第8章「屋水の巫女 月と水」

 ・8



 巨大な鬼が消えた後、屋水の混乱は収まりつつあった。邪魔だった濃霧は消え、他の鬼もそれぞれ目的を果たしたかのように現れなくなる。


 月は照らし続けている。夜のしじまが深々とある。女三人は休憩をはさみ、まだ見つからない男の行方を探しながら、近くの社を目指した。


 ヒグルは言う。「お面の男。白鈴、知っているんだよね」


「ああ」


「骸骨から、シュリを助けたように見えたけど」


「あれはヌエだ」


「ヌエ?」


「男の名は、おそらく幸畑。顔は見えなかったが、そうだろう」


 ヒグルは事態から不穏な空気をうまく感じ取れていない。その表情が教えてくれている。『ヌエ』、『お面』、『男の行動』、それだけでは理解とまではいかなかった。


「ヌエ、聞いたことないか。大湊には忍びがいることを」


「聞いたこと、あるかも?」


「聞いたことあるよ。忍びヌエ」サモンが言った。「だけどね、それは信憑性のない話じゃなかった? 間関衆はもちろん忍びだけど、ヌエはなんというか、空想的? 間関衆と違って、どこにいるのかもわからない。名前は聞いたことあっても、鵜呑みにできない、わからないことだらけで、とくに子供に慕われるだけの存在だよね」


「実在はする。シュリを攫ったのは奴らだ」


「目黒もそうだったけど。いるんだ」


「それなら、『助かったわけではない』というのは? 安心できないって」


「『大湊火門との戦い』の後の話になる。私は川に流され、はゆまでシュリとあった。その時に、ヌエと会っている。ヌエは、『ただ道を聞きに来た』とは、とうてい言えるものではなかった」


「襲われたんだ」ヒグルは頷いて言った。


「それって、理由とかわかる?」


「私が、鬼、だからか。シュリが魔法使いだからか。どちらにせよ、大湊の下で動く、陰で、関わっても良いことはない」


「お社に向かっているけど、それからどうするの?」


 ヒグルの問いに――サモンもそこを気にしていた。追うのは至難であるかもしれないとしても、安心できないのであれば、あの女の人を助けに行くべきではないか。


「社で、屋水の巫女リュウがどうなったのかを知る。あの場には、シュリしかいなかった」


 今現在、説明のつかない状況であるのはちがいない。その目的はわからないとしても、大湊は鬼を使って、屋水の巫女リュウを狙っていた。にしては。


「ヒグル、ジロテツとは」


「ジロテツは、お社にいるはず。たぶん。シュリに頼んで、白鈴の後を追ったから」


「社には、人が避難してると思う」サモンは苦痛でわずかに表情を歪めた。「仲間に、屋水の住人を逃がすよう頼んでる」


「仲間? だれだ」


「三人だけでは、人手が欲しいところでしょ。まあ、住人のひとたちが、今晩、急に鬼が来ると言われて、信用してくれたかどうかはわからないけど」


 


