騒がしい茶会

◆4-1

 男爵家の前庭は狭い。貴族の家にありがちな庭園など造れるわけもなく、植えられているのは観賞用の花ではなく、大部分がドリスの育てる薬草や野菜だ。

「とても素敵な庭ですね! 土の匂いというものがどういうものか、初めて解った気がします」

 しかし今まで塔の中でしか過ごしてこなかったリュクレールにとっては、充分に広い世界なのだろう。ドリスに貸して貰った、汚しても構わないエプロンドレスを着た彼女は土の上で躊躇いなくしゃがみこみ、並んで生える薬草の小さな花のひとつひとつを見ては喜びの笑みを漏らしている。

「……旦那様、宜しいのですか? 奥方様に畑仕事など」

 肥料の入った麻袋を軽々と肩に担ぎ上げながら、庭の椅子で寛いでいる主にヤズローが声をかけると、ビザールは悪びれることなくいつも通り笑った。

「ンッハッハ、今の彼女に大切なのは、働くことと役立つことだ。雑草取りぐらいならば問題はあるまい? 力仕事はいつも通りお前に任せよう、ヤズロー」

「勿論です、お任せ下さい」

「ついでにお前も、少し女性に対する苦手意識を克服したまえ。紳士たるもの、淑女には優しくしないといけないぞ? ヤズロー」

「……淑女相手にならば優しくしているつもりですが」

 不満しかない顔でぼそりと反論してから、ヤズローは大股でしゃがみ込んだままのリュクレールに近づく。

「奥方様、宜しいでしょうか」

「あ、はい!」

 ぱっと立ち上がり駆け寄ってくる彼女の瞳は、無邪気なやる気が満ち溢れている。こんな瞳でまっすぐ見つめられることなど経験が無いので、内心困った。

「なんでも命じてくださいな! 何をすれば良いかしら?」

「……では、まず薬草と雑草の見分け方をお教え致します。間違えて抜いてしまうと、ドリス様に尻を叩かれますので」

「まぁ、厳罰なのね! わかりました、しっかりと覚えるわ」

 ヤズローの周りにいる女性としては有り得ない程の素直さなので面食らってしまう。ぶっきらぼうな説明にも丁寧に頷き、解らないことはすぐに聞いてくる。

 柔らかい土の上で、何度も立ったりしゃがんだりするのは普通に重労働だ。リュクレールの白い頬にも段々と汗が浮かんできている。それでも、彼女の笑みは崩れない。

 些細な事でも役に立てるのが嬉しいのは、ヤズローにも良く解る。まだこの手足に慣れない頃、何度も転んでしまった自分の無様さと悔しさも、一人で立って仕事が出来るようになって、男爵から褒め言葉を貰った時の喜びも、ちゃんと覚えているのだから。

 後は奥方に任せて、肥料の散布と入れ替えをしようと立ち上がった時。屋敷の前に、馬車が一台停まったことに気付いて、すぐに迎えに出た。

 この国では珍しい意匠が刻まれた、南方風のデザインの馬車だ。その持ち主が今日来ることを知っているヤズローは、軽く服と腕の泥を払っただけで馬車の傍に立つ。これぐらいの身支度で許してくれる相手だからだ。

 思った通り、馬車から出てきた簡素な服の大柄な男――小目が伸ばした腕を扇子でぱしりと叩き、自分の足で馬車から降りて来たのは、ゆったりとした豪奢な南方服に身を包んだ瑞香だった。

「いらっしゃいませ、瑞香様。御足労頂き、有難うございます」

「はぁい、ヤズローお疲れぇ。別にいいのよー、仕事だし、噂の奥様の顔も見たかったし?」

 礼をしたヤズローに、紅を刺した目元でぱちりと片目を閉じる瑞香は相変わらずの軽さだ。果たして彼と奥方を会わせても良いものか、主に確認しようと振り向くと、既に手を拭いたリュクレールがエプロンドレスを抓んで速足で近づいてくるのが見えた。その後ろの主に至っては、構わんよと言いたげに手をくいくい動かしている。どうやら椅子から立つつもりは無いらしい。少しは動けと思っているうちに、リュクレールが辿り着いてしまった。

「ヤズロー、お客様ですか? お初にお目にかかります、このような出で立ちで申し訳ございません。この度シアン・ドゥ・シャッス家に嫁がせて頂きました、リュクレールと申します。以後、お見知りおきを」

 エプロンドレスの裾を抓み優雅にお辞儀する姿は、例え使用人のお仕着せを着ていても貴族の淑女として何の瑕も無い。多少の泥汚れなど、彼女の清楚な雰囲気を全く損じていないだろう。

 そのあまりの清廉な姿に、瑞香は完全に固まり――その驚愕は良く解るのでヤズローも指摘しない――しかしすぐに、商人らしい厚い面の皮をしっかりと張り付けて、笑顔のまま両手を重ねて丁寧に礼をした。

「これはこれはご丁寧に。こちらこそ、突然の来訪申し訳ありません。私、南方国の商人で、名は瑞香と申します。男爵様には長い事、ご贔屓にして頂いております」

「まぁ、瑞香様! お話は伺っております、わたくしが男爵様に頂いたものを、ご用意して下さったとか。その節は大変お世話になりました」

「勿体ないお言葉にございます。我々の仕事がお役に立てたのならば恐悦至極ですとも。では、男爵様にご挨拶をさせて頂いても?」

 ひくひくと瑞香の頬が引き攣っているので、そろそろ限界のようだ。ヤズローは理解して一歩引き、気づいていないだろうリュクレールもすぐに道を開けた。

「御引止めして申し訳ありません、失礼いたしました。どうぞお上がりくださいませ」

「いえいえ、有難う存じます。――ちょっとビザールぅう!! あんたこんな可愛い子どうやって誑かしたのよキリキリ吐きなさいな今日のお代はツケで良いからあああ!!!」

 着ていた百匹の猫を力いっぱい脱ぎ捨てて全力で男爵へ駆け出す瑞香を、小目が眉ひとつ動かさず追う。他の瑞香の従者達もしずしずと後に続く。ヤズローも当然だろうなと深く息を吐き、吃驚した子猫のように固まっている奥方をそっと促す。

「奥方様、我々も参りましょう」

「え、ええ、そうねヤズロー。……わたくし、お客様を怒らせてしまったのかしら……?」

「いいえ、奥方様は何も悪くございません。大体旦那様のせいです」

 不安そうに眉を下げる淑女を宥めながら、主の悪友が主の首を締め上げている現場に向かうことにした。

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