第3話 謹んでお断りいたします!

 賑やかな歓声に迎えられて、青蓮は白夜皇国宮城の大門を馬車でくぐった。

 沿道には知らせを受けた民たちが集まり、ゆっくりと進む豪華な馬車の車列を見ては寿ぎの声をあげている。

(うん、俺には全く目が向いていないけど)

 青蓮は馬車から顔を覗かせてニコニコと愛想を振りまいているが、人々の目は青蓮よりももっと上、馬車の屋根の上の方を見ている。

 ここからは見えないが、馬車の上には青蓮よりも大きな黒い犬が悠々と寝そべり、我関せずと言った様子で時々あくびをしている――のが沿道に映る影で見て取れた。

 銀兎曰く、民衆の前に渾沌が姿を現すことは大変珍しく、しかも花嫁を連れてくるとの事で大変盛り上がっているらしい。

(よくわかんないよな……)

 いきなり青蓮の前に現れた渾沌だが、山賊の親玉のような良く言えばワイルド、ぶっちゃけ野蛮な姿で、言葉数が非常に少なく、声をかければ返事はするものの自分から何かを話して来ないので、あっという間に青蓮との会話は行き詰った。

 そして、行き詰ったまま、大した会話もなく今に至る。


 渾沌はとてもじゃないが「皇帝」と言うような男ではなかった。

 もちろん皇子も程遠い。

 白夜皇国は獣人たちの国ではあるが文化水準は非常に高く、周辺の人間の国を凌ぐものがあり、商人たちがこぞって交易に訪れている。そんな国を治める代々の皇帝は戦士でもあり賢者でもあると言われていた。皇帝を神に例えるのはそういったずば抜けた才があるからだ。

 話では渾沌もまたそうした代々皇帝が有していた優れた体躯と突出した才があっての選抜だったのだと聞いていたのだが。

「俺は国を治める事に興味はない。ただ自分の縄張りを侵すものを許さないだけだ」

 民も土地も「俺のもの」だから守る。それだけのこと。

(俺も、そのうちの一つ)

 渾沌に捧げられる「嫁」も、渾沌の守るべき「俺のもの」の一つ。

 渾沌にとって青蓮はそう言うものでしかない。

(不満……なわけじゃない)

 青蓮は馬車の中でつい引き攣りそうになる笑顔を慌てて取り繕う。

 青蓮は愛されて求められて結婚するわけじゃない。

 それはいい。オメガ性に生まれた以上、自由恋愛で結婚するのは半ば諦めてもいた。見合いで結婚するのもそう言うものだろうと思う。

 でも、こんな風に「貢物」の一つとして貰われて行くのは、思っていたのと少し違っている。

 なんだかとても寂しい事のように思える。

 山賊の親玉にしか見えない渾沌だが、その姿を初めて見た時にほんの少しだけ胸がときめきもしたのだ。

 青蓮とは比べ物にならないくらい、圧倒的な強さを放つものに対する畏怖だったのかも知れない。でも、それでも、この人と生きて行くのだと思った時に、胸の高鳴りを感じたのだ。

(なのに……)

