第25話 ケインとオリビア


「ケリー! お前も温室か? 一緒に行こーぜ!」


 ケリーが研究室を出ると、後ろからケインが追いかけてきた。


「ケリー、聞いてくれ……。俺……オリビアを怒らしちまったみてーなんだ。助けてくれ……」


 ケインは肩を落とし、あからさまに落ち込んでいた。


「オリビア先輩に何したんですか? まさか、ボクにしたみたいに酔った勢いで……最低ですよ」


 ケリーは軽蔑の視線を送る。


「そんなことしてねーよ! 信じてくれ! お前で懲りたんだからよ……」


 ——ならいいけど……。


「どうせ、いつもの痴話喧嘩ですよね?」


 ケインはケリーをジト目で見る。


「なんだよその言い方……。俺たちそういう関係じゃないって知ってんだろ?」

「はぁ、そうですね……」


 鈍感なケインにケリーは呆れる。


 ——どう考えても、オリビア先輩とケイン先輩って両思いなんだよね……。喧嘩してる時でも仲良しだってわかるくらいに。ジニー先輩はそれを見せつけられて辛いだろうな……。私だってアダムと喧嘩したり、イチャイチャしたいのに! イライラしてきた!


「——お前、俺の話聞いてるか?」


 ケインは怪訝な表情を浮かべていた。


「あ、すみません、ちょっと考え事を……」

「先輩が頭下げてるんだからよ。ちゃんと話聞いてくれよー」


 情けない表情を浮かべるケインにケリーは苦笑した。


「でも、なんでボクに相談を? もっと付き合いの長い先輩たちに話せばいいじゃないですか」

「お前、あれから刺々しくなったな……。可愛がってるのによ」

「当然ですよ! 気持ち悪かったんで!」


 ケリーは思わず声を荒げた。

 ケインは慌てて「すまん、すまん」と何度も頭を下げる。

 あの日以降、ケインはケリーに頭が上がらなくなっていた。


「まあ……最近、ケリーはオリビアと仲良くしてるだろ? 何か知ってるかと思って」

「ボクはまだ何も聞いてませんよ。それで? オリビア先輩をどうして怒らせたんですか?」

「それがよ……」


 ケインは難しい顔をしながら説明を始めた——。


 事の発端は、昨日の会話だった。

 大量に荷物を運んでいるオリビアを見かけケインは、話しかけたという。


「オリビア、その荷物少し持ってやるよ」

「あらぁ、ケインさんたら〜。やけに優しいわね〜」


 ケインはその言葉遣いに違和感を感じ、思わず吹き出した。


「ぶっ! 女みてーこと言ってんじゃねーよ! ブス!」

「なんで、そんなこと言うのよ……! 私だって女よ!」


 オリビアはそれから、ケインを睨みつけるか無視するようになった。


「——っていうことなんだよ……意味わかんねーよな? ケリー、原因わかるか?」


 ケインの話を聞き終えたケリーは深いため息をついた。


 ——なんじゃそれ! しょうもない! オリビア先輩は美人だろ! 口悪すぎ!


「毎回聞いてて思ってましたけど、当然怒りますよ! なんでブスって言います? 子どもじゃないんだから!」


 強く怒られたケインは背中を丸くする。

 顔は真っ青だ。


「結構きついこと言うのな……。でもよ、オリビアは毎回同じようなこと言われてるから、慣れてるだろ? なんで今回は怒ったんだ?」


 ケインは情けないことに涙目になっていた。


「なんか他に酷いこと言ったんじゃないですか? そんなんだから、女性から嫌われるんですよ。ボクはそのデリカシーの無さで、一度ケイン先輩を嫌いになってますから!」

「そんときは悪かったよ……」


 ケインはさらにうなだれる。

 ケリーが溜め込んだ怒りを大量に受け、精神はボロボロだ。 


 ——仕方ない……。


 ケリーは少しかわいそうに感じたので、これ以上追い込むのはやめることにした。


「はぁ、わかりました。ボクに任せてください。ちゃんと話す機会を作りますから。その時はしっかりひれ伏して謝ってくださいね! 先に言っておきますけど、これは、オリビア先輩のためですから!」

「助かります」


 ケインは深く頭を下げた。


 ——アダムと会う前にこの面倒ごとは終わらせよう。


 ケリーはそう考えながらケインと温室へ向かった。



***



 1週間後。


 研究室メンバー全員で学会に出席するため、隣国に来ていた。


 ケリーはこの日のために研究室の先輩たちと相談し、ある計画を立てていた。

 ちなみに、オリビアに好意を寄せていたジニーも乗り気だったので、すでに吹っ切れていたことをそこでケリーは初めて知った。

 その計画でケリーが与えられた任務は、ケインとオリビアを2人きりにすること。

 ケリーはケインとオリビアそれぞれに「個別で相談したいことがある」と伝え、同じ場所で待ち合わせをすることにしていた。 

 もちろん、ケリーはその場には行かないことになっている。


 名付けて、『鉢合わせ作戦』だ。



 ケリーを含めた研究室メンバーは、2人の待ち合わせ場所から少し離れたカフェに待機していた。

 全員が不安な表情を浮かべている。

 

