全ての人類へ、紅茶を飲め。

野田枝葉

おはようのアッサムティー

ミルクをどれくらい入れたらいいのだろう。

苦いのは嫌い、甘いミルクティーは大好き。

微笑みが美しい女性が私と目の前に座る陰気な男の前にカップを置く。

濃い茶色の液体は苦そうに見えるし、紅茶を運んでくれた女性はミルクと砂糖を私の方へどうぞと置いたので遠慮なく入れよう。

薄いカップで紅茶を出されるなんてちょっとしたお客様扱いで嬉しい。高校生だけど紙パックとかペットボトルでしか紅茶なんて飲まないから、どれくらいの量を入れればいいか分からないんだけど。

「さて、朝からいきなりやって来るとは思わなかったがまず紅茶を飲め。」

目の前に座るひょろくて猫背で暗そうな人が、私がどんどん砂糖を溶かしているのを眺めながら自分もミルクと砂糖を入れている。

この根暗そうな感じの茶畑葉ちゃばたけようさんは私のお父さんの妹の息子さん、つまり私達は親戚だ。牛飼美紅流うしかいみくるというあんまり気に入ってない名前を呼ばれるのが嫌で人見知りしていたけれど、いつからかそれは気にしなくなった。一人っ子だったのもあって小さいときはよく遊んで貰っていた。いつも静かな葉お兄ちゃんは迷惑そうだったけれども。

「葉お兄ちゃん、前と態度が違う〜!」

紅茶をぐるぐるかき混ぜながら、これは事件だと思っている。紅探偵事務所と書かれた看板を見つけられる人がいないのかなと思うくらい、いつ来ても葉お兄ちゃんが一人でぽつんとしていたのに。久しぶりに来てみたら綺麗な女性がいるし奥から出てきた葉お兄ちゃんには依頼が立て込んでいるから紅茶飲んだら早く帰れと言われた。

「いっつも暇そうにしてるから仕方なく紅茶の話でも聞いてあげようと思ったのに!」

遊びに来るとよくわからない紅茶の話をいっぱいされるからすぐ退散していたんだけど、今日は私の話を聞く前に先に帰れと言われたのがムッとしてつい居座った。

綺麗な女性は水沢素子みずさわもとこさんというらしい。ウェーブヘアの栗色の髪がとっても綺麗で、なんとなく儚いイメージのすらっとした美人さんだ。

私も目が大きくてぱっちりしていて自慢だけれど、可愛いと言われるのが限界のちょっと子供っぽい見た目を気にしているからこういう大人の女性らしさに憧れる。自己紹介してすぐに、みるって呼んでね!って言えてしまう私の性格もちょっと素子さんみたいな大人っぽさが足りないのかもと思っちゃったけど。

「ごめんなさいね、みるちゃん。午前は予定がないからゆっくり紅茶を飲んでいってください。」

素子さんは美しい微笑みを浮かべながら手帳を開き、予定を確認しながらそう言って葉さんの方に目を向けた。どうやら彼女が秘書みたいな役割をしているらしい。

「水沢、こいつはただの親戚だから気を遣うな。君も紅茶を淹れて飲むといい。」

葉お兄ちゃんは紅茶を飲む手を止めて、素子さんにも紅茶を飲むように勧めた。

そうさせて頂きますね、とふわりと笑ってカップを取りに事務所のキッチンへ向かう彼女を盗み見ながら、目の前でひたすら紅茶を飲んでいる葉お兄ちゃんに重大事件の真相を声を潜めて聞くことにした。

「ねね、彼女が出来たの?結婚するの?」

紅茶を飲んでいた葉お兄ちゃんは一瞬グッとむせそうになった後に、冷静にカップを置いて私の方を向く。野暮ったい分厚いレンズ越しには表情はよく見えない。

「彼女は新しく雇った事務員だ。色々雑務を任せている。」

あまり迷惑をかけないように、と淡々とした口調で失礼なことを言ってくる。急に忙しく仕事をし始めて綺麗な女性と二人っきりなんて絶対そうだと思ったのに。

「ふーん?仕事がいっぱい増えるなんて今までなかったから葉お兄ちゃんがすっごくやる気を出してるのかと思ったのに。」

疑わしいなぁと更に言うと、表情の変わらない葉お兄ちゃんに探偵と言ってもなんでも屋だからそこそこ仕事はあると言い切られた。

「まぁ、彼女が優秀なのが原因ではあるのだが。」

ぽつりと呟かれた言葉にどういうこと?って聞こうとしたら、カップを持ってきた素子さんが後ろからスッと現れて、聞こえた会話に応えてくれた。

「ただ営業が得意なだけですよ。」

特に今は前の職場関係の方々から依頼を貰っているので、と微笑みを深くして失礼しますねと私の隣に静かに座った。なんとなく、ゾワっとした気持ちになって素子さんの微笑みから目を外した。

「えーっと、葉お兄ちゃん達は今どんな仕事してるの?素子さんと関係ある人からお仕事貰ったんだ?」

紅茶のお代わりを注いでいた葉お兄ちゃんは、少し手を止めて考えるような素振りを一瞬見せると、色々だなと雑に答えた。説明が面倒そうな様子から、さっき目を外した素子さんの方をちらりと見る。

「ふふ、今朝の紅茶は甘い香りに力強いこくがミルクと合って美味しいですね。お砂糖を入れるのも茶葉の味わいが深まって好きです。」

とろけるような表情で紅茶を堪能している素子さんが、私の視線に気づくと微笑みを向けながら答えてくれた。

「内容は守秘義務に当たるので詳しくは言えませんが、ご家族からの依頼で不倫騒動だったり恫喝や賄賂など法律的に裁かれるべき方々の証拠集め等が多いですね。」

ペット探しとか探しもののお手伝いとかかなと考えていた私は依頼内容の重さに固まった。前の職場関係の人達からそんな依頼を受けるとはどういう状況だったんだろう。やっぱり素子さんの微笑みがちょっと怖いかもしれない。

