第42話 別れ


 魔法学院、アーロン教授の部屋。


「——アーロン教授、突然のことで申し訳ありません。後見人になって頂いたのに……」


 男装エリーゼは、教授に退職を申し出たところだった。

 ジョーゼルカ家から雲隠れするため、という理由で。

 研究室のメンバーには、「体調不良で退職した」と伝えてもらうことになっている。


 教授は急な話なのに詳しい事情を聞かず、責めるようなこともせず、むしろエリーゼの心配をしてくれた。

 それだけジョーゼルカ家の評価は、教授の中で最悪だった。


「優秀な君がいなくなるのはとても残念だけど、気にしないでくれ。ジョーゼルカ家が関係してくると事情が複雑だからね。安心してくれ、君のことは絶対に他言しないから」


 ——教授は本当に寛大な方。研究成果を出して恩返ししたかったのに……。


「最初から最後まで、ご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「残りの研究は、サラくんが引き継いでくれるから心配しなくていいよ。魔法学院に戻ってくるようなことがあったら声をかけてくれ。またこの研究室に戻れるように手配するから」

「はい、感謝いたします。機会があれば、是非、教授の元でまた研究がしたいです!」

「うん。じゃあ、吉報を待ってるよ」


 教授の温かい言葉にエリーゼは感極まっていた。


「はい。では、失礼いたします」


 深く一礼をして、教授室から退出した。


 エリーゼは廊下の奥にある研究室へ視線を向ける。


 ——挨拶もせずに去ってしまってごめんなさい。短い間だったけど、研究室メンバーには感謝の思いしか浮かばない。みんな気さくに接してくれて、毎晩のように遅くまで研究について語り合って、本当に濃密な時間を過ごさせてもらった。本当に素晴らしい研究室だったな……。


『みなさん、本当にお世話になりました』


 心の中で感謝の言葉を述べた後、一礼して寮へ戻った。





 アリスの部屋。


 2人は小さなテーブルを挟んで座っていた。


「——兄様、報告はどうでしたか?」


 アリスは心配そうにしていた。


「大丈夫、アーロン教授は寛大な方だから」

「よかったです」

「アリス、急にこんなことになってごめんね……」


 アリスは首を横に振った。


「それは問題ないと何度もお伝えしました。それに、魔法教育がより充実した国へ行けるのですから嬉しいのですよ?」


 エリーゼがアリスに移住の件を相談した時、アリスは一緒に行くと即答していた。


「私が学院の学生になったら、ジョーゼルカ家からどのようなお咎めがあるのか、とずっと怖かったのです。兄様にお仕えすると宣言してあの家を離れましたから……」


 エリーゼはアリスの手を優しく握る。


「ずっと悩ませてごめんね。私は自分のことでいっぱいいっぱいだったから……」 

「それは違います。兄様は私に別の可能性を下さったのです。私にも希望があることを初めて感じることができて、本当に嬉しかったのですよ」

「アリス、そう言ってくれてありがとう。ここで勉強したことは絶対無駄にはさせないから。移住したら、魔法大学院に絶対合格させてあげる!」


 エリーゼはアリスを安心させるため、力強く宣言した。


「ありがとうございます。私もがんばります! じゃあ、最後の時間をアダム先生と楽しんできてくださいね!」



***



 その日の夜。


 男装エリーゼはアダムの部屋に忍び込んでいた。


「アダム、ワイン持ってきたよ」


 玄関で出迎えてくれたアダムに、エリーゼはカバンから出したワインボトルを見せた。


「ありがとう。ワイングラスと一緒にテーブルに置いてくれる? グラスはキッチンにあるから」

「はーい」


 ワイングラスを取りに来たエリーゼは、パスタを綺麗に盛り付けるアダムを横から眺める。


「美味しそう〜」

「パスタとサラダしかないけどいい?」

「もちろん! アダムの手料理久しぶりだな〜。これ、得意なやつだよね?」

「うん。でも久しぶりに作るから、ちょっと自信ないんだー」

「大丈夫だよ。アダムの作ったものならなんでも美味しいって」


 アダムは昔のことを思い出し、急に吹き出す。


「エリーゼはどうせ、下手のままなんだろうな〜」


 それを聞いたエリーゼは慌てる。


「だ、大丈夫、これからアリスに料理を教えてもらうから……」

「えー! 僕が手取り足取り教えたいのに〜」


 アダムは頬を膨らませた。

 

 ——可愛い〜。


「アダムは仕事忙しいでしょ? それに私たちは明日、移住しちゃうからな……」

「それもそうだね」


 アダムは肩を落とした。

 アリスの入試対策のため、エリーゼとアリスは一足先にイタリ王国へ移住することになっていた。


「しばらく寂しくなるなー」


 アダムは子犬が悲しむような表情を浮かべる。


 ——もう! この表情も大好き!


「でも、明日には結婚するんだからいいじゃない?」

「そうだね、やっと念願の夢が叶うよ。エリーゼが僕のものだって証明できるな〜」


 2人は微笑みあった。


 アダムと結婚すると、架空人物のエリーゼであっても身分証明書が発行されることになっている。

 アダムのイタリ王国就業確定書を一緒に提出するので、移住権も保証される。

  

「ねぇ、今日はこのまま泊まっていけば? 明日にはここを離れるんだから」


 アダムは甘えた表情でお願いしてきた。


 ——こんな顔されたら……。


「でも、ベッドは1人用でしょ? アダムはゆっくり眠れないんじゃない?」

「大丈夫だよ。ぴったりくっついて眠るんだから、1人みたいなものでしょ? 防音効果もバッチリだから、問題ないよ」


 エリーゼは顔を赤くする。


「アダムがそう言うなら……」


 荷造りはすでに終えていたので、実際は泊まっても何の問題もない。

 アリスもそのつもりで送り出してくれていた。


「照れてるところも可愛いよ。今夜は忙しくて眠れないかもね」


 アダムはエリーゼにキスをした。


 ——とける〜!



 アダムの予言通り、その晩はほどんど眠らなかった。

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