「——今日で仲直りしてくれるかな?」

「そうしてもらわねーと、俺たちもやりずれーよ! オリビア先輩に話しかけられねーからな」

「だから、ケリー頼むぞ!」

「はい……」


 ——雑な作戦ではあるけど……。きっと腹を割って話せるいい機会だろう。


 ケリーがハラハラしながらコーヒーを飲んでいると、端末から着信音が鳴る。


「先輩、ケイン先輩から連絡きてます」

「無視しろ!」


 1人の先輩から瞬時に指示が入る。


「はい!」


 その後、オリビアからも連絡が入ったが、同じ指示にケリーは従った。





 ケインは待ち合わせ場所の噴水広場に来ていた。


「……ったく、どこにいるんだ? 先輩を待たせやがって……」


 ケインはケリーを探すため、噴水の周りをうろついていた。

 その時、よく知る人物を見つける。


「「あ……」」


 ケインとオリビアは、同時に互いの存在に気づき、思わず声を漏らす。


 計画通り、2人は鉢合わせしてくれた。

 研究室メンバーは固唾を飲みながら、その様子を拡大ゴーグルで眺めている。


「……オリビア、ケリー知らねーか? 待ち合わせしてんだけど、来なくてよー」


 ケインはバツが悪そうに声をかけた。


「え!? ケリーくん!? 私もここで待ち合わせしてるんだけど? ……はぁ、そういうことね……」


 オリビアはすぐに状況を理解した。


「あ? どういうことだよ?」


 ケインは相変わらず鈍かった。


「本当に鈍いわね! ケリーくんは私たちを仲直りさせるため、嘘の待ち合わせをしたのよ!」


 ケインは頭を抱えた。


「なさけねー!」

「私は謝らないわよ!」


 オリビアはケインを睨みつけた。

 本来ならその態度に対して文句を言うケインだが、ケリーにキツく言われていたのでグッと堪える。


「この前は悪かった……」


 オリビアは曖昧な謝罪に納得がいかず、頬を膨らませる。


「何が悪いと思ってるの?」

「それは……全部だ」


 何もわかっていないケインの口ぶりに、オリビアの怒りのボルテージが上昇する。


「なにもわかってないじゃない!」

「じゃあ、何に怒ってるのか教えろよ! わかんねーんだよ!」


 オリビアはケインの態度に呆れる。


「これだから鈍い男は……。ブスって何度も言われ続けて耐えられなくなったのよ!」

「は? そんなのいつも言ってるじゃねーか! 慣れてるだろ?」


 ケインは納得のいかない表情を浮かべた。


「我慢してたけど、もう、無理! 女に対してその言い方はないわ! どうせ、エバちゃん以外は、あんたにとってブスなんでしょうよ!」

「なんで、エバが出てくるんだよ!」

「だって、あんた好きじゃない!」


 ケインは呆れて首を横に振る。


「もう7年以上たってるんだぜ? もうそんな感情はねーよ!」

「だって……、エバちゃんに似ているケリーくんを見て、一度粗相したでしょ? まだエバちゃんのこと好きって証拠よ……」


 オリビアは視線を落とした。


「あれは……ついだ。でも、もう本当にそういう感情はねーよ! それに、俺はブスにブスとはいわねー主義だ!」

「は? 意味わかんない!」


 オリビアは会話が通じないケインに呆れ、その場を立ち去ろうとする。


「待てよ!」


 ケインはオリビアの腕を掴んだ。


「あー! クソッ! 面倒なことになりそうだから言うつもりなかったのによ……」


 オリビアはケインを睨みつける。


「何よ!」

「俺はお前が好きなんだよ! 言わせんな!」

「…………!?」


 オリビアは顔を真っ赤にし、口をポカーンと開ける。


「お前が俺をそんなふうに思ってねーことはわかってたから、言わなかっただけだ。もう忘れてくれ……」


 ケインの顔は真っ赤だった。


「わかりにくいわよ……」


 オリビアは口をとがらせる。


「悪かったな! ……と、とりあえず、研究室のみんなに気を使わせたんだから、今のはなかったことにしてくれ。最低限の会話はすんだぞ! ここまで言わせたんだから、協力しろよ?」

「最低限なんて嫌よ!」


 オリビアは顔を真っ赤にして叫ぶ。


「お前な……」


 ケインは呆れる。


「もっと! 誰よりも私とたくさん話をして!」

「なんだよそれ……」

「もう! 鈍いわね! 私もアンタのことが好きなのよ!」


 次はケインが顔を真っ赤にし、口を大きく開けて固まる。


「鈍感!」


 オリビアはそう叫んだ後、そのままケインに抱きついた。





 ケリーたちが潜伏するカフェ。


「うわっ! 公衆の面前で、あの2人なにやってんだ!?」


 2人をずっと眺めていた研究室メンバーは全員、赤面していた。


「どういう会話であんな状況になるんだ!?」

「こんなことなら、盗聴器つけとけばよかったぜ!」


 恋愛に疎い先輩たちは、混乱していた。


「とりあえず、ハッピーエンドだと思いますよ?」


 そう言ったケリーは背もたれに寄りかかり、大きく息を吐く。


 ——よかった……。そんなことより……、私の本当の心配事は明日なんだよー。アダムの授業見学で好転してくれー!



***



 その後の研究室の様子は——。

 針の筵状態だった研究室は、日常を取り戻した……とは言い切れなかった。


 反動なのだろうか……。

 ケインとオリビアは場所問わずいちゃつき、研究室の雰囲気は別の意味で息苦しいものとなってしまった。

 2人の仲を心配していたアーロン教授だけは喜んでいたが。


 余談だが、すでにオリビアへの想いを吹っ切っていたジニーは、その学会で知り合った女性と数年後に結婚し、隣国で幸せに暮らすことになった。

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