【3】 族車の少女

 和也は自分の家から近いホームセンターで働いていた。黄色と青がイメージカラーの、関西を拠点としたお店だ。それが関東圏にまで進出してきた店舗だ。ここでは主に品出しとレジ操作が主な業務になる。今日は園芸館という植物を主に取り扱うところのレジを担当していた。

 夜の九時にお店は閉まる。閉店業務をしている途中に外に出て空模様を確認する。風が少し出ているが、雲はあまりない。昨日の朝方に雨が降っていたが、それ以降は晴れ、今日も快晴で暑かったので、路面は完全ドライのはずだ。路面の状況は良好。

 週末の楽しみに心躍らせながら、残りの業務に取り掛かった。



 バイトの終礼が終わり、事務所にて帰る支度をする。社員やパートの人たちもポツポツと帰り始めている。

「お疲れ様です」

 後ろから声をかけられた。

 和也が振り返ると、女の子がいた。髪をポニーテールにまとめた子だ。和也よりも一学年下の、同じ学校の女子生徒。身長は和也よりも頭一つ分くらい低い。学校での成績は常にトップクラスであり、全国模試でも非常にいい成績を保持している。名前は風野麗奈。常に落ち着いた物腰で、物覚えも早く、最初は失敗ばかりであった和也と比較され、和也が他の従業員から馬鹿にされるという出来事もあった。

「おぉ、お疲れ様」

 和也が返事をする。

 入ってきたばかりのころ、彼女に仕事を教えたのは和也だ。この時から思っていたことだが、麗奈は少しぶっきらぼうというか、愛想がよくないというか、笑顔を見せることがあまりない。会話ができないという訳でも、返事をしてくれないという訳ではない。むしろ彼女の方から話しかけられることの方が多い気がするのだが、それでも少しとっつきにくさを感じる。

「今日もバイクでどこか行くんですか?」

 適当な話題振りといった感じで質問してきた。

 麗奈は、和也がバイクに夢中であるということを知っていた。そこまで夢中になる意味が理解できていない様子であったが、たまにある和也の一方的なバイク話を邪険に扱うことはしない。真剣に聞いている様子はないが。

「うん。今日もレーシングよ」

「死にますよ、それ」

 帰りの支度が終わった和也は席を立ち、スマホで時計を見た。時刻は九時半。ちょうどいい時間帯だ。

 机に置いていたバックに手を伸ばし、従業員用出口に向かおうとした直後、麗奈から声がかかる。

「いつも思ってたんですけど、夕飯はいつ食べてるんですか?家に帰ったら、すぐに走りに行っちゃうんでしょう?」

 夜にバイクで走りに行くとき、和也は夕飯を食べない。食べて眠くなると危ないので、大抵、夕飯を食べるのはバイクで帰ってきた後になる。

「走ってきた後に食べるよ。眠くなると嫌だから。なんで?」

「・・・いや、別に。食べるタイミングとかあるのかなぁって、なんとなく思っただけです」

 自分から質問したくせに、そっぽを向いて返事をする麗奈に怪訝な視線を向けた和也だが、いちいち人の事を深く考えても仕方がないので、もう帰ることにした。

「んじゃ、お先に失礼しま~す」

 目の前にいる麗奈だけでなく、事務所にいる従業員全員に向けるように挨拶する。他の従業員の返事を聞きながら、出入り口の戸を開け、自転車へと向かって行った。



 家を出るとき、母親にまた嫌味を言われた。暇だね、お金あるんだね、などと言われる。慣れっこだが、いい気分はしない。すべて自分の力でやっているのに何でそんなこと言われなきゃならないのかと、最初こそは言い合いをしたものだが、今は完全に無視している。目も合わせない。父親はというと、不干渉を貫いているのか、何も言ってこない。とはいうものの、父親は時々、少額ではあるが、母親に内緒で資金援助をしてくれる。本当にありがたいことなので、その度に頭を下げて礼をする。不愛想な父親であると思う一方で、多少は気にかけてくれているのかなと思うこともあった。

 家のガレージからバイクを出し、住宅街から少し離れた大通りまで押して歩いていく。エンジンが冷えている場合、必ず暖気運転をする。それを住宅街でやるのはさすがに迷惑だと分かっているので、夜でも交通量が多く歩いている人も少ない大通りまでバイクを持っていく。

 エンジンの調子を見ながら、メーターの水温計でエンジン温度を確認していると、すぐ横に車が止まったのが横目で確認できた。しっかり見据えなくても、正体はすぐに分かった。赤い赤色灯を回し、白黒の車体で周りを威圧するような風貌の車。

