第2話 鬼


「そんなわけだ。な?人間。分かったろう。

 我々がいる理由がさ。」


つり上がった目と裂けんばかりに開かれた口。


昼間というのに薄暗い部屋で、

一人の男と“鬼”が向かい合わせに座っている。


その“鬼”とやらは胡座をかき、背中を丸め

右膝に肘をつきボリボリと頬を掻いて

男を見ている。

白目は混濁し、

太い血管がいくつも伸びて瞳を食らおうとしているように充血していた。


対照的に男は成人を越えたとは

思えないほど小柄であり、

生まれつきのなで肩と相まって、

座布団におとなしく正座する様は

あまりにも弱々しい。


目の前で起きていることが理解できないのか

口を呆けたようにだらしなく開けたまま

“鬼”と手元に視線を泳がす。


しびれを切らしたかのように

“鬼”が鼻息を荒々しく排出して

顔を男に向けながらぐぐっと上体を前に倒した。



「おい、聞いてるのか。

 俺を呼び出したのはお前だろうよ。」

「えっそんな。僕は…。」

「聞こえねぇなぁ!」

「ひぃ!」


古い床板を揺らすようなドスのきいた大声に

男は身体を動かすことも出来ず縮み上がる。


「勝手に怯えやがって。

 もともと我々は形がなかった。

 ただ暗闇に混じった影だった。

 それをお前ら人間が鬼なんて名付けちまったから

 我々は存在せざるをえなくなったんだ。」


“鬼”はまだ気がたっているのか

狼のように喉を震わせ唸っている。


男は手元を見て頭を掻きながら

あーだのうーだの呟きつつ

この場を治める術を勘案していた。


実際には混乱しきっており、案なんてひとつも浮かばない。

ただ、どうしよう、という言葉が

頭を埋め尽くすばかりである。


「一度生まれちまったなら仕方ねえ。

 存在するしかないわけさ。

 ただ、存在するには条件がある。」

「条件、ですか?」


男は反射的に聞き返していた。

まずいと口を押さえたが遅い。

恐る恐る“鬼”を見れば、なんてこない。

こちらをただじっと見つめているだけである。


「認めてもらうのさ。

 忘れられたりしたらいなくなる。

 一度生まれちまったら、消えるのは恐ろしいもんさ。

 鬼として存在したいなら

 こいつは鬼だと、認めてもらう必要がある。」

「認める…。」

「それが出来るのは人間だけさ。」

「つまり、鬼として存在するには

 人間に鬼として認めてもらう必要があると。」

「ああ。」

「具体的には…どんなことをして、

 認めてもらうのですか?」


その問いを聞き、“鬼”はゆっくりと俯いた。

体には力が入っていないのかだらんとしている。


「あの、大丈夫…ですか?」


心配した男が近寄ろうと立ち上がった時だ。

“鬼”の身体が震え始めた。




「にぃんげんを使うんだよおお!

 ははははははは!」



勢いよく体をのけ反らせ上がった面。


かあっと見開かれた目、

その白目は真っ赤に染まり焦点があっていない。


奥歯が見えるほど口を開き

体を揺らしながら笑っている。



「山に誘って食うのもいいなあ!

 川に誘って食うのもいいなあ!

 人にとり憑き忍びより、奇行を演ずるのもいいなあ!

 そうすりゃ勝手に人間が

 鬼の仕業だって喚くのさ!

 ははははははは!ははははははは!」



さも可笑しそうに楽しそうに

大声で笑いながら人間を苦しめる方法を語る。

その姿は異形であり正しく鬼である。


“鬼”はひぃひぃ喘ぎながら呼吸を整え

涙を拭う。



「だから、だからよお?」


そして、男の方をじっと見て


「俺のこと忘れないでくれ。たもちゃん。」


そう言って、全身の力が抜けたかのように

その場に項垂れた。






男の全身から汗が湧きだし

はあはあと息があがっている。

たち膝のまま座ることも立つことも出来ない。



目の前の身体が少し揺れた。

男が身構える。

ゆっくりと上げられたその顔は

色白の穏やかな面長であった。

伏せた重い一重に整った細い眉毛、

薄い唇は軽く湾曲し、

澄ました表情だが、こめかみから一筋汗が伝う。



心臓がまだ激しく脈動しているが

男は安堵してゆっくり腰を下ろした。



「驚きましたよ。」



男は鞄からタオルを取り出して額の汗を拭った。


「まさか鬼を卸されるなんて。ははは。

 いやあ、貴重な体験でした。

 せっかく質問をメモに書いて手に握っていたのに

 出番がなくなっちゃいましたよ。

 ははは。」


男は解放感からか、

多弁に目の前の女に話しかける。

彼女はただ黙って床を見ていた。


「はは…。」

「…。」

「…一体何が起きたのでしょうか。」

「…分かりません。こんなことは初めてです。」



男、柊保(ひいらぎ-たもつ)は記者であった。

雑誌の出版社に転職して3年。

元々裏方の仕事をしていたが上司に気に入られ

新しくオカルト雑誌を刊行するからと

あれよあれよという間に記者になった。



今日は初めての一人取材でいたこに会いに来たのだ。

幼少期、川で水難事故に遭って亡くなった

当時高校生の従兄弟と対話するために。




「自分の体に卸している時、

 私はその、意識だけ離れたところから

 俯瞰して見ている状態ですので、

 何が起きていたかは分かっております。」

「そうなのですね。」

「自分のことを鬼、と言っていましたね。」

「ええ…。」

「…。」

「いやあ。恐ろしかったです。

 顔が変わるのですね。

 まさか、鬼と話すことになるとは。」



いたこは口角をさすっている。

その指には血が滲んでいた。



「ただ、最後…。たもちゃんって言いましたよね。」

「そうですね。」

「従兄弟は僕をたもちゃんと呼んでいました。そして、最後の言葉だけ従兄弟の優しい声にそっくりだったんです。」

「…。」

「なんにせよ。鬼がおりてきたとは…。」

「いや、もしかしたら…。」

「え?」

「…。」




いたこに礼を言って柊はその場を後にした。



帰り道を歩きながら、

いたこが言わなかった先を心のなかで呟く。




『従兄弟が鬼になったのかも。』




忘れないでくれ。たもちゃん。


従兄弟は人間として存在していたいことを伝えたかったのだろうか。


忘れ去られたら人は

鬼に、闇に呑まれてしまうのだろうか。



『今度お焼香あげにいきますって

 伯父さんに伝えといて。』





柊は上司への報告より先に

母にメールを送った。


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