第19話

 豪奢な部屋の隅、複数の侍女が小刻みに震えながらこの部屋の主を伺っている。部屋にけたたましい音が響き渡っているためだけではない。ヒステリックを起こしたクリスティーナはまた物を投げつけ金切り声をあげているためだ、みな一様にクリスティーナの気分に害しない事だけに集中する。

 こうなった原因というのも一通の手紙にあるようだ、今やその手紙はびりびりに破かれ散乱しているが

「あの老いぼれ…!!わたくしにこんな要求をするなんて…!」

広い部屋を端から端へと移動しながら爪を食む

「お父様に……いいえ、だめよ…あれにだけは手を出してはいけないと言われていたじゃない…!」

「あぁ…でもどうしたら…!」

クリスティーナは自分の矜持を護りたいがために裏の情報屋を雇ったのだ。調べた情報には相当の報酬を支払わなければならない、要求されたものが金品だったならなんとでもなっただろうにまさかこんな事を要求される羽目になるとも知らずに、クリスティーナは父から強く禁じられていた物に手を出してしまった。

 王城に居ても手段さえ知っていればあの情報屋を使う事が出来る、その方法をクリスティーナが知るきっかけになったのは誰のせいかなど言うまでもない。

老獪の情報屋は、クリスティーナの手に負えないほどに狡猾だったのだ。

こんな要求は飲めない とつっぱねる手紙を出したが今度は逆手にとられ脅される羽目になるとは──

目に付いたガラス瓶を思い切り床に投げつける

「わたくしが支払わなければ…情報すら手に入れられない…」

侍女達が恐る恐る、床に散らばったガラス片を拾い集めだす、クリスティーナが怪我でもしたらどんな目に遭うか年若い侍女がクリスティーナの足元のガラスに手を伸ばした時だ

「きゃああああ」

悲鳴が上がると、側にいた侍女達が一斉に後ずさる、クリスティーナが侍女の手を踏みつぶしたのだ、高いヒールが柔らかな皮膚にめりこみ、床からはガラス片が手を突き破る、ぱっと床が赤く染まる。

「ねえ、お前、お前の髪はブロンドなのね、顔をおあげなさい」

がたがたと震える侍女が恐ろしい物を見るように、クリスティーナを見上げる

「ふん、目も深くは無いけれどグリーンね──そうだ、お前でいいわ!」

何の事を言っているのかわからない侍女は、クリスティーナの笑みにただ震えるだけしかない

「お前の名前は今からクリスティーナよ。わたくしの代わりにある事をしてくるの、光栄だと思いなさい」

有無を言わさず、かわりに足でさらに手を踏みつける、ぐしゅりと肉が潰れる音が聞こえ

「あああああ!」

「返事は。」

「は、はい…はいっ クリスティーナ様!」

返事を聞いた途端にクリスティーナの機嫌は急上昇したのか、今度は鼻歌まじりにソファに腰を落ち着かせる。

「お前達、早く部屋を片付けなさい、ああ、そうだわたくしの新調したドレスはどうなったか聞いてきてちょうだい。」

「はい…クリスティーナ様」

「それと、この娘…いえクリスティーナの手当をしてちょうだい、新しいドレスも着せて。出掛けるわ」

「──はい…クリスティーナ様」

世間をしらずに城仕えとなった娘達はどうしたらいいのかわからない、ただ黙々と従うしかないのだ。自分に火の粉が降りかからない事だけを祈って─


警備兵の目を盗んで三人の影が別塔へと向かったのは月も顔を隠した闇夜だった。その日よりクリスティーナと呼ばれた娘が戻ってくる事は無かった。




 ちらりと開演前のステージの暗幕から、庭園に作られた客席を見ると満席なのか立ち見を決め込んだ人達が客席を囲むようにしている。

 今日の『天使を護る愛』はクリスティーナが企画したもので、広い城の庭園を急遽、屋外劇場に仕立てたのだ。初夏の今頃はリンドブルムの高い空はからりと乾燥しており青い空には真っ白な雲が気持ちよさそうに浮かび、春の名残とばかりに花が庭園を彩っている。客席にも大きなリボンが飾られ貴族達をもてなすために給仕がグラスを配っており、今回の主役…クリスティーナではなくその父であろう人物は一等見晴らしのいい席に座り隣のクリスティーナと談笑している。

