その3

 それから鳴鈴めいりん白麗びやくらいはひたすら本を読み続けた。

 鳴鈴が『龍族りゆうぞくの歴史』の一巻を読み返し、二巻を読み進めている間に、白麗は部屋に閉じこもって何冊も読破していった。

 それに感心しながら、鳴鈴は『龍族の歴史』を読み、ようやく二巻の四分の三ほどを読み終えた。

 この巻は主に龍の伝承について書かれていた。龍の伝承の多くは初代の龍王についてのことだ。どうやら初代の龍王は龍たちの間で伝説の存在であるようだ。

(【初代の龍王は美しい銀色のうろこを持っていた。龍の鱗の色は原色に近ければ近いほどその力も強い。しかし、それを上回って強い力を宿すのは銀色の鱗である。銀色の鱗を持つ龍は初代の龍王の生まれ変わりであるという説もある】か……白麗様の鱗も銀色よね。もしかして白麗様は初代の龍王様の生まれ変わりなのかしら。でも、それにしては、他の龍の反応がおかしい気もする……)

 鳴鈴は本に向けていた顔をあげ、背伸びをする。

 読書は好きだが、ずっと本を読んでいるのは疲れてしまう。

(……まだまだわからないことだらけだわ。もっと勉強しなくては……! でも、少し疲れたな……外に出て気分転換をしたいけれど……)

 白麗からしつこいくらいに「家の外に出るな」と言われている。

 だから、勝手に外に出るのは気が引けた。

「……よし。白麗様に外に出ていいか聞いてみよう」

 鳴鈴はそう決め、部屋から出る。

 同じ姿勢をしてり固まった箇所を伸ばしながら歩いていると、てんがひょっこりと顔を出し、ぴょんっと跳ねて鳴鈴のかたの上に乗り、「きゅい?」と鳴いた。

「まあ、天。今から白麗様のところに行って、外の空気を吸ってきてもいいかと聞きにいくところなの。天も一緒に行く?」

「きゅう!」

 元気よく鳴いて返事をした天を肩に乗せたまま、鳴鈴は白麗の部屋へ向かう。

 とんとんと扉を叩き、部屋の中に入る。

 白麗は人の姿でお行儀ぎようぎ悪く寝そべり、読書をしていた。

「白麗様」

「……なんだ」

 本から顔をあげずに答えた白麗の態度を気にせず、鳴鈴は尋ねた。

「少し気分転換をしたくて。外の空気を吸いに行きたいのですが、行っても大丈夫でしょうか?」

「……この家から離れなければ好きにしろ」

「わかりました。ありがとうございます」

 にっこりと笑ってお礼を言い、鳴鈴は白麗の部屋を出ようとする。

 その時、白麗が再び声をかけてきた。

「……この家から離れなければ外に出ても構わないが、必ず天を連れていけ」

「え……? あ、はい。わかりました」

 戸惑とまどいながら鳴鈴が頷くと、白麗はやはり本から視線を外さないまま、もう行けというように手を前後に振る。

 よくわからないながらも、鳴鈴は白麗の部屋から出て行く。

「……外に出る時は天が一緒でないとだめなんですって。だから、これから外に行くのに、天も付き合ってくれる?」

「きゅむ!」

 任せろ、と言わんばかりに答えた天に、鳴鈴は笑みをこぼす。

 そして天をぎゅっと抱きしめ、ふわふわとした毛並みを堪能たんのうしたあと、外に向かった。


 外に出ると、鳴鈴は思い切り深呼吸をした。

「うーん……やっぱり外は気持ちいいわ!」

「きゅうきゅう」

 同意するように天が首をこくこくと縦に振る。

 その愛らしい様子に鳴鈴はなごんだ。

「気分転換ってやっぱり大事ね! よし、残りも頑張がんばって読も……あら?」

「きゅい?」

 不自然に言葉を途切れさせた鳴鈴に、天が不思議そうに首をかしげる。

 この里に生えている木が、鳴鈴の知る木よりも背が高いことに気づいたのだ。

(龍には不思議な力があるというし、その力のお陰で発育がいいのかも……白麗様の家の周りにある木は特に背が高いわ。……そうだ! せっかくだもの。久しぶりにあれをしよう)

