第11話 需要があるんだ



あれは、いつもそこにあったか?


いや、俺がバイト先から帰宅する時にはいつも、視界の端にそれは見えていた。


だけれど、こうも興味を引いてしっかりと認識したのは今日が初めてで、まるでそれが突然そこに現れたように錯覚したんだ。


だからつい、歩みを止めてそれをまじまじと見てしまったのだ。





「裏にある公衆電話?」


同い年のアルバイト仲間であるかおりは大きく目を見開いてこっちを見た。

なんの脈略もなく公衆電話という単語をだしたのだから仕方ない。


このスーパーの裏にぽつんと佇む公衆電話、毎日その前を通って帰るが気に留めたことなんてなかったのに、なぜか昨日はその存在が気になって仕方がなかった。


それは日をまたいで今日まで引きずって、仕事中の忙しない頭の中にも図々しく居座っていた。


そのもやもやをすぐにでもはらしたくて、俺は休憩に入って早々、何も知らないかおりに説明もなしに公衆電話という単語をぶつけてしまった。



「そうそう。あれが急に気になっちゃってさ。」


廃棄直前で安く売られていたあんぱんを頬張る。


「ええー。そんなのあったっけ?」

「あるよ。ほら、駐輪場あるだろ?その近く。」

「ああ、公衆電話ね。ここが建った時からずっとあそこにあったわよ。」


30分遅れで休憩に入ってきた正社員の板垣さんが俺の前に座る。



「ありますよね?ほら。」

「ええ~?あったぁ~?かおりはいつも車で送り迎えしてもらってるから分かんない。」


このスーパーの初期メンバーである彼女が言うなら間違いない。


「急に公衆電話の話なんて、どうしたの?」

「いや、昨日ちょっと気になって。」


深い理由がなかったから簡単に理由を説明する。

それが板垣さんには濁していると感じたようだ。

彼女はいぶかしがった表情を浮かべて、ぐっと身体を俺の方に傾けて言う。


「あそこで電話をしている人を見たんでしょ?」

「え?見てないですけど…。あ、そうだ!それだ!」


突然声を上げたもんだから、板垣さんは驚き半歩身を引いた。


「なんであの公衆電話、このスーパーの裏なんて目立たない所に置いたんですか?あそこに置いておいても誰も気づきませんよね。」

「ああ~確かに~!かおりだって気づかなかったもん。」


今ではあまり見かけなくなった公衆電話、それがあるということは今でも使っている人がいるからなんだろうけれど、ぱっと見て気づけない場所にあるあの公衆電話に需要があるとは信じがたい。


