26 掻きむしり、腫れる。そして、塗香の香り。


『遊安さん、塗香ずこうってご存じですか?』



作者がSNSでゼラニウムの香りが好きだと書いたのに対し、メッセージを下さったのは、30代女性のSさん。



『すみません、存じ上げなくて。』

『いえ。一般的なものではないので、ご存じなくて当然だと思います。』



それからSさんは、塗香について親切に教えてくださいました。



塗香というのは、※“香木や漢薬などの香原料を、指紋に入り込むほどの細かいパウダー状にして混ぜ合わせて作ったもの”のことで、

けがれを取り除くために身体に塗って使うのだそう。



突然塗香についてSさんがメッセージを下さったのは、こんな理由からでした。




『実は、朋さんが香りについて書かれていたのを見て、この塗香に関するお話を思い出したのです。』




霊感の強い母を持つ彼女は、

30代になってから微弱ながらも霊感の片鱗が見え始め、

憑かれやすい体質に悩まされることが度々あるのだとか。




そんなSさんが今から3年前に体験したお話であります。





夏もたけなわな8月でした。



Sさんは迎え盆のお手伝いをすべく、旦那様のご実家に行きました。


古い平屋建てでありまして、部屋数が多く広いお家であります。



挨拶をすませまして、ご先祖様を迎えるために盆棚を拵えるわけですが、これがなかなか大変であります。

祭壇の木枠を組み立てて真菰を敷き、位牌や精霊馬・精霊牛などのお供え物を飾って、四隅に青竹を立てて鬼灯を吊るす…。

人手があっても、骨の折れる作業です。



旦那様のご実家ではそこまで本格的な祭壇の組み立ては行わなかったものの、作業は大変でありました。



それに加え、あちらのお家柄でしょうか。


皆さまのんびりとされていたため、準備を終える頃にはもうすっかり夕暮れ時になってしまいました。



(ああ、夕方になっちゃった…。)



迎え盆という名の通り、ここからご先祖様を迎えにお墓参りに行く必要があるのですが、

周りが墓参りの準備をする中、

Sさんは一人憂鬱な心持でした。



逢魔おうまが時じゃないですか?この時間は良くないものが出始める時ですし。

私が家にいると、この時間からラップ音とかするんです。だから、この時間から墓参りに行くのはどうも気が進まなくて…。』




ご実家ならまだ、事情を理解してもらえたかもしれませんが、ここは嫁ぎ先であります。


嫁としての責務を果たそうと、Sさんは墓参りに向かいました。


車に乗って到着した墓場で、Sさんはあらかじめ旦那様から聞いていたきまりを思い出していました。


それは、旦那様のご実家に伝わる墓参りの注意点で、内容は、自分がお参りする墓以外見ないこと、帰りは行きと同じ道を通らないこと、というもの。



しかし、義理の実家のお墓参りは初めてで右も左も分からない状態、

くわえてややこしいことに、同じ苗字が彫られた墓石が両隣にあったため、

どれがどれだか分からず、Sさんはつい周りをきょろきょろ見回してしまいました。



意図せず決まりを破ってはしまったものの、お墓参りは無事に済み、Sさん夫婦は2人で住んでいる自宅へと帰ったのでした。





その日の夜のことです。


Sさんの顔が突然痒くなりました。


眠ることも出来ないほど、強烈な痒みに襲われて、たまらなくなったSさんは顔をかきむしります。



が、痒みは治まることはありませんでした。



明日はまた、旦那様のご実家でお盆の集まりがありますので、このまま起きているわけにはいきません。



身体を横にしながらも、

耐えられないぐらい強烈な痒みによって、Sさんは寝苦しい夜を過ごしました。






翌朝、身だしなみを整えるために、洗面台へむかったSさん。



そこに取り付けられた鏡に映る自分の姿に、彼女は愕然としました。



普段のSさんのお顔は、女性らしい曲線を帯びた丸顔であります。


しかし、鏡に映っているのは、まるで別人のような顔。



顔全体が蕁麻疹のように厚く腫れ、

まるでエラの張った男のような顔になっていたのです。



これからご実家でお盆の集まりがあるというのに、今は休み期間で病院はどこも開いておりません。



このままではいけないと、Sさんは実家のお母様に電話をして顔が腫れたことを話し、助けを求めたのです。



すぐに薬を持って来てくれたのですが、普段別居しており顔を合わせることのないお母様も、その変わりように目を丸くして驚いたそう。



結局顔の腫れは治まらなかったので、そのままの状態で旦那様のご実家に向かうことに。




Sさんが到着してからほどなくして、旦那様の叔母様がご実家にいらっしゃいました。



挨拶をするために玄関まで出迎えれば、そこには、普段と違う叔母様の姿があったのです。



彼女は玄関をくぐるなり、突然、しゃっくりのような嗚咽を始めたのですが、

その様は、ぐぷっぐぷっと、胃からこみあげるものを必死に抑えるような、傍から見ていても苦しいもの。



叔母様は挨拶に来たSさんをじっと見て、その嗚咽をこらえる口を薄く開きました。




「憑けてるね。」





実はこの叔母様、かなり霊感が強い方。



嗚咽のようなしゃっくりは、叔母様が霊の気配を感じた時にする、一種の拒絶反応でありました。


叔母様は言葉を続けます。



「男の霊が憑いてるよ。」






それからSさんは、叔母様にある部屋に連れて行かれました。


そこは仏間とは違う、神棚が飾られた部屋。



そこで服を脱ぐように言われ、畳の上に身体を横にします。




すると叔母様はあるものを取り出しました。



それが、塗香。



お線香の匂いをさらに強くしたような香りが漂います。


叔母様はそれをSさんの背中に塗りました。




眠ることが出来ないほどの強烈な顔の痒みであったはずなのに、塗香を塗られてからすぐ、嘘のように快方に向かいました。


翌日にはすっかり良くなって、顔の腫れもなくなったのでした。






Sさんに憑いたという男とは、いったい何者だったのでしょうか。


他の墓を見てはいけないというきまりから考えるに、別の墓ではあるけれど、旦那様ご実家に関係している人のように思います。



Sさんに憑りつき、顔を掻かせ男のように変貌させることで、彼女にとりかわり家に入り込もうとしたのではないか。



そんなことを考えて、男の持つ念の強さに身震いしました。






一晩睡眠を妨げる程の強烈な痒みが、

塗香を塗ったのを皮切りに快方に向かったというのは、なんとも不思議な話であります。




Sさんは、叔母様から分けていただいた塗香を今でも大切に持っているのだそうです。








(※“ ” の内容は

http://www.kohgen.com/ic/Zukohより引用させて頂きました。)

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