3-4 吐かせた。強制的に。

 僕は家に帰るとき、思いついたことを実行に移していいのか考えていた。ここは秡川さんに迷惑をかけて終わりにした方がよくないか? それはずっと頭にあった。でも自問自答は何度も振り出しに戻り、家で夕食を食べている間も風呂に入っている間も頭は同じところを回り、やる!と決めるまで寝付くことができなかった。

 翌朝、洗面台に立つと魂を売った少年のしまりのない顔があった。鏡は正直だ。

 こんなことでどうする!

 僕は両手の頬を自分で打った。よし、これで心は決まった。

 秡川さんから話を聞いたとは言え、一方的な内容を話された可能性もある。過去の事情を知る人に聞かなければいけない。

「秡川さん、中学校に入った頃は明るかったし感じもよかったんだけど、三年生になってから急に嫌な感じになったんだよね。なにかあったのかな?」

 これは同じ中学校で同学年の女子Aの証言。

「ああ、男の子をモーションかけまくるようになったって聞いたよ。そこからだったな。おかしくなったの」

 これは同じ中学校で同学年の女子Bの証言。

「そりゃあ顔は綺麗だけど、男なんてルックスしか見てない、見た目のいい子が近づいたら落ちるって大真面目に言ってたんだって。本当、男子を馬鹿にした子だから、近づくのは止めた方がいいよ」

 これは同じ中学校で同学年の女子Cの証言。

「エロいことできれば誰でもいいみたいなこと聞いて頼みに行った奴がいたんだけど、すっげえ嫌な顔して断られたって。でも遊んでるって話は一杯あったから、男の顔か金が問題じゃないかって言われてたなあ。おおっぴらには言えないけど。こんなこと聞いてまわってるって、お前のその気?」

 これは同じ中学校で同学年の男子Dの証言。

 要するに、まあ、いろいろ言われていた訳だ。

 最後の証言なんて聞いてて胸くそ悪くなった。「その気じゃないよ!」と啖呵を切る……ことはできず、「ちょっと噂話が好きなだけだよ。君が話したことは言わないから」と情けなく言い訳するしかなかったけれど。

 僕だって半日しか話をしていない訳だけれど、見た目だけで男が釣れると思っている人じゃないと僕の直感が言った。その直感に従うことにした。もうとっくに決めてたけど。

 神谷さんと桐川さんと鞠園さんは今も仲良しらしい。学級は僕とも瀧君とも有沢さんとも違うけれど、今年はたまたま同じ学級に集まっているそうだ。これはチャンス。五限目と六限目の間の休み時間を狙おう。

 この話には証人がいる。瀧君、ごめん! 巻き込ませてもらうよ。

 昼休みにお弁当を食べるとき、瀧君と有沢さんの軽口の間に、僕の願いを挟み込む。

「瀧君、ちょっと頼み事があるんだけど、いい?」

 瀧君は卵焼きを口に入れて箸を置いた。

「簡単なことだったらいいけど?」

 僕はなるべく軽いムードで話す。

「そう、簡単なことだから。五限目と六限目の間、僕は五組に用があるんだけど、そこについてきてくれないかなあ?」

「どうして?」

「ちょっと他の人がいた方がいいことなんだ」

 この一言は嘘じゃない!

