一晩限りの奇跡(2019年ヤク誕)

 タイトル通り

 本編一部作目閲覧後推奨
















 世界巡礼の一年が終わって秋の寒さが大分応えてくるようになった季節。ヤク・ノーチェは先日買い換えた掛け布団に包まれながら眠っていた。その日も何かと忙しい日であった。そんな中の明日は久し振りの休暇だ。その前日なのだから魔導書でも読み耽ろうと思ったが、連日の激務に加えて人より倍の仕事量をこなしていた彼の身体は、休みが欲しいと訴えていた。仕方なしと、ヤクは大人しくベッドの中で横になる。暖かく包まれながら眠りに入ったその日は、何やら懐かしい夢を見たような気がした。




 そこは自分の潜在意識の中にある、フヴェルゲルミルの泉のほとり。世界巡礼での出来事があってからヤクは、時折ここに足を運ぼうと思えるようになっていた。自分にとっては過去の象徴とも呼べるそこだったが、今では少しずつ許せている自分がいる。自分の巫女の力の源であるウルズは、今日は出てこない。彼女の代わりかように、泉のほとりには一人の幼子が座っている。


 自分と同じ髪色の、まるで過去の自分の生き写しかのような幼子。思わず目を見開く。夢の中なのに金縛りにかかったように、指一本動かせない。そんなヤクはいざ知らずと、幼子は彼に気付くと満面の笑みを浮かべながら、たたた、と走ってくる。そしてやがて、足元に飛びついてきた。


「ヤクー!」


 小さな衝撃。温度は感じない。けれどもその幼子は間違いなく、過去確かにいた唯一の兄弟。


「ジーヴル……?」

「へへ、ヤク!ヤクだ!ようやく会えたー!」


 きゃっきゃ、と年相応に笑うジーヴルに、ヤクは混乱した。これは女神の巫女の能力の一つである、夢渡りなのだろうか。いや、それでは今この場で自分を認識しているジーヴルの説明が出来ない。夢渡りは、他の女神の巫女の時間軸を夢を介して視る能力のことだ。こんな風に、まるで生きているかのように接するなんて不可能なはず。ではいったい、これはどういうことなのだろうか。

 ジーヴルに返事を返せずに考え始めたヤクに、ジーヴルが問いかける。


「ヤク?ぼくのこと、見えてる?」

「え、あ、ああ……。その、お前は本当に……ジーヴルなのか……?」

「ん!あのね、きれーな女の人がね、きょーはトクベツって言ったの!きょーだけ世界樹、を介して?ぼくのタマシイをヤクのせーしんせかい?に送れるから会えるって!」


 ジーヴルのたどたどしい説明に、ヤクは彼なりに解釈する。女の人というのは、ウルズのことだろう。そして世界樹を介して、という言葉。実のところ世界樹にはまだ謎めいた部分も多い。馬鹿げた仮説ではあるが、冥界の出入口としての役割を世界樹が担っているのだとしたら。ジーヴルの魂をこうして、潜在意識の中に送り込んだということなのだろう。しかし何故、


「何故、私に会いに……?」

「……ヤクは、ぼくと会いたくなかった……?」

「っ、そんなことはない!ずっと……ずっと会いたかった……お前に言わなきゃならんことが、沢山あるんだ……!」


 暗い表情になったジーヴルに、ヤクは縋るように彼の肩に手を置いて話した。硬い表情になってしまったジーヴルを前に、それまで感じていた現状の真偽や疑問など、もうどうでも良くなった。ずっと会いたかったジーヴルが、目の前にいる。二度と会えないと感じていた人物と、こうして話が出来ている。それが分かっただけで、もう十分だと。

 そんなヤクを見て、ジーヴルは再びにっこりと笑って話す。


「よかったぁ。ぼく、会いに来てもジャマなのかなって思っちゃった」

「ジーヴル……そんなことはない。私はずっと……ずっと……!」

「ねぇヤク、お話しよう!ぼくヤクのお話いっぱい聞きたい!」

「……そうだな。私が話せる話なら、全部話そう」

「やったぁー!」


 そして二人は泉のほとりに腰掛け、様々な話をした。これまでの生活のこと、自分が弟子を取ったこと、今は幸せに生きていること。ヤクの話を、ジーヴルはどれも興味深く聞いていた。時折目をキラキラと輝かせながら、様々な質問を投げながら。特に彼が気になった話は、ヤクの髪のことについてだった。