 真っ白い日傘の下で笑うクリスティーナはピンクブロンドの髪を緩やかに結い上げ青いドレスを纏っている。

この劇、軸として主要人物は6名のみで、あとは村人であったり、兵士くらいである

 なのでマラビスバの団員の殆どが今回は裏方に回っている。

ふとユーリの姿がない事が気にかかる、寝室で会ったのが最後だ──

「リゼット、そろそろ集まらないと」

つつかれた背後にはリゼットにならって客席を覗くフェリオがいた

「わかったわ、戻りましょう」

暗幕を抜けてガゼボへ向かう、ガゼボにはすでに団員が集まっている。ガゼボまでは大きな天幕が張ってあるので客席からはこちらの様子が解らないようになっている。

「フェリオ、タイが歪んでるわ、屈んで?」

「ん…」

少し顎を上げて腰を折ってくれるので、リゼットはさっとタイを直す。ユーリに扮しているフェリオは短髪の金色だ、細められたアイスブルーの瞳に見事なほどに似合っている。

「完璧よ、フェリオ。金の髪もすごく似合ってる」

「少しは殿下に近づいたかしら?」

「もっと綺麗よ、天使みたい」

「まったく小悪魔ね!リゼットもすごく綺麗よ」

「そうかしら?」

ドレスをつまむとくるりと回って見せる、黒いドレスの襟ぐりは大きく開き腰は究極に絞られているためヒップが際立っている。真っ赤なリップに目元には濃いアイシャドーをいれ、髪も大きくウェーブにさせている。上目使いでフェリオを射抜けば、わざとらしく胸を射られたとばかりに胸を押さえる。

「これぞ悪女という感じよね」

「いいじゃない?こういうリゼットは初めてだから観客も驚くわよ」

「だといいんだけど──だけど確かにこんな悪女じゃぁ主役のアイリッシュから愛しの王子様を奪えないわね、残念だわ」

「ううーん、奪ってくれてもいいのよ、そういう強引なの嫌いじゃないわ~」

思いのほか真剣に見つめあうも、堪え切れず二人で思わず吹き出してしまう。

「おーい、集まれー団長の挨拶だ!」

慌ててガゼボに集合すると、いつもの様子で団長が気合いをいれてくれる。事の他アイリッシュは緊張した面持ちで聞いているようだ、湖面を映したような透ける様なブルーのドレスに髪飾りは乳白色の髪飾りは一見すると王冠のようにも見える、化粧は極薄くのせてあるためか初々しい少女に見える、リップは桃色のグラマラスなものだ。

何だかんだでつけてくれたのね

 初主演のお祝いにアリーのリップを渡したのだが、それこそしぶしぶといった感じだったため付けてくれるのか不安だったが杞憂に終わってほっとする。


 この劇には山場が二度ある、一度目はライバル役のリゼットが断罪されるシーン。二度目は王子と王女が結ばれる箇所だ。何よりリゼットの断罪シーンはこう言っては何だが、こんな良い天気の日にはそぐわない内容だ、そこで観客席からリゼットの死に持っていたグラスを掲げたのを見たときには腹の底から冷えた。

 これはお芝居、そう頭のどこかで理解していても客席に座る人間が目のいる王女がが憎くて仕方なかった、それでも王子だけは愛してる、歪んでたって構わない愛してると言わせたい、たとえそれが恐怖からだってかまわない。

