1-7.腹黒王子を追いかけて


 客室を出て数十分が経っただろうか。

 それくらい歩けば食堂にも、厨房にもたどり着けると思っていた。


「ここ……どこ……?」


 しかし聖鞠の瞳に映るのは、どれも同じに見えるドア、ドア、ドア。

 確か食堂のところは両開きだったはずなのだが、それらしきものとはすれ違いもしなかった。

 まさか方向を間違えただろうか。いやそんなはずはないと聖鞠は記憶を思い返してみたが、客室に案内されたあのときの自分に道順を気にしていられるような心の余裕はなかったことを思い出しただけだった。

 もし迷ったとしても、立派な城なのだからだれか一人くらい出会えるだろうと考えていた。

 しかし、時は深夜である。みんな寝静まる頃である。可能性の低さを聖鞠は考えていなかった。


(なんて馬鹿なの私……)


「……ヒマリ?」


 自身の浅はかさに途方に暮れているところへ届いたのは、天使かそれとも悪魔の声か。

 声のした方に目を向ければ、そこには今は憎き美青年がきょとんとした表情で立っていた。


「アストライア……」

「こんなところで何をしてるんだい? 泥棒?」

「──んなワケないでしょっ! 眠れないから……散歩してるだけ!」


 どうしてわざわざ癇に障るようなことを言うのだろうか。

 アストライアの言葉に噛みつき返しつつも本当のことは言えないので、聖鞠は適当な言い訳を繕うことにした。迷ったなどと正直に言えば馬鹿にされそうな気がしたのだ。

 聖鞠の言い訳が通じたのか、アストライアはふーんと納得したような呟きを漏らす。


「散歩にしてはキミの客室から遠くまで来ているみたいだから、──俺はてっきり迷ったのかと?」


 ──と思えば、ふふんと口角を上げて爽やかに目元を緩めた表情を見て、聖鞠は確信した。

 彼は分かってて言っている。最初から聖鞠の状況を理解した上でわざと言っているのだ。


「部屋までお送り致しましょうか、聖女様?」

「──いらないわよ!!」


 アストライアがわざわざ膝を折って恭しく手を差し出してくる。聖鞠はそれ反射的に払い除けようとした。


「──っ!?」

「えっ、なに!?」


 聖鞠の手のひらとアストライアの手の甲が触れそうになった瞬間、衝撃が迸った。

 互いに驚き、引っ込めた手に視線を落とす。

 静電気──否、そんな可愛いものではない。感電したかのような衝撃がびりびりと迸った。

 触れそうになった手と手の間に立ち塞がるように。


(痛くはなかったけど……何……?)


 立ち塞がるように生じたびりびりがアストライアには痛みとして伝わったのだろう。きっと相当な衝撃だった筈だ。彼は手の甲をさすっていた。


「……なるほど、ね」


 先ほどの現象に心当たりがある様子でアストライアは立ち上がった。

 夕焼け色の眼差しが聖鞠を上から下へと見回す。観察するような視線に少し居心地の悪さを感じる。


「……何よ」

「先代の聖女が施した加護は強力みたいだね」

「えっ?」

「……まあ無理もないか。どれだけ外面良く接しても本性を知られたわけだし」

「え? 何?」

「安心するといいよ。キミが快く思わなかった相手はキミに触れられないみたいだ」

「え? は? だから何なの──って、行っちゃった……」


 口早にかつ一方的に言い捨てていったアストライアの背中を茫然と見送る。

 しかも去り際の表情がなんとなくだが寂しそうに見えた。気のせいかもしれないが。

 彼は聖女の加護がどうとか言っていた。

 穢れや危険から護るためにあらゆるものを払う・・加護。


(……ん? 払う?)


 先ほど聖鞠と彼の間に起きた現象と結びついてピンときた。

 聖鞠がアストライアに抱いている印象は最初のときより明らかに悪くなっている。それも当然だろう。自分も考えなしだったとはいえ、騙すような形で聖鞠に聖女の衣を着せたのだから。

 そこでだ。加護が打ち払ってくれる穢れや危険に“快く思っていない相手”は含まれるのだろうか。

 きっと含まれている。だからアストライアの手に触れる直前でびりびりが生じたのだ。


(もしかしてアイツ、それを知ってショック……だったとか?)


 そうだとしたら何て勝手な。沸々と小さな怒りが込み上げる。

 爽やかイケメンの仮面を被った腹黒王子、今聖鞠が彼に抱いている印象はこれに尽きる。

 逐一癇に障るような物言い、人を騙しておいて悪びれない態度。ムカつく。ムカつく。

 元カレといいアストライアといい、こういう相手には一発喰らわせてやらないと気が済まない。元カレには今すぐ会えそうにないから、とりあえずアストライアに。


(何か、弱みとか握れたりしないかな……!)


 廊下の向こうへと消えていくアストライアの背中を見やる。

 薄暗い角を曲がった。彼の姿が見えなくなる────。


(よし! 後を追おう!)


