6-4 そんなことだからそんなことよ

 ここ最近、あまりにいろいろあった。

 信頼できる人に話を聞きたかった。というかすがりたいのだ。

 僕は家に帰ってから三岡さんに連絡を取った。

 明日の日曜日、会えませんか。

 数分でメールは返ってきた。

 いいけど、手土産に一首持ってきてね。と。

 頑張らなければいけないところだけど、もう気力がない。

 翌日、喫茶店には三岡さんが先にいた。一番壁際の席でB5サイズの本を読んでいて、僕が来たのを見つけると顔を上げた。

「まあ、座って。節君は子どもだから、私が一杯おごるから」

「ありがとうございます」

 僕がコーヒーより高いアイスティーを頼むと、三岡さんは笑って許してくれた。

 三岡さんが身を乗り出す。

「節君の作品、見せて。約束でしょ」

「いやあ、うまくいかなくて」

 うまくいかなかったのは本当だった。僕はスマホのメモ帳に書いた一首を見せる。


 大臣も言い間違いをするんだと自分を許せば不謹慎ですか


 本当は最近の一連の事件を歌にしたかった。けれども生々しすぎて、作品にするには当たり障りのない話題しか選べなかった。

 三岡さんは半笑いである。

「節君、調子悪そうだね。言い間違いを許すのに、どうして大臣を持ち出す必要があるの? 歌っていうのはもっと身近でもっとしょうもないものを詠むんだって、節君なら分かってるでしょ。なんか、迷って抜けられなくなってる感じ」

 三岡さんは聡い。僕が感じていることなんて見抜いている。これは打ち明けてもいいだろう。

「あの、相談があるんですけど、いいですか?」

「いいよ」

 三岡さんが気軽に聞くので、僕もゆっくりと話すことができる。

「もしも……もしもの話なんでけど、他人の口を勝手に動かして好きなことをしゃべらせられたとして……。あ、もしも、ですよ。もしもそうだったとして、口下手な人が対応に困っているときに助け船を出すとか、別れかけたカップルの仲を取り持つとか、したら、どう思います?」

《節君、そんなこと考えてたんだ?》

「節君、そんなこと考えてたんだ?」

 僕は三岡さんの失望を二度聞いた。三岡さんの顔から笑みは消えていた。

「そんなことって……」

《そんなことだからそんなことよ》

「そんなことだからそんなことよ」

 三岡さんは目の前にいるのに、僕とは視線が合わない。真正面を見ているのに、僕は無いものとされている。

「どうしてですか?」

《節君は他人が短歌を作る代理をできる? 自分の言葉で他人を飾れる?》

「節君は他人が短歌を作る代理をできる? 自分の言葉で他人を飾れる?」

 三岡さんの言葉を聞いたとき、まるで術を使ったようにみぞおちが重くなった。周囲の空気が薄い。

「できません……」

 三岡さんはずっと真正面を見ているけれども、僕ではなくどこか遠いところを見ている。

《人は言葉が足りないことがある。間違えることもある》

「人は言葉が足りないことがある。間違えることもある」

《けれども、それはその人の限界。他人が代わることはできないわ》

「けれども、それはその人の限界。他人が代わることはできないわ」

《限界を受け入れること。それは一番大事なことよ。短歌でも、人生でも》

「限界を受け入れること。それは一番大事なことよ。短歌でも、人生でも」

 三岡さんの箴言が二回ずつ頭に響く。聞くほどに空気が薄くなる。

 三岡さんを失望させたことを、悔しいと思うほどの健全さも僕にはない。

 身体が倒れそうになるのを支えるのが精一杯だ。

 そのとき、僕が頼んだアイスティーが届いた。

《節君、来たわよ。飲んだら。砂糖をたっぷり入れて甘くした方がいいんじゃない? お子様だから》

 僕は三岡さんの言葉が口から発せられたのを確認してから、アイスティーをストレートで口に含んだ。

 三岡さんは僕のアイスティーのお代を払ってくれた。僕に失望しても、自分の言ったことは守っていた。

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