「じゃあ、つきあってもいいよ」

 瀧君はもう一つ卵焼きを箸でつまんで口に入れた。

 瀧君、ありがとう! なぜ瀧君が必要なのかは、墓場に持っていく秘密だけれど。

 五限目が終わって、三組に寄って瀧君を捕まえてから五組に向かう。

 廊下の外から五組の教室を見ると、やや廊下寄りの席に、神谷さんと桐川さんと鞠園さんが三人座って雑談していた。ラッキー! 天は僕に味方したらしい。

「瀧君、あそこにいる、神谷さんと桐川さんと鞠園さんを見ていて」

 瀧君の顔にクエスチョンマークが浮かぶ。

「なんだそりゃ? 見ているだけでいいのか?」

「見ているだけでいい」

「なんでそう言えるの? 理由を教えろよ」

 僕は言い切って背中を押した。そのつもりが、断言こそ裏がある証拠と取られたようで瀧君は疑念を露わにする。

「いいから、黙って見てて」

 そう、時間がないんだ。

《昨日教えた動画、見た?》

《見た。よくあんなに食べられるよね。胃に入るのもすごいけど、太ってないのがうらやましいわ》

 注目すべき三人は他愛もない雑談をしている。青春まっただ中の僕たちはくだらない会話が楽しくて仕方がない。

 三人の中では神谷さんがリーダー格。桐川さんと鞠園さんは言葉を悪く言えば取り巻き。雑談は神谷さんが話を振って二人が応える形で進む。

 その会話は、全て、彼女らの頭の上のトラックに映し出されている。

 桐川さんの頭の上のトラックが動いた。

《あれ見てると、見てるだけでお腹いっぱいになって、もう自分で食べなくていいってなるよね》

 本当だったら何気なく続く会話を、僕が、断ち切る。

 桐川さんの頭の上のトラックを塗り替える。

 その瞬間、また、僕のみぞおちに鉄アレイが入る。重い。苦しい。しかしここでひざまずいてはダメだ。僕は魂を売ると決めたんじゃないか。

「ところでさあ、最近、秡川さんがしゃべらないから、いじりようがなくなったよね」

 桐川さんの口から(僕の)言葉が出た瞬間、神谷さんの顔が凍り付いた。口は横に広がり箸がピクピクと震えている。

 ああ、これは、後ろめたいところがある人間の顔だ。

 そう思うと、僕のみぞおちが少し軽くなった。

 神谷さんが必死に取り繕う。

「秡川さんをいじるなんて言ってないでしょ。根も葉もないこと言わないで」

 桐川さんがグループのリーダーの機嫌を取ろうと必死に否定する。

《そんなつもりじゃないの。おかしいの。別の秡川さんのこと言おうと思った訳じゃないし》

 その台詞、僕には先に聞こえているんだ。

 桐川さんのトラックを書き換える。僕のみぞおちが再び重くなる。

《いじれたころは楽しかったよね。なんで秡川さん、黙るようになったのかな(笑)」

 口から思わぬことを言ってしまった桐川さんも顔が恐怖にひきつっている。

 そこを止めようと鞠園さんが口を出す。

《あんた、そのことしゃべったら、全部あんたのせいにするよ》

 その言葉、半分もらった。

 鞠園さんの頭の上のトラックを塗り替える。みぞおちがさらに重くなる。足が震える。僕は口で荒く息をする。

 それだけ苦しんで塗り替えた、僕の言葉が鞠園さんの口から出る。

「あんた、そのことしゃべったら、私たちが悪者になるじゃない。絶対黙っててね」

 自分の立場を悪くすることを言ってしまった鞠園さんは、目だけ左右に動かして神谷さんと桐川さんを見る。

 目の前の二人が他人に言えない過去をしゃべってしまったところで、リーダー格の神谷さんは自分は無関係だとしらを切る。

「あなたたち、秡川さんに意地悪してたの? 私そんなこと知らないし」

 その言葉と並行して、僕の頭には十秒先の桐川さんの言葉が聞こえてきた。

《秡川さん友達が少ないから噂流すと言い訳しても信じてもらえないって言ったの、神谷さんじゃない》

 よし、これで証言が出る。後は神谷さんには本人に言わせる。

「秡川さん友達が少ないから噂流すと言い訳しても信じてもらえないって言ったの、神谷さんじゃない」

 桐川さんの口から出た言葉に神谷さんの顔が怒りに染まる。

「何言ってるの? 私が悪かったことにする気?」

 鞠園さんも自分の身を守らなければならない。リーダーのとんずらは何としても避けたい。

「一人だけ逃げたりしないでよ。一番指図してた人が」

 子飼い二人に問い詰められた神谷さんは言い訳に走る。

「あいつが自分が特別だと思ってクラスの輪に入らなかったのが悪いのよ。お高くとまってるから、本人の言葉を信じてもらえなかったんでしょ。きちんとしっぺ返しを受けたんじゃない。周りを大事にしなかった罰よ」

 その言葉に桐川さんと鞠園さんが同調する。

「そうよね。私たちがやらなくても、どうせ友達いなかったしね」

「悪かったのは秡川さんよ」

 これで十分だ。彼女らは自らの行いを白状した。

 そのとき、瀧君の声が事前に聞こえた。

《岸凪、どうした? 大丈夫か?》

 どうしたじゃない。僕はやることをやったんだ。何を心配するんだ。

 だけど達成したと思った途端、膝が崩れた。僕は廊下に尻餅をつく。瀧君は驚いたようだ。

「岸凪、どうした? 大丈夫か?」

「大丈夫だよ。それより三人の会話を聞いてた?」

「聞いてた。いろいろ思うことはあるけど、なんで岸凪はあんな話を聞かせたんだ? というか、事前に分かる訳ないし、どうしてこのタイミングで俺を呼んだんだ?」

「時々以前の話をしてるって聞いたから、今日もかなって思っただけだよ」

 嘘だ。三人は秡川さんにしたことが他人に言えないことだときちんと分かっていた。しゃべったりなんかしていない。

 嘘をついたとき、他人の言葉を書き換えたときに近い胸の重さが残った。その重さがとどめを刺したのか、立ち上がろうとしてよろけた。転びかけたところを瀧君が両手で抱えた。

「大丈夫じゃないだろ。保健室行くか?」

 それはダメなんだ。教室に戻らないといけない理由がある。

「保健室は行かない。授業中座っていればなんとかなるよ」

「そんな様子に見えないから。肩貸すよ」

「だったら教室まで連れてって」

「無理するなあ。辛かったら先生に言えよ」

 瀧君は僕の右腕を肩にかけ僕を支えてくれた。いい人だなあ。僕にはもったいない。彼に嘘をついていることが僕は心苦しい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る