 屋水にある家屋はそのほとんどが、原形に変化は見られなかった。いくつか壊されてしまったのだろう建物はあるが、鬼が来たと想定してみると被害は少ない。


 夜中だからとはいえ、住人の姿はないように思えた。指示に従い避難したあとか。


 ちっと離れた場所、そこには鳥居がある。壊れた鳥居である。屋水のお社へ向かうために階段を上る。終わりが見えてくると、争った形跡が見て取れた。


「これは」とヒグルは呟く。


「ここにも、『鬼』、来たみたいだね」


「ああ」


「ここで、戦ったのかな」


 建物の崩れぐあいを調べていくとわかる。骸骨の鬼は、ここまで来たようだ。鳥居に近い、手前側ばかりが潰され無残にもやられてしまっている。


 奥のほう、本殿は壊されていないように思える。


 サモンは歩いて、周りに目をやった。「下には人がいないように見えたけど。みんな、ここにいるのかな。もうどこかに避難しちゃった?」


「ジロテツ」とヒグルは呟く。「だいじょうぶかな」


 人がいないか探していると、境内で明かりを持った男が一人歩いていた。彼は暗闇で見詰めると、その表情を変える。「サモン」と声を大きくして言った。


 彼女は早足になる。「よかった。無事だったんだ」仲間のようだ。


「どうにかな。そっちも、生きててよかった」


「あのさ、ジロテツは、いない? 知らない?」


「落ち着け。ああいるぞ。ぼろぼろだが、ちゃんと、奥で休んでる。シュリって子が運んできた」


「そっか。いるんだ。心配した」


「だが、その子は。おい、目黒は?」


「目黒とは、はぐれたっきり。戻ってるかもって、思ってたんだけど、来てない?」


「こっちは見てないな」彼はそう言うと、間を置いた。「とりあえず、先に怪我を見よう、サモン。ジロテツより酷そうだ」


 彼は避難した住人もいるという場所へ案内しようとする。屋水の人は、始めは話を聞いてくれなかったが、真実のようだと異変を感じて行動してくれたらしい。


 しかしながら、それでも逃げ遅れた人はいる。


 サモンは立ち止まった。「白鈴は? 行かないの? 白鈴も休んだほうが」


「私は、いい。やることがある」


「やること? ヒグルは?」


「先に休んでて。傍にいたいから」


 ヒグルは隣に目をやると、言葉やわらかくそう伝えた。


 サモンと別れ、白鈴は夜の境内を歩く。「一息つけるには早い」彼女はそんな気持ちで、争った形跡を眺める。ここでシュリは連れていかれてしまった。


『屋水の水は涸れた。』小鈴の冷泉、だったか? そう聞いたはずだが、水路には水があった。池もあった。


 飲んだ「水」の味を思い出す。白鈴は、ヒグルの視線を感じる。虫の音が聞こえる。


「休まなくてよかったのか?」


「休みたいよ。でも、傍に、いたいから」


「そうか」


 強引にでも、『休め』とは言う気にはなれなかった。


「なにか、気になることがあるんだよね。それで」


「いくつかな」


「シュリのことも」


 大湊の計画通りに物事が進んだとすると、近い将来にどんなことが起こる。大湊の目的が、鬼との共存なのだとしたら。それとも、まさかとは思う。戦争にでも利用しようと。


 シュリは、どうして連れていかれた。なにがあった。


「お前か」


 白鈴が仲間と別れて、一人になろうとした訳がそこにいる(一人にはなれなかったが)。テングのお面で顔を隠した男が予兆なく現れた。


「お前もいたんだな」白鈴は上井ヒユウがいるとは考えていなかった。


「テング」ヒグルは樹木のごとく佇む男を観察しながら言う。素顔でも覗くように。


「場所を変えよう」彼はそれだけを言うと、歩き出す。ひと目のつかないところで話したい。十分、この場でも、人なんて来そうにはなかった。けれど、ここでは駄目なようだ。


「そこの者も来い」


 それは、ヒグルに言っていた。彼女が動こうとしなかったからだ。ヒグルは――二人だけでと――そういった雰囲気を感じていた。


「名は上井という」彼は境内でいえば、本殿のところまで見えるだろう、参道大階段付近で話し始めた。見た目にあう硬い口調である。


「白鈴、この人は」彼女は不安もあるだろう。説明を求めている。


「忍びだ」それ以外、思いつかない。


「このひと、ヌエなの?」


 白鈴は黙った。テングのお面に視線を移動させる。人と比べてその鼻は長い。


「言ったはずだ。私はヌエではない」


 上井はそこは変わらず否定した。身のこなし、忍びであることは間違いないのだろう。確かめたわけではない。間関の里、間関衆でもなさそうだ。


「らしい」


「疑い深いんだな」


 敵なのか、味方なのかもわからない。あからさまな敵意は今のところ感じない。


「どこの世界に忍びを信じる者がいる。私になにか用か。シュリはいないぞ」


「知っている。幸畑に連れていかれたな」


