進は今日も味噌汁を眺めていた。味噌汁は至って普通だ。豆腐や白菜しか入っていない。それでも味噌汁をじっと見つめているのである。


「おい、くれよ」


客の声ではっと目を覚ます。いけないいけない、集中しなければ。具を先にすくって、最後に汁を入れ、手早く膳にのせる。そろそろ遅くおきてきた人間が一気に来る頃だ。気を散らしている訳には行かない。それでもやはり気になってしまい、予め十数よそっておき、改めて進を見た。しけた顔で箸を動かしている。またか、と呆れた。それでも、こんな進を見るのは初めてではない。進は何かと飽き性で、何かに興味を持っては放して、持っては放してを繰り返してきた。そしてとうとうその興味の渦さえも、静まり返ってしまった。その気のない顔は、大海と言うよりは死んでいる川だけど。

長い列ができているのを見て、また目線を手元に移す。ああ、進はどうしているんだろう。また頼りない手つきで箸を動かしているのかと思うと、心配で心配で


ガシャン


それでも私は、他人の心配をできるほど器用でもなかった。


「すいません。少々お待ちください」


列の人間がなんだよーと言いながら、数秒後にはまた談笑を始めた。少し恥ずかしくて、情けない。急いで布巾を取りに行く。全く酷い。人一人心配するだけでこの有様である。

厨房に来た。机………布巾がない。どこに行ったんだろう……


ポンッと肩に手を置いたのは、先輩だった。


「気になるんだろ。行っといで」


「え、でも仕事が」


「こうゆう時は素直に任せればいいんだよ。さあ、行きな」


先輩は手の中にある布巾をちらつかせた後、半ば強引に突き出した。広間に一人ポツンとたって、一番奥にいる進を見つめる。あそこに何も無いのにわざわざ私が行ったら、それは意識しているみたいである。蚊が飛んでいた。そんな理由でいい。なにか理由が欲しかった。後ろから別の給仕に押されてつまずく。その給仕は「じゃま。」と言って行ってしまった。じゃま。って、別の言い方あるでしょ。と思いつつも、自分が邪魔になっていることは分かったので……何か理由は……







「お箸をお持ちしました」


箸を一膳、修の前につきだす。修はきょとんとして


「僕の箸は無事なんだけどなあ」


と言って、箸を目の前でぱたぱたさせて、また味噌汁をすすり始めた。そう。確かに、修は箸を落としてなんかいない。私が勝手に持ってきたのだ。


「あら、そうですか。それはよござんした」


そう言って薄ら笑いを浮かべたが、修は気にしていないようだった。この薄情男め。


「進は、大丈夫なの」


まじかで見るとよくわかる。なんとか血のかよっている仏像みたいな顔だ。くしゃくしゃしていて、若者の影はない。進はこっちをちらっと見て小さく首を縦に振った。


「そう。そんなんじゃ死神でもよってきそうだから、もっとしゃきっとしてよね」


「お、じゃあ、面白い話があるんだ進」


何だこの男は。人が話してる時に口を挟んで。


「そんなくだらないこと…」


「くだらないとはなんだ。この偉大なる理想高き……」


「うるさい、チビ」


修は背が低いことを誰よりも気にしていて、チビと言われたら黙っていない。二人でお互いに罵詈雑言を言い合っていると進は箸を置いて、


「ごちそうさま。二人とも、あとでね」


と言って席を立って行ってしまった。はあ、と思わずため息をついた。あ、いけない。大きかったかな。それが聞こえたのか進が振り返る。


「ありがとう硝子しょうこ。また後で」


そういった彼の顔は、暗いながらも赤みがあった。反則だ。彼を温めに来たのに。


血を通わせられたのは、私の心じゃないか。







自分の持ち場に戻る。これで良かったんだろうか。こういう時、後悔っていう気持ちは絶対ある。何かもっといい方法があったんじゃないかと不安になる。そう考える度に、体はむずがゆくなる。


「おしょーうちゃん」


驚いて後ろを振り向く。さっきの先輩がいた。


「それで、どうだったのお」


先輩の顔は見合い話を勧める母に似ていた。人は、たにんの恋愛とかが大好きである。だから、私は「心配」だって言ってるのに。


「負けましたよ」


さっきのお返しに耳元でささやき返す。先輩はささやきに驚いたのか、はたまた言葉の意味がわからなかったのか、きょとんとした。


「私の全く負けです」


言葉と裏腹に、私の顔は澄んでいた。

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