_1の4 大湊の国

第9章「大湊の化身」

 ・9



 大湊城、広大な空でも触れようとするように、さらに山の上にその立派な城はあった。すでに、太陽は沈んでしまっているので、空に触れるというよりも、月に近付こうとしているようにも見える。月見櫓には負けるかもしれない。一番であろうと、二番であろうと。だが、あの場に立ち、それらしい場所を探せば、そこもまた一幅いっぷくの絵のようとなるだろう。


「北東で騒ぎがあった」けれど夜の城下町は、これといって変わりはない。ちらほらと人影はあるものの、そのほとんどが自宅にいる。歩く者は空に目をやったり、鼻歌交じり、帰りを急いでいたりと、鬼を恐れている感じではない。


 もちろん、心のどこかでは鬼を恐れているかもしれない。だが、彼らは未だ「屋水について」はなにも知らないようだ。もし知っていたら、表情に「怯え」ぐらい窺えてもいいはずである。


 巨大な骸骨が人を襲った、という出来事を耳にするのは、明日か、明後日か。穏やかに一日を終えようとしている。


 城下に到着してから、三人は何事もなく大湊城付近まで辿り着く。白鈴は潜入する目前で、「いよいよだな」と山のいただきに向けてそう口にした。


「でっかいなあ」目黒は圧倒的なそれを眺めて、呆れたように言う。


「乗り込むのか」ヒグルは少し見て、満足したらしい。長く、首を上に傾けなかった。「こうして近付くと、自分がちっぽけだと強く実感するね」


 このとき、彼は案外物静かだった。「ちっぽけでもいい。やれることはある」


「うん」


「中には、侍がごろごろいる」白鈴はそこを気にしていた。手強い相手ばかりではないのも知っている。戦えない女も、きっと子供もいる。


「しっかし、そんな時間は経ってねえように思えても、おかしなもんで、あんときよりも緊張はしねえな。俺が変わったのか。俺の周りが変わったのか。いや両方か」


「やっぱ目黒、緊張してたんだ」


「当ったり前よ。ドッキドキだったぜ」


「二人とも、動けたらよかったが」


「いまならよ、侍もたいして怖くねえ」


「そうなの?」


「いや、こええよ。そりゃ、怖いけどよ。ああ、なんつうか。ああ」


「うん?」


「大暴れしてやるってぐらいにはな。なんでもできる。そういった感じがするって話だ」


「大暴れはやめてくれ」


「わかってるよ。シュリの救出が優先だろ? わかってる」


「『落ち着いて』、『行動』、だね。慎重に」


「鬼のことも、そうだが。ちょっとまあ、こんな体にされちまった『苛立ち』が、どうしても消えずにあるだけだ」


 許可もなくその身を実験に使われた。事実を知ると、余計に憎くなるのも自然である。しかもそれが「鬼」に関係することであるとしたら。彼からしてみればなおさらにとなろう。


 利用された。そして大湊の計画通りに物事が進んでいると思うと、恐れよりもどうしても気迫のほうが満ちてくる。


「お前は、ねえのか? 小さくなって、へんな体にされて。ずっとその体で。生きていかなければならないかもしれねえんだぞ」


「無いとは言わない。だからといって、この体が変わるわけではない」


 白鈴はゆっくり言葉を述べた。姉の仇を討とうとしていた頃であれば、もしかすると異なった答えが出てきただろう。もっと感情は激しかった。今となっては、そんなことよりも。大事なものがある。


「そっか。このまま話していたとおり、火門のところには目指さない。で、いいんだよな」


「そのつもりだ」


「柄木田の居場所はわかってんのか?」


「研究所を知っている。私はそこにいた」


「お前も、俺と同じで監獄にいたら、また違ってたかもしれねえってことか」


 


 


「『鬼』、『大湊』、『ツキビト』。こうなってくると、いやあな予感がしてくんな」


 城へ向かう道中、大湊の国、その不吉な動きから目黒は一つ危惧していた。


 屋水の巫女がツキビトだったのだとすれば。シュリが、そのツキビトであるなら。


 屋水姫の話に出てくる『化け物』。大昔にいたとされる、話に聞く、後世に名を残した『化け物』が脳裏にちらつく。


「その『化け物』って、実際にいたの?」ヒグルは詳しくはなかった。「屋水姫とも戦ったという。歴史のなかで封印されたとは聞くけど、どこに封印されているのかは、わかっていないんだよね」


「ツキビトなら、知っているんじゃねえのか。封印したのが当時のツキビトだ。屋水の巫女であるリュウが協力を拒んだというのも、この地から鬼を討ち滅ぼす目的ではなく、大湊のそれだったとしたら、拒むのも納得ができる」


 白鈴は言う。「力を欲する理由は、なんとなくわかる。だが、そんな鬼まで、人に従わせるなんてできるのか。もうこの目で見たが。あの骸骨でさえ、明らかに常軌を逸してる」


「従わせるために、必要ってのも考えることができるぞ」


「うん? どういうことだ」


「その『化け物』にも、部下がたくさんいたらしい。お話どおりなら、従わせていた、大量の鬼をな。それなら、その力を手に入れようとしているってのも筋が通るだろ」


 


「もしかして、あの骸骨も、その鬼の部下だったりして」


 


 


 学者のためと用意された施設は、城内でいえば東側にある。彼らは悟られないように大湊城に潜入し、そこへとまっすぐ移動する。騒ぎを起こしてしまうと、シュリを助けるなど、そんなこと言っていられなくなる。


 柄木田の研究施設周辺は時間帯が夜ということもあって、城下町と環境が似ていた。見たところ、城内を歩く者は多くない。


 とくに、刀を持ち歩いている者が多い、ということ以外は。


 これまでに銃を持つ者もいたが、じっと動かず、そこで見張りをしているだけだった。


 彼らは、屋水の巫女リュウの妹が、ここにいると知っているだろうか?


 柄木田とは、思いのほか早く遭遇することになる。『ツキビト』。独り言を呟きながら施設内へと向かう、一人で歩いている姿があった。


 白鈴は場所を選ぶ。敵地であることを忘れてはならない。駆け寄ったりはしない。見つかったからといって、何も考えずに行動しても、それでいい結果を得るわけではない。


「夜に仕事とは熱心だな」目黒は彼女を見て皮肉を言った。彼も考えに同意していた。


 他の学者は、見当たらない。


 柄木田五言ごごんとだけ、話す機会を作るのが、一番に適切だろう。


 施設内で状況が整うと、白鈴はかげかげを取り出す。刀を抜いて、女の背後に立った。


「柄木田だな」


 聞こえてはいるだろう。けれども老婆は何も言わなかった。


「動くな」


「まったく。なにか、私にようか?」


「シュリはどこだ」


「シュリ?」


「知らないってのは、無理があんだろ。ツキビトと口にしたよな」


「ああ。屋水の巫女か」


「どこにいる?」


「いまなら」柄木田は考えていた。「上の階に、いるのではないかな?」


「ソレ、もし嘘だったら、ただでは済まねえぞ」


「脅しといい。乱暴だな。まったく理解できん」


「それで、どうなんだ」


「それなら、私と一緒に行くかね? そんなもので気が済むなら」


 居場所はわかった。上の階にいるというなら、会わせてもらうのがうまいやり方ではないだろうか。「案内しろ」と白鈴は言う。


「お菓子でも、用意しようか?」


「黙って歩け」目黒は女の態度が不満なようだ。


 柄木田は溜息をつく。文句を付けず、歩き出す。


 老婆には抵抗する意思はないように見える。とはいえ、白鈴は柄木田から目を離さなかった。隙でもあれば、逃げ出そうとするに決まっている。


 すると、施設内で銃声が鳴り響く。数発だ。それは彼らに向けて発射されたわけではない。


「ああ? なんだ?」目黒が部屋の隅に佇む男を発見する。彼は目を凝らした。


 白鈴も気配に気づく。彼女は自分の足元を注意した。後方に飛ぶ。


 床から――どういうことだろう?――男が現れた。穴はないが、まるで雲からすり抜けてきたように体を出すと、その場に立つ。


 柄木田は安全とわかり、振り返る。「誰かと思えば、君か。それに」


 彼女は謎の男ではなく目黒のほうを見ていた。そして、白鈴を見ていた。スライム、と呟かれる。「なるほど、そうか」


 こいつは。使い魔か? 白鈴は敵の正体を察して、観察を続ける。かかしだ。


 拘束から解かれたので、柄木田はその場を去ろうとする。


「彼らの相手をしてくれ」


「おい。待ちやがれ」


 目黒の言葉と同時に、ふたたび銃声が鳴り響く。部屋の隅から、男が警告していた。


「こりゃあ。はめられたか?」


「どうだろうな。しかし、三人もいれば、相手にならない」


「すぐに追いかけよう」


 その場にいた使い魔の数は二体。片方は、機関銃を身につけている。もう片方は、両腕に刀を想像させる刃が見えている。


 彼らが戦うことになったのは、機関銃を身につけている使い魔だけとなる。もう片方は、柄木田の護衛に専念していた。


 