 そう決めると、鳴鈴は近くの木に向かって歩いて行く。

 そしてなにかを確かめると、おもむろにくつを脱いだ。

「……きゅ?」

 なにするの、というように天が鳴くと、鳴鈴はにっこりと笑った。

「天。良い子だから、わたしにしっかりつかまっていてね」

「きゅう?」

 鳴鈴はそう言うなり、手が届くところにある枝を掴み、幹に足をかけ、するすると木登りを始めた。

 そしてある程度の高さまで登ると、ふうっと息を吐く。

「木登りなんて久しぶりだったから上手くできるか不安だったけれど、やればできるものね。うーん、良い眺め!」

 鳴鈴は〝お騒がせ〟でよく手巾などを飛ばし、よく木の枝に引っかけていた。それを取るために木登りをし始め、気分転換に木登りをしようと思うくらいには得意になったのである。

 木の上から、この辺りを一望する。

 白麗の手に乗せてもらった時も思ったが、本当にここは緑が豊かだ。

 遠くを眺めると、まるでもやがかかっているかのようにぼんやりとして見える。

(今の蓮華国れんかこくでは……ううん、通常の蓮華国であっても、こんなに緑が深い場所はないわ。空を飛んでいる龍の姿もあちこちに見える……わたし、本当に知らないところに来てしまったのだわ……)

 ここは、まったく知らない、人間すらいない場所。〝つがい〟の解決方法はなにも出てこず、いつ国へ帰れるかもわからない。

 その事実を、改めて突きつけられたような気持ちになって、鳴鈴は泣きそうになった。

(本当に帰れるのかしら……お父様の容態が悪くなっていたらどうしよう……気負いすぎて、黄蓮こうれんまで倒れていたら……)

 国にいる家族のことが心配だった。しかし、国の様子を知る手立てはなく、不安ばかりがふくらみ、涙がじわりとにじんで、視界がぼやける。

(わたし……もう……)

 ──帰りたい。

 そんな弱音を吐きそうになった時、「きゅう?」と耳元で心配そうな鳴き声が聞こえ、鳴鈴はハッとする。

「天……」

「きゅうきゅ?」

 心配そうに鳴鈴を見つめる天を見て、鳴鈴は目に浮かんだ涙を拭い、微笑ほほえむ。

「……大丈夫。わたしは大丈夫よ。心配してくれて、ありがとう」

 鳴鈴の肩に乗っていた天の頭をで、その毛並みの心地良さで少しずつ鳴鈴の心が落ち着いていく。

あきらめるのは早いわ。だって、まだなにもしていないもの。『雪蓮花せつれんか』を手に入れて、絶対にお父様を助けるんだから!」

 そう声に出して気合いを入れ直すと、天もそれを応援するように「きゅう!」と鳴く。

「……少し前から思っていたけれど、天はまるでわたしの言葉がわかっているみたい。もし、それが当たっているとしたら……天はすごくすごく賢いのね」

 感心して鳴鈴が天を見つめると、天は誇らしげに「きゅ」と鳴いた。

「さて……そろそろ戻らなきゃ……あら?」

 鳴鈴は木から下りようと身をかがめ、既視感を覚えた。

(なんかこの感じ、どこかで……)

 どこでだったろうか、と鳴鈴は考え込み、思い出す。

「そうだわ……! 白麗様と出会った時!」

「……きゅ?」

 突然叫んだ鳴鈴に、天は不思議そうに首を傾げる。

 そんな天を抱きあげ、満面の笑みで天を見つめた。

「わたし、ちょっと思いついたことがあるの。わたしと白麗様が出会ったのは、空を飛んでいた白麗様の上にわたしが落ちてきたからでしょう? そしてわたしと白麗様は〝番〟になってしまった……だからね、同じようにしてみたらどうかな、と思うの」

「ききゅ……?」

 どこか不安そうに天は鳴鈴を見つめる。

 しかし、鳴鈴はそんな天の様子に気づくことなく、にこにことして頷く。

「この木の上からわたしが飛び降りて、そこに白麗様がいてくれれば出会った時と同じ状況になるわ。あの時と同じ状況をもう一度体験すれば、〝番〟を解消することができるかも! だから……ね?」

 ブルブルッと天が体をふるわす。

 鳴鈴はキラキラと笑みを浮かべて、天にお願いをした。

「白麗様を連れてきてほしいの」

 ね、お願い、と頼む鳴鈴を天はおろおろとして見ていたが、鳴鈴が考えを変えそうにないと諦めたのか、ぴょんっと跳ね、するすると木から下りて家の中に向かって走って行く。

 そんな天を鳴鈴は見送り、再び里の景色を眺める。

(……これで成功すれば、わたしは国に帰れる。ちょっと怖いけれど、頑張らなくちゃ!)