 青蓮を見た渾沌はすぐに興味を失ったようにぷいっと顔を背け、そのまま大きな黒い犬の姿に変化すると馬車の屋根へと登って行ってしまった。

 その後はもう会話も何もなく、黒い犬は馬車の屋根から下りても来ない、青蓮も馬車の中で毛皮の敷物の上に座ったまま。

 そわそわと落ち着かない気持ちは緊張の表れだろうか。

 そうやって、居心地の悪いものを感じながら青蓮はずっと無言で馬車に乗っていたのだ。


 ◆ ◇ ◆


「こちらが婚礼の儀式までの間、青蓮様にお過ごしいただく仮の宮でございます」

 宮城の中に入り、青蓮がつれて行かれたのは白いタイル張りの美しい神殿のような宮だった。

「こ、これが、仮住まいの宮なんですか?」

 青蓮はその豪奢な様子に言葉を失う。

 天井ははるかに高く、全ての窓が大きく作られている。故郷よりも少し標高が高い場所に宮城はあるのだが、陽の光がふんだんに取り入れられているためにとても居心地が良い。

 白いタイルで覆われた清潔な城内にはいたるところに緻密な花の刺繍のタペストリーや絨毯が敷かれ、華やかに彩りを添えている。

 門をくぐってすぐに広間があり、広間の奥には食堂や湯殿などがあり、居住スペースは広間から階段を上がった二階になっている。

 私室だと言って通された部屋も広い。

 ちょっとした広間くらいありそうなリビングに、大きな天蓋つきの寝台が置かれた寝室。その隣には衣装室もあり、開かれた棚にはぎっしりと宝飾品や着物が並べられている。

「ご新居は只今建設中ですので、落ち着かれましたら官吏を寄越しますので青蓮様のご希望もお申し付け下さい」

「え? 希望?」

「はい。渾沌様はあのようにあまり物事に頓着なされるご性格ではございませんので、全て青蓮様の良いようにとのご命にございます」

 一見、全て嫁のためにというように聞こえなくもないが、あの渾沌の事だからそんなわけではないだろう。

「……要は、俺に丸投げして逃げた感じですか?」

「青蓮様が大変ご聡明な方で助かります」

 銀兎の笑みがまぶしい。

 銀兎は青蓮の専属と言うことだったが、どうやら渾沌と青蓮の住まう宮全体の責任者でもあり、官吏たちの信頼も厚い。

 次期皇帝でもある渾沌に対して、慇懃な態度は崩さぬものの、かなりくだけた様子も見せるのは乳母兄弟であるかららしい。

 あとはあの得体の知れぬ次期皇帝にモノを言って聞かせる事が出来る貴重な人材と言ったところか。

 短い間ではあるものの、共に旅をしてきた中でそれは十分に感じられた。

「青蓮様」

 不意に銀兎が真顔になって姿勢を改める。

「このような事を申せる立場ではございませんが、幼き頃より渾沌殿下と共に過ごしてまいりました兄弟として、渾沌様を宜しくお願いいたします」

 深々と頭を下げる銀兎に、青蓮は再び言葉を詰まらせる。

「この先、渾沌様とご一緒に在られると言う事は、青蓮様にとって喜ぶべきばかりの事ではないと思います。渾沌様は歴代の皇帝の中でも初代様に継ぐといわれるお方。何もかも規格外で、その、あまり人としての生活に向かないことも多いのです」

「それは……」

 随分と不敬な話に聞こえるが、銀兎は心底心配しているようだ。

「恐ろしいとお感じになられる事も在るかもしれません。それでも、青蓮様、渾沌様をお支え下さいます様、重ねてお願い申し上げます」

 勝手な話だ。

 国交の関係上断れないお触書で徴集され、本人の意思など関係なくこの異国につれてこられた。

 皇帝妃ともなれば生活に不自由はないだろう。それどころか今までよりずっと良い生活が約束されている。

 でも、そう言う事ではないのだ。

 そう言う相反する思いを沢山抱えて、青蓮は馬車に乗ってやってきた。

 そう言う事を全て承知した上で、今、この目の前の男は青蓮に頭を下げて情けを乞うている。

 渾沌と言う男をただ一心に案じて。

「顔を上げてください、銀兎さん」

「青蓮様」

「俺は確かに俺の意思を無視してここへ連れて来られました。それでも逃げようと思えば逃げられたんです」

 逃げた村長の娘のように、形振り構わず逃げる事もできた。

 その時には流石に青蓮の家族も追っては来なかっただろう。

「それを逃げなかったのですから、ある程度の覚悟はしてきました」

 オメガがアルファに嫁ぐのは幸せなことだ。

 少なくとも番になれば、月に一度の発情に苦しむ事もなくなる。

 いずれ誰かに嫁ぐ事になるなら、見知らぬ誰かの中では渾沌は最上級に位置するだろう。

 青蓮にとって損な事ばかりではない。そうわかってもいる。

「これから、宜しくお願いいたします」

 青蓮も銀兎に向って深々と頭を垂れた。

 あの渾沌と暮らすにあたって、銀兎なくして生活は成り立たないだろう。

「こちらこそ、これから宜しくお願いいたします」

 銀兎ももう一度頭を垂れる。

 異国に嫁いで、何もわからない事だらけの中で、銀兎と言う存在を得たのは青蓮にとって一番の幸いなのかも知れない。


「おい。話は終わったか?」

 ほんのりと銀兎と交流を深めようとしていた矢先に、無粋な声が割って入ってきた。

「何度来ても狭い部屋だな。青蓮、お前こんな狭い部屋は嫌だろう? 別に婚儀まで別に暮らせという決まりもない。俺の部屋に引っ越して来い。あそこならばここよりも広いぞ?」

 のっそりと姿を現したのは渾沌だった。

 普通に部屋の中に入ってきただけなのに、何故か急に部屋が狭くなったような気がする。

 しかもさっきより露出が上がっているではないか。

 上に羽織っていた毛皮の上着はなくなり、下に履いていた革の袴もない。

 上半身裸で、腰に金糸の刺繍が入った布を巻いているだけの姿。

(風呂上りか!?)

