本の呪い(2)

 Witchpedia製作者、マリオン・ウェインライトからのお願いです!


 当魔導書は皆さまの寄付によって成り立っています。

 このすこぶる便利な本を手に取った読者の皆さまが、全員今すぐ銅貨七枚の募金(これは市場に並ぶ標準的なお茶の値段と同等です!)をすれば、当魔導書は未来永劫、そらの終わりまで存続することが出来るでしょう。

 この金額がいかに安いか、いま読んでいるあなたにはわかっていただけるはずです!

 マリオン・ウェインライトに、銅貨七枚の恵みを! 

 よろしく頼んだよ! 魔女クズ同胞はらからども!


           ――自由律フリー魔術百科事典「Witchpedia」より抜粋




   ◆




 順を追って話そう。


 ことの発端は、ニナ・ヒールドと《劔》の魔女――クリスティナ・ダレットとの〝魔女の決闘〟までさかのぼる。

 あの決闘のあと、アリソンはあるひとつの問題行動を起こした。

 自由律魔導百科事典ウィッチペディアの無断編纂だ。




 自由律魔導百科事典。

 マリオン・ウェインライトによって製作された、世界にたったひとつの永久に増え続ける魔導書。

 一冊の原本と無数の写本で構成されるこの魔導百科事典は、この国で魔術に携わるものなら誰でも知っているけれど、「いつから存在してどこから来たのか」ということは誰も知らない。


 だって、気づけばそこにあるのだ。

 神さまに見初められて、身体のどこかに魔女のしるしが顕れ、魔術に触れるまでのあいだのどこかで。


 たとえば、起きてすぐ、朝六時四十五分のナイトテーブルの上に。

 たとえば、お気に入りの高台の、古木のうろの中に。

 たとえば、入学初日の列車の中、あてがわれた席の窓際に。

 そういう風にして、自由律魔導百科事典はあまねく魔女の前に姿を現す。


 わかっていることは、古今東西の魔術に関する膨大な発見や知識がその本の中に記述されていること。原本に書き込みさえすれば、すべての「写し」にその情報が即座に反映されること。我々の前に姿を現す自由律魔導百科事典は、そのすべてが「写し」であること。あとはその制作者の名前だけだ。


 では、原本はどこにあるのかというと、エルダー・シングス魔術学院の資料棟に厳重に収蔵されている。

 どうしてエルダー・シングスなのか、ということは、誰も知らない。

 不特定多数によるいたずらやでたらめの編纂を防ぐために、ということだけれど、そういうのは本来、立派な図書館や〝書架〟なんて組織を持つ王立学院ミスカトニックの仕事で、そういった貴重で重要で不可思議なものを、さして特長もない私立の魔術学院が管理する合理的な理由というのは、あまり思いつかない。


 強いて挙げるとすれば、優秀な魔女たちが集う王立学院よりは凡庸な魔女のねぐらに隠しておいたほうがリスクが少ないということだろうか。

 曲がりなりにもエルダー・シングスの教授たちが束になって仕掛けた魔術的封印の数々をかいくぐって原本を編纂する気骨と実力といたずら心のある生徒は、なるほど王立学院よりはエルダー・シングスのほうが少ないのかもしれない。そういうことなら一定の効果は無くもなかった。


 言うまでも無く、「無くもなかった」、というのは過去形で、つまり、無かったということだ。




「そもそも非公開書庫の扉には理力鍵があっただろう? 四十秒ごとに答えが変わるやつ。ミス・グリーンフィールドの力作なんだけど」


「扉のすぐ隣の本棚がヒントですよね? コードブックを探すのには苦労しましたけど、四十秒ごとに並びが変わる本棚ってすごくナンセンスだと思いますよ」


「沈む底なし床は? これは僕が作ったんだけど」


「あれはちょっと面食らいましたけど、幻覚だっていうのはすぐにわかりました。サルビアのお香の匂いがしたので」


「〝司書の幽霊のわくわくおばけガイスターチェス〟は?」


「チェスなんてしていません。を渡したら、にこにこ顔で通してくれました」


「ああ、リッキー……彼も薬物中毒あれさえなければ、優秀な司書の幽霊なんだけど。それじゃあ、ミス・ハクスリーの作った――」


「……あの、もういいですか? やったことは認めますし、決まりを破ったことは謝ります。反省文もこうして持ってきましたし、出来れば手短に終わらせてもらいたいんですが」


 この部屋はひどく臭うので、という言葉を、アリソンは理性でもって飲み込んだ。

 ちょっとしたいたずらとはいえ悪いことをしたのは自分だったし、反省しているというのは本心からの言葉だったからだ。

 興奮していたにしろ、規則を破ってまで自由律魔導百科事典の編纂なんて大それたことをしてしまったのが、自分でも不思議なくらいだった。「くさいから早く帰りたい」とは口が裂けても言えない。