「ヤクの髪、長くてお空みたい!」

「ああ、これか。髪を切るって発想が、私にはなかったんだ」

「どうして?」

「記憶に残ってる言葉がある。その言葉が印象的で、何故か心地よくてな」

「それってもしかして、こんな言葉?」


 ──綺麗な空色。自由で縛られない、気持ちの良いこの空と同じ色だ。


 ジーヴルから紡がれた言葉にヤクは目を見開いてから、ふっと笑う。理解できたのだ。その言葉は紛れもなく、記憶に残っている言葉そのもの。


「そうか……お前が私にくれた言葉だったのか」

「へへー!覚えててくれてうれしー!」

「ありがとう、ジーヴル」

「どーいたしましてー」


 目一杯笑いヤクにひっつくジーヴルの、なんと楽しそうなことか。記憶の中ではこんな風に笑いあえたことなど皆無だったから、尚更そう見えるのだろう。とても優しい夢。そう、夢。


「……なんとも不思議な感覚だ。夢のはずなのに、まるで夢の中にいるようだな」

「夢のはずなのに夢の中?」

「それだけ幸せだということだ。夢心地、とはよく言ったものだな」

「そっか!ぼくもね、しあわせー!トクベツな日にこーして、ヤクとまた会えたから!」


 特別な日。そういえば先程も、そのようなことを口にしていたジーヴル。何が特別なのか理解できていなかったヤクは、彼に尋ねた。


「一つ、いいか?今日は何が特別なんだ?」


 その言葉にきょとんとした顔を見せてから、ジーヴルはくすくすと笑う。


「えー?分からないの?」

「すまない、思い付かなくて……」

「いーよ、教えてあげる。きょーはね、ヤクとぼくが生まれた日だよー!」


 生まれた日、つまりは誕生日だと。ジーヴルに言われて初めて、今日が誕生日なのだと気付く。そんなこと、忙しい日々の中ですっかり忘れてしまっていた。


「そうか……誕生日だったか、私たちの」

「そーだよー。忘れちゃってたー?」

「……ああ、すまない」

「いいよ、許してあげるー」


 抱きつくジーヴルの頭を撫でる。


「誕生日おめでとう、ジーヴル」

「うん!誕生日おめでと!ヤクー!」

「ああ、ありがとう」


 そうしてしばらく頭を撫でていたが、ジーヴルが不意に誕生日プレゼントが欲しい、と告げる。


「私に用意できるものであれば、用意しよう」

「んとね、じゃあね、ヤクがぼくに膝枕して?」

「私が?お前がではなく?」

「うん!ヤクがぼくにするのー!それがいー!」


 早く早く、とせがるジーヴルに押されつつ、ヤクはジーヴルの膝に頭を置く。重いだろうに、と呟けば大丈夫、と返されてしまう。やがてジーヴルがヤクの頭を撫で始める。


「……大きくなったねぇ、ヤク」


 小さな手のひらでゆっくりと、優しい手つきで撫でられるとどうしようもなく。込み上げる感情が涙となって、ヤクの双眸から溢れた。


「ヤク、どうしたの?かなしいの?」

「いや、違う。……嬉しいんだよ、ジーヴル」

「嬉しくて、だから泣いちゃうの?」

「おかしいだろう?だがすまない、涙が止まりそうにない」

「いいよ、許してあげる。だってきょーはトクベツな日だもん」

「ああ……そうだな、特別な日だからな」


 本当はもっと話したいこと、伝えたいことが沢山あるはずなのに。こうして頭を撫でられるだけで、言葉がふっと消えてしまう。それは哀しさからではなく、嬉しさからで。二度と会えるはずのなかった兄弟二人、こうして時間の概念がない夢の中の空間で平和に過ごす。心の奥底でどこか夢見てきた現実。


「ヤク、しあわせ?」

「ああ、とても。ジーヴルはどうだ?」

「ぼくもしあわせ!」

「……もう少し、こうしてもいいか?」

「もちろん!ぼくももっと、ヤクの頭なでなでしたいもん」

「……ありがとう、ジーヴル」


 そうしてヤクは目を閉じる。温度などないはずの暖かな空間。やがてこそは、ふんわりと白く消えていく。彼らは満足そうに微笑み、白の支配に意識を傾けるのであった。

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