何度でも言おう。私がこの家の主、猫様だ。おいアホ犬、聞いているのか。


 犬っころを一泊させた翌朝、社畜は早速犬の飼い主探しを開始した。SNSを使った捜索に、保健所や警察への届け出、町内の掲示板にチラシを貼るなど、出来る限りのことをしていた。

 元の飼い主がいるかもしれないと社畜は考えているようだが、実際は捨て犬である。しかし私にはそれを伝える方法がないので、朝から忙しそうな社畜を眺めることしかしない。


 当の犬っころといえば呑気なもので、社畜の部屋のあちこちで運動会を開催している。疲れたらその辺りでごろ寝だ。

 いいご身分である。

 私がこの家の主だと言い聞かせはしたが、この犬っころはどうもアホらしく、全く伝わらない。


「キュイ、キャワ!」

「……」


 私が優雅に時を過ごしていると犬っころがカシャカシャ爪の音を立てて駆け寄ってきた。執拗に遊べと要求されるが、私は華麗に…


「キャウ!」

「…フシャーッ」


 避けようとしたら犬が飛びついてきた。フローリングを滑るように転ばされた私はヘソ天体勢になった。

 …無礼千万! この猫様の上に乗り上がるなど、1億と2千年はやい!! どけ! どかないか!


「かーわいい。猫と犬って仲良くなさそうなイメージだけどそうでもないんだねぇ」


 デレデレとだらしない顔をしている社畜が私と犬っころに向けてスマホカメラを向けている。

 さてはお前、動画撮影しているな!?


 猫様への貢物もせずにいい度胸だ!

 私は犬っころを蹴飛ばし、社畜の手にあるスマホを叩きつけようとした。

 …だが、今現在犬っころにマウントを取られており……出来ない。犬っころからガジガジと頭を噛まれる。かーわいいとデレデレしている気持ち悪い社畜。

 こいつら……私を誰だと思っているんだ……


 ──忘れんぞ、この屈辱を。私は決して忘れはせぬぞ!






「キャウ!」

「あらー元気なワンコだね。山下さんこの子どうするんだい」

「元の飼い主がいなければ、他に飼ってくれそうな家を探そうかと」

「なら私も知り合いに声かけてみるよ」


 社畜はチラシを持って大家のオバチャンのもとに顔を出した。オバチャンの腕に抱っこされた犬っころは人間が好きみたいで、愛想振りまいている。

 誰にでもしっぽを振るとはさすが犬っころである。媚を売るのはここぞってときだけにすべきなのに所詮犬っころだな。プライドというものがないのであろうか。

 私は鼻で笑ってやった。


「キャウキャウ!」

「可愛いねぇ。お母さん、ほらワンちゃんだよ」


 オバチャンは犬っころを抱っこして部屋の奥に戻っていった。おばあちゃんに見せてあげるのだろう。


「…飼い主が見つかれば良いんだけど。うちにはポンちゃんがいるからもうこれ以上飼えないし…」


 社畜はパソコンで作ったチラシを見てため息を吐く。ここぞとばかりに仕事で培ったスキルを発揮したチラシは中々の出来である。社畜は出来る社畜なのだな。


「でも子犬だったら貰い手も見つかりやすいし、きっと大丈夫だよね!」


 あの犬っころは人懐っこい。多分すぐに見つかると思うぞ。

 オバチャンの家の居間の方から、犬っころがワンワン鳴いている声が聞こえる。

 あいつは人間によって捨てられた。今は子どもで捨てられた事を理解していないのかもしれないが……次裏切られたら、あの犬っころだって傷つくに違いない。次の飼い主はいい人間だと良い。


 私は元々野良猫だが、もしかしたら母猫は捨て猫だったのかもしれない。

 人間は勝手だ。私たちの住む場所も命も奪っておいて、自分の娯楽のために私達を飼うのだ。そして飽きたらポイである。人間が、私達の住む場所を奪っているのに勝手なものだ。

 社畜やオバチャンはいい人だとわかっているが、世の中いい人間ばかりではない。犬猫を嫌い、排斥する人間だっているのだ。

 好き嫌いはその人の心の問題だから、嫌われるのは仕方ないと思う。だが、命を踏みにじられるのは辛抱ならん。

 あの犬っころを捨てた人間たちにとても恐ろしい天罰が下るように呪っておく。…あの犬っころは性根が優しすぎてアホだから自分が捨てられたとは思っていないんだろう。だから代わりに私が…


