橋の下を見てみる。高架なのでとても高いところを通っていて、高所恐怖症の人はとても通れないだろうと思う。俺はドラゴンは苦手だが高いところは平気だ。川の真ん中には当たり前だが建物も何も無く、空がとても広い。こんな状況じゃなければどてもすがすがしい気持ちなんだろうな。橋の上からは荒川沿いの街が良く見える。左側の遠くに見えるもう一本の高架は東西線の電車だろうか。船堀タワーまでは遠くて見えないが、東西線のもっと奥にあるはずだ。
すぐ横を走る知恵の横顔を見てみる。初夏の日差しに照らされて、遮るものの無い空と海の青の中でキラキラと輝いて見える。なぜ俺は知恵についてくるなと言わなかったのだろう。彼女を大切に思うならばこんな危険なことに連れてくるべきではないはずだ。きっとまだ俺は情けない人間のままなのだろう。不安だったんだ、知恵がそばにいてくれないと。でもきっと大丈夫。知恵と海野が言ってくれたように、このチームのリーダは俺だ。頼ってもらえるというのは、力が湧いてくる気がする。
「どうかした?」
「いや、なんでもないよ」
橋の終わりが見えてくる。この橋を渡り切ったら、いよいよ葛西臨海公園だ。父親に教わった邪龍の封印方法を思い出す。失敗するわけにはいかない。知恵とあちこちを見て回るうちに、俺はこの街にも情が移ったのかな。この街を滅ぼされるのもなんだか嫌みたいだ。
* * *
「で、ここからはどうするんだ、竜一」
葛西臨海公園の入口近くで自転車を置いて、ここからは徒歩だ。邪龍と葛西水龍もすぐ近くにいるはずだ。上空には見えなかった。それぞれ地上に降りてインターバルを取っているみたいだ。
「まずは葛西水龍のところまで行こう」
「邪龍じゃなくて葛西水龍なの?邪龍を封印しに行くのに」
知恵の疑問はもっともだ。
「邪龍は人間を敵対視しているんだ。いきなり邪龍に近づいたらすぐに標的にされてしまう危険がある」
あの大きな邪龍に攻撃されたら、人間なんて簡単に死んでしまう。
「だからまずは葛西水龍に近づいて、その陰に隠れながら邪龍のそばまで行くんだ」
「でも大丈夫なの?葛西水龍に襲われることはないのかしら」
「葛西水龍は暴走した邪龍と戦っているから人の味方のはず。でも興奮しているかもしれないから気を付けないと」
「そういえば葛西水龍だけじゃなくて、江戸川区の小型ドラゴン達も出てきているのかな」
江戸川区郷土資料室で見た絵ではたくさんの小型ドラゴンが人々と生活を共にしていた。きっと葛西水龍が復活したのなら小型ドラゴンも現れるはずだ。
「あ、そんな話をするとあんなところに。でも、何か怒ってる?」
振り返るとそこには絵で見たドラゴンと似た白い小型竜が歩いていた。こっちを見て「ぎゅるる」「ぐぉお!」吠えており、確かに怒ったように見える。
「あ、こっちに来るぞ」
江戸川区の小型竜がこちらの走ってくる。突然目覚めて、邪龍もいることでこの街のドラゴンも興奮しているのか。小型竜の知能は親龍よりも低いと言われている。葛西水龍は冷静でも小型竜はこの状況に混乱しているのかもしれない。
額に汗が流れる。覚悟を決めたとはいってもドラゴンを克服したわけじゃない。あの鋭い爪、大きな口、白い鱗。その全てが生理的に受け付けられない。
でも、いつまでもダサいままじゃいられない。鞄から手ぬぐいでくるまれた包みを出す。先ほどお父さんから渡されたものだ。手ぬぐいを急いで穿き、中身を取り出す。入っていたのは笛だ。俺が子供のころから使っていた木笛。通常は祭りの演奏で使うもので、俺や竜彦は子供の頃から笛や太鼓の練習もさせられていた。
口をつけ、指を穴に添える。さっき出発前に少し教わっただけだが、要領はわかる。いつもの演奏を少し変えるだけだ。息を吹き込むと聞きなれた気笛の高い音が鳴り始める。久しぶりなので音を確認しながら慎重に指を動かす。通常の演奏とは違い、心地よい音楽ではない。単調な音の組み合わせを繰り返すように演奏していく。
「おい、ドラゴンが落ち着いたぞ」
さっきまで吠えていたドラゴンは笛の音を聞くとだんだん落ち着き、ゆっくりと振り返るとどこかに歩いて行った。
「すごい竜一くん!これがドラゴンを操るってやつなのね」
「そうみたいだ。俺も初めてやったから、うまくできてよかった」
笛を握り締める。俺にもできることがあるんだ。このまま邪龍も封印して、明日になったら学校に行ってみようと思う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます