日本魔鳥の怪 ~Bad Bird~

ある、寒い冬の朝のことだった。


「……ぴぃ……」


河川敷を早朝ジョギングしていた男子高校生・馬路月まじつき梨男なしおの耳に、かすれた笛の音のようなものが聞こえた。


「何だ?」

梨男は足を止め、辺りを見回す。


「……ぴぃぃ……」


音の出どころは、どうやら河川敷の草むらの奥のようだ。


首に巻いたタオルで顔に浮いた汗を拭きながら、梨男はそのかすれた笛のような音の源に向かってゆっくりと歩み寄った。


「……ぴぃ。ぴぃぃ……」

「あっちゃあー……鳥かよ……」


気付くんじゃなかった、と思いながら、梨男はその音源を見下ろす。


「ぴぃぃぃ……」


梨男の足元では、まだ産まれたてと思しき小さな鳥の雛が、力なく鳴き続けていた。

辺りの木の上に、巣らしきものはない。親鳥や兄弟雛らしきものも見当たらない。

どんな事情かは知らないが、産まれてすぐに巣や家族から離れてしまったようだ。


このまま放っておかれたら、恐らく一日も保たずに息絶えるだろう。


「ぴぃ。ぴぃぃぃ……」

小汚い毛玉のような塊は、まだ満足に開いてもいない目で必死に梨男を見上げた。

「か、勘弁してくれよ。うち、貧乏なんだよ……」


梨男の家は、町で小さな八百屋を経営している。

昔から繁盛している方ではなかったが、最近は特に大型チェーン店やショッピングモールの進出に押され、その売り上げは尻すぼみの一途を辿っていた。


「おれ、毎日の昼メシさえ焼きそばパン一個なんだよ。高校二年生の育ち盛りなのにカツカツなんだよ。お前に恵む餌を買ってやるお金なんてないんだよ。ましてや飼うなんて絶対ムリ……」

そう言いながらも、ここで黙って立ち去れないのが梨男だった。

「ぴぃぃ……」

「ああ……やめろよ……パパに甘えるような目で見るなよ……」

梨男は思わず、その薄汚れた毛玉をそっと抱き上げてしまった。



「梨男。お前、うちの生活事情わかっとんのか……」

自室でこっそり餌をやろうと思っていたが、帰宅後15分で両親にバレた。

こっちの善意も知らずにぴぃぴぃ鳴くのだから当然だ。

「ごめん父ちゃん。何週間かだけ。独り立ちできるぐらい育ったら、すぐ野に放すから……」

鳥の雛が何日ほどで成鳥になるのかも知らなかったが、梨男は父親に懇願した。

「まあ、それくらいだったらいいんやないの。鳥の餌なんてよう分からんけど、水と廃棄の野菜屑でもやってたら勝手に育つんやない?」

母親が援護に回ってくれたが、店主である父親は渋い顔を崩さない。

「あのなあ。うちは八百屋やぞ。店先に鳥がおったら、客にどう思われるよ。嫌でもフンや虫食いを連想されるやろうが。大幅なイメージダウンや」

「ええやんか。もともとうちにダウンするほど立派なイメージなんてないし」

客相手には饒舌な父親も、母親の言葉には勝てない。

梨男の部屋に、小さな同居人が増えた。



そうして、二週間ほど経ったころ。

「梨男。梨男よ。ピィスケの調子はどうや。今日は鳴き声が小さいみたいやが」

梨男の父親は、完全に雛鳥のかわゆさに陥落していた。

「あんた。ピィスケに構ってばっかおらんと、ちゃんと店先に立ちんさい」

母親は呆れた顔で言うが、当の本人も最近、何かと口実をつけて数時間に一度は梨男の部屋を訪れている。


「ピィ。ピィィィ」

初めて見つけた時は衰弱死しかけていた薄汚い毛玉は、梨男の熱心な給餌と寝る間も惜しんだ世話によって、今はなかなか愛嬌のある小鳥に育っていた。


「よしよしピィスケ、今日の晩メシはサツマイモだぞ」

「ピィィィ!」

梨男が鳥籠に餌皿を差し入れると、ピィスケは歓喜の声をあげる。


「おお、食うとる食うとる。わしらよりいいもんを食うとる」

今日も野菜屑のスープを啜りながら、『ピィスケの生活が第一』党を立ち上げた父親は満面の笑みを浮かべている。


「ピィピィ!」

「ピィスケの鳴き声があれば、白米がいくらでも進むわ。母さん、おかわりをくれ」

「あかんよ。平日のご飯は一杯だけっていう決まりやろ」

父親の満足げな笑みとは正反対に、店の売り上げは下がってゆくばかりだった。

ここ最近めっきり客足が落ち、もともと雀の涙ほどだった利益が、今やハチドリの涙ほどまで低下している。


「……やっぱり、鳥を飼っとるってのが八百屋のイメージを下げとんのかねぇ」

いつも気丈な母親が、珍しく気弱な言葉を発した。

「『鶴の恩返し』の話もあるし、もしかしたらピィスケは幸運を運んでくれる青い鳥なのかも、なんて最初は思ってたけど……そんなうまい話はないんやねぇ」

無邪気にサツマイモをついばむピィスケを見ながら、母親は溜め息をつく。


「そういえば梨男。結局、ピィスケが何ていう鳥なのかは分からんのか?」

父親の問い掛けに、梨男は頷く。

「学校で、生物の先生にピィスケの写真を見せたんだけど、『どうにも見たことのない種類の鳥だ』って言われた」


ピィスケは、何とも不思議な容姿をした鳥だった。

スズメにも、鳩にも、ツバメにも、鴉にも、一部分は似ているような気がするけれど、全体で見ると、そのどれでも決してない。

その姿を形容する言葉など、最初から世界には存在していないような。

ピィスケは、何とも『』だった。


「……まあ、種類なんてどうでもいいけどね。ピィスケはピィスケやから」

母親の言葉に、父親と梨男は同時に頷いた。

生物の先生には『もしかすると世界で発見されていない新種の鳥類の可能性もあるから、ちょっと預からせてくれないか』と言われたが、梨男はそれを拒否していた。

どんな学名の鳥であろうが、ピィスケはもはや梨男の家族だった。



さらに数ヵ月が経ったころ。

がらんとした八百屋に、珍しく一人の客が訪れた。


「お邪魔します。この店にキャッサバ芋は売っていませんかね」

とても寂れた八百屋を訪ねてきそうにはない品のいい老人は、市場に仕入れに行っている父親の代わりに店番をしていた梨男に訊ねてきた。


「キャッサバは、さすがにウチみたいな小さな八百屋には置いてませんね」

ひょっとして冷やかしかと思いつつも、梨男は老人に答えた。

「日本の主婦の大勢が、継続的に買ってくれるようなものじゃないですから。ひょっとして、タピオカを自作しようとしているクチですか?」

「うわ、バレましたか」

老人は懐から、コンビニで買ったと思しきタピオカミルクティーのカップを取り出し、太めのストローを突き刺してちゅうちゅうと吸い始めた。

えっ、気持ち悪い、と思いながらも、梨男は無言でその様子を見つめる。


「市販のタピオカドリンクは飲み過ぎて少し飽きたので、いっちょ自分で作ってみようかと思っているんですよ」

タピオカを啜る合間に、老人は話を続ける。

「はあ。それなら、もっと大手の店や通販に頼った方が楽ですよ。ウチみたいな弱小八百屋じゃなくて……」


「ピィィッ!」


店先に吊るした鳥籠の中で急にピィスケが鳴いたので、梨男は驚いて言葉を切った。


「ピイィ!! ピイィィィッ!!」


ピィスケは今まで聞いたことがないほど甲高い声で鳴きながら、ばたばたと鳥籠の中を飛び回る。


「おやおや、これはまた珍しいを飼っていなさる」

ピィスケに目をやり、老人は驚いたようにストローから口を離した。



「まさか人間がを育てるとは。なかなか酔狂な趣味もあったもんですなあ」



「か……閑古鳥かんこどり?」

梨男は鸚鵡オウム返しに訊ねる。

「ふうん。まだ小鳥のようですな。雛のうちに、現世うつしよ幽世かくりよの狭間から滑り落ちたのか。最近この町では何かと因果律いんがりつ価値観革命パラダイムシフトが起きているから、その煽りを食らったようだ……」

「ちょ、ちょっと待ってください」

意味不明な独り言を続ける老人に、梨男は慌てて言った。

「閑古鳥って、まさか、あの」

『閑古鳥が鳴く』という表現ぐらい、梨男でも知っている。


「もちろん慣用句で有名な、です。あらゆる店の客を減らしてしまうという、呪われた魔鳥ですよ。今の日本ではカッコウの別名とされていますが、その呼び名の元となったオリジナルですね」

「カ、カッコウではないんですか」

麒麟きりんとキリンぐらい別物ですね」


梨男は一生懸命に頭を回転させる。

「じゃ、じゃあまさか、最近、ただでさえ悪かったウチの売り上げが、さらに地の底まで落ちたのは、ピィスケの……」

「もちろん、のせいでしょう。えっ、まさか知らずに飼っていたんですか?」

「そんな……!!」

梨男は茫然と、鳥籠の中のピィスケを見つめる。

「じゃあ、このままどれだけ頑張っても、ピィスケがいる限り、ウチの店は……」

「客足は遠のくばかりです。売り上げを以前のレベルまで回復させたいなら、今すぐを野に放つべきでしょうね。……そして、もしもが、この店から出ていくのをどうしても嫌がるようであれば……」

そこで言葉を切り、老人は哀れみの籠った目で、梨男とピィスケを交互に見た。

「残念ですが……自分で、何らかの手を下すしかないでしょう」

梨男の視界が、ぐらぐらと揺れた。



「どうやら、色々と要らない情報を与えてしまったようだ。申し訳ない」

見つめ合う梨男とピィスケを尻目に、老人は逃げるように店から出ていった。


「ピ……ピィスケ……」


梨男は、震える指で鳥籠を開けた。


「ピィィ」


鳥籠の中から飛び出した名状しがたき鳥は、小さく羽ばたいて梨男のてのひらに乗った。


「ピィスケ……」


いっそ、このまま大空の向こうに飛んでいってくれれば。


しかし名状しがたき鳥は、梨男の掌の上で微動だにしない。


呪われた魔鳥。だがその身体は、掌に収まるほど小さい。


「ピィ」


今すぐにでも握り潰せるサイズだ。


「ピィスケ」


店の奥には、カボチャだって簡単にカットできる便利な大包丁もある。


「ピィィ」


このままだと、店が潰れる。


「ピィスケ」


新しい商売を始めても、絶対に成功はしない。


「ピィィ」


どんなに頑張っても、自分が将来どんな大企業に就職できても、その会社の客は激減することが約束されている。


「ピィスケ」


この名状しがたき魔鳥と一緒にいる限り、自分の人生はどん底続きなのだ。


「ピィィ」


「……ピィスケ……」




梨男は、決意した。




















「ここだけの話をしましょう」

マイクに向けて、男は語った。


「高校生の時、私の身に小さな事件が起こりました」

大ホールの聴衆は、男の話を静かに聞き入っている。


「その時、私の身体は、とあるに蝕まれました」

困惑した聴衆の間に、微かなざわめきが広がった。


「私は学生時代に幾つものアルバイトをしたのですが、私が働き始めた店はなぜか、それまでどんなに繁盛していた店でも、あっという間に客足が遠のき、潰れる寸前にまで追い込まれてしまうんです」

冗談だと受け取っていいのか分かりかねた聴衆の間に、囁きが混ざり始める。


「なので私はすぐに解雇されることになり、バイト先を転々と変える羽目になってしまいました。これまでに失業した回数は、とても100や200では効きません。……いいですか、皆さん。ここだけの話ですがね、実は私には、働いた店の客を必ず激減させてしまうというが憑いているんですよ」

なるほどやっぱり冗談だったのかと思った聴衆の間に、小さな忍び笑いが起こった。


「疫病神を手段は幾つかありました。しかし私は、それらのどの手段も採りたくはなかった。なぜなら高校生の時に出会ったは厄介な呪いであると同時に、もはや私の家族も同然だったからです。なので、私は考えました。何とか彼の『呪い』と折り合いをつけて共存できないか、或いは彼の『呪い』を。それだけを考え続け、私は何年も何年も一心不乱に努力を続けた。自堕落な遊びや悪友の甘言を撥ねつけ、ひたすら勉学と肉体鍛錬に励み、自分を高め、大切な家族であるが決してなどと呼ばれないように、数十年間突っ走ってきた。その結果が、今回の輝かしい記録なのです。つまり、今、日本では……」


日本史上初の『0』を達成した男は言った。


大ホールに、割れんばかりの歓声が湧き起こった。




「ピィ」

警視総監室の隅に置かれた鳥籠の中で、名状しがたき鳥が鳴いた。

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