 警察官が車から降りてきた。

「こんばんわ」

 ベテラン風の警察官が話しかけてきた。

「はい、こんばんわ」

 和也はオウムのように返事をする。その間もバイクのエンジンはかけたままだ。

「エンジン切ってもらえます?」

 そう要求された。和也からすれば逃げる気などさらさらないが、警察にそれを言っても聞き入れてもらえるわけがないと分かっていたので、ため息交じりに素直に応じる。こういう時にどういう対応をすればいいのか、和也は分かっていた。変に抵抗したり突っかかったりすると、無駄に時間を食われる。下手したら公務執行妨害とかいう最強の切り札を使われる。素直に職務質問に応じた方がいいのだ。

「こんな夜中にどこか行くんですか?」

 人を不快にさせる笑みを浮かべながら、警察官が訊ねてきた。

 この一言で分かった。自分は疑われている。

「確認してもいいですよ」

 和也は先ほどの問いには答えず、先を急かすような返事をした。

「いやぁ、すみませんね。最近ここらへんでバイクの盗難が多発していてね」

 やはり、和也が思った通りだ。こんな夜中に歩道の垣根の陰に隠れるようにして突っ立っていた姿が、盗難者に見えたのであろう。和也からすれば、陰に隠れてしまっていたというのは偶然に過ぎなかったのだが、パトロール中の警察官からすれば怪しく見えたということだ。

「昼間に族車が走ってましたよ。そいつらじゃないですか」

「あぁ、そうですか。ちなみにどんな感じでした?」

 警察署の目の前を走っていたのにもかかわらず把握していないのかと、半分呆れながら、昼間の族車を思い出す。

「族車は族車ですよ。半キャップの男と女でしたけど。警察署の目の前を走っていきましたよ」

「どんなバイクだったか覚えてますか?」

「分かりません。目を合わせるのが怖くて、直視できませんでした」

 淡々と和也は答える。目線ははっきりと警察官に向ける。変に目線を外したり、挙動不審になっていたら余計に疑われる。堂々としてればいいのである。

 そんな和也のことをマジマジと見つめる警察官。疑っているのか、和也の正体を見破ろうとしているのか、とにかく人を不安にさせるような目線だ。例えやましいことをしていなくても、こんな目線を向けられたら人は不安になるものだ。しかも、自分らの仕事の怠惰を棚に上げての、この行為である。胸糞悪いにもほどがある。

「・・・そうですか。分かりました。疑ってごめんね」

 ヘラヘラしながら、警察官はそう言った。

「いや、仕事でしょうから、仕方ないですよ」

「ご理解ありがとうございます。夜道は気を付けてくださいね」

「はい」

 警察官は車に戻り、赤色灯を回しながら走り去っていった。

 ため息をつきながら、再びバイクのエンジンをかけた。

 身近に、こんなにも自分に敵意や疑いを向けてくる人間がいることに、和也は少々うんざりしていた。それに身内が含まれていることも、うんざりに拍車をかける。

 バイクのエンジンは、だいぶいい感じに温まってきた。空模様を確認し、和也は走り出した。



 今日は、いつもの峠に一匹女狼は現れなかった。きっと『大』にでも行っているのだろう。あちらの峠も、夜になるとそれなりに人が集まってくる、人気のスポットだ。

 今夜もいつもの峠道を走り、帰りに町に入る前のコンビニで一休みしている和也の前に、一人の少女がいる。一匹女狼でもなく、麗奈でもない。今日初めて話す少女だ。長い茶髪で、耳にはピアス。化粧もしている。着ている服はジャージで、カラコンをしている。ギャルなのか不良なのかよくわからないファッション。彼女の後ろには、色黒の金髪男が族車の上で煙草を吸いながら電話で話している。

 昼間、警察署の前で見た男と少女であった。

 他にも似たようなバイクが複数台、並んでいた。和也からすれば、全員同じに見える風貌をした男や女が複数人たむろっていた。

 正直な話、こういった連中にはそばに寄ってきてほしくなかった。乗ってる本人からすれば全然違うものであるが、バイクに興味のない人間から見たら、バイクなんて全て同じに見えるものらしい。つまり、和也のバイクとこいつらの族車は同じもので、和也も暴走族の一員というわけだ。ものすごい迷惑な話である。

 駐車場がそこしか空いてなかったので、仕方ないといえば仕方ないが、もう少し他のバイク乗りに気を使ってほしいものである。

「私と同じ学校だよね」

 少女はそう言った。

 自分に話しかけていると思いたくなかったが、一応、確認のために少女を見た。

 完全に自分を見ている。自分に話しかけている。観念して、返事をする。

「・・・俺?そうだったかな・・・」

「そうだよ、やっぱり。学校で見たもん。昼間にも目ぇ合ったよね。私と同じ学校の制服着てたし」

 初対面にも関わらず、遠慮なしに話を紡ぐ。

 そっち系の人間はみんなこうなのだろうか。それとも、相手によって態度を変えるのだろうか。多分、後者であると思った。自分よりも立場が弱いと思っている相手だからこそ、こうやって強気な態度で接することができる。本人は自覚していなくても、人間とはこういうものだ。

