第2章 男装編

第14話 再出発


 ジョーゼルカ家当主執務室。


 ケリーは1人でリリスの両親に会いに来ていた。

 人払いをしてもらい、この部屋にいるのは3人だけだ。


「——おめでとう! リ……、ケリー、あなたがこんなにも優秀な子だったなんて……。母として鼻が高いですわ!」

「ケリー! よくやった! お前が優秀な子であったとワシは知っていたぞ! ハッハッハッハッ!!!」

「父上、母上、ボクは今日から独り立ち致します。これからは援助も必要ありませんので」


 その言葉を聞いた両親は涙腺を崩壊させる。


「こんなに立派なむす……こになっていたとは……。子どもは親が知らない間に成長していくんだな……」

「でも……わざわざ狭い学院寮で暮らす必要はないのでは? 後見人ではなくなってしまったのだから、ジョーゼルカ家の養子になるという方法もありますよ?」


 ケリーは首を横に振った。


「さらなる成長を遂げるには、子どもは親元から離れる必要があると存じます」

「それはわかっていますが……。不自由な生活を送るのかと思うと……ケリーが不憫でなりませんわ!」

「ケリー、学院が嫌になったらいつでもここに戻ってきていいんだぞ!」

「そんなことにはなりません。決めたことは覆したくはないのです。一人前の研究員として認められるために」

「わかった……ケリー。お前の決心は固いのだな。だが、何かあったら必ず頼りなさい」

「では、父上、母上、今までありがとうございました」


 ケリーは一礼し、清々しい気持ちで部屋を後にした。





 魔法学院、職員寮。


 ケリーはアリスの部屋の扉をノックした。


「はーい!」

 

 アリスはすぐに扉を開けた。


「お帰りなさい、兄様」

「ただいま、アリス。やっと一段落したよ。はい、これはお土産の焼き菓子」

「ありがとうございます! さっそく食べましょう! 紅茶はいかがですか?」

「ありがとう」


 アリスは果実の香りをさせた紅茶、焼き菓子を乗せた小皿を小さなテーブルに置いた。


「はぁ〜。アリスの淹れてくれた紅茶は格別だね〜」


 ジョーゼルカ家の毒素が抜けていくような感覚に、ケリーは顔を緩ませる。


「そう言ってもらえると嬉しいです」


 アリスは頬を少し赤くし、焼き菓子を口に入れる。


「これからは前に進むだけですね」

「うん! さっそく今日は歓迎会があるから、アダムとお近づきにならないと……」


 ケリーは自信なさげな笑みを浮かべる。


「私は出席資格がないのでお手伝いできませんが……。お部屋から応援してますね!」


 お茶を楽しんだ後、ケリーは研究室へ向かった。





 魔植物学研究室。


 ケリーが扉を開けると、中から騒がしい会話が聞こえてきた。


「——よぉ! ケリ〜待ってたぜ! 今日はオメーの歓迎会なんだから、いっぱい飲んでもらうぞ〜!」 


 最初に声をかけてきたのは、勤務初日からケリーに絡んでくる先輩ケイン・ベーカーだった。

 無精髭が生えた10歳上の先輩研究員で、ケリーは転生前から知っている。

 気さくな性格のため、後輩たちからは兄貴分として慕われていた。


「あがっ!!! ケインせん……ぱーい、苦しいです……」


 ケインは後ろからケリーの肩を抱くふりをして、首を軽く絞める。


「よし! 野郎ども! 行くぜ〜!」

「「「「「ウェーイ!」」」」」


 5人の男性研究員は勢いよく腕をあげた。


 ——私は女なのに……。


 ケリーは心の中で文句を言いながら、ケインに無理やり引きずられて会場へ向かった。


 