「やはり、やつだったか」どれだけ暗かろうと、見間違いではなかった。


「『幸畑』」ヒグルは小声で明瞭に言った。「その人のこと、何か知ってるの?」


「白鈴から、なにも聞いていないのか?」


 ヒグルはちらりと一瞥する。「大湊に、古くからいる、忍び」


「そうだ。それでおおよそあっている」


「ということは、シュリはいま」


「大湊城に向かっている。運ばれているところだろう」


 白鈴は俯くと、顔を上げた。「屋水の巫女リュウは、どうなった」


「安心しろ。リュウは本殿にいる。本殿は、攻撃を受けなかった」


 建物が壊れていないように見えたのは、そこまで鬼が来たわけではなかったようだ。


「お前たちがいないあいだに、ここでなにがあったのか、それを話そう」


 上井は少し間を置く。蝶が寄ってくるかもしれない。特徴的なお面の鼻が止まった。


「リュウの代わりに、シュリが連れていかれた」


「のようだな」


「結果としては、シュリが庇ったかたちとなった。そのようだ」


「見ていたのか?」


「遠くからな。これでも急いだ。お前たちと似たようなものだ」


 彼は屋水が襲撃されると聞いて、ここまで来たようだ。知ったのは、場所は異なろうと、白鈴たちと時間としてはたいした差はなく同じぐらいかもしれない。


 一足遅かった。にしても、どちらにせよ彼一人ではどうにもならなかっただろう。鬼を止められただろうか。シュリを、お社にいる人たちを、救えただろうか。


「ここは神域。簡単には、社に鬼は侵入できない。しかし、相手は稀に見る大きな鬼だ。シュリも自身の力で応戦していたようだが、一人では及ばず、守りは壊された」


「あんなのが、ここまで来たと思うと。ね」


「シュリは突破されようと、最後まで諦めなかった。鬼の前に立ったところ、よって、彼女が連れていかれてしまった。ということだ。リュウではなく」


 避難した住人も守られたのだろう。境内を歩いていた男の様子からも察するに、巨大な鬼は手あたり次第に襲い掛かることはなく、立ちはだかった彼女だけを連れていった。


「なぜ、巫女リュウは連れていかれなかった? 大湊の目標はリュウだったはず」


「そう。鬼は『屋水の巫女』を、狙ってたはず」


「……そのことか」


 上井は二人を眺めてから、そう言った。彼は「理由」を知っている。


「シュリから、聞いてはいないのか」


 上井はすぐに話そうとはしなかった。そこで、新たに男が一人彼らの前にやってくる。


 目黒だった。白鈴は元気そうな彼を見て、その名を口にした。


「目黒、生きていたか」


「よかった。無事そうで」


「ああ、なんとかな」


 彼に目立つような怪我は見当たらない。たとえ傷を負えど、なにせ便利なもので、煙を吐いて治る体だ。水の体、と似ている。鋭利な刃物で刺したところで、斬られようと、彼は普通の人間のようにはそれが痛手とはならない。


 白鈴は、戦闘の合間も彼についてはさほど不安を感じていなかった。


「サモンがすごく心配してたよ。目黒のこと」


「だろうな。あいつは、そういうやつだ」


 目黒は想像でもしたようで黙ってしまう。


「ふたりは、どこにいる。元気にしているか」


「いま、あっち、奥のほうで休んでる。そこで避難してきた人たちと、一緒にいるよ」


「そうか。さすがに焦ったが。命があるなら、それだけでなによりだ」


 ヒグルは頷く。よかったと彼女も心の底から思っている。


「おっと、すまねえな。髭が似合うテングさんよ。話の続きをしようじゃあねえか。あの骸骨に連れていかれたのは、屋水の巫女リュウではなかったんだろ?」


「お前も見たのか」白鈴は問う。


「遠くから、見えてたぜ。女が、鬼に食い殺されようとしていたところに、お面を被った忍びが割り込んだ。ありゃ、ヌエだろ」


「シュリっていうの。その子。私がジロテツをお社に連れていくよう頼んで、それで。お社に鬼が来てしまったみたい」


 目黒はおおよそ理解した。「ヌエは、大湊の命令で動いてるな」


「その認識であっている」上井は続ける。


「ここに巫女は、確かにいるのか? 連れていかれなかったんだろ?」


「リュウはいる。本殿だ」


「じゃあ、そのリュウは、今、本殿でなにをしている」


 上井は質問に答えようとしなかった。表情が見えているわけではない。推察すると、「知らない」のではなく、言えないようだった。


「こんなことがあっても、人前には出られないか。その子に、助けられたんじゃねえのか。住人は、巫女を頼りに来た者もいるだろうによ」


「理解した。来い」


 上井は考えが変わった。そのように見えた。彼は場所を移動しようとする。


 白鈴は動かず尋ねた。「本殿に行くのか?」


「お前たちに、これからリュウと会ってもらう」



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