 吐き出される呪いの言葉は重みを増していく、そしてリゼットは死を迎える。

邪魔ものが消えた後、王子と王女は結ばれる。みなに祝福をうけながら。


すでに舞台から降りていたリゼットが袖で最後を見ていると、そっとタオルを差し出される。

「これをどうぞ」

「ありがとう、サニス」

タオルを受け取ると軽くあてがい汗をぬぐう、幕が下りれば主演者は舞台で挨拶をしなければならないため化粧が落ちないように注意をはらわなくてはいけない

「貴族の考えはぼくにはわかりません…」

「え?」

「仮に芝居の中でも人が殺される時に乾杯だなんて」

リゼットをちらりと見たサニスの表情は何かを堪えているようにみえる

「それだけ、わたしの演技が上手かったってことかしら?だって悪女が断罪されることに共感したってことでしょう、だったら女優として鼻が高いわ」

「ぼくにはまだわかりません」

「そのうちにね、わかるようになるわきっと」

サニスの頭をなでる、近頃サニスは慣れてきたのかほんのすこしだが撫でられても顔を染めなくなった

「赤くなるのがかわいかったのにな…」

「──なんですか?」

困惑気味にサニスが一歩引く

「冗談よ」

冗談に聞こえなかったのかサニスはそのままの距離を保って舞台に意識を戻す、サニスの視線を追うと丁度、終盤の王と王妃から冠を頂く結婚式のシーンになっている。

 幕が降りると、観客席から盛大な拍手が起こる。

アイリッシュとフェリオは興奮気味に袖に入ってくると、交互にリゼットに抱きつく

「アイリッシュすごくよかったわ、この分だとやっぱり先を越されそうね」

「当たり前じゃない、でもありがとう」

「フェリオも最高だったわよ、今日だけでもどれだけの令嬢が恋したかしらね」

「ありがとう、リゼットのほうこそ、本当に僕等を呪い殺しそうな勢いだった」

「それって褒めてるって思っていいのよね」

少しだけ力を加えて頬をつねる、反対の袖に下がったセレスティとベネディクトはこちらに振り向くと満面の笑みをよこした。

 再びカーテンコールで主演者達がステージに戻ると、団長から一人ずつ役と名前が読み上げられる。深々と一礼するとステージを去る、ここまでが今日の仕事だ。これから貴族等はクリスティーナが主催する誕生パーティに出席する予定があるらしく一人また一人と席を立つと城へと向かっていく、その群衆の中にひときわ目立つ人を見つける。ダークグリーンのスーツのその人はクリスティーナと腕を組んで歩いて行く。

「来てたのね…」

目をそらす事なんて出来ない、どこにいたってユーリを追ってしまう


「リゼット!今日のきみはとても美しい、ああこの小悪魔がぼくの心を盗んだんだ!」

明瞭に響く声に、全員が固まる。

「フェ…フェリオ……?」

どうして今に限ってそんな!?──振り向きたくないっ…今は、そう逃げるしかない!

セレスティにはしたないと怒られたって構わない、思い切りドレスを持ちあげると勢いよく走りだす。一瞬おおっと歓声が上がった気もするがそれも聞かなかった事にする。

「そんなにぼくと二人きりになりたいのかい」

後ろを振り向かなくてもどんな仕草で言ってるのか想像がつくわっ

ああっなんて重たいドレスなの!

「つーかまえた!──さあ一刻も早く静かな場所へいこうリゼット」

ひょいと持ち上げられると、そのまま膝裏へ腕をまわしてリゼットを抱え込む。

「フェリオ!」

「…おばかね、そんな悲しそうに見て。嫌な事から少しくらい目をそらしたっていいのよ。わたし決めたのんだから、不器用でかわいい猫を甘やかすってね」

何も持っていないかのように軽やかにフェリオは群衆をぬっていく、目の奥が熱くなっていくけどアニーサの泣き顔は舞台でしか見せたくない。フェリオの胸に顔を押し付けた。

化粧が衣装につくかもしれない、それでも

「いいから、いいから」

フェリオはどこまでも優しかった。

「フェリオってなんだか、わたしの姉みたい…優しくていつもわたしを甘やかすのよ、それでもって会うといやというほどにべったりで、だから大好きなの」

「光栄だわね」

 フェリオは群衆に紛れてこちらを見る視線を真正面に見据えていた。宝石の様なサファイアブルーの目は何でも吸いこんでしまいそうな強さがある、氷のようなアイスブルーの目は全てを凍らす冷たさがある、どちらも鋭さをはらんでいたが先にそらしたのは宝石の方だったのは確かだ。



事件が起きたのはそれより三日後の事だった。

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