第3話  内人と外人

 図書館を出た一同は、昔でいうマイクロバスに乗り込むと、マイクロバスは自動操縦で、荒れ果てた土や、かつては道路だったであろう場所を進む。


 日中の最高気温は摂氏15℃。カイルが歴史で習った過去の大気汚染や、温暖化で気温が上昇した頃に比べると嘘のように低い気温だ。


 地球温暖化が進んだ時に起きたのは、ノルウェーなどの氷河の融解で、融けた氷は真水になり海に流れ込んで海水を薄め、海流の変化をもたらした。

 その結果、赤道付近の温かい海流は南極へと下りず、氷が広がって冷たい海流が増えていき、また氷が広がる悪循環を起こし始めた。

 やがて太陽の黒点の減少期と重なり、地球は氷河期へと突入していった。凍てついた大地で農作物は育たず、人間は地上で暮らすのが困難になった。


 カイルたちが向かっているのは、劣悪な地球環境緒から逃れるために作られた、建物を透明な半球体カプセルで覆ったドーム型都市の一つだ。

 ドームはその形態からジェリーフィッシュと呼ばれるようになった。


 カプセルで覆うためには、建築物の高さや幅は制限され、地上の物件の値段はうなぎのぼりに高騰し、一般人には手が出せなくなった。そのため、必然的に人類は地下へと潜って地下都市を造り、それも余裕がなくなると、宇宙に建設された宇宙コロニーへと移住していった。


 マイクロバスからも見える地上から伸びた宇宙エレベーターは、宇宙空間に浮かぶ各コロニーに繋がっていて、人工衛星の映像で見ると、その様はまるで分子の模型のようだ。


 コロニーやジェリーフィッシュの内側は、天候、気温、湿度が完全にコントロールされていて、ウィルスカットの空調により、人間に害をもたらす菌は取り除かれた。だが、皮肉なことに、快適な生活に慣れた人類が失ったのは、病原菌に対する抵抗力だった。


 もし、防護服を身につけずにドーム都市を出れば、あらゆる病原菌に侵され、重病や死に至る危険がある。


 ジェリーフィッシュの外に見える建物は、気温の上昇と、氷河期による樹木の淘汰後に生えた新種の木々に覆われ、苔むし、枝に貫かれ、廃墟と化していた。


 だが、透明な壁に遮られた空間に息苦しさを覚える人間たちは増え続け、廃墟さえも彼らの目には自由の象徴に映った。


 氷河期の厳しい寒さが緩み、間氷期に移って気温が上がった時、個々への管理の厳しいドーム内の生活に辟易し、人類の弱体化を憂えた人々が結集して、病原菌を恐れずにドームの外へと移住を試み始めた。


 かなりの人々がウィルスに感染し亡くなったが、ドーム内に保管してあった過去に人類が克服したと言われるウィルスに効くワクチンの配布のおかげで、外に出た人々は、既存のウィルスに感染した時には軽くすみ、だんだんと免疫を蓄えていった。人類の地上への回帰である。


 だが、ドーム内の快適さに慣れた人間は、外へ出ようとは思わなかった。

 これにより、文明の利器に囲まれた免疫弱者のドーム内の人間は内人と呼ばれ、自然と共存して逞しく生きる外の人間を外人と呼ぶようになった。


 マイクロバスの外の廃墟や木々を見るともなしに見ながら、歴史の移り変わりに思いを馳せていたカイルは、衝突回避システムによって急にかかったブレーキで、身体が前のめりになる。慌てて両手を前の席のシートについて、身体がシートに打ち付けられるのを防いだが、部下の一人は勢い余ってバスの床に転がった。


「一体何が起きたんだ!?」


 カイルが不機嫌極まりない声で前列に座っていた部下に聞くと、外人の子供が飛び出してきたという。彼の説明を聞いている間に、外人の男の子がバスのドアをトントンと叩いて、何かを叫んだ。


 外人、内人と区別はするが、元は同じ人間なので、外見的には何ら変わりがない。ただ違うのは、内人がジェリーフィッシュの外に出る時に身に付ける、頭からつま先までを覆う紺色の防護服と、菌をカットした酸素を吸うために口と鼻を覆うマスクを着用せずに、普通の長袖とパンツ姿でいられることだ。


