第8話 人ごみに紛れて


ガサッガサッとビニール袋が擦れる音がする。

インディーズバンドのアルバムは大手のCDショップでは手に入らない。



すでに音楽サイトで曲は配信はされている。

だけど、今回のCDジャケットは先日電撃引退したハヤセが映った貴重なもの。

絶対に手にいれたかった。




来週のライブに行けば手に入るけど、

今回の収録曲は神曲ばかりでどうしてもすぐに聞きたかった。

休日に引きこもらず出掛けるのは久々で、

母さんに「珍しいね。」なんて送り出されたぐらい。



手に入って良かった…。

バイトを増やした甲斐がある。




ガサッガサッパンっと時々誰かに当たってはねる袋。

相変わらず、駅に向かうこの大通りは人ごみだ。

都会育ちだが今だに人の多さには目眩がする。



ワイヤレスイヤホンにしておいてよかった。

こんな人じゃ誰かに引っ掛かる可能性もあるし、何よりこの聞きなれたノリのいい曲は

気をまぎらわすのにもってこいだ。



曲がサビに入った。

ドラムが激しく鳴っている。

甲高いボーカルの声に合わせて

小声で口ずさむ。



俺がボーカルで、

すれ違う人間や車、建ち並ぶビル群が

PVの登場者のように思えてくる。




「…は?」




驚きすぎてさっきまで聞いていた音楽が入ってこない。


頭を整理するのに必死になって、

足まで意識がいかず、少しずつ歩みが遅くなり

そして止まった。


後ろからぶつかってきたサラリーマンが舌打ちしたが、そんなこと気にならない。


それよりも、

すれ違ったある人間のことで頭がいっぱいだった。

変な声が出そうになり、口を押さえる。




(さっきの女…顔、逆さまだったよな?)





サビに入って少しして、

ボーカルになりきり町を闊歩していた俺の前方、

人ごみから頭ひとつ飛び出た女が歩いてきていた。



最初は頭髪が薄いのかと思った。

なら、なぜあんなに尖った頭なんだろう。


額のところに真っ赤な唇、

鼻、その下に目が2つある。

そして、茶色の髪の毛が髭のように垂れ下がって歩くたびになびいている。



まじまじと見てしまったことを後悔した。

得体の知れない何かを見て、声もでなくなった。



それは静かに俺の横を通っていった。

香水の匂いがした。




(やっぱりそうだ!冷静に思い返してみても

 たしかにあれは上下逆さまの顔だった!

 なんだよあれ!?)



何も食べていない胃から酸っぱいものが込み上げてくる。

なんとかそれをこらえて、ひとまず呼吸を整えるため、深呼吸を繰り返した。




落ち着いて冴えてくると、

周りの景色がはっきり見えてくる。

さっきと変わりのない流れる人ごみ。

あわてふためく様子もない。



あれが見えていたのは俺だけらしい。



ああ、もしかして、と大分前に通りすぎたデパートの方へ振り向く。



あそこは姉ちゃんもよく行く、

化粧品のブランドが充実したところ。

あそこで何か、アートメイクのイベントをしているのかもしれない。



そう納得させたいのに、

デパートの看板を見上げて上がった視界の下側に妙なものがちらちらと視界に入ってくる。



妙なもの…いや、察しはついていた。

でも、認めたくない、見たくない。

だけれど、気になってしょうがない。



目線を少しずつ、少しずつ下げていく。




俺を通り越していったあの女の頭が

人ごみからニョキッと出てゆらゆらと左右に揺れている。


相変わらず逆さまで、

本来つむじがあるところに顎先が見える。



周りを平然と人が行き交う。

本当に見ているのは俺だけなんだ、と

そこで再認識した。




それにしても、その場で動かずに何をしているんだろうと見てしまう。




(あ、違う。)



止まっているのではない。

ゆらゆら、ゆらゆら、

体を左右に揺らしながら

ゆっくりとこちらに向かってきている。




心臓が跳ね上がり、関節のバネのストッパーが外れたような気がした。


とにかく、今まで出たことのないスピードで駆けていく。

振り向く怪訝な顔など気にならない。

あいつから逃げなければ。

その事で頭がいっぱいだった。




途中止まって休みはしたけれど、

家に着くまでずっと走っていた。

玄関を勢いよく開けて、階段をかけ上る。

部屋に着いてからも気持ちが落ち着かない。




しばらく深呼吸したら、頭が冴えてきた。

その場にへたりこんで呼吸を整える。

気持ちが落ち着いてくると、

ようやくイヤホンから流れる音楽が聞こえてきた。



いや、これは曲なのか?

こんな曲、入れてなかった。

調子もリズムもおかしい。

人の声らしきものが聞こえるが

何を言ってるかさっぱりだ。



鞄の中からミュージックプレーヤーを取り出して確認する。




「逆…再、生…?」



画面にはそう表示されている。

ボタンをいじったりしていないのに?

そもそも、この機器に逆再生の機能なんてついていないはずだ。

震える指で再生ボタンを押す。

すると、何もなかったかのようにいつも聞いている曲が流れ出した。





それから後は何も起きていないが、

俺は休日の日、

余計に家に引きこもるようになった。




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