 戦闘を終えると(使い魔は活動を停止した)、白鈴は立ち止まっているわけにはいかないのですみやかに決断し行動する。城内への潜入は、見張りなどに知れ渡っている頃だろう。柄木田を捕まえるのではなく、上の階にいるというシュリを探しにいく。


 階段を上り、通路を突き進む。人の姿はない。声もない。くまなく探していると、ようやく息をしているであろう人と出会う。


 部屋の前で、若い男が座っていた。その身なりや、模造でもなさそうな刀を手元に置いていることから、学者ではないように見える。


 怪しかろう。目黒は言葉も何もなく唐突に襲い掛かるような真似はしなかった。


「すまねえ。そこのお侍さんよ。聞きたいことがある。その部屋に、シュリって子はいるか」


 男は返事をしなかった。しずかに刀に手を伸ばす。それから立ち上がる。


 戦う気がある。ちょっとした振る舞いからは、そんな感じではなかった。


 なぜなら、殺気がない。


 白鈴は刀に手を伸ばした時点で警戒はしていたが、当然とも言えよう反応もないので、彼を注視しながらどうしたものかと迷う。不用意に近付くべきではない。


 男は座る場所を変えただけだった。怪しい部屋から距離をとって、彼は壁際にいる。そこで、刀を抜いたところで刃は届かない。こちらを見ようともしないので、一通りの行動は奇妙としか表現しようがなかった。


「なんなんだ。いったい」


 目黒はただ呟いた。


「退いて、くれたね」ヒグルは楽観している。


 白鈴は、男が一度手に持った刀を置いたところまで見届けて、考えをかためた。敵意を感じない。


「行こう」


「いるのか。いないのか。そんぐらい言ってもいいだろ。ちがうか?」


「めぐろ」


 ヒグルは問いかけられても、そのぐらいしか答えようがなかった。たぶん事情があると彼女はそう考えている。ここで、男の行動に不平を述べなくてもいいだろう。


「道を譲ってくれる。無用な争いは避けたい」


 白鈴はそう言って警戒はしつつ、部屋を開けると、二人にはここで待つよう指示する。三人で揃って探す必要はなかった。


 男のほうは助けを呼ぶなど、動き出す素振りもない。


 おかしな侍の行動で確信していたが、なかにはシュリがいた。


 彼女は先程まで座っていたようだ。物音に気付いたらしく立ち上がっている。


「白鈴? 来てくれたんだ」


「来ないと思うか?」


「ううん」彼女は首を振る。「来ると、思ってた」


「怪我は、なさそうだな」


 シュリは笑った。無意識だろう。彼女は証明となろう表情をする。


「うん。ないよ。それより」


「なんだ?」


「服、戻したんだ」


「説明はあとだ。はやく、ここを出よう。長居はしないほうがいい」


 白鈴は彼女を連れて目黒たちの元に戻る。手錠がついているわけでもない。問題もなく動ける体であるなら、細かい事情は安全を確保できてからでもいい。


「シュリ。よかった、無事そうで。体はなんともない?」


 ヒグルは駆け寄る。彼女は安堵に包まれていた。


「平気だよ。ほらっ、このとおり」シュリは不調はないと態度で示す。そして、あたりを見回してから、小さく頷いた。「来てくれて、ありがとう」


 いるんじゃねえかと目黒が呟く。白鈴は壁際にいる彼に目をやり、そのあと歩き出した。


「糸七もありがとう」


「知り合いなの?」


「ううん。知ってるのは、名前ぐらいかな」


 シュリの言葉にも、糸七はたいした返事をしない。彼は沈黙している。


「では、急ぐぞ」


「待って。話さないといけないことがある」


 シュリはそう言って、出口に向かおうとする彼らを呼び止めた。


「巫女のことか?」白鈴は思いついたものを口にする。


「『巫女のこと』、それも」


「時間がない。脱出してからでもいいだろ」


「それでは遅いから」



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