 無防備な外人の姿を見ると、カイルを含めた内人たちは、畏怖を感じると共に、口に出しては言えない自由への憧憬と、それを感じたくないがための忌避を同時に抱くという複雑な心境になる。


 自分達の心の中に沸いた感情に戸惑っている先輩を思いやり、新人の研究者の一人がバスのドアの開閉ノブに手をかけたが、カイルがそれを止めた。


「開けてはだめだ。バスの中に入れると、全てを消毒しなくてはならなくなる。後でその扉も消毒させないと‥‥‥」


 非常なようだが、自分たちを破滅させる菌がついていて、知らない他のメンバーが触れてしまったら大変なことになる。


 潜伏期間が長い病ならなおさらで、ジェリーフィッシュ内部で発症したら、パンデミックになりかねない。


 バスについている翻訳機能つきのマイクから子供の声を拾うため、カイルがスイッチを押すと、翻訳機は女性の声で、少年の言葉を丁寧語に直しながら翻訳し始めた。


「私たちはあなたがたに、提案があります。あなたたちのリーダーとお話がしたいので、ここを開けてください」


 バスのドアのガラス部分から必死に頼み込んでいるように見える少年の様子と、翻訳機から流れる丁寧な言葉とのズレに、アフレコを失敗した映画を見ている気になりながら、カイルがマイクに向かって話しかける。


「私が責任者だが、ここを開ける訳にはいかない。君たちの居住区は5km以上先だろう? 子供だけでここに来たのか? 家族はどうした? 」


 家族という言葉に反応したのは、外人の少年だけでなく、バスの中の男たちも同じだった。急にそわそわとしだしたかと思うと、窓の外を覗いてきょろきょろと辺りを見回している。


「親が側にいるのかな? 外人は家族で一緒に暮らしているんだろ? 」


「俺なんて、育児コロニーに預けられっぱなしだったから、親の顔なんて覚えてないぞ」


「みんな似たりよったりじゃないか? 学生時代は寮に入れられるし、年に1、2度親が訪ねてきて面会すれば、外人と同じだなんて陰口を叩かれる始末だ」


 その男の言葉に、窓に張り付いていた内人たちが一斉に振り向いた。


「年に2度も親が訪ねて来るなんて、そりゃ言われるに決まってるだろ。お前の親がおかしいんだよ」


 そうだ、そうだという同意する仲間たちに、言われた男も、俺もそう思うと返すと、みんなは窓に視線を戻し、珍しい動物愛を見逃がすまいとして、外人の親の姿を探し始めた。


 病原菌に抵抗力がなくなった内人は、直に異性と交わることはしない。 ジェリーフィッシュ内の人口が増えすぎないために、徹底したバースコントロールが政府によって制定されている。


 内人が成長して家庭を持つことが可能になると、少しでも優れた子孫を残すため、遺伝子レベルでもっとも適した男女がコンピューターで割り出され、契約結婚をする。

 そして、子供を望めば、遺伝子バンクに預けてあった自分たちの細胞から、管理ロボットによって男性の場合は精子を、女性の場合は卵子を作り出され、試験管ベビーが誕生するのだ。


 裕福で大きな家や部屋を所持するものは、子供と一緒に住んだが、親というのは名ばかりで、子育てを育児ロボットに任せて、両親はそれぞれの仕事にかかり切りになり、家族単位で行動することはまずなかった。


 面積が限られているドームでは、土地が非常に高価なため、裕福でない層の独身者たちは、1ルームの小さな部屋を借りて暮らしている。契約結婚をした後も、家族のための広い部屋を借りる余裕もないため、今まで住んでいたそれぞれの部屋で暮らすことが多い。


 彼らの子供は、似たような環境の子供たちを集めた育児コロニーに預けられ、他の子供たちと寝食を共にしながら、一貫教育を受ける。自分たちの種を残す義務を終えた両親が、子供を顧みることは稀だった。