 拳をぎゅっと握りしめ、鳴鈴は再び固く決意した。


 ──そもそも、なにをもって〝番〟を解消したことになるのか。

 詳しいことは鳴鈴にはわからないが、先日の龍王たちの会話から察するに、消えてしまった白麗の鱗が重要なかぎとなるのではないか、と考えている。

 龍王は鳴鈴を見て『白麗の鱗を持っておるな?』と問いかけた。

 その質問は龍王が白麗の鱗を鳴鈴が持っていると確信をしていたからこそのものだ。確信がなければ『鱗を持っているか?』という質問になったはずだ。

『龍族の歴史』を読む限り、通常の龍の〝番〟とは生涯を共にすることを前提にしたもので、その解消方法は存在しない。

 だが、今回の鳴鈴と白麗については、そもそもの前提が違う。

 龍が〝番〟になるためには、いくつかの条件が必要になる。

 大前提として、龍同士であること。この最初の条件から、鳴鈴と白麗はもうすでに外れてしまっている。

 次に、雌雄しゆうついであること。雌同士、雄同士では番になることができない。これに関しては条件を満たしているが、異種族間なので例外とも考えられる。

 そして最後に──両者の想いが一致していること。最後の条件も、鳴鈴と白麗は外れている。〝番〟になろうしてなったわけではないからだ。

 それらの条件がそろい、互いの鱗を交換することによって〝番〟になることができるという。ちなみに、交換した鱗は互いの体の一部になるらしいが、そもそも鳴鈴には鱗がないし、白麗になにかをあげたわけでもない。

 つまり、鳴鈴と白麗はほとんどの条件が揃わないにも関わらず〝番〟になってしまっているのだ。

 それがなぜなのかがわかれば〝番〟を解消することができるのか、できないのか──それすらもわからない。

 だから〝番〟の解消方法もいろいろと試す必要がある。なにせ前例がないのだ。たとえ突飛とつぴな方法であっても、試す価値はあると、鳴鈴は思う。

 龍王の言葉を信じれば、消えてしまった白麗の鱗は鳴鈴の体のどこかにあるはずだ。それが出てくれば〝番〟を解消することになるのではないだろうか。

(いえ……これは完全な〝番〟とは言えないから、〝番(仮)〟と言うべきね)

 そんなことを考えていると、家の中から人の姿のままの白麗が出てきた。

 鳴鈴はすうっと大きく息を吸い込み、大きな声で白麗を呼ぶ。

「白麗様ぁ!! こちらです!!」

「あ、あんた……そんなところでなにやって……」

 ぎょっとした顔をする白麗に鳴鈴は説明をする。

「わたしは今から飛び降ります! だから、わたしを受け止めてください!!」

「は……はあ!? なに馬鹿ばかなことを言ってるん……」

「──行きます!!」

「話を聞けよ!!」

 ものすごくはしょった説明をし、とんでもないことを言って飛び降りた鳴鈴に、白麗は「チッ」と舌打ちをして龍の姿に変化する。

 鳴鈴は情けなく「きゃああああっ」と悲鳴をあげて落ちる。

 そんな鳴鈴を受け止めるべく白麗は向かった──のだが。

『…………なんでそうなる?』

「さ、さあ……?」

 ──白麗の体の上に落ちる前に、鳴鈴は木の枝に服を引っかけ、吊るされてしまったのだ。

 恥ずかしさと居たたまれなさで、鳴鈴は今すぐ穴を掘って埋まりたくなった。

(こ、こんなはずではなかったのに……!)