 新人歓迎会会場。


 魔法学院の階級2以上の職員が全員集まっていた。

 新人のケリーは階級2、助手のアリスは階級1で、実績を上げることで階級が上がる仕組みだ。

 実績を取り続けているアーロン教授は最高位の階級10だ。


 ——アダムはどこにいるんだろう……。


 広い会場と予想以上の参加人数を目の当たりにしたケリーは、肩を落としていた。


「——おい、ケリー。俺たちのテーブルはあっちだぞ!」

「はい!」


 人ごみの中をきょろきょろしながら、ケリーはケインの後ろをついていった。


「こっちよ!」


 ケリーとケインに声をかけてきたのは、魔植物学研究室唯一の女性研究員、オリビア・ブラウンだった。

 ケインと同期で、階級は5だ。

 ケリーが転生前、親身に相談にのってくれた優しい人物で、姉のように慕っていた。


「よし、全員集まったな。学院長の乾杯はまだか〜? 早く飲みてーぜ!」


 ケインはすでに酒が入ったジョッキを持ち、そわそわしていた。


「ケイン、気が早いわよ。学院長がまだ壇上にも上がってないのに……」


 オリビアは呆れていた。


「お! 主役の登場だ!」


 ケインの言葉でケリーは壇上へ視線を向け、胸を弾ませた。

 壇上中央には、長い白髪の老人——ダーベント・ニコラス魔法学院学院長が立っていた。

 学院長は学院内に3人しかいない階級10の持ち主で、ケリーが尊敬している人物の1人だ。


「——新人諸君を歓迎する! 歓迎会を楽しんでくれたまえ!」


 学院長の挨拶が終わると、ケリーはグラスに入った酒を一気に飲み干した。

 そして、席を離れようとするが……。

 

「——ケリー! お前、どこ行こうとしてんだ?」


 ケリーは、首根っこをケインに掴まれていた。


「……やだなー。先輩方の食べ物を取りに行こうとしてたんですよ」


 ケリーは冷や汗をかきながら答えた。


「気が利くじゃねーか。だが、今日はお前の歓迎会だ。それは別の野郎にやらせるから、お前は俺の注いだ酒を飲んでりゃいーんだよ!」

「はい……」


 それからケリーは、ケインを含めた先輩男性研究員に1時間ほど捕まってしまった……。





「——ケイン、それくらいにしてあげなさいよ。ケリーくんは他の研究員にも挨拶したいと思うわよ?」


 見かねたオリビアがケリーに助け舟を出してくれた。


「おい、オリビア。野郎のことに口出しすんじゃねーぞ」

「はいはい。もう出来上がってるわね。ジニーくん、ケインを寮に連れて行ってくれる?」

「はい!」


 オリビアに頼まれたジニー・ボルトは満面の笑みを浮かべ、ふらつくケインを抱きかかえる。

 ジニーは少し小太りの男性研究員で、オリビアの1つ下の年齢だ。

 転生前から知っている先輩で、当時オリビアに片思いをしていた。

 今の様子から、まだその思いは続いているようだ、とケリーは推測する。


 ——平民のジニー先輩は貴族のオリビア先輩に思いを打ち明けられないよね……。


 ケリーはそんなことを思いながら、この国の階級社会に心底嫌気がさしていた。


「——ケリーくん、大丈夫? ケインのヤツ、ケリーくんのことを本当に気に入ってるのよね……。まあ、ケリーくんはあの子に似てるからな……」

「え?」


 ケリーはオリビアにその話を詳しく聞こうとするが——。


「あー、ケリーくん。いたいた!」


 アーロン教授がケリーに話しかけてきた。


「何か御用ですか?」

「うん。紹介したい人がいるから、ついて来てくれないかな?」

「はい」


 オリビアは何かを察したようで、ケリーの耳元に小声で囁いた。


「頑張ってね……」

「え……?」


 オリビアの一言で不安を抱きつつ、ケリーはアーロン教授についていった。



 ケリーを別のテーブルへ連れてきたアーロン教授は、1人の女性に横から声をかける。


「——ちょっと時間ある? 紹介したい人がいるんだけど」

「はい、問題ありませんわ」


 その女性はケリーに体を向けた。

 ケリーはその女性を見て、ハッとする。


「ケリーくん、薬学部のエース、サラ・ハーネットさんだ。ハーネットさんはケリーくんの1つ年上だけど、すでに階級7を取得している優秀な人だよ。今期から副教授に就任してね」


 ケリーとサラは目を合わせ、互いに軽く会釈をした。


「権威ある教授からそう言っていただけて光栄ですわ。そして、お久しぶりですわ、ケリー・アボットさん」

「あれ? サラくんはもうケリーくんに会ってたの?」


 サラの発言に教授は驚いていた。


「ええ。アボットさんが私の研究室の教授へ挨拶をしに来てくださった時、対応したのが私でしたの」

「そうか、それは知らなかった。共同研究の打ち合わせは明日だったから、初対面だと思ってたよ」

「その時は残念ながら少ししかお話ししませんでしたの。分析の途中でしたから」

「そうか、それなら今のうちに親睦を深めた方がいいね。じゃあ、僕はこれで……」


 アーロン教授はそう言うと、さっさと別のテーブルへ行ってしまった。

 急に放置されたケリーは呆然とする。

 