 つまり、内人には異性を思う恋愛にしても、家族を思う家族愛にしても、愛の意味を知るものは殆どいなかったのである。


 だから、カイルの口にした家族という言葉に、バスの中の内人たちは敏感に反応した。

 みんなは、外人が古来からの方法で子供を授かることも聞いて知っている。時々こうしてバスの中から手を繋いだり、肩を抱き合ったりする外人を見かけると、内人は信じられない思いに目が離せなくなるのだ。


「いたぞ。あの茂みの奥から、女が歩いてくる」


 一人の仲間の声に、反対座席に座っていた男たちが全員立ち上がって一方向に集まり、窓に張り付いて、やってくる女に注目した。


 外人の少年はバスの反対側からやってくる女性に気が付かず、尚も言葉を続けようとする。


「私の血を買っていただけませんか? あなたたちの病気に役立てる‥‥‥薬を作るために」


 カイルが返事をするより先に、良平がマイクを取り上げた。


「ひょっとして彼の言葉が分かるかもしれない、僕が直接話をするよ。みんなに分かるように、僕たちの話を音声翻訳から文字に変えて、前のスクリーンに映してくれるかい?」


 少年の様子とかみ合わない女性の丁寧語の翻訳に、カイルもイラつきを感じていたので、良平にマイクを渡すと、翻訳を文字に切り替えて、成り行きを見守ることにした。


「こんにちは。僕は津田良平と言います。僕の発音は理解してもらえるかい?」


 カイルが少年の態度と翻訳機の女性の声の温度差を感じていたように、カイルの声も翻訳機の女性の声で、少年たちの言語に変換され、取り付く島もないほど冷たく丁寧に響いていた。


 それが突然、温かみのある男性の声に変わり、何通りかの言葉で話しかけられるうちに、意味がクリアになったので、少年はハッとしたように顔を上げ、喋っている内人が誰か知ろうとして、ガラスの扉に顔を寄せた。


「うん。分かるよ。すごく上手だ。僕はコジョ・ディアラ。津田さん、お願い僕の血を買って欲しいんだ。僕ははしかも、風疹もおたふくかぜもやってるから、えっと、何ていうの‥‥‥薬を作るのに使って欲しいんだ」


「抗生物質やワクチンを作るのに役立てろということだね? でも、君はまだ15歳になっていないだろう? もし、なっていたら学校から血液提供の説明とどこで登録するのかなどの情報が行くはずだ」


「僕はもう、15歳だよ。ちょっと身体は小さいけれど、貧血もないし、このままその献血するところまで連れて行ってくれないかな?」


 コジョの外見はどう見ても小学生程度にしか見えない。良平が首を傾げながら、年齢を証明できるものの表示を求めようとしたときに、少年に影が差し、隣に立った女性の美しい声がスピーカーから響いた。


「弟がご迷惑をかけてしまっているみたいで、ごめんなさい。私はマライカ・ディアラ。コジョの姉です。弟は12歳で、まだ献血ができる年齢ではありません」


 アフリカ系に色々な民族の血が混じっているのだろうか。マライカは濃すぎない色の健康的な肌に、大きな目、表情も豊かな美しい女性で、良平は言葉を失い、ただ彼女の顔を見つめることしかできないでいる。


 隣でカイルが軽く咳払いをしても、ぼ~っとしているので、仕方なく脇腹を突っついてやると、良平はようやく我に返って、慌てて話し始めた。


「僕は津田良平と申します。マライカさん、初めまして。弟さんの件ですが、何か訳があって嘘をついたのですか?」


「おい、良平。プライベートに踏み込むんじゃない! 」


 献血可能な年齢に達してないと分かった時点で、切り上げればいいのに、理由を聞いてどうしようというのだと、カイルは良平の不測の質問に面食らってしまった。


 だが、カイルの言葉はマライカには分からず、心から心配しているような良平の声を聞いて、戸惑いながらも、意を決したように話し始めた。


「実は、先日母が倒れてしまって、医療費がかさんで、私のお給料では賄いきれなくなってしまったんです。それで弟が自分でお金を作ると言い出して、病院の看護師から献血でお金を得られることを聞いたようです。家に置いてあった手紙を見て、ここに迎えに来たのですが、嘘をついて車を止めてしまったようで、申し訳ありませんでした」