 だからアリソンは、困ったように眉をひそめて儀礼的に口角を上げる。


 アリソンはそのとき十四歳で、エルダー・シングス魔術学院の二年生だった。

 彼女は魔法薬学部の生徒で、とても優秀な魔女のたまごだった。小さな頃から伸ばしているさらさらの金髪がとてもきれいで、いつもシナモンのいい匂いがした。正義感が強く、いつでも誰にでも公平に接した。そんな彼女だから、友達だって信じられないくらいたくさん居た。


 でも、だからといって、彼女にひとつも欠点がなかったわけではない。

 全体から見れば些細な問題だけれど、どうにも彼女は頑固すぎるきらいがあったし、完璧主義的な側面が彼女自身を苦しませることも多々あった。

 爪が人よりも丸く短いのを結構深刻に悩んだりもしていた。


 それから、彼女は自分の父親以外の男性がひどく苦手だった。嫌悪していたと言ってもいい。

 いわゆる魔女の国であるところのク・リトル・リトルでは、女性優位的な考えかたは割と珍しいものではないけれど、アリソンのそれはかなり深刻なものだった。

 彼女にとって自分の父親以外の男性というものは、粗野で下品で乱暴で野蛮な、かろうじて人語を解する豚鬼オークのような存在で、神に見初められた魔女たちが集う魔術学院に居ていい生き物ではなかった。

 ましてやそれが自分の担任だなんて。


 アリソンは深く反省していた。

 規則を破ってしまったことはもとより、喋って、煙草を吸い、有害な煙を吐くオークに弱みを見せたことについても。


「手短に、というと?」


 無精ひげの顎をさすって、ミスター・コーシャーソルトは言う。じょり、という音が、アリソンの耳にはこの上なく不快に響いた。


「説諭だとか、訓戒だとか、叱責だとか、そういったことです」


「説諭?」


「悪い事を改めるように教え諭すこと」


 アリソンは努めてミスター・コーシャーソルトと目を合わせないように言った。本当なら、喋るのだって嫌だ。


「なるほど、ミス・シュリュズベリーは物知りだ。でもそういうことじゃないんだな」


 ミスター・コーシャーソルトは極めてずぼらな仕草で、寝ぐせ頭をぼりぼりと掻いた(ちなみにそのとき時計はすでにお昼三時を回っていた。我が国では一般的に、成人男性がお昼三時に寝ぐせ頭でその辺をうろうろしたりはしない)。


 不快だ。汚らしい。彼と長く話していると死にたくなる。アリソンはそう思った。できるだけ顔に出ないようにしなければ。


「きみは、僕が個人的に、きみのしたことに対して怒っていると、そう思っている?」


 ミスター・コーシャーソルトは文節をひとつひとつ区切るようにして、アリソンに尋ねる。


 どうだろう? とアリソンは思った。

 彼の口ぶりでは、行為そのものについては特段問題視していない様子だ。いっそ面白がっている気配すらある。

 でも、それってどうなの? ともアリソンは思った。

 彼が野卑で愚かな最悪の生き物とはいえ、曲がりなりにも魔術学院のいち教師なのだから。


「別に怒っちゃいないさ。むしろ感心してるくらいだよ。まだ二年生のきみが、まさか原本にたどり着いちゃうなんて、ってね。反省文を書かせたのは、ひとえにそれが僕の仕事だからだ」


 ミスター・コーシャーソルトは笑って肩をすくめる。


「そうですか」


 アリソンは目をそらしたまま、煙の魔術師に対する認識を「喋って、煙草を吸い、有害な煙を吐く、教師としての自覚がないオーク」に改めた。


「では、わたしはこれで」


 不快だ、汚らしい、死にたい。

 ともあれ、これでこの薄汚い部屋から出ることができる。この会話が教師と生徒の仕事や義務でないのであれば、これ以上話す必要はないからだ。


 アリソンは安堵とともに細く短いため息をつくと、席を立って一礼し、ドアに手をかけた。


「待った待った。とても重要な質問がまだひとつ残っているんだ。聞いても?」

「それは先生のお仕事ですか?」


 ――不快だ。


「どうだろう。そうとも言えるし、そうじゃないとも言える」

「では、これで」

「待ってってば」


 ――汚らしい。


「きみ自身の命に関わる重大なことなんだ」


 ――死にたい。


「は?」

「僕の推測が確かなら、きみは三日後に消えて無くなることになる」


 ない交ぜになった嫌悪と困惑が、くしゃりと音を立ててアリソンの顔を歪めた。

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