×××:接触。


「おい止まれッ!! そこのデブ止まれッ!! 何者だお前はッ!!」


「で、でぶって……せめてぽっちゃりでしょ……。心配いらない! 私は敵ではない!」


「信用できないッ!! 証明しろッ!!」


「証明……証明とは、何をすればいいッ!?」


「俺が知るかッ!!」


「……えぇぇ」


 (なんだここは……。どうしてこれほどまでに、ここの人達は私を警戒するのだ? 私がモンスターにでも見えているのか? ……そ、それならショックだな……)


 ノブオは必死に頭を回転させるが、この状況を丸く収めるための最適解は見つからない。

 それでも思案をやめることなく巡らせていると、不意に自らの足にしがみつく少女の力が強くなった。

 目を向けてみれば、案の定怯えている。


 (なんてことだ……)

 

 ノブオは己の失態を嘆く。

 己の浅はかな行動が、心に傷を負った少女を怖がらせてしまった。


「怖がらせてすまない。大丈夫、何も心配いらない」


「…………」


 ノブオはそっと少女の頭を撫でる。

 できるだけ安心させられるように。


 ───ここは、ドン・キ〇ーテ。

 ノブオが少女を保護し、渋谷へ向けてバイクを走らせていたときにここが目に付いた。

 周到にバリケードが構築され、警備の人間までいる。

 多くの人間がここに避難していることは明らかだった。

 ノブオは幸運だと思った。

 できるだけ多くの人間を保護し、渋谷へ連れていく。

 それが彼の目的なのだから。


 ちなみに、優奈は勘違いしているが、ノブオは世間一般で言うところの引きこもりではない。

 社会の一員としてしっかりと働いている。

 それもエリートの部類である。


 だが、それ故にと言うべきか。

 自宅勤務だったのである。

 月に一度定例でオフィス会議などはあるが、それ以外は基本自宅での勤務。

 優秀な社員のみで構成されるがために、自由を重んじるエリート企業。


 『自宅警備員』というネタとも思えるジョブの適性は、この自宅勤務であったという点に起因している。

 

 そんな善良で少し不器用でぽっちゃりな彼であるが、いかんせん真面目だった。

 いや、真面目すぎた。


 その結果、『自宅警備員』というジョブを選択してしまったのだ。

 突然変貌した世界を直視することができず、夢であると思い込み。

 面白そう、というただそれだけの理由で。



 ───まあ、ゆえに彼は意図せず“最も適性のある力”を手に入れたわけだが。

 


「下がっていろ、お前たち」

 

「ゆ、ユリさん……」


 どうあっても収拾がつかないとノブオが諦めかけたその時、透き通った女性の声が響いた。

 バリケードの奥から出てきたのは、長い黒髪の綺麗な女性だった。

 

「申し訳ない。今は皆少し気が立っていてね。非礼を詫びさせてくれ」


「あ、いや……はい。大丈夫……です」


 (いきなりタメ口……)


 ノブオは少しだけ面食らったが、その点について言及するのはやめた。

 時間の無駄であるから。


「避難民か?」


「いえ違います。私は渋谷から来たんです。ここより安全な場所があるので、そこに移動してもらいたい。というのが私の要望です」


 ノブオの言葉にユリの表情が変化する。


「ここより安全、とはどういう意味だ?」


「魔物が絶対に入ってこれない場所があります」


「なんだとッ!?」


 ユリの声が乱れる。

 

「……申し訳ない。少し取り乱してしまったようだ。詳しく聴かせてくれるか?」


「もちろんです。ですがあの……」


「ん? あぁ、すまない。こんな場所では危険だな。中に入ってくれ」


「ありがとうございます」


 なんとか丸く収まった、とノブオは安堵の息を吐いた。


 (それにしても……凄いな)


 ノブオはユリの統率力に驚きを隠せない。

 つい先程までの異常な警戒が嘘のように、周りの人間が何も言わず従っているのだ。

 不気味なほどに。


 (でも、苦手なタイプだ……)


 ノブオは気の強い女性が苦手だった。


「そうそう。一つだけ確認させてくれ」


 突然、ピタリとユリは足を止める。

 そして振り返る。

 ノブオもそれに合わせて立ち止まった。



「───“腐敗”」


 

 一拍の間を置き、唐突にユリはそれだけを口にした。


「ふ、ふはい……? 急になんですか?」


 あまりに真剣なユリの表情。

 ふざけているとはとても思えない。

 ではなんだ? “ふはい”とはなんだ?

 不敗? 腐敗?

 ノブオはユリの言葉の意味がまるで解らず、混乱した。

 だが、そんなノブオの心中など意にも介さず、ユリの眼光は真っ直ぐノブオへと注がれる。


 (や、やめてくれェェェ! 地獄だァァァ!)


 あまりに鋭いユリの眼光にノブオは萎縮してしまう。

 目を逸らしたら失礼、目を逸らしたら失礼。

 ノブオはその言葉だけを心の中で反芻させ、ユリの射殺さんばかりの視線に耐えた。

 それは僅か数秒のことであっただろうが、ノブオには永遠のように思えた。


「……失礼。違うとは思っていたが、一応な」


 ようやく地獄から開放される。

 心が緩み、ふぅ、とノブオは安堵の息を吐き出した。


「あの、何かあったんですか?」


「いや、こちらの話だ。腰を折ってすまない、さぁ、入ってくれ」


「…………」


 (なんだか入りたくないな……すごく気が重い。……だが───)


 ノブオは今も尚言葉を発することなく、ただ自らの足にしがみついる少女に目を向ける。


 (不甲斐ない姿は見せられない)


 ───この子を安心させてあげるためにも。


 己を奮い立たせ、ノブオは足を進めた。

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