 車内では、スクリーンの文字を読んだ内人たちが、声には出さないが、年端のいかない少年が、家族のために自分の血を売ろうとした行為に戸惑っていた。どの顔にも同じ疑問が浮かんでいる。


(なぜ? そんなことをするんだ? )


 彼らが病気になった時には、軽い症状でも病院の隔離部屋に入れられて、抗生物質の入った点滴に繋がれる。、熱でうなされる彼らが目にするのは、防護服に身を包んだ医者や看護師だ。もっと酷い状態だった者は、遠隔操作のロボットアームで処置を受け、スクリーンに映る医者の顔を眺めただけだ。


 病原菌の拡散を防ぐためにはそれが合理的で、もっとも安全な方法だからということは子供でも知っている。入院したって家族が見舞いになんて来たためしはないし、万が一来て病気がうつったら大変なことになる。

 少年の行動は、彼らには不可解でしかなかった。


 カイルはこれ以上彼らを混乱させないために、良平に帰るぞと声をかけたが、良平はマイクを持ったまま、バスの出入り口のガラス扉へとタラップを降りて行く。


「良平、何をする気だ!? 扉を開ける気か?」


 さすがのカイルも友人の行動を見逃がせず、側に走り寄ったが、良平は開閉レバーではなく、ガラスの扉に手の甲をかざしてマライカを見つめ話しかけた。


「君の個人識別番号を教えてくれるかな? 僕で役に立てることがあれば連絡する」


「えっ?‥‥‥私の識別番号を‥‥‥」


 手の甲には、名前から生年月日、住所など、個人識別番号が入ったチップが埋め込まれていて、物を買うときに店の読み取り機にかざせば、支払いも可能だ。


 普通の人のチップはただ個人を表示するためのチップだが、津田良平やカイル・サランジェのように有識者で、世界中でヒットする商品を生み出した発明家たちにはある種の特別なチップが与えられている。


 相手の同意があれば、その脳の信号を受信した特別チップが、相手の個人識別番号を読み取ることができるという特権付きチップだ。開発をスムースにするために、支援者や企業との交流の円滑化を図るのが目的だが、逆に、有名人や金持ちを騙そうと近づく、なりすましの悪人から、嘘の情報を掴まされないようにチェックして、ガードする役目も果たす。


 マライカは自分の識別番号を知らない男に与えて悪用される危険を考え、躊躇したが、コジョがマライカの腕を取ってバスのガラスに近付けようとする。


「お姉ちゃん。この津田さんはとても優しい人だと思うよ。子供の僕の言うことをバカにせずに真剣に話を聞いてくれたんだ。相談に乗ってもらうだけ乗ってもらったらいいじゃん」


 マライカがコジョを困ったように見つめ、それからバスのタラップから見下ろしている防護服とマスクをつけた良平に視線を移した。


 マスクで顔の半分は隠れているが、良平の目は澄んでいて、真剣な眼差しをマライカに注いでいる。ものものしい恰好をしている良平が、なぜか昔読んだ鎧を着た騎士に思えて、マライカの脈が跳ねた。ここで勇気を出さなければ、二度とこの男性と会う機会はないかもしれないと思うと、自然に腕が伸び、自分の手の甲をバスのガラス越しに良平の手の甲と重ね合わせた。


 自分の情報だけではなく、中身まで見られているように感じて、マライカの頬が赤らんでいく。その様子を見た途端、良平の中にも眠っていた何かが脈動した。


 とっくに識別番号は読み込めたはずなのに、二人がじっと見つめ合ったまま動かないので、カイルがしびれをきらし、良平の肩を揺すった。


「今日の良平はおかしいぞ。熱でもあるんじゃないのか? 帰ったら医療チェックを受けろよ」


 カイルがみんなに帰途に就くことを告げると、良平とマライカの不思議な交流にくぎ付けになり、動けないでいた内人たちが、慌てて席についてシートベルトを締めた。


「連絡するから待っててくれ」


「ええ。津田さん。ありがとう」


 良平とマライカが名残惜しそうにドアから離れると、マイクロバスは内人たちの居住区であるジェリーフィッシュへと出発した。




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