男女が部屋でだらだらするだけの話

東 京介

閑話の1 おかし

 俺は自宅を愛している。少し狭いが、大学生が一人で住むには十分なアパートだし、風呂トイレキッチンが付いている。

 なにより綺麗だ。毎日欠かさぬ掃除の成果、都内の高級ホテルさながらのステキ空間が広がっていた。


 そして、美しい部屋に彩りを添える、素晴らしく美しいものが今ここにある。

 同じ大学に通う無二の友——いわゆる彼女——と共に、ベッドの縁にもたれかかり、座布団を尻で踏み潰し、コカ・コーラをあおり、俺は頰をだらしなく垂らしていた。


 俺がこの世で最も好いているものは、このだ。完璧な俺でさえ勿体無いと感じるほどの女性と、完璧な部屋で、自堕落にだらだらすること。溶けてしまいそうなくらいだらだらすること。

 それが美であり、娯楽であり、この彼女との愛なのだ。


「腹減ったなあ」

「そうだね」


 部屋に入って十分経過。本日二回目の会話である。

 腹減った。即ち、お菓子食べよ? というラヴコール。このように、「基本なにもしない」という虚無的耽美の中で持ちかける無駄話が、いつも何かしらの提示から始まる。今日のお題はさしずめ"おかし"だ。


「そんなあなたに持ってきたものがあります」

「流石に気が利くねえ」

「じゃじゃーん」


 彼女が取り出したのは、タッパーであった。まさか手製のお菓子か? と期待してすぐに思い直す。一度料理を作って貰ったことがあるが、あれは絶望的、いやドブネズミ的不味さだった。

 言い過ぎだと罵倒を浴びせるのはやめてほしい。食べればわかる。あれは間違いなく、ハンバーグの形をした玉虫色のタールであった。彼女も反省したようで、それ以来料理の練習はしても俺を実験台にすることはなくなった。とってもありがたいことである。次アレを食せばアナフィラキシーショックで死にかねない。


 さてその中身はなにか? 意地悪っぽく笑う彼女の顔が、蓋を開けた途端に煌めいた。

 拍子抜けだった。半透明のケースに納められたのは、指一関節分の長さをした、キツネ色のビスケットだけ。確かにお菓子だが、流石にじゃじゃーんという効果音は過大評価が過ぎる。


 それにしても嫌な予感がした。


「なにこれ?」

「チョコの部分だけ舐めとったきのこの山」

「気持ち悪っ」


 予想外だ。そんなものをタッパーに詰めて持ってきたのか。換算してみると、きのこの山三箱分はあろうかという地獄の山であった。

 しかもいくつかのビスケットには齧った痕がある。溶かしたとかスポッと抜いたとかそんな生ぬるいものではない。この女は確実にこれを「」いる。


 そう、閑話は時に深淵の暴龍を呼び寄せる。互いに奇人であることは認めていたが、綺麗好きの俺にはクリーンヒットであった。


「食べなよ」

「いやだ」

「興奮しない?」

「ふつうに汚いと思う」

「だよね」


 露骨にドン引きした顔を見せると、彼女はイタズラ成功、と言わんばかりの邪な半笑を浮かべ、タッパーを仕舞い込んだ。


 あまりにあっさりとした幕引きに、俺は「食べるために持ってきたんじゃないの?」と聞いた。「一ヶ月前から貯めてたやつだからマジに汚い」と返された。悪質すぎて品性を疑う。もし俺が喜んでかぶりついていたら、よもや破局に追い込まれたのではなかろうか。

 でもヒヤッとして楽しめたから許す。


「相変わらず冗談がヘタクソだ」

「ごめんごめん」


 マズイ状況に陥った。"おかし"の話題はもう終わりだ。我が城に菓子の備えはない。強いて言うなら無駄にデカいコーラ味の飴と眠い講義を乗り切るために買った激辛ミントタブレットしかない。

 そんな時、助け舟を出すのはいつも彼女だ。なんと美しい「持ちつ持たれつ」か。


「農学部の寺崎っているじゃん」

「あのジャニーズにいそうなイケメンか」

「この前言い寄られたんだよね」

「えマジ?」

「マジもマジだよ」


 どうやら今日は徹底的に俺の肝を冷やすつもりらしい。


「乱暴だったからビンタしといた」

「よくやった」

「やっぱたけのこ派はダメだね」

「俺たけのこ大好きなんだけど?」

「知ってる」


 なるほど! 俺は膝を打った。これでまた話題が"おかし"に回帰したわけだ。寺崎なるイケメンは同じたけのこ派のよしみで許してやろう。

 ともかく、舞台は整った。どう転んでもホームグラウンドだ。戦争が起こったならば、この巧みかつ流麗、猛炎盛んなる弁舌を振るい、彼女を叩きのめすとともに惚れさせてやる。


「たけのこの里ってさあ」

「おう」

「チョコの部分取ったらちびっちゃい三角ビスケットだけ残んの?」

「知らんけど絶対試すなよ」

「えー気になるなー」


 そうくるか! 俺は膝を打った。彼女は存外平和主義者のようだ。同時に悪辣なスナイパーでもある。戦争を回避するかと思えば、潔癖という弁慶の泣き所に正確なくすぐりを撃ち込んできた。


 しかしまあ確かに気になる。きのこの山をチョコの部分と柄の部分で分けて食べちゃおうという如何にも安っぽいサイトが纏めていそうな試みは今や刺激不足だが、たけのこの里のチョコだけを舐めとるチャレンジャーは稀有だ。

 そもそも生地が違うのだから、そんなことをしようものなら柔らかめの焼き間に唾液が沁みてボロボロヘニャヘニャの大惨事が起ころうというものである。

 想像しても大して気持ち悪いと思わなかった辺り、俺には潔癖症の才能がないのかもしれない。


「チョコ買ってきてよ」

「たけのこの里?」

「板チョコ」

「残してきたビスケットに謝れ」


 結局ビスケットのことはどうでもいいらしい。ひどい。カード付きウエハースを買ってウエハースだけを食いしん坊の口にぶち込むのに似ている。

 そういえばウエハースにも大抵チョコが挟まっている。あれもなかなか旨い。むしろチョコが本体だ。チョコが無ければただの超絶薄味アイスコーンであろう。


「あれでもいいよアカデミアナッツチョコ」

「マカダミアな」

「どっちでもいいじゃん」

「俺はアーモンドチョコがすき」

「わかる」


 ナッツ系統はどうだろうか。チョコが本体かナッツが本体か、悩ましいところである。ナッツが食べたいならミックスナッツを買えばいいし、チョコが食べたいなら先の彼女のように板チョコをチョイスすればいい。

 つまりは需要の共通項がナッツ入りチョコなのだろう。あの親和性はなんとも代え難い。庶民チョコレート界のサラブレッドと言っても過言ではないのではなかろうか。

 チョコチップアイスと良い勝負だ。


 そうこうしていると、腹が文字通りぐうの音を上げた。


「腹減ったなあ」

「そうだね」


 至福のひとときの最中、脳をチョコレートに支配された俺は、ぐっと伸びをした。ふと横を見ると、彼女も伸びをしていた。


 彼女もこちらを向いて、少し顔を赤らめている俺とは対照的に、にやにやとした笑みを浮かべ、「以心伝心ってやつだね」と呟いた。何も言わずに鼻を掻くと、彼女はずいと体を寄せて俺のもちもちほっぺたを二、三度引き伸ばした。


「コンビニでチョコ買ってこようよ」

「また太るよ」

「天才は太りません」

「はいはい」


 閑話終わり。チョコパーティをお開きにすれば、また次の語らいに想いを馳せる。

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