「——サラでいいですわ」

「は、はい。では、ボクのことはケリーと呼んでください」


 サラの物怖じしない話し方に、ケリーは圧倒される。


「女性とのお話は苦手ですか?」

「そうですね……、人見知りなもので……」


 ケリーは早くアダムを探したいので、ソワソワしながら答える。


「アーロン教授は、どうして私たちを合わせたかご存知ですか?」

「え? 共同研究のためではないのですか?」


 サラは口に手を当て、クスッと上品に笑う。


「それもあるとは思いますが、1番の目的はお見合いですのよ」

「……といいますと?」

「あら、まだ若いから考えていないようですね。私たちを男女の仲にしたい、と教授はお考えなのですよ」

「え!? どうしてですか?」


 ケリーは唐突な話に目を丸くする。


「ケリーさん、気づいていなくて? 若くて優秀な男性はあなたしかいませんのよ? まあ、アダム・スコットさんもいますが……。彼は全くその気がありませんので。それに彼は今、独身女性職員のほとんどから狙われていますの。ケリーさんはまだお披露目されていないので、知らない方が多いのですよ」


 アダムの話が出てくるとは思わなかったので、ケリーはそのことについて聞いてみることに。

 ……しかし、サラは一方的に話を続ける。


「ケリーさんはまだ平民ではありますが、アーロン教授が後見人でしょ? ご子息がいないアーロン教授の家は、ケリーさんが継ぐ予定と伺っております。だから、アーロン教授は先手を打って私たちを合わせたのですよ。ケリーさんに下手な人物と接触して欲しくないのでしょう」

「やっと研究員になったので、ボクにはそんな余裕はありませんが……。それに、まだ後継者と決まったわけではないですよ」


 ケリーは後頭部に手を当て、興味がない雰囲気を装う。


 サラはケリーの耳元に顔を近づけてきた。


「——取引しませんか?」

「どういうことでしょう?」


 ケリーは小声で問いかけた。


「あちらへ行きませんか? 話がしやすいので……」

「……わかりました」


 2人は人ごみを避け、人気のない窓際へ向かった。


「——私がここまで打ち明けたのには、訳がありますのよ。ケリーさんは私とお付き合いする気がない、と察しましたわ。実は、私も同じ考えですの。残念ながら、私は男性に全く興味がありませんから。私たちがお付き合いしていると噂が流れれば、邪魔者は寄ってこないでしょう?」

「そういうことですか……。鈍くて申し訳ありません」


 ケリーは軽く頭を下げた。

 サラはニコリと笑いかける。


「よくってよ。取引さえ承諾して頂ければ。……如何ですか?」

「少し考える時間を頂けますか? 急な話なので……」


 ケリーは信用できる相手かどうか見極めきれなかったので、答えは先送りすることにした。


「ええ、良いお返事をお待ちしておりますわ。では、私はこれで……」


 その場を離れようとしたサラは、突然ふらついて倒れそうになる。


「——大丈夫ですか!?」


 ケリーは慌てて腕を掴む。


「ちょっとドレスが苦しくて、気分が……」

「では、そちらのバルコ二ーで涼みましょう。ボクも少し酔いをさましたいので」

「ええ、エスコートしてくださる?」


 ケリーは頬を少し赤くさせながら、慣れない手つきでサラの手を取った。


 広いバルコニーに差し掛かった時、そこに2人の人影が見えたのでケリーは足を止めた。

 男性に女性がしな垂れかかっているようだ。

 ケリーは邪魔にならないように「別の場所へ」と小声でサラに言いながら、方向転換する。

 しかし、サラは抵抗してケリーの手を引っ張り、近くの壁へもたれかかった。


『——先生。私……以前からお慕いしておりました。よろしければ……』


 バルコニーにいた女性が男性に向かって告白していた。


 ケリーはサラに目配せして離れる合図をするが、サラは人差し指を口に当て、静かにするよう促した。

 その後、面白そうに聞き耳を立てている。


 ケリーはため息をついた。


 ——付き合うしかないか……。なんか、嫌だな……。


『——申し訳ありません』


 バルコニーにいる男性が女性に対してそう返事をした。


 ケリーは会話の内容より、男性の声に興奮し始める。


 ——この声……、アダムだ!


 ケリーは全神経をバルコニーへ向ける。


『——僕には忘れられない女性がいるのです。一生その方だけを僕は……。すみません、勇気ある申し出をして頂いたのですが……』


 それを聞いた女性は、涙目でバルコニーから去って行った。

 サラはその女性が去ったのを見届けると、突然、バルコニーへ向かう。


「え!?」 


 ケリーも慌ててサラを追いかけてバルコニーへ向かった。

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