入口付近にあるならまだしも、なんであそこにあるんだろう。




「さ、さあ。このスーパーが建つ前、駐車場だった時にはすでにあったから。気にしたことなかったわね。」

「ここが建つ前から?動かせない理由でもあったんですかね。

なんにせよ、必要な時にすぐ見つけれないなんて無いと一緒じゃないですか。

それにほら、かおりだって今知ったぐらいですよ?ここに入った時に教えてもらってないし。

場所も場所ですけど、店員が把握できるような指導をしてないのもどうかと思いますよ。

どこにありますか?なんて聞かれても、無いですって答えちゃうでしょ。」

「あー…かおりは知らなくても困らなかったし、お客さんから聞かれたこと一度もないからぁ…。」



かおりが長い爪をカチカチとこすり合わせ、ぎこちない笑顔を浮かべながらしどろもどろに言う。

バサバサに生えたエクステのまつ毛が忙しなく瞬く合間、瞳は自由に宙を泳いでいるかと思えば必ず左下にきて、板垣さんの顔色を窺っているようだ。


はっとして見れば、険しい無表情でいる。


アルバイトの教育担当である彼女の前で、意図せずこのスーパーの社員教育を批判するようなことを言ってしまっていたことに気づきさーっと血の気が引いた。


「い、いや、違うんですよ。そんなつもりはなくて。」

「ううん。違うの。…。ほんと、その通りよね。…ま、滅多に聞かれないから、教えなくてもいいかなって。ははは。ごめんね、教え忘れてたわー!。」


そんな具合に明るい声で笑い飛ばしたので俺はほっとした。

そして、たかが公衆電話に執心しているのが馬鹿らしく思えた。

別にどこにあろうが使えれば良いだけの話なのだから。


「あ、やべ!」


時計の長針が5に重なったので慌てて残りのあんぱんを口に詰め込みお茶で流し込んで制服を羽織った。


板垣さんの笑顔でどうでもよくなったのか、その日以来公衆電話を気にすることはなくなった。





テスト明け、約1週間ぶりに入ったバイト。

慣れているはずなのに業務に手間取ってしまった。


「疲れた~。」

「お疲れ様だねえ、高野君。」


バックヤードに戻ると、パソコンの前に店長が座っていた。

商品の発注や本社からのメールに対応していたのだろうか、目が充血している。


「あ、店長いたんですか。しかも目ぇ真っ赤。お疲れ様です!」

「いるよ~。ほんと存在感がないんだな~、僕。」


店長はへらへら笑いながら頭をかく。


「そういえば、テストどうだった?」

「いやあ相変わらずですよ!成績ぎりぎり。」

「記述が増えてむずかしくなるよねぇ~。」

「そうなんですよ!マジ鬼畜でした。でも無事に終わって夏休みですよ!…じゃ、上がりますね!」

「あ~、待って待って。聞きたいことがあるんだよ。」


歩みを止めて、くるっと振り返る。


「え?何ですか?」

「ん~、たいしたことじゃないんだけどね~。最近さ、ここにいる時になんか変わったことあった?」

「いや、特に…。ほら久しぶりで感覚掴めないですけど、仕事自体は変わりないですよ?」

「あ、そうなんだねぇ。ごめんねぇ。」

「いえ!それじゃ。お疲れ様です!」


店長とは仲が良いのだけれど、さすがに今日は疲れていて話に付き合う余裕がない。

速足で裏口に向かい、ドアのレバーに手をかける。



「公衆電話。」


店長の口から出た言葉に一瞬フリーズして、振り返る。


「公衆電話、気にしてたみたいだからさ。」



いつも通り目を細めて笑っている店長。

だけど、その目は笑っていなくて、冷たく俺を見据えている。


その歪な笑みを見て、背筋が凍り思わず生唾を飲み込んだ。





愛想笑いをしてその場を去って扉を閉める。

外はすっかり暗くなっていて、真夏の蒸し暑い空気がまとわりつく。


居心地の悪い空気が漂ったバックヤードから出たというのに、心が落ち着かない。

その場にいても仕方ないのに、ドアの前から動けない。




ガチャン




背中に嫌な汗が流れる。


聞こえてきたのは、公衆電話の受話器を持ち上げる音。




カション カション



「…!」



小銭を入れる音が聞こえた。


恐る恐る、音が聞こえた方へ視線を送る。



「…え?」


公衆電話の真上に設置されたライトが情けない光で照らしているが、そこには誰もいなかった。



誰もいないことにほっと安堵する。


意識しすぎて変な幻聴を聞いてしまったらしい。


馬鹿らしく思うと同時に公衆電話が憎らしく思えてきた。

鞄を担ぎなおして歩き出す。

誰もいないそれを軽くにらみながら。


丁度、公衆電話を通り過ぎようとした時だった。


視界の端に見えた黒い人影。

同時に、歪んだ声の重なりが耳から入り込んできて頭の中で反響する。


その衝撃で頭ががんがんと揺さぶられた。



「うあ!」


思わず耳をふさいでその場から飛びのき距離をとる。


嗚咽のような呼吸をしていくうちに自然と膝から力が抜けてかがんでしまった。


汗が目に入ってしみるが、必死に開けてそこを見る。

無機質な公衆電話があるだけだった。


悲鳴が口から飛び出す前にもたつく足を必死に動かして、息を喘がせながら自宅まで止まることなく駆け抜けた。




公衆電話の前で変な体験をしたのはそれが最初で最後だった。


その日以来、バイト先に行くのに気が重く、居心地の悪さを感じて数日後には辞めてしまった。





あれから1年経った今でも時々思い出しては身震いする。


耳に聞こえたのは沢山の人間が同時に話す声を早回しにしたようなもの。


だけれど、頭ではどんな人がどんな内容を話していたかがはっきりと理解できた。



若い女性の『なんでそんなこと言うの!?』という甲高い涙声。

『だから、早く迎えに来いよ!』と怒鳴るおっさんの声。

『もしもし?家に電話がなくてねえ。』というおばあちゃんの声。


年齢も、性別もバラバラな話し声が、しっかりと聞こえた。



俺には何も見えなかったけれど、あの公衆電話は何者かによって使われているらしかった。




引っかかるのは、板垣さんの「あそこで電話している人を見たんでしょ?」という決めつけるような言葉。


俺には話し声しか聞こえなかったが、もし、話している何かが見えていたらどうなっていたんだろう。


そんなことを考えて、また身震いした。





大学からの帰り道、スーパーの側を通るから嫌でも目についてしまうんだ。



あの公衆電話は今でもそこに佇んでいる。


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