「みるちゃんは紅茶はお好きですか?」

何気なく聞かれた言葉にそっと手元に目をやる。私だけまだ紅茶に手をつけていないのを気にしたのだろうか。温くなった紅茶は正直に言って不味い。

「みる、別に無理して飲まなくていい。」

唐突に呼ばれた愛称にふと、呼んでほしい名前を自分で名乗ればいいと教えてくれた葉お兄ちゃんを思い出した。名前をみくとよく間違えられることが嫌だったのだ。まるで自分が居なくなるみたいで怖かった。それを辛抱強く聞き出して、黙って隠れているより存在をきちんと示せばいいと当時の私には難しい言葉で淡々と教えてくれた。みるという愛称もその時に一緒に決めて、ちゃんと私はここにいるよと名乗り始めてから人見知りはしなくなった。

「別に嫌いなんじゃないよ、飲めるし。」

子供扱いしないでよねってちょっと不満気に言ってみせると、淡々と紅茶を飲むだけの葉お兄ちゃんが珍しくちらりとこちらを見てきた。

「カップに手をつけずに言われてもな。」

どことなく馬鹿にしたような皮肉を口にしてきて余計ムッとした。私がすぐ飲まないのがそんなに気に食わないのだろうか。

「そもそも、今日は悩みがあって来たんだろう。ちなみに回答はすぐには出来ない。依頼者をまず連れてこい。」

葉お兄ちゃんは私が不機嫌なのを全く気にせず、もっと飲めと素子さんにお代わりを注ぐ。

「あら、要件をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

依頼者という言葉に反応した素子さんが、ありがとうございますと紅茶のお代わりを貰ったカップを置きつつ私の方へと目を向ける。

「えっ、よくわかったね葉お兄ちゃんエスパーなの?」

力が目覚めちゃった感じなの?ってびっくりしつつ目の前の鬱陶しい長めの黒髪と分厚い眼鏡の葉お兄ちゃんを見つめる。もうちょっと垢抜けないと素子さんと釣り合わないと思う。

「何か視線が不愉快な気がするな。」

私の向ける視線に嫌そうにした葉お兄ちゃんを、素子さんが内容を知りたそうに見つめる。それに気付いたのか、これは関わってきた親戚だから言えることだがと前置きした。飲み終わったらしいカップを机に置いて淡々とした口調で説明を始めた。

「まずみるは空気が読めないやつではない。帰れと言って帰らないということは何かしら用があったんだろう。それも出来れば早く解決したいようなものが。」

恐らくは褒められているのだろう言葉に戸惑いつつ、その通りなので押し黙った。

「しかしすぐには切り出せないとなると迷いがあるんだろう。あるいはどう伝えたものか思いつかないか。自分のことであれば考えてから来るはずだ。」

そこである程度は深刻に悩んで頼って来たんだろうと思った、と呟くように言葉を発する。葉お兄ちゃんは名前が嫌だと泣いていた昔の私に語りかけたように淡々としていた。

「何かを指定してどうして欲しいか外部に頼むのは自分ではそれが出来ないからが多い。」

だから代わることで商売になるんだがなと探偵の肩書を持つなんでも屋だと肩をすくめて見せた。素子さんはほんの少し申し訳なさそうに微笑んでいる。

「依頼者が別にいるってそれでよくわかったね。」

自分のことで思い悩んで来てるかもしれないし、何よりも高校生の女の子はいつもたくさん悩みを抱えている。私だってそうだ。

「詳しく話せないのはよくわかっていないからだ。みるは自分の考えは持っているし悩んでいることも含めて言えるだろう。喚き立てる姿が浮かぶ。」

信頼されているのだか馬鹿にされているのかよくわからないが葉お兄ちゃんは意地が悪い。そこらへんはちゃんと素子さんも把握しているだろうか。

「うう、葉お兄ちゃんの正解だよぉ〜」

最近高校で気になる生徒がいるのだ。直接の友人ではないしどこまで介入すべきかもわからなかった。ひとまず紅探偵事務所が力になれるかもしれないと押し付けずに伝えることでまとまった。持つべきものは頼りになる大人だ。ほとんどは素子さんが決めてくれたけど。やはり目の前の性悪より彼女を見習いたい。気が済んだら帰れ、紅茶も残していいと投げやりに声をかけられ、ようやく濃い茶色の冷めたカップに目を落とす。もう大丈夫そうだ。

「ね、ミルクってどれくらい入れていいの?淑女っぽい振る舞いとしてはやっぱりちょっぴりずつ?」

砂糖をいっぱい溶かしただけの紅茶、すっかり冷めきっちゃって申し訳なく思ったけれど、私は猫舌だし冷たい方が飲みやすくて好き。冷めた紅茶が飲みたいなんて紅茶馬鹿な葉お兄ちゃんに言ったら怒られるかと思って、今まで葉お兄ちゃんと紅茶飲むの避けてたんだけれど、と小さく呟く。素子さんにせっかく淹れて貰ったのにごめんなさいって言うと、微笑みながらすぐ飲まなきゃいけないものはありませんよと優しい声で言ってくれた。

葉お兄ちゃんはそんな私達の方を分厚いレンズ越しに眺めながら、そんな理由だったかと呟き、

「ミルクはたっぷりと、カップから溢れないくらいには注いで構わない。」

少し呆れたように溜め息を吐いた。それから仕方なさそうにちょっと笑った。

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