 思いつくよりも前に足は動き出していた。角を曲がったアストライアを追いかけて聖鞠は急いだ。

 何の計画性もない行動だとは分かっているが、それでも素直に部屋へ戻る気にはなれない(道も分からないことだし)。

 秘密のひとつやふたつ、誰にでもある。それはアストライアも例外ではない。プライベートな空間に入ればきっと秘密は顔を出す。もしくは恥ずかしい姿のひとつやふたつみっつ目撃してやるのだ。

 同じように角を曲がると、廊下の途中にある階段を昇っていくアストライアが見えた。慎重に移動して聖鞠もそっと段差に足を乗せた。

 薄暗い中の隠密行動。角を曲がるときは壁に背を預け、その先の様子を窺う。アストライアは振り返ることなく歩き続けている。聖鞠の追跡には気づいていないようだ。

 何だかスパイになったみたいで愉しくなってきた。

 しかし現在身に纏っているセーラー服は薄暗い中でも目立つ。上衣が薄黄緑色なのだ、隠密行動にはそぐわない。ここで見つかったらきっとまたからかわれるだろう。そんなのは御免だと聖鞠は気を引き締めてアストライアを追い続ける。

 もう二度ほど階段を上がり、廊下を何度も曲がり続け、聖鞠が城の広さを体感したところでアストライアはようやく立ち止まった。


(はぁ……やっと、ついた……?)


 息も絶え絶えになりながら壁にもたれ、ある部屋の前に立ったアストライアの様子を窺う。

 そこが彼の私室なのだろうか?


(……にしてはいつまでも入らないな)


 ドアに手の甲を当てノックをするかどうか迷っているようだった。果たして自室に入るのにノックなど要るだろうか。

 疑問に思いながら眺め続けていると、彼はノックするのをやめてひとつ息を吐き、ドアを開けた。

 パタンと閉じられたのを確認して、聖鞠はドアの前にさっと移動する。木製のそこに耳をつけるとひんやりとした。目を閉じて耳を澄ます。


「……何も聞こえないな」


 さすがお城ってところだろうか。防音対策もばっちり。安アパートとは格が違う。

 ドアノブに手を掛けゆっくり回すと、僅かに音を立てる。かちゃり。


(鍵は開いてる……)


 中に入ると流石にバレるだろう。あまり音を立てないよう慎重にかつ開き過ぎないよう気を付けて聖鞠は中を覗いた。

 ピンク色のカーペットがまず目に入った。男性の部屋にしては可愛らしい色にハテナが浮かぶ。

 アストライアに相応しくない、というわけではない。もしかしたらこの色が好きなのかもしれない。出会ってほんの数時間の彼のことを詳しくは知らないが、それにしてもショッキングピンクのような派手さのある色を彼が選ぶだろうか。

 ──この部屋はやはり、アストライアの部屋ではない……?


(あ、いた)


 淡い光で溢れる中に視線を彷徨わせると、すぐその姿を見つけた。

 アストライアはこちらに背を向けて天蓋付きのベッドの傍にいた。

 開かれたレースカーテンの中に目を凝らす。布団が膨らんでいる。


(誰か寝てる……?)


 アストライアは膨らんだ布団に寄り添うかのようにその傍で膝をついていた。

 布団の中にいる人物は聖鞠からはよく見えない。アストライアの背中が隠していた。

 しかし気になる聖鞠はどうにか見られないかと背伸びをしてみる。


(──あっ、見えた……!)


 僅かにアストライアが動いて、ほんの一瞬だが目にすることができた。

 女の子だ。

 琥珀色の髪を流星のように広げ、女の子が眠っていた。

 目を閉じていたがほんの一瞬見ただけでも分かるほど、綺麗な顔立ちをしていた。


(綺麗な子……。だけど、あの子は誰だろう?)


 今日聖鞠が出会ったのは、聖鞠の召喚に立ち会った異種族の者たちと、エイルを始めとする侍女たち、そしてアストライアだけだ。その中にあの少女はいなかった。

 どうしてだろうか。この城の中にいて、聖鞠に紹介されなかった人物。──気になる。


(もう一回……)


 一旦踵を床に下ろし、再度見てみようと踵を持ち上げる。


「……ミーティア」


(みー……てぃあ……?)


 それが彼女の名前なのだろうか。呟くアストライアの声がとても優しい。

 一体彼女とどんな関係なのだろう? あんな風に名前を呼ぶくらいだ。きっと近しい相手に間違いない。

 そこまで考えて、食事のとき聖鞠の質問に口を噤んだ彼の姿を思い出した。


「ここはアストライア様の妹君様のお部屋です、ヒマリ様」

「──っ、ひょ、ぉ、わっ!?」


 聖鞠はすっかり油断していた。

 背後から突然名前を呼ばれ、バランスを崩した。おまけに覗き見がバレるかもしれないことを考えたら変に声も上げられず、奇声を僅かに漏らしながら背中から倒れるという間抜けを晒してしまった。


「エイル……?」

「はい。突然失礼いたしました」


 一体いつからいたのか。聖鞠に声を掛けてきたのはエイルだった。

 けろりと非礼を詫びる言葉を口にしているが、お人形のような顔は詫びているように見えない。どうやら淡々と対応するのが彼女のスタイルらしい。そういえば食事の配膳やシャワーの説明のときもそうだった。

 ふわふわと波打つボブヘアーを揺らして差し出された手に掴まり、聖鞠は身体を起こした。


「あの、妹、って……?」

「はい、アストライア王子の実の妹様です」

「いや、そういうことじゃなくって」


 さすがに妹の意味くらいは分かる。


「ミーティア様は……長いことお眠りになられているのです」

「──え?」


 聖鞠の聞きたいことを悟ったエイルの口よりそれは語られた。

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