04 たんぽぽ珈琲

 いつものように森の中にあるルーナたんの小屋を訪ねた俺は、出迎えたルーナたんの手を思わず凝視してしまった。


「ルーナたんの手が……手が……」


 白魚のような繊手の指先が赤く傷付いている。

 真珠のようだ肌に傷が走り、桜貝のような爪が無惨な割れ目が走っている。

 ルーナたんは白い兎の獣人だ。

 抱えて軽く持ち上がりそうな、小柄な少女の姿をしている。可愛い可愛いルーナたんの手についた傷に、ルーナたん教の入信者である俺は我が目を疑った。

 ショックのあまり絶叫する。


「ルーナたんの、手がぁーー!!」

「……うるさい」


 玄関で叫ぶ俺の姿を鬱陶しそうに見上げたルーナたんは、木の実のように赤い瞳を半眼にして託宣を下すと、バンと扉を閉める。

 締め出された。

 うおお、そりゃないよルーナたん。





 俺は幼なじみで親戚のマーヤに助けを求めた。

 マーヤは猫の獣人だ。

 柔らかい茜色の髪から、同じ色の三角の耳が生えている。彼女は長毛種の血が入っているらしく、腰にある尻尾は他の猫よりフサフサしていた。毛並みにはサテンの光沢があり、上品な茜色が角度によって別の色に見える。

 悪戯っぽい緑の瞳で、彼女は興味津々の様子で俺を見上げた。


「指に傷? ならこのクリームを塗ればすぐ治るよ」

「本当か! それを寄越せ!」

「条件があるわ」


 治療薬があるというマーヤだが、もったい付けて俺を焦らす。


「私をその娘に会わせて」

「駄目だ。俺の女神ルーナたんをお前ごときには見せられん」

「会わせてくれないなら、薬あげない」

「仕方ないな……」


 俺は抵抗したが、幼なじみは譲らなかった。

 次の日、しぶしぶ俺はマーヤを伴って、森の小屋を訪ねた。

 俺を出迎えたルーナたんは、見知らぬ猫娘を訝しげに見た。


「どなたですか?」

「初めまして! マーヤです。時々、街にお菓子や雑貨売りに来てますよね? 気になってきちゃいました」

「……」


 ルーナたんはへの字口でマーヤを見上げる。

 ぶっすりした表情もまた、可愛いなあ。


「あの、良かったら指のあかぎれに良く効く薬を持ってきたので、使って下さい」


 そう言って差し出された紙袋を、じっと見つめたルーナたんは。


「ありがとう」


 普通に受け取ったではないか。

 俺はじーんとなった。

 あの人嫌いのルーナたんが、人見知りのルーナたんが、フレンドリーな対応をしている。大きくなったんだなあ。


「何考えてるか表情に出てるわよヒマ狼」

「だってルーナたんが……あまりにも可愛くて」


 感動してると、俺を見上げるルーナたんの眉間に皺が寄る。

 隣で小さな笑い声が起きた。


「ふふふ。仲が良いのね」


 マーヤは俺達の間で、口元に手をあてて笑った。


「一方的な関係なのかなと思ってたけど、安心した。じゃあ私はお邪魔しちゃ悪いから、先に帰るね!」


 え? 帰るの。

 てっきり俺にくっついて最後までいるかと思ったのだが、マーヤはくるりと身を翻して止める間もなく歩き出した。フサフサの尻尾が機嫌良さそうに揺れている。


「おーい、いいのか」

「後で薬が効いたか聞かせてねー」


 彼女は後ろ手に手を振って、木立の中に消えていった。

 その後ろ姿を見送った後、ルーナたんに向き直る。


「……入れば」


 むっすりした表情のまま言ったルーナたんだが、心なしか頬が赤くなっている。

 どうしたんだろうか。

 しかし、余計なことを言って昨日のように締め出されては困る。俺は「お邪魔します」と言って、小屋に入った。

 

 円卓の前の椅子に腰掛けると、ルーナたんはお湯を沸かしてお茶を入れ始めた。

 いつもは茶なんか出してくれないのに、どういう風の吹き回しだ。

 様子を見守っていると、ルーナたんは俺の前に小さな陶器のカップを置く。

 ポットから暖かい黒い液体がカップに注がれた。

 お茶……だよな。

 でも、こんな黒いのは飲んだことはない。


「これ、飲むの?」

「そうよ」


 罰ゲームですか。

 俺は恐る恐るカップを持ち上げて匂いを嗅ぐ。

 ふわっと湯気が鼻先をかすめ、香ばしい良い匂いが漂った。

 カップを傾けて口に液体を流し込む。

 甘いような苦いような、どことなく酸っぱいような、独特の味だった。

 だが不味くない。


「どう?」

「美味しいよ」


 最初は驚いたが、飲むうちに慣れてこれはこれで美味いと思った。

 俺の反応を見たルーナたんは安堵したように口元を緩めた。

 空気が柔らかくなったので、俺は気になっていたことを聞いてみる。


「ルーナたん、その手、どうしたの」


 最初見たとき、つい絶叫してしまって聞いていなかった。


「それよ」

「え?」

「その飲み物は花の根から作るの。掘って根を集めていたのよ」


 ルーナたんは机の上、小瓶に飾ってある黄色い花を指差す。黄色い花弁が無数に重なりあったボタンの大きさの花、その細い根を何十本も採集して、乾かして刻み、熱を通したものをお湯に通すと、このような飲み物になるらしい。

 何とも手の掛かる飲み物だ。

 それにしても、ルーナたんの手の傷は採集作業によるものだったらしい。

 俺は眉を下げて訴えた。


「土を掘るのなんか俺に任せてくれればいいのに。次から俺を呼んでくれ」

「……狼は犬の一種だったわね。失念してたわ」

「いや、犬じゃなくて狼だけどさ。ルーナたんのためなら、例え火の中、水の中、土の中……」


 そっぽを向くルーナたんの手から、やんわり紙袋を取り上げ、中に入っていた薬用クリームを手に取る。大きな木の葉っぱにくるまれてクリームが入っている。


 抵抗しないルーナたんの小さな手をそっと引いて、ゆっくりクリームを指に塗った。

 薬からは春の花の香りがした。

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