2-3 言葉がエコーとなって二回聞こえてくる

 どこに連れて行かれるか分からず周りをキョロキョロ見ていたけれど、二人が連れてきたのはファストフード店の中でも最大手で何の変哲もない店。三人でカウンターに並ぶと男性が声をかけた。

「おごるけど、一杯だけでお願いね」

 待て。おごられるとお返しをする必要が出てくるんじゃないのか。

「いいえ、自分で払います」

「気負わなくていいよ。こちらからお願いするんだから。無難にコーヒーでいいかい? 店員さん、コーヒーSを三つください」

 先に僕の分も頼まれて、機先を制された。ここで暴れるのは無しだよなあ。今は黙っておこうか。

 先に女性が席を見つけてカウンターに並ぶ僕たちの元に戻ってきた。店員がコーヒー三つが乗ったトレイを差し出すと、手に取ったのは男性だった。

 女性が見つけた席は壁際。大人二人が壁側の席に座る。

「岸凪君、座ったら?」

「お言葉に甘えて」

 形だけでも丁寧に済ませて通路側の椅子に座った。

 男性は古紙が混ざって色が黒いメモ用紙と鉛筆を取り出した。

「さっき三岡さんが、僕について珍しい苗字で漢字が分かりにくいと言ってたね。その通りだ。書いて説明しないときっと分からないよ」

 そう言って男性はメモ用紙に鉛筆書きして僕の方に向けた。メモ用紙には「和良差 杜」と書いてあった。

「『わらざし』は分かりますけど、最後の一字は何ですか? 『もり』ですか?」

「僕の名前だ。『とう』と読む。苗字だけじゃなく名前も分かりにくいね」

 その和良差さんの顔はどこか楽しげだ。

 その左に座った女性、郡山さんだっけ、右肘で和良差さんをつつく。

「早く本題に入りなさい」

 和良差さんは郡山さんに頭を下げる。

「そうだね。どうも僕は無駄話が多くていけない」

 そして正面に座る僕の目を見つめた。

「岸凪君。国語に対する意識の調査、と言ったけれど、それはちょっと違うかも知れない。コミュニケーションや意思伝達に対する態度と言った方がいいかもしれない。君は、ある都市伝説を聞いたことはあるかい? オカルト的秘技を用いて他人に好きな言葉を言わせる魔術が存在すると言うことを」

 なんでここでその話が出るのだろう。有沢さんが語っていた噂って、そんなに広まってるのか?

「友達から聞いたことはあります。聞いたことは」

「岸凪君は短歌を実作するくらいだから、言葉に対する意識は他の同級生より高いと思う。その噂をどう思うかい?」

 和良差さんの表情が少し硬くなった。

 意識の調査と言っていた。これが調査の内容だろうか。

 それにしては二人ともメモも録音も取っていない。どうやって記録に残すのだろう?

 記録に残す気はあるのか?

 二人の態度がいまいち信用に欠ける。

 しかし話題がオカルトな都市伝説だ。軽く語ってもおかしなことはないと思う。軽口を叩けばいい。

「友達から聞きましたけど、全く信じていません。もしそんな魔術があったら、現代社会で使い放題じゃないですか。例えば政治家が敵対する政治家に公衆の面前で差別的な、あるいは卑猥な言葉を言わせるだけで、敵を葬るには十分です。そんなことが現実に起きていないってことは、そんな魔術はないんです」

 和良差さんは僕を見つめていた。

「だったら体験する方が早いか」

 和良差さんが身を乗り出す。

 やばい!

 逃げようとしたところを、和良差さんのリーチの長い左手で頭の後ろを押さえられた。

 彼は右の手のひらを僕の額に当てる。

「汝が御霊を世の風にさらす竿とし流るる中に渦を設けん。因りて理の上下を返す」

 一見古風だけれども使われている単語が全て新しくて現代の言葉だと分かる一言を和良差さんが言うと、僕の視界がブラックアウトした。

 周囲が暗かったのが、一瞬だったのか、とても長い時間だったのか、分からない。

 何かがあったのは分かるけれど、それがなんだか分からない。

 あ、まぶたが開く。そう思って目を開けると、場所はさっきと同じファストフード店の中だった。

《落ち着いたかい?》

「落ち着いたかい?」

 二人に声をかけられた。目眩がしたのが二人にも見えたのだろうか。何を考えているのか分からない二人だけれど、心配はしてくれたのだろうか。

《ちょっと混乱しているだろうから、しばらく周囲の会話を聞いているといい》

「ちょっと混乱しているだろうから、しばらく周囲の会話を聞いているといい」

 二人が心配してくれているのは分かった。しかし、どうして二人の発言が一字一句同じなのだろう。変なからかい方もあるものだ。

「目眩がしたかもしれませんね。今は大丈夫です」

 心配していただいてありがとうと感謝の気持ちを持って二人を見たら、二人の頭の上に、灰色の横長な四角いものがあった。なんだ、これは? 思わずじっと見つめる。

《僕たちの頭の上に見えているものは、他の人には見えていないから、うっかりしゃべらない方がいい》

 和良差さんがしゃべると、頭の上にあるものが右側から赤く染まった。そして言葉が続く間だけ赤いままで、言葉が終わると右側から灰色の部分が伸びてきて、全て灰色に戻った。

 そのとき和良差さんの口は動いていなかった。

 もう一度問う。なんだ、これは?

 和良差さんの口が動いた。

「僕たちの頭の上に見えているものは、他の人には見えていないから、うっかりしゃべらない方がいい」

 さっきと言葉が同じとか口調が同じというレベルではない。音として全く同じだった。

 和良差さんと郡山さんの二人がしゃべっていたのではない。和良差さんが一人でしゃべっていて、言葉がエコーとなって二回聞こえていたのだ。

「ハァ?」

 僕の口から意味がある言葉は出なかった。ただ驚愕だけを含んだ擬音がファストフード店内に響く。

 和良差さんは黙って自分の口の前に人さし指を立てた。黙れ、と。

 僕、何したらいいんだっけ。あたりを見渡したら、他の客がみなこちらを見ていた。形だけ頭を下げよう。ごめんなさい、とも言えずに。

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