 足には辛うじて革製のサンダルのようなものを突っ掛けているが、腰布にサンダルだけでは殆ど裸のようなものだ。

 そして頭にはピンと立った三角の犬耳と大人の腕ほどもある様な太い尾。毛足も長く存在感のある尾が、ばっさばっさと左右に揺れている。

 なんと言うか、先ほどまでの緊張感が足元から抜けていくような虚脱感を感じる。

(この尻尾の振りは、本物の犬と同じなんだろうか?)

 確か、犬は機嫌が良いと尾を振ったはず。ならば、渾沌は今、機嫌が良いのか?

「どうした? 青蓮?」

 渾沌が青蓮の顔を覗き込む。

 赤い瞳、褐色の肌、黒い髪。

 その奥にあるものを見てしまって、青蓮はぞくりと背を震わせた。

 視界を覆う黒、赤く笑う異形の目。

 あの馬車に入り込んできたバケモノは夢でもなんでもなく、今、目の前にいるこの男だったのだ。

「あ、ああ……」

「青蓮?」

「い……」

「い?」

「嫌です! 謹んでお断りします!!」

「え?」

 一気に言い切った青蓮に、渾沌と銀兎が目を瞠る。

 その視線に青蓮もハッとわれに返るが、言葉は口をついて出てしまった。

 何か上手く言い繕わねばと思って、口から出たのはどこの乙女かと言うような台詞だった。

「婚儀の前に一緒になるなんてダメです! ふしだらです! お、俺は絶対そんなのは許しません! 結婚するまでは俺はここで暮らします! 渾沌様も清く正しく居城でお過ごし下さい! 男女七歳にして席を同じゅうせずです!」

「……お前と俺は男同士だろう?」

「俺を嫁と思うのならば、言う事を聞いてください!」

 ふーふーと肩で息をしながら一気に言い放った青蓮の迫力に押されてか、渾沌は言われるままにこくこくと頷いた。

 その後では「お見事です」とばかりに銀兎が手を小さく叩いている。

「俺の嫁は随分と貞淑なのだな……」

「次期皇帝陛下の御后様となられるお方です。素晴らしいお心得だと存じます」

「……そうか」

 銀兎がしれっと言い加えると、渾沌は納得したようだった。


 青蓮は勢いに任せてとんでもない事を口にしたと思ったが、とりあえず時間は稼いだ事に安堵した。

 さっき感じた悪寒と共に銀兎の言葉が蘇る。

 人の生活に向かない。恐ろしいと感じるかもしれない。

(渾沌様は、人間でも獣人でもない……?)

 少なくとも、あの4つの目が並んで哂う様を思い出す限り、青蓮の知る獣人にはあてはまらない。あれは人ならざるものの姿だ。

 思い出すだけでも冷や汗が伝う。

(俺は、あのバケモノの嫁になるのか……)

 そんなのは御免だと逃げ出したく思う気持ちが浮かぶが、何故かそれを打ち消す思いも同時に浮かぶ。

 それは言葉で言い表せない感情で、わけもなく渾沌と離されたくないと思う感覚のようなものだった。

(どうして……)

 馬車に乗る前は本当に嫌だった。

 馬車に乗っているうちに諦めがついたのか、ほんの少しだけ前向きになった。

 いきなり現れた渾沌に驚き慄きしたものの、それでも帰ると言う選択肢は薄れた。

 諦めなのか、開き直りなのか、何か麻痺してしまったのかわからないが、こうして恐ろしい現実を前にしても青蓮の心は逃げ出すという方向へ傾かないのだ。

 恐ろしいのは恐ろしい。もしかしたら食い殺されるかもしれない。食われなくても自分ではないものにされてしまうかもしれない。

 バケモノと言うのは人間や獣人の理から外れたものだ。何が起きても不思議ではない。

 でも、そうとわかっていても、青蓮は渾沌の事を考えてしまう。

 渾沌と過ごすだろうこの先を考えてしまう。

(おかしい)

 何かがおかしい。自分が自分ではないような変な感じがする。

 これがバケモノに魅入られるということだろうか?


 青蓮は少しずつ何かが狂い始めているような不安な気持ちに身を震わせるのだった。

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