「バイク乗ってんだね。なぁに、これ?」

 自分らが普段乗り回しているバイクと違った風貌の和也のバイクに興味を持ったのか、和也のバイクを見ながら質問してきた。

 和也は、バイクの横っ面を指さしながら、メーカーとバイクの名前を言った。

 少女はふ~んと返事をし、和也のバイクをマジマジと見つめた。

 正直、これ以上、自分に関わってほしくなかった。ただでさえ、学校では目立つ連中なのだ。こういった連中と浅いながらも関係があるなんてことが学校で噂になったら、面倒なことになりかねない。学校側がそこまでプライベートに踏み込んでくるとはあまり思えないが、自分がバイクに乗っているという事実までもが露見することを、和也は恐れていた。適当に話を切り上げて、他のお仲間連中の方に行ってほしかった。

 もちろん、怖くてそんなこと面と向かっては言えないが。

 「この辺、いつも走りに来るの?」

 本当に勘弁してほしかった。いくら女の子でも、相手が相手だ。こんな暴走族みたいな連中と懇意にしている人と、変に関りを持ちたくなかった。

「ま、まぁ。たまに・・・」

「へぇ」

 そう言うと、彼女は和也をジロジロと見つめた。

 レーシングつなぎを着た和也は、一般人からすれば一風変わった服装をしているのだろう。物珍しそうな視線を向けられるのは多少は慣れていたが、こんな距離からの視線はそうそうない。

「おいナナ。行くゾ」

 ナナと呼ばれた少女の後ろにいた金髪男が、彼女にそう呼びかけた。他の連中もバイクにまたがっている。そろそろ出発するようだ。

 特に別れの挨拶をするでもなく、少女は金髪男のバイクの後部座席に乗り込み、安全性のかけらもない半キャップを被る。旭日旗がでかでかと描かれたヘルメットであった。

 和也が連中のバイクに目を向ける。いくら人が少ない深夜でも、近くにはアパートがちらほらある。こんな爆音で、しかも集団でいたら、寝ている人を起こしかねない。おまけにこういった連中は、バイクのアクセルを変に吹かして走っていくのが好きなようだ。いわゆるコールと呼ばれるものだが、それが煩わしさに拍車をかけていく。

この男たちが一体何歳なのかは知らないが、いい歳してこんなことやっていて恥ずかしくないのかと、半分、小馬鹿にした笑みを浮かべて見つめていると、視線を感じてそちらに目をやる。ナナという少女の前に座っている男がこちらを見ている。いや、睨んでいる。たぶん、和也の笑みに気が付いたのだろう。自分らのやっていることが褒められたものではないと自覚していないのか、馬鹿にされると異常なまでに敵対心を向けてくるのがこういった人種だ。おまけに暴力的な者が多い印象なので、変に絡まれないようにするため和也は目線をバイクに戻した。

 何か言いたげな顔をした男であったが、すぐに興味を無くしたのか、後ろ足でバイクを後退させ、やかましくアクセルを吹かしながら駐車場出口へと向かっていた。他のお仲間連中もそれに続く。

 車の列が途切れるタイミングで、町の方面へと集団は走り出していった。



 まだ直管マフラーの音が耳に残っている和也は、なんとなく学校での会話を思い出していた。

 休み時間に友人たちと話していると、廊下で素行の悪そうな連中が大声で話しているのが目に入った。制服をだらしなく着崩した男連中と、それに混ざっている女たち。

「あの子、学年一個下の子だよな」

 友人の一人が顎で一人の少女を指した。

 和也から見て一番右にいる少女であった。茶髪に染めたロングで、いかにも風貌をした少女であった。変にアレンジされた胸元のネクタイは、和也たちの学年とは違った色をしていた。和也の学校では学年ごとに色が違う。相手の学年を色で見分けることができる。

「椎尾七葉ちゃんだよ。かわいいよな」

 友人の一人が、ニヤニヤしながらその子を見つめた。

「いや、なんで知ってんだよ」

 学年が違えば、それだけ情報が少なくなる。自分と関りのない学年なので、和也は疑問に思い、訊ねた。

「いや、有名だろ。他の奴からも教えてもらったし。まぁ、おっかない連中と一緒にいるの目撃されているから、お近づきにはなれないけどな」

 そう言って、友人は名残惜しそうに彼女から視線を外した。

たった今、和也の目の前でバイクに乗って走り去って行った少女と同じ顔。つまり、同一人物であった。

 ナナと呼ばれた少女。

 椎尾七葉。それが彼女の名前だった。

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