「そうそう、ワンちゃんの名前つけたんだけど、茂吉もきちってどうかな」


 私が人間を呪っているとは知らない社畜が犬っころの名前を命名していた。

 愛着がわくから名前をつけるのはマズいんじゃ…茂吉と名付けられた犬っころ。

 茂吉………ポン子よりはマシだけどさ。なんか、なんかなぁ……



 そのあと名前を命名された犬っころ改め、茂吉は「よくわからないけど嬉しい!」と喜んでいた。

 犬は良いよなぁ…単純で。



■□■



「フシャァァァ!」

「キャウ! ワン!」

「んにゃー!」

「ニィィィー!」


 茂吉は野良猫トリオにも果敢に攻めていった。大家のオバチャン宅の庭で日中は駆け回り、野良猫が餌をタカりに来ると、遊び相手が増えたとばかりに攻めていく。

 野良猫トリオにぶん殴られようと避けられようと威嚇されようと、奴はめげない、しょげない。あいつは誰にでもああなのだろうな…番犬には向かなそうである。


「茂吉ちゃん。猫の餌は食べちゃダメよ」


 猫と一緒になって猫の餌を貪る茂吉をオバチャンが抱き上げて注意するが、茂吉はキョトンとしている。

 オバチャンは元々動物好きなのだろう。犬猫わけ隔てなくかわいがっている。茂吉もそんなオバチャンに懐いていた。


 こんな風に可愛がるのはいいが、次の飼い主に譲渡される時が大変なんじゃないかと余計な心配をしてしまうが、奴らが楽しそうだから放っておく。


 あぁ、しかしいい天気だ。例え横で野良猫トリオと茂吉が騒ぎ立てようと、暖かな小春日和の陽射しは心地いい。

 現実逃避をしようと、オバチャンの庭の塀に飛び乗った私は、そこで日向ぼっこしようと箱座りした。


 塀に登ると一気に視界が広くなった気がした。オバチャンのアパートのある周辺は住宅街となっており、一軒家や賃貸マンションがお向かいにある。勤め人や学生が多いのか、平日の日中は辺りは静かなものである。

 自然と人通りも少なくなる。車の走行音が時折聞こえるくらいで、辺りは静かだ。


 天気のいい平日の日中はこうしてオバチャンの庭で過ごす。塀の上でのんびりするのが日課である。

 私は猫様だ。奴隷である社畜が目を回しながら働いている間もこうして悠々自適に過ごす権利がある。そして社畜は私を養うために今のこの瞬間も働いているのだ。私に貢ぐという栄誉を得たことをあいつはもっと感謝すべきである。

 私は目を細めた。


 ──目を細めると、ものがよく見える気がする。私の翡翠色の瞳はとあるモノをとらえた。向かいのマンションのベランダだ。不自然に何かが動いているように見えた。場所は2階に当たる。


 その正体は人間だ。黒い服装でキャップ帽とマスクをしている。…まるで、強盗がする格好のお手本ではないか。

 そいつはベランダで何やらゴソゴソしていたが、1分もしないうちに、ベランダから排水管を伝って器用に降り始めた。


 めちゃくちゃあやしい。

 真っ昼間に堂々たる犯行。人通りも少なく、不審に思う人間がどこにもいない。

 それを狙った犯行か。


 ──気に入らんな。

 働きもせずに強盗か。人間の分際で生意気である。排水管を伝う元気があるなら、余裕で働けるだろうが。まったくもってけしからん。

 私のシマ付近での勝手な行動は見逃してやらんぞ!! 


「ミャオオーン!」


 私は異変を知らせるために大声で鳴いた。その声に野良猫トリオと茂吉がビクリと反応し、オバチャンは一拍遅れて反応した。

 彼らに説明する暇はない。私は塀を力強く蹴りつけると、宙に舞った。敷地外に降り立つなり、強盗犯の元へ駆けていく。


 強盗犯はまだ私の気配に気づいていないようだ。のそのそと排水管を伝っている。私はその下で待ち伏せしてやる。今に見ておれ。

 地面に足を付けた強盗犯はまだ私に気づかない。黒猫様とアスファルトが同化して見えるのだろうか。どちらにせよ、大した敵ではない。


 覚悟せよ。私の爪が火を吹くぜ…

 私は前足を持ち上げて爪をにゅっと出した。これでお前の悪さをする手を思いっきり引っ掻いてやろう…


 知っているか? 遠いイスラム世界では窃盗犯の手を切っちゃうんだ。この日本でも昔はそういう刑があったそうだぞ。

 だけど悪さをするならそうせざるを得ないと思うんだ。でないと、真面目に生きている人間が損するだけじゃないか。


 残酷? 犯罪するのも理由がある?

 ……そんな事人間に言われたくない。

 動物たちに残酷を強いている人間どもには、それくらいの責任は果たして欲しいな。


 地面を蹴りつける寸前、私は前のめりになって構えた。──今だ。


 私の体は軽い。その気になれば気にだって登れるんだ。人間の体なんぞ、チョチョイのちょいである。

 卑劣な人間に今一度教えてやろう。


 猫様に目をつけられたらどうなるか。

 ここでの支配者がどちらなのかを。

 身の程というものを教えてやろう。


 私はそのしなやかな体を持って、強盗犯に飛びついたのである。



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