『奇跡だな……』

 心から感心したように呟いた白麗に、鳴鈴はさらに身を縮こまらせた。

 はじを忍んで鳴鈴が白麗に下ろしてほしいと頼むと、さすがの白麗も同情したのか、神妙な顔で鳴鈴を下ろしてくれた。

「も、申し訳ありません……助かりました……」

 いつになく小さな声で謝った鳴鈴を心配するように天が寄り添う。

 それに鳴鈴は「大丈夫よ」と弱々しく微笑んで応えた。

『……なにが「大丈夫」だよ。木の枝に引っかかっていたくせに』

 馬鹿にした口調で言う白麗に、鳴鈴は返す言葉もなく項垂うなだれた。

 それに追いうちをかけるように白麗は続ける。

『そもそも、なんでこんな危ないことをした? たまたま木の枝に引っかかったから良かったものの、下手をしたら大怪我けが──いや、死んでいたかもしれないんだぞ』

「で、でも……出会った時の状況を再現すればわたしから鱗が出てきて〝番〟を解消できるかもしれないと思って……」

『だからといってこんな危険なことをする必要はなかっただろ。せめて事前に相談するとか、もっとやり方があったはずだ』

「ご、ごめんなさい……」

 白麗の言うことはもっともで、鳴鈴はただ謝ることしかできない。

 思い立ったらすぐ行動してしまうのは、鳴鈴の悪いくせだ。それでよく弟にも怒られている。

 そんな鳴鈴の態度がなにかの琴線きんせんに触れたのか、白麗はギロリと鳴鈴をにらんだ。

『謝って済む話じゃない! あんたが死のうが生きようがおれの知ったことじゃないが、俺とあんたは仮にも〝番〟だ! 〝番〟であるあんたが死んだら、俺は死ぬのと同じくらい──いや、それ以上の苦しみを味わうことになるんだよ!』

 白麗のその言葉に鳴鈴はハッとする。

(そうだわ……確かに『龍族の歴史』にもそんなことが書いてあった……〝番〟はお互いの気持ちが通じるようになる反面、痛みや苦しみも共有するようになってしまう、と……)

 だからあえて〝番〟を持たない龍もいるのだという。

 鳴鈴はそのことを思い出して顔を青ざめ、深々と白麗に頭をさげた。

「本当に申し訳ありません……! わたしの自覚不足でした……」

『……ふん。次にまたこんなことをしでかしたら、許さないからな』

 鳴鈴は神妙な顔をして「はい」と頷いたあと、少し言いにくそうに「でも……」と言いかけて、やめた。

『……なんだよ。言いたいことがあるのなら、はっきり言え』

「あ、あの……言い訳をするわけではないのですが……わたし、死ぬつもりも、怪我をするつもりもありませんでした」

『はあ?』

 なにを言っているんだ、と半眼になった白麗に、鳴鈴はびくりと肩を揺らしながらも、白麗から目をらさずに言った。

「わたし、白麗様がちゃんと受け止めてくださると、信じていました」

 迷いなくきっぱりと言い切った鳴鈴に、白麗は言葉を詰まらせた。

『……なんでだよ。どうして出会ったばかりの俺をそんなに信じられる?』

 俺のことなんてなにも知らないくせに、と白麗が言うと、鳴鈴はにっこりと笑って答えた。

「確かにわたしはまだ白麗様のことを知りません。でも……白麗様がお優しい方だということは、なんとなくわかります」

『……は? 俺が優しい?』

 胡乱うろんな目つきをする白麗に、鳴鈴は力強く頷く。

「はい! その証拠に、白麗様はわたしが呼んだら来てくれましたし、わたしを受け止めようとしてくれました。それに、木の枝に引っかかってしまったわたしを下ろしてくれました」

 ──こういうわたしのかんは当たるのです。

 自信たっぷりな様子でそう言い切った鳴鈴に、白麗はきよを突かれたような顔をして黙り込んだ。

 そんな白麗の様子を鳴鈴が不思議そうに眺めていると、白麗はふいっと顔を背けた。

『……あんたの突拍子もない思いつきに付き合っているひまはない。大人しく家の中にいろ』

 白麗はそう言うなり、一人で家の中に入ってしまう。

「……わたし、白麗様に余計に嫌われてしまったみたい……」

 しょんぼりと肩を落とす鳴鈴に、天が「きゅうう……」と寄り添う。

 鳴鈴はその行動になぐさめられ、天の頭を撫でた。

「天には慰めてもらってばかりね……やっぱり白麗様のことをもっと知らないとだめよね。そのために、もっと龍について知らないと」

 家の中に戻りましょうか、と天に声をかけて、鳴鈴は本の続きを読むために、家の中に戻った。

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